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鳴ノ海の物語  作者: プラスイオン
秋‐冬
9/11

八 小正月

八 小正月


挿絵(By みてみん)


 年も明けたころ、レーネ村はすっかり深い雪に覆われていた。一面に銀世界が広がり、吐く息は白い靄となって宙にうかんだ。


 きょうは小正月。〈ナリノカミ〉の日である。


 家のまわりの雪をかき集めていたミヤは、ふとギンのことを思いだしていた。

 七色の池で会ったあの日から、もう一度も会っていない。いまごろ、どこでなにをしているのだろうか……。


「なぁ」


 ぼんやりとそんなことを考えていたとき、隣で自分の家のまえの雪をかき集めていたソジが声を掛けてきた。


「ナリノカミは、なんのためにやるか知っているか?」


 急になにを言いだすんだろうと思ったが、ミヤは雪を集める手を休めずに答えた。


「鳴滝川に感謝をして、豊作を願うためでしょう?」


 ソジが冷たく赤くなった顔で、かすかに微笑んだ。


「違うの?」


 予想外の反応に、すこし戸惑った。そしてすこし考えてから、もう一度答えた。


「鳥を追い払うのよね? 作物を荒らされないように。おじいちゃんが言っていたわ」


 今度こそ正解だろう。

 そう思ったが、ことのほかソジの反応はたいして変わらなかった。


 ソジは手を休めて両手をあげると、背をぐんと伸ばしながら空を見あげて、白い息を吐いた。久々に青く澄み渡った空では、白くて薄い雲が、ゆっくりと東の空へと流れていた。見ていて心が晴れるようだ。

 ミヤもつられて空を見あげていたとき、ソジが突然言った。


「ミヤなら、きょうは会えるかもしれないよ。」


 一瞬、ソジがなにを言っているのかわからなかった。


「会える? なにに?」


 ミヤは目を光らせて訊いた。

 するとソジはこっちを振りかえり、隠しごとをしているような目で見てきた。そしてなにかを言おうとしたとき、だれかが駆け寄ってくる足音が聞こえて二人は同時に振りかえった。


 白い玉がミヤの顔をめがけて飛んできて、鼻のうえで冷たいものが弾けた。ノキが雪玉をつくって、勢いよく投げつけてきたのだ。


「ぶ」


 とっさのことで避けきれなかったミヤの口のなかに、味のない雪が入り込んできた。

 それを見て、ノキは腹を抱えながら笑った。


「もっと、きゃあとか可愛い声だせよなあ」


 余計なお世話である。お返しに倍の大きさの雪玉を投げつけてやろうかとも思ったが、ソジのうしろに見える村の広場が目に入って止めた。


 ミヤはソジを軽くにらみつけると、そのまま何事もなかったかのように再び雪を集めはじめた。

 ちらっと見えた村の広場には、小さな雪の山があるだけだった。立派な雪洞ができあがるまでは、まだまだ時間もかかりそうだ。ソジの相手をしていては日が暮れてしまう。


 ミヤが黙々と雪を集めはじめると、今度は隣でソジとノキが雪玉の投げあいをはじめてしまった。

 二人は休憩と言っていたが、結局いつまでも楽しそうに投げあっていた。



(きょうは会えるって、なんのことだったんだろう……)


 ソジに言われたことが気になりながらも、その後もミヤは黙々と雪洞づくりに励んでいた。

 毎年のことだったが、いつも最後まで真面目に雪洞づくりに励んでいるのは、大抵小さな子と女の子だけだった。

 男の子は雪玉をつくってノキやソジたちのように遊ぶほうが面白いようで、しばらくすると雪洞づくりを投げだして村を駆けまわっていた。


 家のまえの雪がきれいに片づきそれを広場へ運び終えると、ミヤは気になっていた話の続きを聞くために、まだノキと雪を投げあっていたソジのほうへ駆けて行った。

 

 そのとき、突然山のほうから覚えのある音が聞こえてきて、ミヤは足を止めた。長く尾をひいていて、笛のように高くて細い。その()は、まさしく滝壺で聞いたあの音と同じだった。


