(8話) ただのおとぎ話であってほしい
互いの顔がはっきりと見分けがつくほどに明るくなるまで、それほど時間はかからなかった。人々はたいまつの火を消した。それに倣って、スイもランプの明かりを消した。
「君たちか」
アルノの方に近づいていくと、向こうも気づいたらしい。
「どうした? 診療所で待っていればいいのに。それとも、あそこも安全ではなかったのかな?」
「実は、怪我人が一人、いるんだ。裏口を入ってすぐのところに寝かせてある。応急処置はしたけど、出血が酷い」
「わかった、ありがとう。じきにこちらは一段落するから、そうしたらすぐに診療所に戻って診るよ」
「何か手伝おうか?」
「いや、大分落ち着いてきたから、大丈夫」
そして、広場を端から端まで、ゆっくりと見渡した。
「手が空いているなら、シエラ将軍の方を手伝ってほしい。町の外に埋葬するんだ。人手は幾らあっても足りないと思うから」
日が昇りきらないうちに、遺体の運び出しが始まった。セトはスイに、診療所に戻るように言った。彼は首を横に振り、彼のあとをついてきた。屈強な男たちに混じって、作業を手伝った。ネビュラスも、こうやって襲撃されたのだろうかと思った。スイは今、目の前に広がる光景に、自分の記憶を重ねているのかもしれない。
町の外には、小さいながらも手入れされた畑が広がっていた。大事に、大事に作物が育てられていた。麦の一粒も失うまいとする、切実な思いが見えた。そこから少し離れた場所に、ひっそりと、墓地として使われている土地があった。土を盛っただけの粗末な墓が、整然と並んでいた。真ん中あたりに、まだ背の低い木が一本、立っていた。何の木かは分からない。緑色の若い葉を茂らせている。墓標の代わりなのかもしれない。
新しい穴が、いくつも掘られていた。ざっと、二十近くはある。そして、穴掘りはまだ続いている。皆、汗だくで作業をしていた。そして皆、無言だった。重苦しい沈黙の中、土を掻き出す音が妙に軽快に響いていた。二人もそこに加わり、慣れない手つきで手伝った。
太陽が高度を増すごとに、空気は熱を帯びてきた。埋葬は昼近くまで続いた。
「こいつら、体力どうなってんの」
セトはスイと二人、何度かこっそりと休憩した。休んでいるのは、彼らだけだ。町の人々は、何かに取り憑かれたように、それぞれの仕事に没頭していた。そうせずにはいられないのかもしれない。
穴が掘られ、広場から運ばれた遺体がその底にそっと、置かれた。そして、土をかけられる。その繰り返し。次第に、作業にかかわる人々は増えてきた。最初は大柄な男ばかりだったのが、女性や子どもたちも作業を手伝う。今まで怪我人の世話や、荒らされた家の片付けをしていたのかもしれない。
全ての作業が終わるころには、墓地には老若男女あらゆる人々が集まっていた。
「お葬式をするんだ」
アルノだった。彼の後ろにはコンラッドの姿もあった。
「あの怪我人は?」
「寝てる。大丈夫、しばらく休めば、また動けるようになるよ」
「土葬とは、驚いたな」
コンラッドが言った。
「昔は、遺体を火で焼いていたらしいけどね。今はもう、廃れてしまった」
白いローブのようなものを身にまとった老人が、人々の中心に進み出た。祭司のような役割らしい。彼は、新しく作られた墓に向けて、長い祈りの言葉を唱えた。それは、純粋な祈りだった。その中には、神のお告げもなければ、説教めいた寓話もなかった。ただ、亡くなった者たちが安らかに眠り、生きている者たちを見守り続けるようにと願う、切実な言葉だった。そして、生きている人々に対して、命あることを喜び、その苦労をねぎらい、勇気づけ、また続いていく日々を生きていくことを誓いあう、強い言葉だった。
「お葬式は、生きている人のためのものなんだ」
長い祈りの言葉のあとに、アルノがそっと、囁くように言った。
セトは、小さく頷いた。
嗚咽がそこらじゅうから聞こえていた。祈りが終わっても、人々はしばらくその場に立ち尽くしていた。だが、ひとしきり泣いてしまうと、めいめいに町の方に戻っていった。また、いつも通りの一日が始まるのだ。その中に、シエラもいた。労うように、部下らしい男たちに声をかけている。
「あなたたちも、ご苦労様。助かったわ」
声にはいつもの張りがなかった。代わりに、疲労が滲んでいた。今の今まで、どこかにぎゅうぎゅうに押し込めていたような、ずっしりと重い疲労だ。それが、堪えきれずに外に出てきたようだった。
「はっきり決まったことではないけれど……」
シエラはそう前置きした上で、言った。
「ここを放棄して、ほかに移ることになるかもしれない。さっき、族長と話をしたときに、そんなことを漏らしていたから」
アルノは、わずかに眉をひそめた。
「けれども、穀物の収穫まであと何か月もない。それを放り出すのは、痛いんじゃないかな」
「ええ、だから、あとで族長が寄り合いを開くと思う。そこで、今後どうするか決めることになるわね」
シエラはそれだけ言うと、行ってしまった。やれやれ、というように、アルノは首を軽く横に振った。
「僕たちも、戻ろう」
途中、セトとコンラッドは、荷物を取りに昨日放り込まれた建物に寄った。気絶していたので、当然ながらどの建物か分からなかったが、シエラの部下らしい男に聞くと、あっさり教えてくれた。スイもついてきた。アルノは先に診療所に戻ると言い、軽く手を振って別れた。
荷物は無事だった。銃やナイフなどの装備品も、そのままになっていた。蛮族はここまでは足を踏み入れなかったらしい。
