(2)
夏休みも残すところあと一週間。この時期に学校に来る生徒と言えば、普通なら受験を控えた3年生くらいのものだが、今年は3年に1度の桜鈴祭。真っ白な太陽がグランドを焼く鈴橋高校には、朝から多くの学生が登校していた。
桜鈴祭の出展・出店は、クラス単位と部活単位で申し出る決りになっている。特に、装飾に携わる美術部員は忙しい。グランドで正門前に立てる桜鈴祭ゲートを作っていたかと思えば、屋上から垂らす壮大な日本画の桜の垂れ幕へ、美術部員が右往左往と奔走している美術部員。なんでも、出店で部費を稼がない美術部員は、助っ人料で桜鈴祭を乗り越えるらしい。祭り前にたんまり稼いで、祭りでは思いっきり遊ぶ、なんとも合理的なことだ。
時刻は、まだ午前10時前。まだ、暑さは比較的穏やかだが、それでも自転車で学校へ走ってきた奏介の背中は、すでに汗でびっしょりだった。今日はクラスの出し物で集まる予定はなかったが、朝から千恵に携帯で呼び出されたのだ。
「あっつ……」
学校目前の信号で赤信号に捕まった奏介が、肩で汗を拭いながら呟く。短い言葉の中に込められた、とてつもなく熱い思い。正直、このまま家に引き返したい。
そのとき、正門横の掲示板に部活の成績を張りつけていた生徒が、奏介の姿に気が付き、声を掛けた。
「おっ! 隊長―っ、お疲れさ~ん」
すっかり日に焼けた体育会系の男子生徒が、奏介に向けてトンカチをもった手を振る。――危ないからやめろ――と心の中で思いながら、奏介は苦虫を噛んだような表情を浮かべて言った。
「隊長は止めろ。恥ずかしい」
「なんでだよ、カッコいいじゃん。よっ、保安隊長! 今日も眼鏡が眩しいねぇ」
太陽を受けた爽やかな笑顔で、男子生徒が――ナイス――と親指を立てる。保安隊長とは、奏介が受け持った……というよりは押しつけられた桜鈴祭の役職だ。桜鈴祭が適切に運営されるための保安活動部隊。主な仕事はケンカやトラブルの対処。ようは厄介事片付けろということだ。
といっても、奏介がやることは直接的なトラブル解決というより、人材派遣だ。適材適所で人員を送って、対処する。奏介たちの学校で開いているSNS『カムベル』やツイッターの情報を収集して、見えないところのカツアゲなどにも対処したりする。まぁ、こちらに関しては、ネットが得意な隊員に頼むつもりだ。奏介は、あまりそっち方面に強くない。
にしても、この『保安隊長』というあだ名だけはどうにかならにのか?
しつこく『保安隊長、保安隊長』と連呼する男子生徒。それにしても、トンカチを持ちながらよそ見をするのは、いささか軽率すぎる。するりと手からトンカチが滑り落ちて、足の上にも落下しようものなら……
「い――――っつあぁ――っ。足の小指潰した―っ!」
とまぁ、こうなるわけだ。断っておくが、奏介が目を使ったわけじゃない。誰が悪いわけでもない、ふざけた彼が悪いのだ。
痛がる彼を尻目に、奏介は信号が青になるのを確認して、自転車のペダルをこぎ出した。横断歩道を渡り、自転車を指定の位置に止める。
生徒玄関を抜けると、廊下は大混雑だった。そこらじゅうに段ボールやガムテープ、マジックが散乱している。しかも、これはあくまで飾り付けの下準備だ。食べ物を扱うクラスや部活ともなれば、これからの準備はまさに修羅場となるだろう。今でこそ、廊下のそこらかしこで、仲間と連携する声や、小競り合いの声が聞こえてくる。まだまだ暑さの柔らかな午前中でこれなら、午後はもっとヒートアップするだろう。そうなれば、桜鈴祭前とはいえ、奏介が出動しないわけにはいかない。そうでなくても、桜鈴祭3日前からは泊まり許可が出て、徹夜組が増えるのだ。不純異性交遊等の警戒の為、もちろん奏介の休みはカット。できれば、今日は早く帰りたいと切に願いながら、奏介は生徒会執行部、またの名を『桜鈴祭実行隊総本部』へと足を向けた。
「おつか……」
軽い挨拶を口にした奏介が、俄かに緊張する。総本部の扉を開けると、執行部にはすでに桜鈴会の各役員が集まっていたが、明らかに空気が違っていた。議論を交わすのとはまた別の、ピリピリとした空気が執行室に漂っている。
生徒会執行部長席に、肘をついて組んだ手で口元を隠す千草が、入ってきた奏介に視線を流す。その眼は、集まっていた他のメンバーよりも、ずっと強張っていた。苛立ちと、不安が混じっているような、そんな瞳。
口に渇きを感じながら、奏介はその場の沈黙に習い、無言のまま自分の席に着いた。生徒会執行副部長の三角プレートが、今は保安隊長になっていて何とも間抜けだが、さすがにそこに突っ込む雰囲気じゃないらしい。
緊迫した空気の理由が分からないまま、30分。実行本部の、メンバー全員が揃ったところで、千恵が静かに立ち上がった。自分を落ち着けるようにたっぷりと息を吐き、緊張を孕んだ強い口調で言った。
「サードからの予告があったわ」
千恵のその言葉に、実行隊のメンバーが緊張した。
――サード?
