(12話) 人類の墓標
扉が、すっと、音もなく開いた。
「あのお嬢さんは、ここに移り住むつもりじゃないのかね?」
「まあ、そのつもりでしょうね」
ため息。そしてすぐ、セトは絶句した。
エレベーターを降りると、そこには、膨大な数の端末が並んでいた。管制塔、という言葉の意味を、やっと理解した。まるで、シャトルの打ち上げ施設の管制塔のような光景だった。
「外で、見たよね。明かりは全て、電気なんだ。人工的に昼と夜を作り、空気を循環させて風を作り、気温を調整して四季を作り、時には雨や雪も降らせる」
「それを、ここでやっている、と」
「そう。それだけじゃない。電力を管理したり、みんなの戸籍を管理したり、様々な記録をデータベース化したり、とにかくあらゆることが、ここで集中して管理されていたんだ」
「お前は、ここにいたんだな」
「そうだよ」
スイはひとつの端末の前に座った。セトとコンラッドが、両側から画面を覗き込む。見たことのないインターフェイスだ。見たことのないシステム。数百年前から使い続けているのか、あるいは数百年という時間の中で独自に構築されたのだろう。何か重要なデータにアクセスしようとしているらしく、頻繁にパスワードの入力を求められている。それを、スイは慣れた手つきで次々にパスしていく。
「考えたんだけど」
キーボードを操作する手は止めずに、言った。目はディスプレイ上の文字を追い続けている。
それはもう、ベッドの上で、虚ろな目で沈黙を守っていたときの彼とは違っていた。科学者だと、言っていた。そのとおりなのだろう。
「どうすることが一番いいんだろうって」
「ここを、どうするか、ってことか?」
頷く。
「ネビュラスは、人が死ぬための場所なんだ。数百年前、ここができたときからずっと」
「死ぬため?」
「今、パスワードを全て解除した。これで、全てのシステムは自由にアクセスできるようになった」
そしてなおも、操作を続ける。何かを探すように、視線はディスプレイ上をせわしなく動き回る。
「規格は合わないと思うけれど、どうにか解析してほしい。多分、根本的な技術はあまり大きな差がないと思うから」
小さなディスクを入れ、また操作する。何か、膨大なデータをコピーしている。
コピーが終わったディスクを、スイはセトの手を取って、大事そうに握らせた。セトはそれを、珍しそうに手に取る。ネットワークによるデータのやりとりが主流となってからは、こうした外部メディア自体が稀になっているが、ここでは残っているらしい。裏返したり、明かりにかざしたりして、まじまじと観察した。
「何が入っているんだね?」
横から、コンラッドが覗き込む。
「ネビュラスの人々は、人類の歴史の全てを残そうとした、と伝えられておる。これがそうかね?」
スイは頷いた。笑う。それはどこか躊躇いの混じった微笑みだった。
「歴史とか、そんなたいそうなものじゃないんだ」
「じゃあ、何が……」
「ここは、ジーンバンクを兼ねていた」
「ジーンバンク……つまり品種の保管庫かね?」
頷く。
「現物は失われているから、今はデータという形でしか残っていないけれど、人がすべて死に絶えた後に残すべきものは、それしかない。生命という遺産だよ」
それが今、セトの手のひらの中にある。手が、震える。
「小麦ひとつをとっても、人はあらゆる品種を作り出した。特定の病気に強い品種、寒さや暑さに強い品種、多く実る品種……あらゆる品種を作ることで、その種が死に絶えないようにしてきた。生命が多様であるということは、生命が続くという可能性なんだ。それを残すことが、僕らの使命だ」
そこまで言って、ふと、スイは自嘲的に笑った。
「……がっかりした?」
「それが、ネビュラスの人々が残そうとしたものなのか?」
「そう。数百年前からずっと、ここを奪われたあの日まで、ここで暮らした全ての人が、そのために生きてきたんだ。地上では、あらゆる生物が死に絶えていった。それまでに解析された遺伝情報をかき集め、それを守ることを、たったひとつの目的として生きて、死んでいった」
セトは、ディスクをもう一度、見た。
「それが、僕たちがこの星に遺せる、たったひとつのものだと信じて」
「人類の墓標、か」
思い出す。あの町で、あの診療所の屋上で、二人で星空を仰ぎながら話したことを。スイはあの時、言ったのだ。この星で、人間の後に生まれてくる何者かのために、人間が存在した証拠を残そうとしたのだと。それは、どこかの偉大な英雄の物語でもなく、悲惨な戦争の歴史でもなく、これからこの星で生きていくものたちに託す切実な想いだった。
セトはそのディスクを、壊れないように荷物の中に仕舞った。