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鳴ノ海の物語  作者: プラスイオン
春‐夏
7/11

六 誕生式典

六 誕生式典


 空は青く澄み渡り、また暑い一日がはじまった。きょうはいよいよ、待ちにまった皇女イナの誕生式典の日だ。

 ミヤたちは旅館で朝飯を食べて素早く支度を済ませると、前日でかけた王宮のまえの広場へとむかった。


 きょうの広場は、昨日よりもさらにたくさんの人でにぎわっていた。王宮へとつづく坂道のまえはもちろん、広場の至るところに警備の兵が立っていて、騒ぐ酔っぱらいを注意したり、不審な者はいないかと目を光らせていた。


「なぁ、あの坂のうえ、行ってみたいと思わないか?」


 帝に挨拶をしに王宮へむかったソジ親子を待っているときのことだった。退屈そうにしていたノキが、突然なにかを企んでいるような顔をして言ってきた。


「だめよ。おじさんにここで待っているように言われたでしょう? それに、おじさんやソジと違ってわたしたちは王宮に招かれたわけじゃないのよ。勝手に行ったら警備の人に怒られてしまうわ」


「でもすぐ戻るって言っていたのに、遅いじゃないか。おれ、いいこと考えたんだよ」


 ノキは、広場の外側に広がる林を指さした。


「まず、あの林を通る。それから……」


 つづいて、指先で林をなぞっていき、そのまま丘を越えて王宮を示した。


「ほら、簡単に行ける」


 それを聞いたミヤは、苦笑をうかべながら言った。


「運よく林を抜けられたとしても、あのなにも障害のない芝生の丘をのぼるときに、絶対見つかるわ」


 しかしノキは、自分の俊足なら見つかっても逃げ切ることができると思ったようだ。


「ミヤはここで、ちょっと待っていてくれよ」


 ノキはそう言うと、真っ先に林のほうへと駆けていってしまった。


「ちょっと、ノキ!」


 ミヤはすぐにノキを止めようとしたが、ノキはあっという間に林のほうへと行ってしまったうえに、ソジの父にここで待っているように言われたので、追いかけて止めにいくことができなかった。


(どうしよう。ノキ、見つかったら大変なことになるかも……)


 ミヤは、ノキがだれにも見つからずに無事にもどってくることをその場で祈るしかなかった。



 ノキが去ってすこし経ったとき、王宮のある丘のうえから、大きな鐘の音が聞こえてきた。それと同時に人々のざわめきは消え、皆視線を丘のうえのほうへとむけはじめた。


(式がはじまる)


 ミヤはとっさにそう思って辺りを見まわしたが、ソジたちやノキのすがたはまだどこにもなかった。


(ノキったら、まさか本当に王宮へ行ったのかしら)


 ノキが去ってから、ずっと彼が通るであろう丘を注視していた。けれどいつまで経っても、人影が林からでてくることはなかった。


(やっぱり林のなかで警備の人につかまっちゃったのかな)


 大勢の観衆のなかに一人取り残されてしまったミヤは、ノキが気にかかり、もはや式典どころではなくなってしまった。ノキを止めに行かなかったことに後悔を感じながら、ひたすらじっと丘を眺めていた。

 そのとき、観衆が一斉に大きな声をあげた。


 ミヤは驚いて、王宮のある正面の丘を見あげた。遠くて顔はよく見えなかったが、金色の髪をした帝らしき人が大手を振りながら観衆のまえにすがたを現わした。


 帝がすがたを現わしたかと思うと、つづいて、小さな赤ん坊を抱いた小柄な黒髪の女人も現れた。皇女イナを抱いた后なのだろう。人々はますます大きな歓声をあげると、帝と女人、そしてその娘である皇女を盛大な拍手でむかえた。