 ミヤは慌てて辺りを見まわした。しかしソジやノキはもちろん、ミヤの他はだれもその音には気づいていないようで、皆、雪を集めたり投げたりするのに夢中になっていた。


 ミヤはひとりでその音に耳を澄ませた。どうやら滝壺のあるほうから聞こえてくるようで、しばらくするとぴたりと音は止んだ。


――ミヤなら、きょうは会えるかもしれないよ


 ソジの言葉を思いだして、ミヤはとっさに思った。


(鳴滝川へ行こう)


 あの川へ行けば、なにかがある。不思議とそんな気がして、ミヤは迷わず雪を蹴って駆けだした。



 冬になると田畑はすべて雪に埋まり、静かに春を待つだけになる。

 歩きにくい坂道をのぼりながら、ミヤはいそいで鳴滝川へつづく山へと入っていった。久々に入る山は滑りやすく、一歩一歩慎重に歩いた。こうして雪の多い時期に入るのははじめてで、いつもとは違った静けさも感じる。


 ゆっくりと奥へ入るに従って、だんだんとなつかしい川のせせらぎは聞こえてきた。ここまで来ると高まる気持ちは抑えきれず、川面を目にすると足元に気を配るのも忘れて一気に前に進みでた。


「わ!」


 不注意が祟り、足元が滑って勢いよく転げてしまった。

 何が起きたのかわからずに呆然としていると、だれかの視線に気づいて川の向こうに目を向けた。ギンがこっちを見て、声を抑えて笑いながら立っている。


 ギンに気づき、ミヤは顔をまっ赤にして言った。


「笑わないでよ」


 いじけた様子を見せると、ギンはぴたりと笑うのを止めてこっちを見た。はじめて会ったときとおなじ、やさしい目をしている。七色の池で会ったときのギンとは、まるで違う。そんなギンを見て、ミヤの胸の内もほっとした。

 目が合わさるとギンはやさしそうなその目で微笑むので、ミヤもつられて笑ってしまう。




「もう会うことはないと思ってた」


 いままで思いだすのも避けてきた七色の池でのことを振りかえりながら、ミヤは気まずそうに切りだした。

 ところが、そんなことは今ではすっかり気にも留めていないようで、ギンは特に表情を変えることもなくミヤのほうへ歩み寄ってきた。そして、ミヤの手をとると無邪気な顔をしながら言った。


「きょうはミヤの村へ行こうよ」


「え?」


 思いがけない言葉に、ミヤは無意識に聞きかえした。


「どうして?」


「きょうは小正月だ」


 ギンはそう言うと返事も待たずに手をひいて、ミヤが来るときに残してきた足跡をたどりはじめた。珍しいことに驚いてはいたが、断る理由もなかったので、ミヤもそのままギンのあとをついていった。


 

 村の広場へもどると、目のまえの光景にミヤは目を疑った。ついさっきまで、雪洞というにはあまりにも粗末でただの雪山しかなかったはずの広場に、大きくて立派な雪洞がいくつも立ち並んでいた。

 雪洞のうえにはきちんと藁もかぶせられていて、さらにそのうえには、供え物の菓子やお酒もたくさんのせられている。


(いつの間に……)


 ミヤはただ呆然と、その場に立ちつくした。けれど、その場にいるはずのソジたちのすがたがどこにも見当たらないことに気がついて、人影を求めて辺りを見回した。

 いつもなら子どもでにぎわっているはずの広場は嘘のように静まりかえり、しんとしている。


「こっち」


 そのとき、戸惑っているミヤの手を引き、ギンが雪洞に歩み寄っていった。すると不思議なことに、近づけば近づくほど雪洞はみるみる縮んでいき、目のまえに立ったときには、供え物が簡単に手に届くまで小さくなってしまっていた。


 ミヤが驚いて雪洞を見ていると、今度はギンが思いがけない行動をとりはじめた。なんのためらいもなく、供え物のハイの菓子を手にとり、そのままかぶりついてしまったのだ。


「あ、ギン! それお供え物よ! 勝手に食べたらだめよ」


 隣で止めようとするミヤも気にせず、ギンはまたひとつ菓子を手にとるとミヤに手渡した。ミヤは言葉を失い、目を丸くしながらその菓子を受けとった。


「大丈夫だよ。ミヤもお食べ」


 そう言うギンの顔は言葉通り、全く気にしていないようで陽気な顔をしている。悪気が感じられるわけでもない。

 それでもミヤは焦りを隠せず、だれかに見られてはいないかともう一度辺りを見回した。けれどやはり外には人影一つなく、それどころか家からだれかがでてくる気配さえなかった。

