(9話) 抜け駆けとは、上等ね
「これ、乗り越えろってか?」
セトは、立ちはだかるフェンスを前に毒づいた。
日はとうに暮れている。真っ暗だ。
町を、昨日来た方向とは反対側に進むと、途中で景色は一変した。美しい石造りの建物は姿を消し、代わりに瓦礫の山が続いた。月明かりの下で、それは不気味に沈黙していた。爆撃によって壊されたのだろう、とコンラッドが言った。数百年、放置されたままということになる。その瓦礫の山をどうにか乗り越えながら進んだところで、金網が現れたのだ。太い針金を編んで作ったような、頑丈なフェンスだ。それは左右に続いている。どこまで張り巡らされているのか、暗くて確認することが出来ない。高さは三メートルはありそうで、上端には有刺鉄線が張られていた。
「汚染が酷かった地域を取り囲むためのものだな。戦争中、あちこちにこういう立ち入り禁止の地域が作られたらしい。ネビュラスはそういった地域にあったというから、これを越えねばならんのは分かるが……」
「この近くのどこかに、金網が破れている場所があるはず」
スイが言う。
「そうだよな、怪我人が怪我人抱えて、こんなの乗り越えられるわけねえし……」
スイは、金網に沿って、左に歩いた。セトもあとに続く。さらにその後ろを、コンラッドがついてくる。金網が破れている箇所を探す。しばらく、三人は無言だった。張り詰めたような緊張感があった。不必要な言葉を発しないように、不用意に物音を立てないように。昨晩、蛮族が町を襲うのを見ている。その残虐さも、容赦ないやり方も。夜に動くというアルノの言葉を信じるなら、用心し過ぎるということはない。
「ここから行ける」
スイが、囁くような声で言った。金網が破れている。丁度人がひとり、通れるくらいの穴が開いている。
「怪我しないように、気をつけろ」
頷いて、まずスイが金網をくぐった。次に、セトはコンラッドに先に行かせた。背中の大きなリュックが、金網に引っかかる。それをうまく外してやりながら、金網の向こうに押し出した。最後に、セト。リュックを下ろし、それを先に放り込む。そして、身をかがめてくぐった。
フェンスの向こう側も、瓦礫の山が続いている。明かりなしに歩くには危険だったが、ランプを灯すのは躊躇われた。コンラッドが先導した。最初、セトが先頭を行くつもりだったのだが、昨日、コンラッドが瓦礫だらけの路地を難なく進んでいったのを思い出したのだ。
「なんでそんな、体力あるんですか」
しばらく黙々と歩き続けていたが、たまりかねてセトが口を開いた。
「こういうこともあろうかと、体を鍛えておったのだ」
「……こういうこともあろうかと?」
「うむ」
「ねえ、あれ」
不意に、スイがセトの肩を掴んだ。緊張した声。指差した先に、オレンジ色の光が見えた。一つではない。セトは声に出さずに数える。だが、途中でやめた。多すぎる。二十は下らない。それが揺れながら、こちらに近づいてきている。
「隠れよう」
瓦礫の陰にコンラッドを押し込め、スイにもそこに隠れるように言う。そして、その隣にセトも収まった。顔を半分出して、様子を窺う。
徐々に声が聞こえるようになる。彼らは声を潜めることもせずに、喋りながら歩いている。笑い声すら聞こえる。男もいれば、女もいる。団体の観光客のようだ、とセトは皮肉交じりに思った。
「昨日、町を襲った奴らかな」
「さあな……」
言いかけて、かぶりを振る。
「いや、違うんじゃねぇかな」
昨日の戦いでは、襲撃した側にも、かなりの死者が出た。それを思うと、彼らはあまりにも陽気すぎるように感じられた。
「どっちにしろ、あいつらが向かっているのは……」
町だ。
「知らせないと……」
「無理だ。間に合わねえし、こっちが見つかる。そうしたら、人数差からして袋叩きだ」
「うむ。やり過ごすしかあるまい」
声はすぐそばまで近づいている。
セトは銃に手をかけていた。見ると、コンラッドも同じようにしていた。呼吸を抑え、通り過ぎるのを待つ。
会話の内容が断片的に耳に入った。町を襲うつもりなのは、どうやら間違いないらしい。段取りを確認しあい、装備を確かめている。雑談も耳に入ってきた。このところの暑さに対する愚痴や、子どもの成長の様子。暴力的な人間には思えなかった。
と、不意に、がしゃん、という音が響いた。
「す、すまん!」
「教授!」
手荷物の何かを取り落としたらしい。気づかずに通り過ぎてくれれば―――そう思い、蛮族の集団に目をやる。
「何かいるよ!」
集団の中の、誰かが叫んだ。女の声だ。
一斉に、足を止める。視線はこちらへと向いた。
「ばか教授!」
銃を抜く。念のため、カートリッジを確認。どう考えても、相手の人数に対して弾の数が少ない。そもそも、人間に対して銃を向けることになるとは、昨日の夕方くらいまでは思ってもいなかった。
コンラッドを瓦礫の陰から引きずり出し、武器を持っていないスイを奥に押しやる。
「おい、誰かいるぞ!」
言い終わらないうちに、相手は剣を抜く。たいまつの赤い光を反射して、ぬらりと光った。
「けっ!」
セトは盛大に舌打ちすると、その男にいきなり体当たりする。銃尻で思い切り男の手の甲を叩き、剣を奪った。
「またそのパターンかね」
「しょうがないでしょう! 弾には限りがあるんだから」
集団は一瞬、呆気に取られたように棒立ちになった。しかしすぐに気を取り直し、一斉に剣を抜いた。
「無理! これ無理だっておい!」
叫びながら、踊りかかってくる相手に向かって、剣を振り回す。鋭い音が重なる。複数の剣を一度にはじく。隙を見て、足払いをかける。体力が持たない。
「セト!」
叫んだのは、スイだ。
「ああ?」
取り込み中で、そちらに気を配る余裕はない。
「セト君、あれだ!」
「あれって何だよ!」
余裕はゼロだ。振り向かずに、叫ぶ。
「教授! そっちはそっちで、どうにかやってください!」
「違う、あれ!」
スイの再びの声につられて、顔を前方に向ける。
たいまつの火が、増えている。
悲鳴が聞こえた。罵声も。セトたちとは別に、戦っている者がいる。
「おりゃ!」
セトは、組み合っている数人の相手を、力任せに一気に押し戻し、その隙に周囲の状況を窺う。
「なんだ?」
戦闘が始まっている。馬のひづめの音が聞こえた。新手だろうか、と思ったとき、聞き覚えのある声がした。
「抜け駆けとは、上等ね」