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 ――ふぅ――、と漏らした息が、夏の夜の温かい風に攫われる。

 桜鈴祭前夜、鈴橋高校のグランドでは、一大イベントを目前に控えた生徒たちが、明日の決戦の前に気合いを入れていた。屋台組が明日の練習も兼ねて、食べ物を作りまくっている。香り立つ臭いは、青春真っ盛り育ちざかり絶頂期の学生たちの胃を、否応なしに刺激した。

 明日から大変なんだから、今日ぐらいは家に帰ればいいのに、とも思うが、奏介自身も自分の胸が踊るのを抑えられなかった。

「いよいよ、明日か」

 校舎の屋上で、騒がしいグランドを見下ろす奏介が、一人呟く。視線を空に向ければ、輝く星に手が届きそうだ。雲ひとつない星空。天気予報では、桜鈴祭の開かれる三日間は全て晴れ。日頃の行いがいい……とは言い難い鈴橋高校にしては上出来過ぎる天気だ。

 フェンスの上で組んだ腕に顎を乗せ、奏介が微笑む。

 夜の学校、風吹く屋上、前夜祭の祭囃子。

 なんだか、物凄く心地いい雰囲気だ。ずっと、こうしていたいとさえ思えてくる。いや~な受験のことなど、奏介の頭からは完全に抜け落ちていた。

 少し……眠たくなってきた。考えてみれば、ここ数日は奏介も学校に泊まり込みだった。保安隊長。結局、祭前で大きな仕事はなかった。

「ラッキーだったな……」

 声になるかならないかぐらいの声で、奏介が呟く。次第に、その視界が細くなっていく。瞼が重い。祭囃子も、どんどん遠くに逃げていく。

 ちょっと、寝よう。

 奏介がそう決め込んだ、その時だった。

 奏介の首筋に、何か冷たいものが張りついた。

「うおおぉぉっ!」

 思わず叫んだ。それは、半ば雄叫びに近い。

 目を丸くして、反射的に首に張り付いたそれを手で振り払う。堅い手応え。

「きゃっ!」

「なんあぁ?」

 ――ゴァン、ガラガラガラ――と音を立てて、何かが屋上のアスファルトの上を転がっていく。

「千恵っ!」

 振り向くと、そこには自分の手を擦る千恵が、――いったたたた~――と不満そうな表情を浮かべて立っていた。

「見損なったわ、奏介。まさか、女の子に手を上げるなんて」

「せ、正当防衛だ」

 冗談ぽく言う千恵に、奏介が焦りを浮かべた真面目な顔で答える。視線を先ほど音がした方へ逃がすと、4メートルほど離れたところに、缶が転がっていた。

 その場から逃げるように缶に駆け寄り、缶コーヒーを拾い上げる。奏介がいつも飲んでるヤツだ。

「慰謝料と合わせて200円でいいわよ」

「差し入れで金とんなよ」

「大丈夫。出世払いでいいから」

 微笑みながらそう言うと、千恵は自分の分の缶コーヒーを、プシュッと音を鳴らして開けた。

 このまま反論したところで、どうせ負けるのは奏介だ。

 悔しさと怒りを溜息と共に身体の外へ出し、奏介がガシガシと髪の毛を掻く。

 その様子を横目でこっそりと見ていた千恵は、優しく微笑みながら、どこか緊張した面持ちでコーヒーを啜った。

 そんな千恵に気付かず、奏介は角が凹んだコーヒーの飲み口を制服の袖で拭って、蓋を開けた。ゴクッと一口飲むと、苦みと仄かな甘みが口の中に広がる。冷えたコーヒーは、熱い夏の夜には一層美味しく感じた。

「いよいよ、明日ね」

 奏介と同じ言葉を漏らす千恵。

 千恵の横に並んだ奏介は、――そうだな――と、もう一口コーヒーを飲みながら答えた。

「保安隊長、とりあえずお疲れ様」

「本番は明日からだけどな」

 奏介を見ないまま、千恵が労いの言葉を掛ける。

 奏介も、前夜祭を見つめながら答えた。

 沈黙。千恵はどこか落ち着きなく、缶の口を指先でなぞりながら訊いた。

「例の件だけど……どうなった?」

「例? ああ、爆弾魔のヤツか。美術部員の話しじゃ、今日までに校舎内に変なものはなかったてよ」

「そっか」

 短く返す千恵の声を意識半分で聞きながら、奏介は残りの意識をサードの対策へと向けた。

 美術部員の話しでは、校舎内に不審物はなし。不審者の目撃情報もなし。特に、ここ一週間は保安隊がローテーションを組んで、夜も学校内の見回りをしていた。もちろん、それはサードに限らず、桜鈴祭の前におイタ、つまり備品を壊したり、いたずらするヤツを防止するのが目的だったが。

 ともかく、以上のことから、サードが現れるとすれば桜鈴祭の最中だ。しかも、桜鈴祭は一般人も大勢来る。正直出たとこ勝負しかない。まさか、全員を身体チェックするわけにもいかないし。

 まぁ、気になる情報があると言えば、情報収集を頼んだ雅彦からの話しか……

 雅彦はたった数日で、サードの書き込みを調べてくれた。それはもう、歴史や理科の資料集並みの量を。正直、読むのに骨が折れるくらいだった。

 眼を回しながら資料を読んでいる奏介に、雅彦は言った。

「ああ、そんなに真面目に読まなくていいと思うよ。どうせ、今回のは偽者だからさ」

 雅彦がどういう見解で『偽者』と断定したのかは教えてくれなかったが、アレだけの資料を調べた雅彦の言葉だ。信頼できる。

 サードに関してはとりあえず頭に留める程度で、爆弾物探しも、落し物や忘れ物探しのついでにする。それが、奏介の最終的な結ろ……

「ねぇ、……奏介…………」

「ん? なんだ?」

「…………ス……………し……い?」

「え? わり、聞こえな……」

「だから……キス……したくない?」

 とんでもない爆弾が、奏介の隣で爆発した。

 声すら上げられないまま、奏介が身体を硬直させ、首だけをぎこちなく千恵に向ける。

 千恵は、相変わらず前夜祭に目を向けていた。

 ――俺の、聞き間違え……か?――

 奏介は自分の耳を疑ったが、よくよく見ると、千恵の頬は今までに見たこと無いほど赤く染まっていた。祭囃子を見つめる目は、何かを堪えるように潤んでいた。

「千……んむ……」

 奏介の口が塞がれる。頬を挿む、細い指。背伸びをした千恵の身体が、奏介の身体に寄りかかる。一歩後ずさりしても、千恵の身体は離れない。

 柔らかなものが唇を押さえる。甘い、甘い、甘いコーヒーの味。

 奏介は、自分の身体が凍ったのかと思った。そのくせ、胸は火傷するくらいに熱い。

 目と鼻の先なんかじゃない。鼻の頭にくっついていた千恵の顔が離れる。

「ぷはぁーー。はぁ、はぁぁーー。すぅ~……はぁっ!」

 千恵が何度も大きく息をする。一方、奏介の息は止まったままだ。まるで、奏介の身体が、口に入ったコーヒーの風味を逃がすまいとしているように。

「よし。気合いが入った。これで、明日からがんばれるわね」

 早口に、まくし立てるように千恵が言う。

「じゃ、じゃ、じゃあね。あ、あ、あと。最終日、またここで」

 目を泳がせ、何度も噛みながら言った千恵は、目を伏せ、脱兎のごとく駆けだし、校舎の中へと消えて行った。

 奏介の氷が解けたのは、時計の長針が文字盤を一周周り、前夜祭の祭囃子が終わってからだった。


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