ただ一人、奏介を除いては。
「それは本当ですか? 祭隊長」
食品部門を総括する『いっぱい食べ隊長』の女子が、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。程度に差はあれ、他のメンバーも一様に同じ表情をしていた。
『祭隊長』と呼ばれた千恵は、硬い表情で頷いた。
そんな千恵に、『イベント盛り上げ隊長』の男子が、真面目な表情で訊ねる。
「デマという可能性は?」
「確かに、その可能性は大きいわ。実際、模倣犯が何件かあったらしいし……」
「でも、本校はサードに狙われる条件は満たしてますよ。警戒に越したことはないかとおもいます」
いかにも文学系といった感じの眼鏡を掛けた女子、『バザーショップで得し隊長』が、手もとのノートパソコンを操作しながら声を上げる。その意見に、千恵はまたしても硬い表情で頷いた。
それにしても、シリアスな会話なのに、それぞれの前に置いてある役職名が完全に雰囲気を台無していた。今だけでも、三角プレートをひっくり返して元の役職で話した方が、場が引き締まるだろうに。
だが、奏介にその点を指摘する余裕はなかった。
――だから、サードって誰だ?
沈黙を守る奏介は、今話題に上っているサードなる人物が何者なのかを突き止めるのに全神経を集中させていた。いや、完全に分からないわけでもない。なんとなく聞き覚えがある気はする。
とにかく。
今さら――んで、そのサードって何者なんだ?――なんて、とてもじゃないが訊ける雰囲気ではない。例えるなら、アレだ。二カ月ぐらいしても、未だに名前を覚えられないクラスメートの名前を呼ぼうとして、結局、名前が分からず困り果てる感じ。まさに、今の奏介は完全にそんな境地だ。
相手が何者なのか分かるまで、――どうか話しを振らないでくれ――と切に願う奏介。
けれども奏介のその願いは、次の瞬間、険しい表情を浮かべる千恵の声に打ち砕かれた。
「それで、奏介。そろそろ保安隊長の意見を聞きたいんだけど」
「ぅ、あ、ああ……」
話を振られ、奏介はとうとう窮地に立たされた。何かを期待し、集中する視線。穴があるなら、一刻も早く逃げ込みたい。
突き刺さる視線に短く息を吐いた奏介は、罪を認める被告人の如く苦み走った表情を浮かべた、続いて苦笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに顔を手で覆って言った。
「悪い。サードってなんなんだ」
その発言に、他のメンバーが一様にポカ~ンと目と口を丸くする。奏介は、出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したかった。
たっぷり時間を置き、深~い溜息を零した千恵が、――莉子ちゃんお願い。どこでもいいからサードが分かるホームページと、カムベラ、開いてくれる――と、『バザーショップで得し隊長』の佐鳥莉子に声を掛けた。
奏介の発言が信じられないと固まっていた莉子が、千恵の声に――あ、うん。わかった――と答え、ズレた眼鏡を直しながら慌ててパソコンを操作する。
莉子の方に目を向けながら、千恵は――あんた、いい加減にしなさいよ――と小さく呟いた。手を叩けば消えてしまいそうな小声が、奏介にズサズサっと突き刺さる。他のメンバーはそんな二人を見て、二人に気付かれないように小さく吹きだした。
「千恵ちゃん、開いたよ。はい」
莉子が自前のノートパソコンをクルリと回し、画面を奏介の方に向ける。眼を細めるが、さすがに遠くて細かい文字は読めないが、パソコンの画面いっぱいに映し出された『Ⅲ』だけは無駄にわかった。
「『サード』は文化祭を狙った爆弾魔の通称です」
パソコンを前に、莉子が静かな口調で話し始める。
奏介を初め、メンバーの視線が莉子に集まった。