 ふと、ミヤのうしろに立っていた人が、帝にむかってなにかを叫んだ。

 ミヤは背を押されて、だれかが手を貸してくれなければ、危うく人ごみのなかで転げてしまうところだった。


「大丈夫?」


 押し合う人の間から白く細い手が伸びてきて、ミヤはその手をとった。

 顔をあげると、そこにはいつもどこからか突然現れてはすがたを消してしまう、見慣れた顔があった。


「ギン……! 大丈夫。待って、いまそっちに行く」


 ミヤは人をかき分けてやっとの思いでギンの隣へ行くと、慌てて言い訳をした。


「きょうは、わたしが迷子になったわけじゃないのよ」


「うん、わかってるよ」


 ギンはやさしくはにかむと、丘のうえに目をやった。

 いつに間にか、帝と女人の間には一人の少年も立っていた。少年は帝と同じように、観衆にむけて手を振りながら、広場を見渡していた。


「皇子だ。……あの皇子も、ミヤと一緒で本当のお母さんの顔を知らないんだよ」


 不思議とギンの落ち着いたいつもの声は、大きな歓声のなかでもはっきりと耳まで届いてきた。

 帝が何年か前に二度目の結婚をしたというのは聞いたことがあったが、皇子が自分と同じく母親の顔を知らないというのは知らなかった。


「どうして? まえのお后さまはどうしたの?」


 ミヤはギンに聞こえるように、耳元に顔を近づけて言った。


「まえのお后さまは、皇子を産んだときに亡くなってしまったんだ。自分の命と引き換えに、皇子を産んだんだよ」


「そうなんだ……いいお母さんだったのね」


 ミヤは手を振るのをやめて、こっちのほうを見ている皇子を見つめた。気のせいか、皇子もこちらを向いているような気がした。


「見て、ギン。皇子こっちをむいているわ」


 ミヤは笑ってギンに言った。

 けれどギンは何も言わないまま、ただ黙って皇子を見ていた。


(ギンったら、夢中になってる)


 ミヤは今度はこっそり笑うと、また丘のうえに視線をもどした。

 帝は皇子と女人を引き連れて、王宮と広場をつなぐ坂へ向かって歩きだしていた。そして途中まで下りていくと、そっとその場に立ち止まった。


 歓声が一気に止み、さっきまでのにぎわいは嘘だったかのように、辺りはしんと静まり返った。

 すると観衆が静まったのに合わせて、帝は声を張りあげながらゆっくりと話しはじめた。


「シギアの仲間たちよ。皇女の名は、イナという。二度と戦などない平和なシギアを築くため、私についてきてくれないか!」


 心に直接訴えかけるかのような帝の言葉に、観衆は大きな拍手で応えた。それを見て、帝のうしろで皇子と女人も顔を合わせて笑みをうかべている。


 帝も満足そうに微笑むと、今度は両手を大きくあげた。それに応えて観衆は再び沈黙をつくり、帝に注目した。


「これより、シギアは〈拓きの時〉を迎える!」


 帝が叫んだ言葉が広場に響き渡った。

 静まっていた観衆はにぎわいを取りもどし、皆口々に帝にむかってなにかを叫びはじめた。これまでにない盛大な拍手と歓声が沸き起こり、凄まじい熱気が会場の隅から隅までを包んでいった。


