(4話) 人類の終焉の地
同じ写真を見た、とシエラは言った。
「どういうことだ?」
「ほんの、一か月前よ」
「一か月前?」
「これと、同じ写真を持った人間が、この町に来たの」
「そいつも、俺たちと同じように、宇宙から来たのか?」
「いいえ」
そこで、少しの沈黙があった。互いに次の言葉を絞りだそうとしているときの、締め付けるような沈黙だった。
「彼は……ネビュラスから来たと、言ったわ」
「ネビュラスから、来た?」
「今も、人が住んでいるのかね?」
それまで床に転がったままだったコンラッドも、思わず半身を起こして口を挟んだ。
「そいつは、今……?」
「死んだわ」
「死んだ?」
「蛮族にやられたのね、きっと。広場の入り口に倒れているのを、私の部下が見つけたの。酷い怪我をしていた。手当てをしたけれど、一晩ともたなかった」
「ネビュラスは、実在する……?」
「彼の言葉を信じるならば」
心臓が、早鐘のように打った。
「あなたたち、宇宙から来たと言ったわね。ネビュラスについて、あなたたちがどう捉えているのかは知らない。でも私たちにも言い伝えがある」
「言い伝え?」
「私たちは、貧しくて宇宙に上がれなかった人々の子孫よ。教養らしい教養もなく、それゆえに学術的な記録を持たない。当時は、文字も読めない人がほとんどだった。だから歴史は、言い伝えという形で今に残っている」
「ネビュラスは当時、大量破壊兵器による汚染が最も酷かった地域だった。戦乱の中で孤立した。地球に生きた、最後の人々ということになっている」
「そう。人類の終焉の地、ネビュラス」
「孤立した人々は、そこで、自分たちが生きた証を残そうとした」
「私たちは、それが欲しい。そこで、今、この星で生きる術が得られるかもしれない」
「生きる、術?」
「この荒れ果てた星で、どれほどの想いで生き抜いてきたのか、あなたには想像もつかないでしょう?」
荒れ果てた星。セトは彼女の言葉を胸中で繰り返し、それについて考えてみた。
想像を絶する苦労だっただろうと、思う。想像することしかできないが、草一本生えず、虫一匹生きることは出来ないとさえ言われたのだ。そこでいかにして穀物を育て、家畜を養ってきたのか。その苦しみを、シエラは言っているのだ。
ネビュラスに孤立した人々が、今日まで命を繋いでくることが出来たのだとしたら、その知恵を借りたいという彼女の考えは、理解できた。
「けれど、そいつは、死んだんだろ?」
「彼には、連れがいたわ。若者よ。まだ少年といっていいと思う。怪我をしていたけれど、一命は取り留めた。今、医者のところにいる」
「だったら、そいつに場所を聞けばいい」
「言わないの」
「言わない?」
「それどころか、一言も口をきかない」
「黙秘している、ということか?」
「分からない。何か話しかけても反応がないの。食事もろくに食べないらしいし」
「それで、俺にどうしろと?」
「あなたは、研究者ね?」
急に、話を変えた。
いぶかしげに、頷く。
「ネビュラスを探している理由は、学術的な理由から? それともほかに、目的があるの?」
セトは、わざとらしく鼻で笑い飛ばした。
「ほかに、何だって? 宇宙人が攻めてくるとでも?」
シエラは表情を変えない。黙ったまま、彼を見ている。
「その二つは、俺にとっては同じことだな」
「彼に会ってみる?」
そういうことかと、納得する。
確かに、この調子で聞かれたら、答えられることも答えにくいだろう。
ならば、話しかける人間を変えてみようという、それだけのことだ。
少年、と彼女は言った。こんなところで、手がかりを掴むことになるとは、思ってもいなかった。
「……会えるなら、会ってみたいね」
シエラは身を乗り出して、彼の身体を縛っている縄に手をかけた。もう片方の手でナイフを抜き、縄を切った。縄ははらりと解け、両腕が自由になる。
「……むむ。お嬢さん、私は?」
「あ、忘れてたわ」
「いっそのこと休暇だと思って、そのまま転がっていていただいてもいいんですが」
