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(13話) こんなに広い宇宙で

 シエラたちとは、一階のエレベーターホールで合流した。彼女の表情には疲れが見えた。

「外にいるみんなを、待たせたままだったわね」

 かすかに笑いながら、言った。服にはべったりと、血がついている。ほかの男たちも同様だった。人数が、いくらか減っているように思えた。

「ネビュラスは、滅びたよ」

 スイが言った。

 シエラは、疲れた笑顔のまま、頷いた。

「ここに暮らしていた人たちは、俺以外みんな、死んでしまった。科学者も技術者も。この設備を維持することは出来ない。でも―――」

 無残に踏みにじられてもなお、ネビュラスは美しかった。例えそれが箱庭の美しさであっても、それはひとつの事実だった。

「あなたたちに、渡したいものがある」

「私たち? そっちの宇宙人ではなく?」

 意外そうに、シエラはセトたちを指さした。

「この管制塔の地下に、大規模な実験室があった。そこで、作っていたものを」

「作っていた、もの?」

「今、あなたの目の前にあるものだよ」

 わからない、というように、シエラが首を小さく傾げる。

「畑も森も、全てはいつか、地上に返すための実験だった。汚染された世界でも育つように、何百年もの間、科学者が品種改良を続けてきた成果だ。種を持っていけばいい。それを撒けばいい。最初はあまり実らないかもしれない。でも、何年かすればきっと」

 きっと、こんな風に。

 踏みにじられる前の姿を、おのおのが胸に描いた。

「ここに住んじゃおうと思ったんだけどね」

 シエラは、晴れ晴れとした笑顔でそう言った。


「ネビュラスは、人が死ぬための場所だって、言ってたな」

 日は落ち、夜の冷たい風が熱を心地よく奪っていく。シエラたちは、粗末なテントのようなもので仮の寝場所を作り、炊事のための火を起こしていた。それを、セトとスイは遠巻きに眺めている。

「戦争の末期、正体不明の病気が蔓延したんだ。どこかの国が使った新しい兵器のせいだと言われていた。ネビュラスの周辺には、その病気にかかった人が多くいた。環境汚染とも関係があったんだろうね」

 セトも、その話は聞いたことがあった。

「治すことはできなかった。その病気を患った人たちは、ネビュラスで肩を寄せ合って、静かに最期を迎えようとしたんだ。命が尽きるまでのわずかな時間を、安らかに過ごすために、あの村が作られた。荒れ果てた地上の世界ではなく、記憶の中にある美しい世界の中で死んでいけるように」

 焚き火の周りでは、宴会が始まったようだった。なぜかその中に、コンラッドの姿もある。すっかり打ち解けている。セトは胸中で苦笑した。もういっそ、ここに置いていこうかと思ってしまう。

「お前は、どうするんだ?」

「あの人たちと一緒に行くよ。そうすることが一番いいと思う」

「俺らと一緒に、宇宙に上がるつもりはないか?」

 思い切って、言ってみた。しかしスイは、静かに首を横に振った。

「俺は生まれてからずっと、ネビュラスにいたんだ。外に出たことはなかった。こんな星空を見たのは、初めてだった。吸い込まれて、そのままどこかに吹き飛ばされてしまいそうだと、思った」

 暗い夜空を、眩しげに仰ぐ。

「人間は宇宙に行けた。もっともっと、どこまでも遠く行けるのかもしれない。でも、どれだけ科学が発達しても、どれだけ広い世界を手に入れても、人間はほかの生命に出会うことが出来ない。ひょっとしたら、何万光年も先に、人間と同じように、命を授かった存在があるのかもしれない。そしてこんなふうに、空を見上げているのかもしれない。でも、出会うことが出来ない。こんなに広い宇宙で、未だにひとりぼっちなんだ」

 セトは地球に降りた最初の日に空を見上げて感じた、途方もない寂寥感を思い出した。この空のどこかに、彼の住まいがある。しかし、それを見ることは出来ない。

「でも、思うんだ。それがなんだって。そんな途方もない話はどうでもいい。今、ここにある寂しさに比べたら」

 その目が、セトとまっすぐに見た。そこに映った自分が、同じ表情をしている。孤独だ。どこまでも続く渓谷のような、深い、深い孤独だった。そしてその奥にあるのは、その深さの中に飛び込み、その底で生き抜こうとする決意だった。

 立ち位置だ。立ち位置を探している。この途方もない宇宙の片隅で、この小さな、小さな命の在り処を探しているのだ。けれどもそれは、どこかに行けば見つかるというものではないのだと、スイは言っているのだ。

 セトは、自分の日常から果てしなく遠く離れたこの場所で―――こんな場所まで来て、ようやく、そのことに気づいた。

 ならば、自分が選んだ場所で、生きていくしかないのだろう。それぞれの場所で、それぞれの日常を送り、この与えられた命をまっとうするしかないのだろう。自分の中の奥深くにある、結晶のような孤独を探り当て、それを手のひらの中でそっと守りながら。

「俺は、この世界が好きだよ」

 スイは、言った。

「夜空も、日が昇る海も、このどこまでも続く茶色い大地も」

「綺麗だったな」

 思い出す。あの射抜くような眩しい朝日を。それは記憶に焼きつき、何度思い出しても色あせてすらくれそうにない。

 世界はこんなにも美しい。こんなにも広い宇宙の片隅に、こんなにも美しい世界がある。

 朝になったら、お別れだ。空が青く澄んで、大地が熱を帯びてきたら、本隊に戻らなくてはならない。ここに留まることは出来ない。宇宙には彼の住まいがあり、仕事があり、生活がある。そしておそらく、スイやシエラや、アルノや――ここで出会った人々とは、二度と会うことはないだろう。

 けれどもきっと、この出会いを忘れることはない。何度も、何度も思い出す。

 出会いとは、他人の孤独に触れることかもしれない。ふと、そう思った。

「会えてよかった」

 スイが、少し俯いて、言った。

「どうして俺は死ななかったんだろうって思った。ネビュラスが襲われて、みんなが殺されたときに、一緒に死ねばよかったと思った。俺を助けてくれた町の人も、先生も、シエラも、誰も好きになれなかった。もう誰も好きになれないんだと思った。俺はこの先ずっとこうやって、世界中を憎みながら生きていくんだと思った。でもあなたと出会ってから、少しずつ色んなものが、好きになっていった。あの人たちも、この世界も」

 スイはシエラたちと、うまくやっていけるだろうかと、セトは思った。うまくいくといい。幸せになればいい。

「俺も、結構好きだな」

 笑おうとした。うまく笑えない。へらへらと笑うことは得意だったはずなのに、このときは失敗した。

 宴会の輪から、彼らを呼ぶ声が聞こえた。

 こっちに来て、一緒に騒げと言っている。

 この先、彼らはどこかで種を撒き、作物を育てながら、この星で生きていく。そしてそれを思いながら、セトは宇宙で生きていく。また会うことはないと知っていても、心のどこかで、もしかしたらいつか会えるかもしれないという、小さな小さな望みを抱きながら。

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