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鳴ノ海の物語  作者: プラスイオン
秋‐冬
8/11

七 七色の池

七 七色の池


挿絵(By みてみん)


 鐘の音を合図に妹の誕生式典は幕を開けた。

 青い空、焼けつくような陽ざしの下で、シギアの民たちは汗をかきながら父の登場を歓迎していた。


 センリが目を疑ったのは、式典の主役をつとめるイナを抱いた母の背を目で追っていたときのことだった。

 センリは観衆にむけて手を振っている父や、その脇に寄り添って立っている母に気づかれないよう平静を装いながら、目を凝らして前方を見つめた。


(父上も母上も……観衆も、きっとだれも気づいていない)


 父と母の間に立つと、その全貌をはっきりと捉えることができた。それは紛れもなく、この(シギア)の風俗史で見たものと同じすがたをしていた。


(信じられない。竜だ)


 センリの目のまえで二本の大きな角を生やし、雪のように白く輝く鱗をまとった長い大蛇が、観衆のうえをゆっくりと旋回していた。

 銀色の澄んだ瞳は鋭かったが、不思議と恐ろしいとは思わなかった。


(イナの誕生を祝いにきてくれたのか……?)


 センリは観衆へむけて手を振りながら、光を帯びて空を舞うそのすがたを見つめた。まるで流れる雲のように、とても穏やかな動きをしている。


 そのとき、センリはあることに気がついた。長い身体の尾の先が、一段とつよい光を放っているのだ。そこには人のすがたも見える。


(遠くて顔がよく見えないな)