 人々は皆、きょうの空のように晴れやかな顔をしている。シギアの帝はたしかに、シギア(この国)の民に愛されているということがミヤにも伝わってきた。


 会場の雰囲気にのまれそうになるくらい夢中になっていると、式典はあっという間に幕を閉じた。

 最後まで手を振っていた帝が王宮にもどっていくのを見届けると、観衆はぞろぞろと広場から立ち去りはじめた。


「それじゃ、ぼくももどるよ。気をつけて帰るんだよ」


 ギンはそう言い残すと、一人で歩いて広場をあとにした。

 なにか声をかけようとしたが、うしろから名前を呼ばれる声に気づいてやめた。

 振りかえると、ソジとノキが一緒に坂を走って下りてくるのが見えた。


「ノキ! どうしてソジと一緒にいるの?」


 ミヤは驚いて言った。

 すると、ソジがノキの頬をつねりながら言った。


「こいつ、王宮に侵入しようとしたんだ」


「侵入? まさか、ほんとうに王宮まで行ったの?」


 もしそうだとしたら、ノキを感心した。だが、案の定そんなことはなかった。

 ノキはふてくされた顔をしながら答えた。


「行けるわけないだろう。林のなかでつかまったよ。あいつら、すごく足が速いんだ」


 運が良ければ林は抜けられるかもしれない……とは思っていたが、やはり無理だったようだ。

 ノキは林に入ってすぐ警備の者に目をつけられ、丘をのぼろうとしたとたんにつかまってしまったらしい。

 ノキからすれば残念ではあるが、それも当然である。

 もし安易に王宮に侵入できるようなら、シギアはとっくに戦で滅んでしまっているところだっただろう。落ち込むノキを見て、ソジもミヤも笑ってやった。


 まだ子どもだったノキは大目に見てもらったようだが、王宮の側の小屋へ連れて行かれ、それからはずっと説教を聞かされていたようだ。

 そして式典も終わりに近づきようやく解放されたとき、戻ろうとしたところで、遅くなっていたソジとたまたま合流し、一緒に戻ってきたようだ。


「色々な村の長に声をかけられて、遅くなったんだ。悪かった」


 ソジはそう言って遅れたことを謝ると、王宮内での話を聞かせてくれた。

 あそこの村の長はどういう人だったとか、そんな話を聞いていると、ソジはとても同い年の少年とは思えなかった。


 ソジの父は王宮内で開かれる宴に出席するようで、三人は宿へむかうことになった。


「もう、ノキったら。いつまでも戻ってこないから、心配したのよ」


 まるで昨日と正反対だ。ソジはそんな光景を目にして、隣で笑っていた。

 けれどノキは、ミヤと違ってあまり反省の色をうかべてはいなかった。

 ミヤに軽く謝るなり、


「でもおれ、間近で王宮見られたんだ。感動したよ!」


と興奮したようすで言っていた。



 日が暮れはじめ、シギアは静かな夜を迎えようとしていた。

 きょうは式典があった特別な日だからか話し声や笑い声、なかには歌声が聞こえてくる家もあり、昨日よりもとてもにぎやかだった。


(きょうは楽しかったな)


 ソジやノキと一緒にいるときはもちろんだったが、ギンと一緒にいたときは心がすごく落ち着いた。ギンと一緒にいると、まるで鳴滝(あの)川(川)にいるかのような気分になれた。

 まさか一緒に式典にでられるとは思ってもいなかったので、ミヤはきょうのできごとが本当に嬉しくてたまらなかった。


(レーネに帰ったら、おじいちゃんとギンと、きょうの話をいっぱいしよう)


 ミヤは心を踊らせながら、レーネで待つオウキやギンの顔を思いうかべた。



 翌日、一行は朝早く宿をでた。蝉が一日のはじまりを告げるように鳴きはじめていた。

 ミヤは、つぎはいつ来られるかわからない王都の風景をきちんと目に焼きつけて置こうと、王宮や民家、鳴滝川が流れてくるというワール山脈など、すべてを馬車のなかから静かに見つめていた。



 レーネにたどり着いたのは、夕焼けで空が紅く染まりだしたころだった。

 ミヤの帰りを楽しみに待っていたオウキは、いつもよりすこし豪華な夕飯を用意してミヤを待ってくれていた。宿の料理に比べると遥かに質素だったが、ミヤは夕飯を食べながら、やっぱりオウキのつくる料理が一番だと思った。


