人類、最後の言葉
病院の窓から空を見た。
鉛色の雲が太陽を隠し、いまにも大量の雨を降らせそうな雰囲気だった。おれの心境を察して一緒に泣いてくれるとでもいうのだろうか。
「むし暑いから窓を閉めるよ」
そう言ってもオヤジからの返事は「あ…ああ」と魂の抜けたものだった。毎日来るたびに弱っていくオヤジを見ていると胸が締め付けられる。
「なにかほしいものはあるかい?」
無駄な質問とわかっていて訊いた。スポーツ新聞や推理小説などオヤジが好きなものを買ってきても目を通すことはなく、いつも視線を白い天井にむけている。余命数日という死の宣告が気力を断ち切り、目を空虚感の中を彷徨わせている。
「また明日来るよ」
別れの言葉をかけて帰ろうとするとオヤジの細い腕が伸びてきておれの腕を掴んだ。意外なほど力強かった。
「ポチ2号に会いたい」
はっきりとした口調で頼まれた。久しぶりに感じたオヤジの強い意志だった。
ポチ2号とは家で飼っている愛玩用の犬型ロボット。見た目はチワワと瓜二つ。オヤジは可愛がっていたから頭を撫でたり、舌で頬を舐められるだけで元気を取り戻すかもしれない。
翌日、ポチ2号を連れて病院に向かった。
面会通用口のセキュリティーを通過するとき、ピンポーンと軽やかな警告音が鳴った。
「それは?」
警備員が厳つい目付きで尋ねる。
「見ればわかるだろ。愛玩用犬型ロボットだよ」
おれはポチ2号を抱き上げた。ポチ2号は愛想の悪い警備員にも尻尾を振ってご機嫌をとろうとする。
「消毒してください」
警備員が冷淡に指示をする。
「これは本物の犬じゃないんだから消毒する必要はないだろ?」
「愛玩用犬型ロボットは犬と同じ生活習慣が伴っているので、消毒しなければいけない規則になっています」
「家の中で飼ってるから大丈夫だ」
「散歩やここに来るまで外を歩かせていないという証拠を提示できますか?」
周りにも人が大勢いて“何事だ?”という興味本位の視線が向けられた。人間の70パーセントは水でできているという。できることなら水になって排水溝にでも流れていきたいくらいの心境にさらされたおれは抵抗するのをやめた。
「さぁ、こちらにきてください」
ポチ2号は透明なアクリル板で仕切られた部屋で生理食塩水のシャワーを浴びた。ポチ2号はショートした。やはり安物を買うべきじゃなかった。
肩を落としていると後ろから警備員が鼻息のかかる距離まで近づいてきた。
「なんだよ?」
「あなたは準危険人物として認識されたのでマークする権利が発動されました」
警備員はサッカーのDFみたいにぴったりおれに密着して腰に巻いているホルスターのボタンをはずした。黒光りした銃がチラリと見えた。
「勝手にしろ!」
苛立つ気持ちをぶつけたが、警備員は涼しい顔で滅菌されたビニール袋を手渡してきた。ポチ2号を連れてこなければよかったという後悔を抱いたまま病室に出向いた。
「ポチは?」
オヤジは待ちかねたように上半身を起こして目を輝かせた。
「ごめん……うっかりしてたんだ」
ビニール袋の中で動かなくなっているポチ2号を見たオヤジは悲鳴を上げた。
「大丈夫だよ。人工知能のデータは保存してきたから外枠だけ買い換えればいい。コピーしてすぐに持ってきてやるよ」
おれの言い訳が終るとオヤジは苦しみだした。泡立つ牛乳のような白い液体を口から吐き出すとまったく動かなくなった。
すぐに担当医のところへ飛んでいった。無論、警備員もついてきた。
「バッテリーはあと3日もつ予定じゃないのか?」
たまらず担当医に訊く。
「その予定でしたがうちの社のオヤジ7号は感情が生命力を左右する人間的な要素を含んだ最新モデルですのでこのような事故は想定の範囲内です。ご不満でしたら説明書の注意書をもう一度ご確認ください」