 センリは光を放っている正体を突き止めようとしたが、どうしても顔まではっきりと確認することはできなかった。


 その後も父が観衆にむけて話をしているのを、センリはずっとその不思議な光景を眺めながらうしろで聞いていた。


〈拓きの時〉という言葉を耳にしたとき、センリは一瞬顔を曇らせた。だが心情とは正反対に、広場に集まる人々の思いには火がつき、燃えるような歓声が沸き起こった。



 式典が終わり宴の準備がすすめられていたとき、休んでいたセンリのもとにミカリが駆け寄ってきた。


「センちゃん! 帝の演説とても素敵だったわね。みんな大盛り上がりだったじゃない」


「半分だけね」


 素っ気ないセンリの一言を聞いて、ミカリがぽかんと口を開けて、眉をひそめた。


「半分?」


「そうさ、半分だ。戦をなくすことはわたしも賛成だ。けど……」


「けど……?」


「〈拓きの時〉だ。あれは、もっとよく考えるべきだ」


 ミカリが不思議そうに自分を見つめているのがわかった。しかし構わずセンリはつづけた。


「光があれば必ず影がうまれる。父上は、光だけを見て影を見てないのだ」


 センリが話をやめると短い沈黙がうまれた。

 センリはふと、あることを思いだしてミカリに言った。


「そうだミカリ。さっきの式典で、なにかおかしいことはなかったか?」


 ミカリはすこし考えると、はっと思いついたように言った。


「そういえば男の子がひとり宮に侵入しようとしたとかで、警備が騒いでいたわ」


「侵入? いや、ほかに……。たとえば広場だ。なにか見えなかったか?」


 ミカリはまたなにか考えはじめたが、しばらくして首をふって答えた。


「いつもと同じよ。観衆しか目に入らなかったわ。どうかしたの?」


 センリは唾を飲み込むと、真剣な眼差しで答えた。


「竜を見た。広場のうえを旋回していた」


 ミカリは目を丸くして、センリの顔を見た。そして、いそいで広場が見渡せる窓辺へ走って行くと、身を乗りだして広場を見渡した。


 ミカリにつづいてセンリも窓辺へ行き、一緒になって見渡した。しかし既に広場には竜の姿はなく、見えるのは人だけだった。

 そのとき、センリはまばらな人影のなかに見覚えのある少女のすがたを捉えた。


「あの娘、竜人の隣にいた娘だ」


 ミカリはセンリが示した少女を見た。自分よりもすこし小さな、こんがり日に焼けた普通の少女だった。


「さっき男の子と別れていたわ」


「男の子? きっと、その者だ! でも……もういないから、きっと帰ってしまったんだ」


 センリが悔しそうに重たい息を吐くと、ミカリがあっと声をあげた。


「だれか来たわ」


 センリはミカリが示しているほうを見て、驚いて言った。


「あの者はたしか……レーネ村の長の息子だ。式のまえに挨拶に来ていた」


 センリとミカリは、少女のもとへ駆け寄って行くふたりの少年を見た。しばらくすると、少女とそのふたりの少年は並んで歩きだし、広場の外へでていった。


 センリとミカリは、少女とふたりの少年が広場から去っていくのを黙って見届けると、顔を合わせてにっこりと笑みをうかべた。



 宴がはじまるとセンリは父と母の間から、ミカリは会場の隅から、それぞれ夢中でレーネ村の長のすがたをさがした。何度もミカリが間違った人を見つけては合図を送ってくるので、センリは父や国中の長たちのまえで笑いを堪えるのに必死だった。


 父やどこかの長たちの挨拶が終わると会場の緊張は一気に解けて、人々は乾杯を交わし合い和やかな雰囲気につつまれはじめた。

 

 センリも母に付き添い長たちと乾杯を交わしていると、とうとう目のまえに自分とミカリが探して求めていた人物が現れた。レーネの村長だ。


 しかしレーネの長は、母とセンリに


「この度のイナさまのご誕生、心よりお祝い申し上げます」


と、丁寧にかつ簡単に挨拶を述べると、すこしだけ言葉を交わしてそのまま父のほうへと行ってしまった。

 センリは聞きたいことが山ほどあったがそれを母のまえで言うことはできず、ミカリに合図するだけで終わった。


 その後もセンリとミカリは、レーネの長と自分たちだけで話ができる機会をうかがっていた。だが結局、その機会がやってくることはなかった。


「もう、帝とあの人とずっと話していたわね」


 ミカリがため息を混ぜながら嘆いた。

 センリはミカリが<あの人>と言った男のほうを見て言った。


「あの者はテルサの長だよ。」


「あの人が、テルサの?」


 ミカリは驚いて目を見開いた。

 ミカリが驚くのも無理はない。レーネの長もそうだったが、テルサの長は驚くほど若かった。青年といってもおかしくないほどだ。

 そんな若き青年がここ数年力をつけてきているテルサの長だなんて、ミカリにもセンリにも信じがたいことだったのだ。


「テルサのほうは、やっぱり不思議なことばかりね」


 ミカリはテルサやレーネの長を眺めながら、ひとりで納得したようにつぶやいていた。


 後日、センリはレーネ村へと足を運んだ。もちろん、皇子のままでは自由に宮の外を出歩くこともできないため、〈舟渡り〉をつかってのことだ。


 センリはレーネにつくと、まえにも何度かこの村を訪れたことがあることに気がついた。

 一度はソフになって池に落ちたときだ。そしてもう一度は、六年まえ、ミカリが欲しがっていた桃色のハイの菓子をとりに来たときのことだ。


(でも……)


 あともう一度、センリはこの村に来たことがあるような気がした。けれどそれがどうしても、いつのことかは思いだせなかった。



 レーネ村を空から見降ろしていると、黄金色に染まっている田のなかに式典の日に見た少女を見つけた。けれど少女は、田で穀物の穂を摘み取る作業を手伝っているだけの、普通の少女だった。


 センリはしばらく少女を観察していたが、特に変わったこともなかったので宮に戻ろうとした。

 そのときだった。センリはあることに気がついた。村中の家の戸口や広場のような空き地に、変わった灯り具が備え付けられていたのだ。

 さらにセンリは、まだ春浅きころ、自分が落ちた池の隣にあるもうひとつの池の周りに、何人もの人影を捉えた。


(あ、ヤンダン……!)