 そうこうしている間も、ギンは次々と供え物に手をだし、しまいには酒を手にとり豪快に飲みはじめてしまった。


「それお酒よ! そんなに飲んだら酔っぱらっちゃう! それにだれかに見つかったら怒られるわ!」


 ミヤは慌ててギンが持っていた杯をとり、手に持っていた菓子と一緒に雪洞のうえに返した。


「ギンの村ではお供え物も勝手に食べるの? こんなことをしたら、罰があたるわよ」


 ギンがどうしてこんなことをするのか、理解できなかった。いつもは冷静な人だから、もうすこし賢いと思っていたのに……。

 呆気にとられた顔をしていると、ギンはミヤの目を見て言ってきた。


「お供え物だから食べるんだよ」


 ミヤは唖然としてしまった。


(お供え物だから食べるなんて……)

 

 そんな言い訳ははじめて聞いた。

 だが、ふっとミヤはあることを思いだした。ソジが言った言葉。きょう、会えるかもしれないのは……。


(きょうは、ナリノカミ。……ナリノカミ……?)


 はっとしてギンの手を掴んだ。こうして手をつないでいないと、またいつものように突然いなくなってしまうかもしれない。

 ミヤは思い切って、ギンに訊いた。


「ねぇ、ギン。ギンはナリノカミなの?」


 胸の内側で、鼓動が早まるのがわかった。否定してほしい。ミヤは答えを待った。けれどその期待も虚しく、ギンはなにも答えないまま、いつものように微笑むだけだった。


 ミヤはため息をついて、漏らすようにつぶやいた。


「わたし……去年皇子に会ったの。皇子に言われたの。誕生式典のとき、わたしの隣に……」


 ソジと一緒に、皇子に会ったときのことを思いうかべた。真剣な顔をして、皇子が自分たちに語ってくれた秘密。


 皇子は、〈舟渡り〉という特別な能力をもっている。獣になって空や野山を駆け回り、普通の人にはできないことができる。

 半信半疑ではいたが、そんな皇子が去年の真夏の誕生式典で見たもの……。


 ずっと黙っていたことを、思いきって吐きだす。


「わたしの隣に竜がいたんだって!」



 言ってしまった……。ミヤは心のなかで後悔した。

 恐る恐る、ギンの顔を見あげる。


 すると驚いたことに、ギンは突然ミヤをやさしく包み込むように、ぎゅっと抱きよせた。陽だまりにいるかのような温かいぬくもりを感じる。どこか、それは懐かしささえ感じてしまう。

 ミヤはぱっと頬を赤らめ、恥ずかしさで黙り込んだ。


「もうすぐ日が暮れる」


「え、日?」


 ギンは話をそらしたかったのか、耳元でそうつぶやくとミヤを離し、手をひいた。ここへ来るときよりもつよく、急いでいるのがその手を通して伝わってきた。


 それからギンはそのまま、来た道をミヤの手を引きながら駆け足でもどりはじめた。


 訳もわからすにギンに導かれるまま山へむかっていたとき、奇妙なことが起こりはじめた。

 まだ昼にもなっていないはずだったのに、ギンの言った通り、日が暮れはじめ空は薄闇につつまれだしたのだ。


(どうして? おかしい)


 山の入口まで来たとき、ミヤは思った。

 雪洞といい、人影がないことも、すべてがおかしかった。

 しかしそう思っていたとき、なにかにつまずいて、ミヤは思いきりまえに転げた。



 顔についた雪を払って目を開けたとき、またおかしなことが起きてしまった。

 たしかにまだ山の入口にいたはずなのに、ミヤのすぐ目のまえには〈鳴滝川〉があった。


(なんで)


 いつの間に、川のまえまで来ていたのだろう。ミヤは目を丸くして、川面を見つめた。同時に、ギンのすがたが見えなくなったことに気がついてそっと立ちあがった。


(ギンに笑われた所だ……)