莉子は自分に向けられた視線に、少し緊張気味になりながら、サードについて詳しい説明を加えた。
「今開いているのは、サードに興味を持った人たちが立てた、サードに関する口コミサイトです。さっきも、いいましたが、サードとは文化祭を狙った爆弾魔のことです。サードには二つの特徴があります。まず一つ目に、サードは一度の犯行に、爆弾を3つ用意します。もう一つの特徴は、狙う学園祭が3年に一度の周期で行われている、ということです。サードという名の所以はここにあります」
「んー、ちょっと聞いていいか?」
「どうぞ」
「爆弾魔なんて派手なことやってるなら、ニュースでも取り上げられたりしたのか?」
少なくとも、奏介にはそんな爆弾魔のニュースなんて聞いた覚えはない。
奏介の質問に、莉子は微妙に困った表情を浮かべて、歯切れ悪く答えた。
「取り上げられて……いるとは思うんですが」
「?」
歯切れ悪い返答に、奏介が小首を傾げる。
「えっと、それがですね……」
「いわゆる、都市伝説なのよ。サードは」
返答に困る莉子の代わりに、千恵がパソコンのそばに歩み寄って答えた。
「現れた……とされるのは今から4年前。ある私立高校の文化祭だったらしいわ。その高校も、高校独自のSNSを開いていて、文化祭の数日前に書き込みがあったらしいの」
「されるとか、らしいとか。なんか曖昧だな」
「話の腰を折らないで。だから言ってるでしょ、半分年伝説だって」
そこで言葉を切ると、千恵は莉子に先の説明を促した。
「えっと。ネットに書き込まれた内容は『文化祭に爆弾を仕掛ける』というものだったそうです。ネットを見た当時の運営委員は、悪い冗談かいたずらと思って警察や学校には報告しませんでした。でも……、その予告は現実のものとなりました」
普段はおとなしく控えめな莉子の物々しい話し方に、メンバーが息を飲む。部屋は蒸し返るほどに暑いのだが、なぜか背筋が冷たくなってきた。
背中に燦々と輝く太陽を背負い、逆境で莉子の顔に暗い影が落ちる。眼鏡の奥で一度目を伏せた莉子は、小さく息を吐くと話しを再開した。
「一つ目の爆弾は、校門に造られた特設アーチに仕掛けられていました。文化祭が開催されて、ちょうど一時間。ボンッと、低くて重い音が校内に響き渡り、続いて鉄筋の折れる悲鳴に似た金切り音が響いたそうです。爆弾が折ったのは細い鉄骨一本だけでしたが、バランスの崩れた特設アーチは、傍にいた男の子の上に倒れてきました。不幸にも男の子は押しつぶされ、アーチを飾っていた白い紙花が、男の子の血を吸って真っ赤に…………キャーッ!」
「「「ギャーッ!」」」
突然悲鳴を上げた莉子に、メンバーが驚き狂って悲鳴を上げる。中には椅子を倒す者や、床に転げ回る者さえいた。大混乱の室内。
そんな阿鼻絶叫が木霊する中、――やれやれ――といった様子で小さな溜息をついた千恵が、眼鏡を妖しく光らせた莉子の頭を小突いた。
「コーラ、莉子。恐がらせてどうするのよ」
「ごめんなさい、つい癖で」
――どんな癖だよ――
集まったメンバーの心が一つになった瞬間だった。
――コホンッ――と咳払いをして、千恵がふわふわとした場に、再び緊張の糸を張る。
「それで、話しを戻すけど。莉子の言うとおり、当時の運年委員は爆破予告のことは学校にも警察にも届けなかったの。結果だけ先に言えば、爆破予告は現実になって、文化祭には計3つの爆弾が仕掛けられたわ」
「ちょっとまて、おかしくないか? なんでそれで、ニュースにならなかったんだ?」
奏介が訊ねると、千恵はバカバカしいと軽蔑の表情を浮かべて答えた。
「爆弾が仕掛けられたは仕掛けられてんだけど、内容があまりにもお粗末だったのよ。規模で言えば、ねずみ花火程度ね。ただ、一つ特徴を上げれば、一発目より二発目、二発目より三発目の方が、規模が大きくなる傾向になあるわ」
――なるほど――と頷きながら、奏介は思案するように両手の指先を合わせて、言った。