 池に集まっていた人影のなかには、たしかに父の側近でありミカリの祖父である、ヤンダンのすがたがあった。


(宮の遣いか)


 センリは不思議そうにヤンダンたちを観察していると、はっとあることが頭を過ぎり、いそいでテルサの中心地へと飛んでいった。


      □


「おい、ソジ!」


 ソジの家の戸を乱暴にたたきつけてきたのは、ノキだった。


「ノキ、やめろ。戸を壊す気か」


 ソジが慌てて戸を開きながらそう言うと、ノキが興奮したようすで言ってきた。


「ミヤは、ミヤは? あいつ王宮から呼ばれたんだって?」


 ソジが呆れた顔をして答えた。


「ここはおれの家だよ、ミヤがいるわけないだろう。……まぁ、呼ばれたのは本当だけど」


 ノキは、ソジが面倒そうに答えているのに構わずにつづけた。


「ミヤの家に行ったけど、誰もいなかったんだ。で、王宮はなんだって?」


 ソジはうしろで笑っている母に気づき、外にでてノキを落ち着かせてから言った。


「七色の池だ。あの池の水を、おれとミヤに献上しに来てほしいって」


「献上?」


 ノキはそれを聞いて、肩を落として言った。


「なんだ、そんなことか。てっきり、ミヤが式典で皇子に目をつけられて、呼ばれたのかと思ったよ。ミヤが王宮に嫁げば、いつでも王都に遊びに行けたのにな」


 ソジは苦笑をうかべると、ノキに言った。


「でも、不思議だよ。七色の池のことは、まえから父さんとの間で話はあったみたいだけど、ミヤのことを話した覚えは父さんもおれもないんだ。きっと、何かある」


 ノキは、必死に首をひねているソジに問いかけた。


「献上はいつ?」


「ミヤが承れば、すぐに王宮に返答の文を送るよ。そう遠くないと思う」



 ノキが帰るうしろすがたを見ながら、ソジは思った。

 ミヤは献上を断ることはできる。けれど、王宮から指名されては、村の代表者として断るわけにもいかない。きっと、近々一緒に王都へ行くことになる。そうしたら……いよいよ、こののどかな村もなにかが変わるかもしれない。もちろん、レーネだけでなく、王都も。シギア(この国)全体が変わるかもしれない。

 今、まさに式典で帝が述べたとおり、シギアは〈拓きの時〉を迎えているのかもしれない。



 ソジとノキが噂しているのも知らずに、当の本人であるミヤは、オウキの手伝いを終えて七色の池にいた。七色の池はとても臭うが、ミヤはそんなことはすこしも気にならなかった。


(この池は、わたしたちの暮らしを支えている池……)


 ミヤはソジの父に、七色の池の水を王宮に献上すれば、レーネはもちろん、国中の人たちがもっと豊かな暮らしをできるようになると言われた。もしそれが本当なら、ミヤにとってもこの上なくうれしいことだ。


 戦を終えて、シギアは変わろうとしている。いまは、その節目を迎えているのだ。そして、その節目に欠かせない大きな役目のひとつを任されているのかもしれない。

 音もなくひっそりと目のまえにたたずむようにある池を、ミヤはそんなことを考えながらぼんやりと見つめていた。



 時が経つのも忘れ、池のまえでぼんやりと佇んでいたときのことだった。木から落ちた実が池のなかへ滑り落ちる音で、ミヤは我にかえった。

 顔をあげると、向いの草かげからなつかしいギンがすがたを現わした。ミヤは驚いて、言葉を失ったままギンを見つめた。


(こんなところで会うなんて……)


 ギンもしばらく黙ってミヤを見ていたが、突然切りだした。


「ミヤ、よく聞いてほしい。この池の水を、王都へ持って行ってはだめだ」


(え?)


 なぜ、ギンがそんなことを知っているのかと、ミヤは耳を疑った。


「この水が国中へ知られてしまったら、やがてこの池は枯れてしまう。この村も、荒らされてしまう」


 ギンのいつものやさしい顔は陰に隠れ、ミヤはふいに、はじめて鳴滝川へ足をいれたときのことを思いだした。やわらかいがとても冷たいあの川の水の感触は、いまでもよく覚えている。そして滝壺のある川上を見つめるギンの背からは、なにか冷たいものを感じた。


