(11話) 遺跡になったんだよ
相変わらず、村には女性二人の姿しか見えない。畑で、何かしている。収穫しているというよりは、作物の具合を見ているという印象だった。ネビュラス内部は、明らかに外の世界とは違う。色々と、調べているところなのかもしれない。
スイが管制塔と言っていた建物は、村の奥にあった。人目でそれと分かる建物だ。村の家々が、まるでおとぎ話に出てくるような石造りの家であるのに対して、コンクリート造りの近代的な建物だった。外壁は綺麗に白く塗られていたが、窓ガラスは割れていたり、ヒビが入っていたりしている。それが、ひと月前に起こった出来事の断片を語っていた。
先にシエラたちが管制塔に入っていった。相手に気づかれるのではないかと思ったが、彼女たちは、セトが考えているよりもずっと、慎重だった。家や木々の陰から陰へ、身を隠しながら足早に進んでいく。それを見送って、セトはスイの方を振り返った。
「で、俺たちは?」
三人は完全に非戦闘員扱いで、置いてけぼりをくらってしまった。確かに、武器を持っていないスイと、中身はともかく見た目はひ弱な老人であるコンラッドは、足手まといと思われても仕方がない。拾った剣を、重そうにずるずると引きずっているセトも、彼女の目から見れば、頼りなかったのかもしれない。あるいは、ほかの二人の護衛として残したのかもしれないが、いずれにせよ、主戦力に加えようとは思わなかったらしい。ありがたい話だ。
そもそも、遺跡だと思っていたものが、こういう形で目の前に現れるとは思っていなかったのだ。うち捨てられて、朽ち果てた何かを想像していた。こうして畑があり、人が暮らし、そしてそこで生々しい争いが続いているなど、考えてもいなかった。
辿り着けたとして、自分は何をしたかったのだろうと、ふと思った。想像どおりの、朽ち果てた遺跡だったとして。時の流れを感じて感慨にふけるのか、何も得るべきものはないと項垂れるのか。
浅はかだったと、内心認めた。
時間は途切れなく流れ、戦争は形を変えて続いているのだから。
三人はシエラたちが通った後を辿るように進んだ。ひとまず、小さな家の陰に身を潜める。
「本当に、誰もいないのか?」
窓を覗き込む。物音はない。裏手に回って、そっとドアを開けてみた。鍵は、壊れていた。中に入ろうとして、不意につなぎの脇腹の辺りを引っぱられた。スイだ。
「どうした?」
小さく、首を横に振った。
ふと、いやな予感がした。恐る恐る、中の様子を窺う。匂いだと、気づく。奥の方から、不快な匂いが漂っていた。
「セト君」
コンラッドが、たしなめるような声で、彼を制する。
「見ない方がいいかもしれん」
腐臭だ。
袖で鼻を覆い、奥の部屋を覗き見る。
絶句した。
赤黒いペンキでもぶちまかしたようだった。血液だ。それが、床をべっとりと覆い隠している。からからに乾いて、表面は小さくひび割れていた。その中央に、人が二人。中年の男女だ。女の上に、男が覆いかぶさるように倒れている。夫婦だろうか。男性が、女性を庇うように抱きしめたまま、時間が止まっている。ただ腐敗だけが、ひと月という、時間の流れを物語っていた。かなり進んでいて、どす黒い内臓が見えていた。飛び出した骨が、場違いなほど白く目に飛び込んでくる。セトは、胸の真ん中あたりに、何か異物でも押し込まれたような不快感を覚えていた。吐き気だと、ふと気づく。それを強引に飲み下し、スイの方を見た。
「ほかの家も、こんなんか?」
スイはうつむいたまま、頷いた。その顔は、初めてあの診療所で顔を合わせたときの、虚ろな表情を思わせた。それが、セトを不安にさせる。
そこへ、遠く罵声が聞こえてきた。シエラたちだろう。外に出て、管制塔の方を見る。外からは、中の様子は分からない。建物の中では、すでに戦闘が始まっているようだった。
「今のうちに」
