(3話) 美人だろ?
連れて行かれたのは、アパートメントの一室だった。そこに、乱暴に突っ込まれる。床を派手に転がり、何か柔らかいものにぶつかって止まった。
「おお、待っておったぞ」
「……何やってんですか」
コンラッドが、同じように縛り上げられて、床に転がっていた。
「うむ。君がなかなか来ないので、心配しておったぞ」
「ていうか、なんであんなに足速いんですか」
「最近の若者は、足腰が弱っているのだ」
外は徐々に暗くなっていった。夜が窓からゆっくりと忍び込み、やがて彼らのいる部屋を支配した。
セトは何度となく体をよじったが、縄は解けなかった。すぐ横では、コンラッドが芋虫のように床に転がったまま、時折ごそごそと体を動かし、意味不明な呻き声を上げている。
「これから、どうなるんでしょうね」
投げやり。
「うむ。いけにえの儀式に使われるんじゃないのかね」
「……教授を信じた俺が、馬鹿でした」
窓から見える向かい側の建物の窓には、オレンジ色の温かな明かりが灯っていた。そしてその明かりだけが、この部屋にわずかな光を与えていた。夕刻見かけた人々は、どうやらこの町の建物をそのまま住まいにしているらしい。ユーラシア大陸西部には、石造りの建物が多い。何百年も人々が住み続けた町が、ほとんど姿を変えることなく残っている。鉄筋コンクリートに代表される近代的な建物は、そうはいかない。家が耐久消費財となってからあとは、建て替えるのが前提で造られるようになった。そうした街はもう、跡形もなく消え去っている。
彼らがいる部屋は、しばらく誰も使っていなかったらしく、埃臭かった。ベッドにはマットレスがない。アンティークなフレームがむき出しになっている。チェストも、書き物をするための机も、ここに人が暮らしていた頃のままに残っている。壁には大きな鏡。ひび割れ、曇り、何も映していない。数百年も前から、この部屋にあるのかもしれない。
不意に、足音が聞こえた。硬い床の上を、硬いかかとの靴で歩く音だ。
足音は、彼らがいる部屋の正面で止まった。
蝶番の軋む音がして、扉が開く。さきほどの女だった。手にはランプ。炎が揺れるのに合わせて、壁に浮かび上がった大きな影が揺れる。ゆらゆらと、不気味に。
「いいかしら」
「いいも何もあるまい。いけにえにでも何でもしてくれたまえ」
コンラッドは床に転がったまま、呻き声と大差ないような声で言った。
女は呆れたように彼の顔を見て、ため息をついた。そして、同情と憐れみのこもった目で、セトの方を見た。あなたも大変ね、と言われている気がした。
「私はシエラ」
女は、静かに名乗った。確かに先ほどそう呼ばれていた。
「この部族の軍隊をとりまとめているわ」
「俺はセト。こっちに転がっているのはコンラッド教授。一応、俺の上司な」
「上司?」
疑わしげな視線を投げる。
「年功序列なの?」
「さあな」
「実力だよ、お嬢さん」
「はいはい、分かったわ」
「むむ」
「それで―――」
セトは、コンラッドのことは放っておくことにした。
「軍隊の隊長さん? そのお偉いさんが、付き人もなしに、何の御用で?」
「ネビュラスに行きたいって、言ったわね」
頷くしかない。
彼女はポケットから、手のひら大の紙切れを取り出した。写真だった。
「あなたの荷物から出てきたわ」
「俺の荷物、あさったんだ?」
「当然でしょ」
「気に食わねぇな」
「この辺りは物騒なの。武装した夜盗のような連中がうろうろしている。蛮族って私たちは呼んでいるけど。あなたがたがそうでないとは限らない」
「それで、とりあえず縛ってみた、と」
「ええ―――いえ……」
そこで彼女は小さく、かぶりを振った。
「見れば、あなたがたが蛮族でないことは分かったわ。見慣れない格好だけど、直感のようなものよ。私たちを見たときに、明らかに戸惑っているのが分かった。私たちを襲う気配なんてなかった」
「だったら―――」
「でもね、直感で判断したことを、みんなに押し付けるわけにはいかない。物事には順序があるでしょう?」
彼女は二人を縛り上げたことに対して、そして荷物を引っ掻き回したことに対して、一言も詫びるつもりはないようだった。そのことで、セトは腹立たしくは思わなかった。むしろ好ましいとさえ思った。彼女のやることは理に適っており、そして適切な順序を踏んでいた。理性的で、厳格な人間のようだ。
彼女が差し出した写真は、セトが宇宙から持ってきたものだ。
夜の海を背景に、白いワンピース姿の少女が映っている。
「美人だろ?」
投げやりに言ってみた。
「恋人、というわけではないわね?」
見透かしたような言い方だった。セトは、睨み付けた。
「友人や家族でもない。それどころか、あなたはこの女の子に、会ったこともないんじゃないかしら」
横でコンラッドが、わずかに顔を上げて、セトを見た。セトは、気づかないふりをした。
「……シエラだっけ? あんた、何か知っているような口ぶりだな」
「これを、どこで?」
「親父から」
写真は、これまでに何度もコピーを繰り返したらしく、だいぶ劣化している。ぼろぼろになるたびにコピーを取り、残してきたという風だった。
その写真が撮られた経緯について、父親は多くを語らなかったが、それが地球で撮られ、大切に、そして密かに保管されてきたものだと聞かされた。単に残すだけなら、データ化してしまえばいい。それをしなかったのは、無制限にコピーされることを恐れたからだ。それは父親に、きつく言われていた。決して、データにしてはいけない。ネットに流すなどもってのほかだと。
なぜなら、その写真に写っている場所こそが、ネビュラスという町だからだ、と。
それが本当ならば、ネビュラスから宇宙に上がった人々が存在するということになる。そして自分は、その末裔ということになる。
彼がネビュラスという遺跡に興味を持ったのは、ほかでもない、自分のルーツを辿ろうと考えたのだ。
シエラは、改めてその写真を見た。
「この写真を、私も見たわ」