「でも村長さんは、この水を献上すればこの村も国も、もっと豊かになると言っていたわ。

 わたし、式典のときに見たの。王都の人たちはこの水が無いから不便な暮らしをしているのよ。夜も真っ暗なの。だからこの水を献上して、国中に灯りを届けたいの」


「月明かりで十分だ」


 ギンは鋭い目でミヤを見つめて言ってきた。吐き捨てるようなその言葉は、ミヤの心を撃ち嫌悪さえ感じた。どうしてギンがそんなことを言ってくるのか、理解できなかった。


「ギンはひどいわ」


 ミヤはギンをにらむと、振りかえりもせずにそのまま家まで走っていった。日が沈みかけ分厚い雲が広がる空の下で、ミヤの心のなかもどんよりと曇ってしまった。


 このときのはまだ、ギンの言葉の意味を深く考えることもできず、自分が大きな分かれ道に立っていることには気づくはずもなかった。



 数日後、ミヤはソジに王宮への返事を託した。



 山々の木が長い冬に備えて葉を落とすころ、ミヤはソジ親子とともに王宮から用意された馬車で再び王都を訪れた。

 ミヤとソジの腕には、割れてしまわないように布で何重にもつつまれた壺が、大事そうに抱えられていた。


 王宮へつくと早速、ミヤたちは帝の待つ部屋へと通された。


「よく来てくれた、レーネの者たちよ」


 帝はミヤたちの顔を見るなり笑顔でそう言って、自分のまえへ腰を下ろすよう、三人を導いた。帝の隣には、髭を生やしたつよそうな武人もいた。

 ミヤとソジは帝に導かれるまま腰を下ろすと、いそいで壺に巻かれた布をほどき、帝のまえにさしだした。

 それに合わせて、ソジの父が言った。


「こちらが、例の七色の池でとれた水でございます。点火にかすり傷などへの薬効、それから木々の腐敗防止にも役立てられます」


 帝はゆっくりとうなずくと、壺を手に取り、中をのぞきこんだ。


「素晴らしい。よくここまで持ってきてくれた。礼を言う」


 ソジの父が頭をさげたので、ソジとミヤもそれを見て頭をさげた。


「では、ふたりをセンリのもとへ」


 帝が隣にいた武人にささやくと、武人はソジとミヤに言った。


「センリ皇子がお二人をお待ちです。こちらへ」


 武人はそのまま部屋をでたので、ソジの父についていくように合図され、ソジとミヤは武人のあとを追った。


 長い廊下を歩いていくと、武人はある部屋のまえで立ち止まった。


「こちらがセンリ皇子のお部屋です」


 ソジとミヤが緊張した面持ちで部屋に入るのを見届け、武人はまた帝の部屋へもどっていった。


「待っていたわ。さ、座って」


 陽が差しこむ小さな部屋で待っていたのは、式典で見た皇子と、皇子と同い年くらいの娘だった。

 娘が戸惑っているソジとミヤを座らせると、皇子が口を開いた。


「ソジ、また来てくれてよかった。感謝するぞ」


「いえ、またお呼びいただいてとても光栄です」


 ソジは緊張して顔をまっ赤にしている。

 つづいて、皇子はミヤのほうに視線をむけた。


「そなたがミヤだな。会うのをとても楽しみにしていたよ」


 ミヤはなんて答えればいいのかわからず、ソジと同じく顔をまっ赤にすると、礼を言って頭を深々とさげた。


「そなたに紹介しないといけないな。わたしが、ナイルの息子のセンリだ。こっちは、いまそなたらをこの部屋まで案内した武人の孫のミカリだ」


「わたしのことはミカリと呼んで」


 ミカリといわれた娘は、にっこりと微笑んで言った。


「早速、そなたらに大切な話をしよう。この話をするために、きょうそなたらをこの部屋へ呼んだのだ」

 皇子は笑顔を消して真剣な顔で言った。


 ミカリも皇子と目を合わせてうなずくと、ソジとミヤに言った。


「これから話すことは、わたしたち四人だけの秘密よ。絶対に他言してはいけない。約束してくれるかしら」


 ソジとミヤは顔を合わせると、皇子とミカリに目をもどし、ゆっくりと返事をしてうなずいた。


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