スイが、先頭に立って歩いた。よく見ると、庭の畑は酷く荒らされていた。作物は片端からもぎ取られ、あとは無残に踏み躙られている。蛮族が足を踏み入れる前は、よく手入れされた畑だったのだろうと思うと、やりきれなかった。荒らされたまま、一か月もそのままになっているのだ。もう、耕す者はいない。
「取るものだけ取って、あとはいらねぇ、って感じだな」
「管制塔は食料庫も兼ねているから、そっちに惹かれたんだろうね」
周囲を警戒しながら、遠巻きに、管制塔の建物を一周してみる。入り口は二つ。ひとつは正面玄関。ありふれた近代ビルの自動ドア。ガラスが割られ、飛び散っている。もうひとつは、裏手にある通用口。こちらは、ドアが閉まったままだった。鍵もかかっている。シエラたちは、正面から入ったのだろう。
「裏口から入ろう」
扉の横に、セキュリティ装置が取り付けてある。暗証番号で開く、古典的なものだった。スイがテンキーに番号を打ち込む。慣れた手つきだった。重い金属製の扉を、わずかに開ける。中の様子を窺う。そして、こちらを見て一度、頷いた。大丈夫、ということだろう。
「あなたが考古学者だって聞いて、似合わないと思ったんだけど」
スイは唐突に、そんなことを言った。
「実は俺もね、こう見えて、科学者なんだ」
「科学者?」
「この管制塔で、情報管理を担当していた。だから、ネビュラスのことはきっと、誰よりもよく知っている。ここの内部構造も、それを維持するための技術も、これまでの歴史も、どんな人がいたのか、どんな生活をしていたのか、どんな作物が作られていたのか、そんなことも、全て」
「そういう重要なことを、しれっと黙っていたわけだ」
「そうだよ」
スイは笑った。セトも、呆れ半分に笑う。
セトが、まず中に入った。
薄暗い廊下が延びている。その両側に、味気ない白い扉が並んでいる。それを見て、セトはなんとなく、ほっとした。それは彼にとって、見慣れた、ごく普通のビルの内装だった。味気ない、古びた安い貸しビルを思わせた。
「奥に、エレベーターホールがある」
スイが言った。
「そこから、地下に下りるんだ」
「地下?」
今いる場所も、すでに地下だ。
「まだ、下に何かあるのか?」
「そこが、ネビュラスの本体。多分、ここを襲った奴らも、そこまでは辿り着いていないはず」
まっすぐな一本道の廊下なのに、人の姿はなかった。声は、上の方から聞こえてきていた。怒鳴り合うような、激しい声だ。
「みんな、上にいるみたいだね」
エレベーターは全部で三基、並んでいる。どれも一階で止まっている。シエラたちは、階段を使ったのだろう。そもそも、エレベーターというものを知らないのかもしれない。
一番左の籠に乗り込む。ボタンの下に、少し見ただけではわからないような、小さな扉があった。それを開くと、そこにまた、テンキーがある。それをスイが操作する。
「ここから下は、セキュリティエリアだよ。ここにいた人たちの中でも、限られた人しか入れない」
籠はゆるやかに、下降を始めた。
長い、長い下降だ。どれだけ、何階分だけ降りたのか分からない。
「あの人たちは、もう、ネビュラスを見てしまった」
スイは、静かに言った。
ふと盗み見た表情は、笑おうとして失敗したような、そんな顔だった。
「どんな風に、映ったんだろう」
それは、最初に襲撃した蛮族も、シエラたちも、同じだろう。廃墟の中で、細々と命を繋いで生きる人々にとって、どう見えたか。様々な作物が実り、鳥や虫が飛び交い、木々の生い茂るこの小さな世界が、どれほど眩しく映ったのか。
「でも、もう、ネビュラスは失われたんだ」
その声に、絶望はなかった。
強い、強い意思だけがあった。
「俺たちはずっとここを守り続けてきたけれど、みんな死んでしまった。ネビュラスはもう抜け殻だ。―――遺跡になったんだよ」
エレベーターは下降をやめ、扉が静かに開いた。