「で、どうするんです?」
重いリュックを背負いながら、コンラッドに尋ねる。
そろそろ、本部にも彼らが失踪していることが伝わっているはずだ。今頃、ちょっとした騒ぎになっているかもしれない。
「考えたのだがな」
「はい」
「ネビュラスが実際に存在することが分かっただけでも大きな収穫なわけだが」
「……ビビってます?」
「もちろんだ」
「胸張って言わないでください」
と、そこで、大事なことを思い出す。
「そもそも、場所を知っているのは……」
考古学者二人が、同時にスイを見る。
「あ、俺だけ、かな……?」
彼は、コンラッドがリュックを背負おうとしているのを手伝っているのだが、体に不釣合いに大きすぎて、手こずっていた。
「そこなんだよなあ」
セトは、一度は背負ったリュックを、どさりと床に放り出した。どかりと胡坐をかく。つられて、スイもコンラッドのリュックを置き、座った。コンラッドもそれに倣う。三人が、車座になる。
「問題点を整理しますよ」
「うむ。君が仕切っているのが気になるが、まあよかろう」
無視して、続ける。
「お前の連れが、お前一人抱えてここまで歩いてきたってことは、だ」
スイが頷く。
「距離はそう遠くはない」
「一旦、海に出るんだ。そこから、歩いても一日かからないと思う」
「そのネビュラスは今、蛮族が占領していると考えていいな?」
「それは、間違いないと思う」
「ネビュラスは、人類の存在した証だと聞いておる」
スイは、静かに頷いた。
「ということは、人類のために存在しているのではないということでは、ないのかね?」
「………」
冷たい沈黙。
「うむ、なるほどな」
何がなるほどなのか分からない。セトは首を横に振った。
「俺は見たいね」
それは、自分の中のありったけの決意をかき集めた言葉だった。
「ここまで来て、引き返したらと思うと、これまで以上に自分が嫌いになりそうだ」
それを聞いて、スイがわずかに笑ったように見えた。セトはなんとなく居心地が悪くなって、汗でぐちゃぐちゃの黒髪を引っ掻き回した。
話は決まったとばかり、三人は連れ立ってアルノのもとに戻った。彼は夕べとは別の部屋で、何か書きものをしていた。私室らしい。昨日見たほかの部屋と違い、壁紙も調度も、古びて色あせたままだった。
「ここを出て行くのかな?」
「うむ、世話になったな」
コンラッドがまず、礼を言った。
「君も行くんだね?」
アルノは、スイに向かって問いかけた。
スイは、少し躊躇い、それから小さく頷いた。
医者は、静かに微笑み、三人の顔を順に見た。
「実は僕は、医者ではないんだ」
「は?」
「もともと、この部族には、医者は一人しかいなかった」
「蛮族か」
「そう、去年の冬かな、夕べみたいなことがあって、そのときに死んでしまった。僕はもともとは、教師だった。つまり、知識を伝える役目だ。それで、色々知っているなら、医者も務まるだろうと言われて、見よう見まねでやることになった」
「……むちゃくちゃだな」
「どのみち、大した道具も薬もない。風邪やちょっとした怪我ならどうにかなるけれど、伝染病なんかはもう、お手上げだ。そのときは、患者をどこかに閉じ込めて、広まるのを防ぐしかない」
「こういう表現は妥当じゃないかもしれないけど―――なんか、大昔の話みたいだな」
アルノは、にこりと笑ってみせた。
「その通りだよ。僕らは、過去のことは現存する書物から類推するしかないんだけど……地球に残ったのは、全人口と比べれば、ごくごく一部に過ぎなかった。当時の高度な文明を維持するには、あまりにも少なかった。この部族の人たちを見れば分かるとおり、食料の生産と治安の維持だけで手一杯だ」
「シエラもあんたも、ネビュラスを知っているような口ぶりだよな」
「僕や彼女だけじゃない。ネビュラスという言葉を知らない者はいないよ」
「どういうことだ?」
「伝説みたいなものだよ。ネビュラスには、僕たちが失った、高度な文明が残っていると信じられている。数百年前の世界大戦の頃の文明が。みんな、それを手に入れれば幸せになれると信じている。シエラ将軍だけじゃない。みんな―――蛮族も含めて、この地球上で生きている人々はみんな、移動を繰り返しながら、心のどこかで、いつかネビュラスに辿り着けるんじゃないかと思っているんだ」
「俺たちを行かせて、いいのか? いや、俺たちっていうか、こいつを」
と、スイを指す。
「僕はネビュラスなんて、ただのおとぎ話であってほしいと思ってる。君たちの目には原始的で貧しい生活かもしれないけれど、僕たちは僕たちなりに、築き上げてきたものがあるんだ。それを、あっさり突き崩されてしまうんじゃないかと思うとね」
そして、出発するなら夜がいい、と彼は言った。
「蛮族は夜に動き回るから、動くなら昼間がいいんだけど……ただ、町を出るまでは、人目に付かない方がいいから」
シエラにはどう説明するのかと聞くと、彼は気にしないでいい、と答えた。
「悪いけど、僕の知らない間にどこかに行った、ってことにさせてもらうよ」
それで、日が暮れるのを待って、町を出ることにした。
退室する間際、不意にアルノは言った。
「昨日までとは、随分顔色が違うね」
スイのことだ。どこかに大切にしまっておいた宝物をそっと見せるような、満足げな笑みを浮かべていた。
「ありがとう」
少しばつが悪そうに、スイは言った。初めて彼の前で発する言葉だった。