 そこはまさしく、はじめに山に入って川を目にしたとき、滑って転んだ所だった。

 川はきらきらと輝き、うえを見あげると、日が暮れかけて薄闇につつまれていた空も朝の光をとりもどしていた。

 

(やっぱりおかしい、どうして……)


 ミヤは茫然と、その場に立ちつくした。



「ミヤ」


 背後から名前を呼ばれて、とっさに振りかえった。


(ギン……じゃない)


 そこにいたのはオウキだった。うしろにはソジもいる。オウキはおぼつかない足取りで、ミヤのほうへ駆け寄ってきた。


「どうしてこんなところにいるんだ。こんな山のなかに入らなくても、雪洞ができるくらいの雪は十分にあるだろう。こんな時期にひとりで山へ入るのはやめなさい。」


 ミヤは遠くから聞こえてくるようなオウキの声を、ただぼんやりと聞いていた。



 村の広場へもどると、できあがっていたはずの雪洞は消え、ただの小さな雪山だけがいくつかあるだけになっていた。

 ミヤが目を凝らしてそれを見ていると、オウキが家に戻るのを確認したソジがこっそりささやいてきた。


「ナリノカミには会えた?」


――ナリノカミ。その言葉に束の間、息をするのも忘れてしまった。


 ソジはなにかを悟ったのか、はにかんで言った。


「やっぱり」


 すべてを見透しているかのようなその言葉を聞いて、ソジに訊いた。


「やっぱりって、どういうこと?」


「だって、きょうは〈ナリノカミ〉だ」


「ナリノカミとギンと、なんの関係があるの?」



 ソジが驚いて固まってしまった。


「皇子が言っていた竜人は、ギンっていうのか」


(あ……!)


 ミヤは慌てて冷えきった手で口を隠した。


(言ってしまった……)


 皇子やミカリに竜人について心当たりはないかと問われたとき、ミヤはふとギンのことが頭によぎった。けれど、なにも答えなかった。それはミヤにとって、信じたくないことだったからだ。


「ナリノカミは、わたしのお母さんを喰らったのよ……」


 気を抜かして暗い目をしているミヤに、ソジは掛ける言葉をなくして困った顔をしていた。



 ミヤにとって二度目の夕暮れが訪れた。できあがった大きな雪洞のなかには、七色の池の水をつかった灯りがともされ、村の広場には淡い光がこぼれた。

 子どもたちは大人からハイの木でできた拍子木を渡され、元気にはしゃいでいる。

 

 ノキは拍子木を両手に、さっそくソジと一緒にあの唄をくちずさんだ。ナリノカミの夜には必ずうたう〈ナリノ唄〉だ。


――森に眠り 泉に眠る鳥よ

ナリを渡り 山を越え 里に降りん

ハイ喰い 羽を休まば 立ちあがれ

ホーイ ホーイ


 こどもたちはしきたりに習い、村で一番年上の男の子の後について、灯り具を手に揺らしながら村中の田や畑を練り歩きはじめた。灯り具により雪上に映し出されたたくさんの子どもたちの影は、楽しそうに踊っている。


「こんな真冬じゃ、鳥も荒らすものがないよな」


 大人たちに送りだされて田の中を歩いていたとき、さっきまで〈ナリノ唄〉を元気にうたっていたノキが突然口を尖らせながらつぶやいた。ミヤには楽しんでいるように見えていたので、その言葉は意外だったが、たしかにその通りでもあった。


 毎年、小正月の夜は大人たちに鳥を払ってこいと送りだされる。けれど当然、こんな季節に追い払う鳥などいないのだ。

 大人もこどものころには自分たちと同じように〈ナリノ唄〉をうたい、拍子木を打ちながら村を歩いたはずだ。自分たちよりもよくわかっているはずなのに……。


「どうしてこの時期にやるんだろう」


 つまらなそうに言うノキに、ソジが口を挟んだ。


「習わしだからね。それに、きょうは……」




 きょうは小正月。〈ナリノカミ〉の日である。

 ミヤたちの打つ拍子木の音が、レーネの闇夜に響き渡った。

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