Town in the Paper
「結局何にもなかったなぁ」
校舎の門を乗り越えて道路のアスファルトに着地した純が残念そうに言った。
「無かったね。単に暗い校舎だった」
仁も残念そうに言って、門を乗り越え、着地に失敗して倒れそうになった。それを純が受け止める。
その横に降り立った四葉が呆れた様に言う。
「馬鹿じゃないの。そんな簡単に何かが起こる訳無いでしょ」
「うん、変身ヒーローやってる俺達が言う事じゃ無いよね」
最後に律がくだらなそうにそう言って飛び降りた。
四葉がそれを睨む。
けれど律は飄々と受け流して手を上げた。
「じゃあ、俺もう帰るよ。結構時間経っちゃったし」
四葉が慌てて振り返り、学校の校舎の時計を見る。そして驚きの声を上げた。
「もうこんな時間? 何で? そんなに長い時間居なかったのに」
「まあ、楽しい時間は早く過ぎるって事じゃないの?」
律は笑って背を向ける。
「じゃあね。君達も早く帰りなよ」
「あ! 明日もおんなじ時間におんなじ場所に集合だからね」
「明日は、ごめん、駄目なんだ。用事があるから」
「え、そんな!」
そうして律は駆け去っていった。
むすっと目を据わらせた四葉に仁が申し訳なさそうに語りかける。
「あの、ごめん。僕も明日はちょっと行けないんですけど」
「なんで!」
「あの、食事に」
「俺んちと仁の家は明日一緒に出かけんの。だから明日は無理」
「えー」
心底残念そうに言う四葉に純が笑いかける。
「ま、明後日はちゃんと一緒に遊ぶからさ。だから明日は許しくれよ」
「遊びじゃない。町の平和を守ってるの」
残念そうに俯いて四葉はそれだけ言い返した。
「じゃ、俺達も帰るか。行こうぜ、仁」
「うん。じゃあ、四葉さん、また明後日」
四葉が顔を上げると、純と仁は笑いながら手を振って走ろうとしていた。
四葉はそれを何とか呼び止めたいと、手を前に上げ、足を踏み出し、口を開いたが、結局のところ何も言えず、見る見る内に純と仁は楽しげに話し合いながら去ってしまった。
残された四葉がもう誰も居ない道に向かって、「うん、また明後日。絶対会おうね」と弱々しく呟くと、辺りからまるで責め立てる様な静寂が押し迫ってきた。もう夏の入りで段々と蒸し始めた夜に、微かに汗ばみ始めた体が静けさの所為で寒気を感じる。すぐ傍には小学校が立っている。非常灯の明かりだけが微かに見える、森閑として静まった校舎を見ている内に、先程偽物の友達が出たのだという事を思い出して、四葉の背に怖気が立って心臓へと突き刺さった。
四葉はもう一度学校を恐ろしそうに見てから、慌てて自分の家へ向かって駆け出した。
ぼんやりとした明かりに照らされた古びた店の中で二人の男がテーブルを挟んで向かい合っていた。
「うーん」とその内の片方が悩む様に眉を寄せている。
チューリップ型のシャンデリアに照らされたその男は、眼鏡を掛けた二十歳半ばの何処か冷たい印象のある男性で、テーブルの上に広げられた紙を眺めながら唸って顎をさすっている。
「そんなに悩む事だろうか」
もう片方が言った。
十を数えるか数えないかの少年で、テーブルの上に並べられた紙に送っていた視線を唸っている男性に移すと、不思議そうに言った。
「まだ始まってすら居ないんだが」
「いえ、ゲームに悩んでいるのではなくてですね。ただ彼女達に怒られそうだなと」
男性が気弱そうに笑う。
少年が呆れた様に頬杖をついた。
「何百年も生きておいて何を怖がるのだか」
男性が微笑を浮かべながら、辺りを見回した。華々しく飾り付けられた店内の棚には可愛らしい雑貨が並んでいる。真新しい光に照らされる事に慣れたそれ等の品々は、照明の半分を落とした普段よりも薄暗い店内では、何だか不気味に見える。食い違った齟齬が心を苛んでくる様な気がした。
「彼女達には頭が上がりませんよ」
「何を、偶には君の恐怖を教えこんでやれば良い。高々小娘に何を憚られる必要がある」
「無理ですよ」
「何故」
「彼女達に勝って、恐れられ、そして居なくなってしまったら、それはやっぱり僕の負けだからです」
「随分と骨抜きにされたのだな」
少年は溜息を吐くと、テーブルの上の紙を指差した。
「ならこのゲームはやはり」
「いえ、続けます」
「ああ、そうか」
少年は男性の力強い言葉に身を引いた。
「まあ、私は暇つぶしが出来れば何でも良いんだよ」
「ええ、僕も同感ですよ」
「なら続けようか」
少年はそう言うと、再び語り始めた。
四葉が帰り道を急いでいると、向こうから一人の少女が歩いてくるのが見えた。年頃は同じ位で、腰まで伸ばした黒い髪の毛と真っ白を基調にした服装が幽霊を思わせた。
怖くなって、四葉は足を緩め、恐る恐るといった様子で道の端っこを歩き始める。
するとあろう事か、少女が四葉の元へとやって来た。
少女は四葉の前に立つと一つお辞儀をしてみせた。長い髪の毛が地面につきそうな程垂れ下がり、そして顔を上げた時にはその顔を完全に覆い隠していて、幽霊の様なという印象が更に強くなった。
「こんばんは」
暗い、穴の底からやって来る様な暗い声音だった。
「え?」
「こんばんは」
少女が再びそう言った。また暗い声だった。益々幽霊の様だが、そんな少女がどうして自分に話しかけているのか分からない。
四葉は良く分からないまま、挨拶をされたのだからとりあえず挨拶を返さなくちゃいけないと思った。
「あの、こんばんは」
とりあえず挨拶をして、そして探る様に上目遣いになる。
「いきなり、何なの?」
「ねえ、私は思うのだけれど」
少女が突然そう言った。四葉の言葉など聞いていない様だった。
「ゲームは公平であるべきだと思うの」
「いきなり何言ってるの?」
「少なくともお互いに勝ち目が無くちゃいけない」
少女は訥々と語る。
「お互いが明確に勝利の条件を知っていなくちゃいけない。勿論ルールもね。それから時間。ゲームは必ず区切りが必要だし。後はやっぱり何より、お互いが楽しむ事が一番。そうだと思わない?」
少女に問われたものの、四葉は答えられない。四葉にとって少女の言葉はただ不気味なものでしかない。
「そういう事だからじゃあね」
少女は言うだけ言うと、呆然としている四葉の横を通りすぎて行ってしまった。
四葉の背後から足音が響いてくる。それは次第に小さくなってやがて消えた。
足音が聞こえなくなってから四葉が振り返ると、当然道の先には誰も居ない。ただ代わりに地平を掠りそうな月が七つあり、普段の七倍の輝きで以って明らかにこの世界の夜を照らしている。
七つの月は明白にこの世界が偽物である事を照らしている。