「でも、それだけで都市伝説なんて大袈裟だな」
「これが、この一回きりなら、その学校の生徒の悪ふざけで済んだんでしょうね」
「と、いうことは」
「そ、爆破予告があったのはその学校だけじゃなかったの。サードが現れた初めの年は、分かっているだけで5校が被害に遭ったらしいわ。それで、その学校に共通しているのが、文化祭が三年に一度で行われている、って点ね。その傾向は、二年目、三年目も同じよ。でも、だんだん爆破がエスカレートしてきているの」
語尾を厳しく、顔を険しくして、千恵が莉子からパソコンを借り、ホームページの中のある項目をクリックした。
「初めはさっき言ったネズミ花火くらいの規模、爆弾の音声だけを大音量で流すっていうのもあったらしいわ。でも、去年になると、三つ目に爆発する爆弾が冗談じゃ済まなくなってきたの。例えば、西宮農業高等学校では堆肥用の牛糞の山に爆弾が仕掛けられて、辺り一面大惨事になったらしいわ」
「ある意味、たちの悪い冗談だな」
「茶化さないで、奏介。それで、過去の事件で一番大きい事態になったのが、浜沢工業専門学校の件ね。ここでは、強力な閃光爆弾が使われたの。生徒の中には、一次的に目が見えなくなった人もいたそうよ」
「それだけのことして、よくニュースにならないな」
「この事件については、学校側が公表を控えたっていうのがもっぱらの噂ね。ほら、浜沢工業専門学校って、結構有名でしょ。就職率もいいし、学校側としては看板に泥を塗りたくなかったってところじゃない? 爆弾の閃光も、授業で作った装置の誤爆ってしたらしいし」
――ふーん――と鼻を鳴らしながら、奏介は背中を背もたれに預けた。体重を受け止めたパイプ椅子が、ギシっと頼りない音を鳴らす。
「さっき言ってた、模倣犯っていうのは?」
サードの話しが始まった最初の頃に出た意見を思い出し、奏介が千恵に訊ねる。
千恵は莉子に目配せし、パソコンのあるページを開いてもらいながら、奏介に答えた。
「その名のとおりよ。サードを真似た掲示板への爆破予告が幾つかの学校で発生したの」
「それが本物じゃないって言うのは、なんでわかったんだ? もしかしたら、本物がかく乱の為に書き込んだかも知れねぇだろ」
「その可能性は……否定できないわね」
少し自信なさげに答える千恵だが、続ける言葉はパソコンのページに裏付けされた強い口調だった。
「でも、模倣犯が発生しているっていうのは本当よ。実際、ある学校では掲示板がかなり大事になって、その後『自分が悪ふざけでやりました』って生徒が出てきたらしいから」
――なるほど――と囁くくらいの声で呟き、奏介が親指と人差し指で、上唇を左右から挟むように撫でる。物を考えている時の、奏介の癖だ。
「俺の率直な意見なんだが……」
ギシっと、再び椅子を鳴らして背筋を伸ばした奏介は、メンバーの表情を確認しながら、しかし、その表情に遠慮することなく言った。
「学校側に連絡すべきだと思う」
小さなどよめきと、唸るような声。
自分の発した言葉に、部屋の空気が二つに割れるのを奏介は肌で感じた。
賛成派と反対派。誰がどっちについいているかは、各々の唇の感じでなんとなくわかる。
現実的な奏介の意見に、文化祭の運営総隊長の千恵は――やっぱり――といった表情を浮かべながら、どこか悔しそうに言った。
「やっぱり……そうよね」
いつもは強気な瞳を伏せながら、千恵が悩むように零す。その言葉は、奏介にというより、自分自身に向けていた。
いつもの千恵らしくないと感じながら、奏介は努めて冷静に答えた。
「爆弾予告があったっていうのは事実だし、都市伝説でも、なんでも、今の話しを聞く限りかなり信憑性が高い。万が一に備えて、学校側には事前に連絡した方がいい。というか、連絡しない理由の方が俺には分からないな」