医者は下顎だけを使ってまずいポテトチップスを咀嚼するように無表情で説明した。
「そっちのミスじゃないって言い切れるのか?」
おれは斜に構えて担当医を睨んだ。
「そうです」
担当医は冷たい視線をぶつけてきた。
「なんだと?」
感情を抑えきれず、一歩踏み出すと警備員がおれの肩を掴んだ。
「あなたがバラバラになったポチ2号を見せなければオヤジ7号が制御不能になることはなかった」
「まさか人間みたいにショック状態になるなんて知らなかった」
おれの反論は言い訳にしか聞こえていないと思った。最初の議論に差し戻しただけで担当医を説き伏せる効果なんてなかった。
「もう一度言いますがオヤジ7号はこれまでにない人間に近い製品です。ですから人間のように病気になることもあるし、自殺することだってありえる。アクシデントはつきものなんです。ただ……」
担当医は意味ありげに言葉を切った。
「ただ、なんだ?」
おれは急かした。ひょっとしたら謝罪してくれるのではないかと甘い考えが過ぎった。
「あなたは完全な不良品です!」
担当医にきっぱり言われ、おれの思考回路は暴走した。警備員のホルスターから素早く銃を抜き取り、構えた。
「6連発の回転式か……古い型の警備員4号は動きも鈍ければ持っている銃も古いんだな。ケチらないでせめて6号くらいに警備させないと病院内の安全は保てないぜ」
おれは担当医と警備員に銃口を交互に向けた。
「そんなことをして何になる?」
担当医が無表情で尋ねる。
「謝罪しろ!慰謝料をよこせ!」
おれは手短に要求を伝えた。
「落ち着くんだ。話し合えば解決できる問題だ」
担当医は手のひらを突き出して抵抗しないという姿勢をみせた。
「具体的な解決策はあるのか?貧乏人は法廷で争っても勝てないからな。病院は優秀な弁護士をたくさん雇って名誉を守るつもりだろ?こんなに世の中は科学が発達してるのに病院内で起こる医療事故をもみ消そうとする体質はどうして変わらないんだ?」
ひと昔前のテレビドラマのような台詞を吐き、おれは涙ながらに訴えた。インプットした開発者の悪戯だろう。
途端に銃声が病院内に響いた。一瞬、目の前が真っ白になると、力が抜けておれは倒れた。左脇腹のあたりから白い液体がとめどなく出てくる。銃を向けながら防弾チョッキを着た警官12号が近づき、おれが落とした銃を拾い上げ「クリア」と、肩に装備してある無線に報告した。
「おまえが呼んだのか?」
担当医が振り向いて警備員4号に尋ねた。
「はい、脳に埋め込んでいる無線で応援を呼びました」
警備員4号は機械らしく正直に答えた。
「息子8号……どうしてこんな無茶なことをするんだ!」
担当医は叱るような発言をして、おれの体を起こした。不思議なことに支える手からはぬくもりが感じられた。
「に、人間らしい……死に方が、したかっ……」
停止した息子8号を抱きしめていた担当医に防弾チョッキを着た警官12号が銃を向けた。
「暴走した息子8号を幇助した罪であなたを処刑する命令がくだされました」
「いいのか?おれは最後に生き残った人間なんだぞ」
「罪は罪です」
「勝手にしろ!」
担当医は吐き捨てるように言った。それが人類最後の言葉となった。
〈了〉
ホラー(連載)で「狂犬病予防業務日誌」と「無期限の標的」の完結している作品を投稿しています。
ホラー(短編)では「付きまとう都市伝説」「近未来の肉屋」「水たまり」「彼女の好きなモノ」「娘、お盆に帰る」など多数投稿しています。
恋愛(短編)にも「木漏れ日から見詰めて」という作品を投稿してますので読んでくれた方は感想と評価をよろしくお願いします。