 翌日ミヤは畑仕事を終えると、ギンに会うために鳴滝川へとむかった。

 けれどギンはまた、王都へ行くまえと同じように、日が暮れるまで待っていても現れなかった。


 その夜、ミヤは寝床につくと、オウキに言った。


「おじいちゃん、鳴滝川にはナリノカミがいるってほんと?」


 オウキが驚いてミヤのほうを振りかえった。


「ミヤ、ナリノカミに会ったのか」


 ミヤも驚いて、オウキのほうを振りかえった。


「会ってないよ。ねぇおじいちゃん、ナリノカミってなに? 人を喰らうって本当?」


 ミヤが問い詰めると、オウキはすこし沈黙を置いたが静かに話しはじめた。


「ずっと、黙っていたのだが……」


 暗い部屋のなかで、オウキの声だけが不気味に聞こえてくる。


「ミヤ、おまえのお母さんは、ナリノカミに喰われたんだ」


 母が喰われた。一瞬、ミヤの背が凍りついた。


「……どういうこと? ナリノカミは小正月のお祭りでしょう? お祭りがどうしてお母さんを喰らったの?」


「それは違う。ナリノカミは――鳴滝川の神さまだ」


(鳴滝川の神さま……?)


 ミヤは毎年小正月にあるお祭りが、鳴滝川に感謝するために行われることを思いだした。


「どうして鳴滝川の神さまは、わたしのお母さんを喰らってしまったの?」


 神に喰われるなど、母は一体なにをしたというのか。ミヤは目に涙をうかべながら、オウキに問いかけた。

 するとオウキは灯りのついていない暗い部屋のなかで、ミヤの涙に気づくこともなく話はじめた。それはミヤが五才のころに語ってくれた話の、その後の話だった。


「……あれは、ミヤを連れ帰ったあとのこと――」


 九年ほど前ミヤを連れ帰ったオウキは、当時のレーネの長――ソジの祖父のもとを訪れ、村人を集めた。村人を集めて、ミヤの親をさがそうとした。だが、だれもミヤのことを知っている者はいなかった。


 そこで、ミヤの親は山で事故にでもあったのかもしれないと、村人たちはミヤが置き去りにされていた付近の山へ入っていき、幾日も総出でミヤの親をさがしまわった。


 そしてある日、鳴滝川の川沿いをさがしていた村人が村長のもとへ駆けよってきた。その村人はまだ若い娘を見つけたと言って、オウキと村長を鳴滝川の滝壺へと導いていった。

 滝壺について見てみると、そこにはたしかに村人の言った通り、まだ若い娘が澄んだ泉の底に沈んでいたという。

 

 それから、村人の間ではナリノカミが人を喰らうという噂が広まり、だれも鳴滝川へは近寄らなくなった。



「娘の顔はミヤにそっくりだった。ミヤだけ不自然にあぜ道に残されていたのも、もしかしたらナリノカミの仕業なのかもしれないな……」


 オウキはそう言うと黙り込み、やがて小さな寝息をたてはじめた。


(おじいちゃんは、お母さんを見たことがあったんだ……。お母さんはやっぱりもう生きていなかった……)


 ミヤはすっと、心に絡まっていた糸がとれたような気がして、深く息をした。



 翌日、翌々日も、ミヤは鳴滝川へ行った。けれどそれでも、ギンが現れることはなかった。

 ミヤは鳴滝川の川沿いで、オウキの言っていたことを思いだし滝壺のあるほうを見つめた。


(お母さんが最後に行った場所……)


 ミヤはもう一度滝壺へ行こうか迷ったが、やめた。滝壺は狩人がいて、銃声が聞こえてくる。心が凍りついてしまうようなあの音を、もう二度と聞きたくはなかった。



 オウキはいつのころからか、ミヤが山へ入っていくときは鳴滝川へ行っているということに、勘づいてしまった。


「母親に呼ばれているのでないならいいが……」


 そんなことを、しばしば呟くようになった。


(あした。あしたで、最後にしよう)


 いつまでもオウキに心配をかけるわけにはいかない。何日行ってもギンが現れなかったある日、ミヤは決心した。


(もしかしたら、もう二度と会えなくなるかもしれないけれど)


 山々の青い葉は、すこしずつ黄色く彩どりはじめていた。



 やがて夏は去り山々がすっかり赤や黄に装いを替えたころ、のどかで平凡な農村・レーネに、王宮から一通の文が届いた。いつもとは訳の違うその文の噂は、あっという間に、小さな村に広まっていった。

 ミヤはその文が届いたことを、息を切らしながらやってきたソジから聞いた。


「ミヤ、帝がおまえをお呼びだ」


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