いや、実際まったく分からないと言うわけでもない。奏介自身、なぜ学校側に連絡しないか、なんとなく予想は付いている。奏介の意見に対して、賛成派と反対派が出るのもその理由からだろう。
奏介の意見に、千恵は眉を寄せ、口を軽く握った拳で隠しながら考える。千恵は桜鈴祭の運営総隊長『祭隊長』だ。桜鈴祭を成功させようとする熱意は、奏介もよく知っている。
だが、奏介自身も半ば不本意とはいえ、『保安隊長』を任された身だ。千恵に桜鈴祭を成功させる義務と責任があるなら、奏介には桜鈴祭を安全に運営する義務と責任がある。今回のような安全面に直結する議題なら、奏介の持つ発言力は大きい。
静まり返る部屋の中。
その時。まるでこの時を、この状況を待っていたと言わんばかりに、一人の生徒が声を上げた。
「学校に伝える必要はないだろう」
静寂を切り裂いて発言したその男子に、メンバーの視線が集中する。
鈴橋高校執行部の会計にして桜鈴学園の『桜鈴銀行隊長』、海野薫は、女子受けしそうな端正な顔に挑戦的な笑みを浮かべながら、言った。
「掲示板に書き込んだのが本物のサードか分からないんなら、無理に学校に伝える必要はないさ」
「本物だったら、どうするんだよ」
楽観的ともいえる意見に、奏介が語尾をきつくする。
目を細めて訊ねる奏介に、薫はわざとらしく掌を上に向けて肩を上げ、嘲笑を浮かべて言った。
「それを止めるのが、保安活動部隊の『保安隊長』、東道君の仕事だろ」
さも当然とばかりに言ってのける薫に、奏介の頬と眉がピクっと痙攣する。自分には被害がこないという余裕。それに、今のいい方は奏介を頼っているというより、小馬鹿にしたものだ。
奏介の腹の中で沸々とした怒りが沸きあがるが、もちろん、言葉には出さない。薫が何かに付けて奏介を挑発するのは、今に始まったことじゃない。
なんでも、薫は以前に千恵に告白して振られたらしい。プレイボーイの噂があった薫には、そうとう衝撃的だっただろう。彼のことをあまり心地よく思っていなかった男子たちは両手を上げて喜んだが、その時に「千恵は奏介と付き合っているから薫を振った」という根も葉もない噂がたち、それ以降、薫は何かに付けて奏介に敵対するようになった。
おそらく、今回のこの嫌がらせめいた言い方も、未だにその時のことを根に持ってのことだろう。まったくもって、いい迷惑だ。
気付かれないくらいに小さな深呼吸をした奏介は、自分を抑えるように腕を組んで言った。
「万が一を考えれば、学校に伝えるのが当然だろう」
「そう思うのは勝手だけどさ、みんなは他の万が一の方を心配してるんだぜ。なぁ」
同意を求める薫に、メンバーが微妙な表情を浮かべて曖昧に頷く。
奏介も信頼と立場からある程度は発言権は大きい。が、薫には会計という立場上、あらゆる行事、部活に対しての財布のヒモを握っているというアドバンテージがある。ヘタに逆らえば、露骨でないまでも、部費や活動費の面で影響が出ることを、みんな恐れていた。
とは言え、今回はその面を差し引いても、薫の意見には一理あった。
その一理を披露するように、薫がこの場にはそぐわない余裕のある笑みを浮かべながら続ける。
「学校側に『桜鈴祭に爆破予告があった』なんて言ってみろよ。あの教頭、絶対に桜鈴祭の中止を持ち上げるぞ。最低でも、目の届く範囲に縮小するくらいはやるはずだ」
薫の言葉に、奏介は口元を歪めながらも同意した。
鈴橋高校のある教頭は、保身を権化にしたような男だった。肩書き主義で、理屈や。なによりも問題ごとやトラブルを恐れていて、自分の顔に泥が塗られるような可能性があれば、徹底的に回避する。生徒に対してもえこひいきが酷く、生徒の間では――早く転任しろ――と言われていた。
その教頭の性格を十分に知りながらも、奏介は食い下がった。
「校長が、そこまでさせるとは思えない」