そうは言ったものの、上司を床に転がしたままにしておくわけにはいかない。セトはシエラの手からナイフを受け取り、コンラッドの縄を切ってやった。
「私たちは、宇宙に上がった人間に、置き去りにされたと思っている。ずっと、そう。貧しさゆえに切り捨てられたのだと」
シエラは唐突に、そんなことを言った。
「あなたたちについては、族長は私に一任すると言ったわ。でも、みんな、あなたたちにあまりいい印象は持たないと思う。夜になるまで待ったのは、そのためよ」
セトは、中立的に頷いた。
「荷物は、返してもらえないのか?」
「隣の部屋にあるわ。自由にして構わない。でも先に、彼に会ってもらえるかしら。それから――」
彼女は、部屋を出ようとするセトを遮るように、言った。
「戻ってきたら、ここからは動かないで欲しい。また縛られるのは嫌でしょう?」
「そういう言い方しかできないのか」
「仕方ないでしょう。簡単にはいかないのよ、色々なことがね。仲間を呼ぶようなことも、謹んでもらえるかしら。ここは私たちの星で、私たちが暮らす場所なのよ。好奇心だけで、踏み荒らされたくない」
三人は、部屋を出た。シエラがランプを持ち、先導した。廊下にも明かりはなかった。突き当たりを左に折れたところに、裏口らしい扉があった。そこから、外に出る。腕を広げれば、両手が壁についてしまうような、狭い路地だった。建物が寄り添うように並ぶその間を、一列に並んで歩いていく。シエラのあとにコンラッドが続き、最後尾にセト。
「あの部屋は、どれくらい使っていなかったんだ?」
「さあ……私たちの部族も、ずっとこの町に住んでいるわけではないから」
「移動しているのか?」
「そうよ。同じところで、いつまでも同じ作物を作り続けることはできないから。土地が枯れてしまうのね。それに、一箇所に留まれば、蛮族の格好の標的になる」
「ふぅん……」
「ここよ」
立ち止まる。ランプを心持ち高く持ち上げ、その扉を照らした。裏口らしく、プレートも何もない。そっけない、木製の扉だ。あいている方の手で、ノックを二回。
返事が聞こえた。椅子から立ち上がるような物音が聞こえた。少しして、ゆっくりと扉が開く。
長身の男だった。痩せているせいで、なおさら背が高く見える。穏やかな顔つきで、口元には親しげな笑みを浮かべていた。
「いらっしゃい。その二人が?」
と、セトたちを順に見る。シエラが小さく頷いた。
「こんばんは、アルノ。あの子は?」
「起きてるよ」
そして、半身退いて、中に招き入れた。
「この人が、医者?」
セトが小声で問うと、そうよと、シエラは答えた。
「アルノ医師。この町の、たった一人の医者よ」
「君たちのことは、先ほど彼女から聞いたよ。いつか、宇宙に出て行った人たちが地球に戻ろうとするだろうとは思っていたけれど」
そしてわずかに、声をひそめた。
「君たちの目的はちょっと違うみたいだね」
裏口を入ったところは、広い部屋になっていた。もとは民家だったらしい。それを簡単に改装したようだった。診療所らしく、白い調度でまとめられていた。あるいは、もともとあった家具を、白く塗りなおしたのかもしれない。部屋の中央にテーブル。レースで縁取られた、白いテーブルクロスがかけられている。壁に誂えられた棚には、薬の瓶がぎっしりと並んでいた。どれも形がわずかに歪んでいる。人の手で一つ一つ作ったものらしい。部屋の奥にはベッドが三つ。カーテンで仕切れるようになっているが、そのうち二つは無人だった。残りの一つは、カーテンが閉じられていて見えない。そこに、例の少年がいるのだろう。
「君たちの欲しがっている情報を、快く話してくれるとは思わない方がいい。彼女に聞いたかもしれないけど、まともに話ができる状態じゃないんだ。無理に聞き出そうと、乱暴なことをするのも、やめてくれるね?」
後半はどちらかというと、シエラに向かっていったようだった。ともかくセトは、黙って頷いた。
アルノは、音を立てないように、ゆっくりと、カーテンを開けた。