「校長先生ねぇ。まぁ、あの校長先生なら、そうはさせないと俺も思うよ。でもさ、絶対にやり難くなるぜ。まず間違いなく、教頭は警察に連絡する。たぶん、警察への連絡は、校長先生でも引きとめるのが無理だろう。ことが事だけにさ」
一度同意を見せてから、自分の意見の正当性を突き出してくる。薫の話術の上手いところだ。
「別に、警察が来る分にはいいんじゃないのか? 俺自身としても、そっちの方が安全だと思う。運営の面でもな」
反論する奏介に、薫は――お前バカか?――と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「いやいや、東堂君さぁ。桜鈴祭は、僕たちの青春そのものだぜ。そこに警察とか、面白くなさすぎでしょ。祭は、ちょっとおイタするくらいが、あとで武勇伝になって楽しいんだからさ」
とんでもないことを言う薫だが、今度はメンバーから明らかな同意の頷きがあった。奏介が、顔色を厳しくする。
そのとき、黙って二人のやり取りを見ていた千恵が、どこか決心したように声を上げた。
「奏介、ごめん。私も、今回の件は学校には伝えたくないの」
「千恵……本気か?」
うすうす予想していた言葉だが、奏介はにわかに信じられなかった。
真意を探る奏介に、千恵は細い顎を小さく引いた。
「ごめんなさい。これは、私のわがままになっちゃうんだけど。できれば、桜鈴祭は私たちの手で成功させたいの。デマの可能性も否定できないわけだし。それに……」
一度言葉を区切った千恵は、さらに堅い決意の眼差しで言った。
「それに……何かあったら、責任は私が取るわ」
強い言葉だった。
千恵のその言葉に、メンバーが圧倒されたように身を引く。楽観的な態度だった薫ですら、完璧に居を疲れたように唖然としていた。
数拍の沈黙。
奏介が深々と息を吐く。
「わかったよ。てーことは、この件そのモノを極秘事項にするってことか」
奏介の言葉に、千恵は安堵の笑みを浮かべて、ずっと緊張していた表情をホッと緩めた。
「ええ、そのつもりよ。なるべくなら、生徒たちには自然に桜鈴祭を楽しんでほしいの」
奏介が再び唇を擦り、目を伏せて考える。
考えをまとめて――うん――と小さく頷いた奏介は、目を上げると千恵に言った。
「俺もむやみに漏らさないことは約束する。でも、俺にも『保安隊長』って立場があるし、さっき海野が言ったけど、本当だった時に食い止めるのが俺の役目だ。だから、俺の方で協力してるヤツを、保安隊以外で捕まえたい。そいつらには、話してもいいか? もちろん、人数は極力絞る」
「協力者って正実?」
「う~ん、アイツも場合に寄ったら頼むかもしれないけど。今、俺が考えてるのは、美術部員の奴らだ」
「美術部員? なんでまた?」
千恵だけじゃなく、メンバー全員が首を傾げる。
奏介は、窓の外で忙しなく桜鈴祭の準備に追われる美術部員を指差しながら、続けた。
「美術部員は、桜鈴祭の飾り付けやもろもろの準備で、開催前からずっと校内にいるだろ。そのサードが祭の前か、開催中に爆弾を置くのかは分かんねぇけど、校内に不審な物やいつもと違うところがあれば、美術部員が気づく可能性が高いと思わないか?」
「た、確かに」
奏介の考えに、千恵だけでなくメンバーたちが驚きながら納得した。
なにかあったときに、頭が回る。奏介自身は自覚してないが、それも奏介が一目置かれる理由の一つだ。
――ちょっと待って――としばし考えた千恵は、何かを指折り数えながら考えをまとめて、言った。
「分かったわ。でも、話す相手は……」
「大丈夫。ちゃんと信頼できて口の堅い奴らにしとくから」
先回りして答える奏介に、千恵が――頼りになるわ――と零す。
「はいはい。んじゃ、対策が決ったところで、本日は解散しますか。各自、それぞれも桜鈴祭の準備があるんだからさ」
その様子を面白くなさそうに見ていた薫が手を叩き、今日の会議はお開きとなった。