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鳴ノ海の物語  作者: プラスイオン
春‐夏
3/11

二 秘密

二 秘密


「皇子、ミカリでございます」


 センリが書物を読んでいたとき、背後のふすまの向こうからなつかしい声がしてきて、センリは顔をあげた。

 ミカリと聞いて、おかっぱ頭の少女を思いうかべながら、ふすまの向こうにいるその声の主に言った。


「よい」


 するとふすまはゆっくりと開き、長い金色の髪をうしろで一つに束ねた少女が、軽く一礼をして部屋のなかに入ってきた。ぴんと背筋を張ったまま静かに歩み寄ってきて、センリのまえで正座した。落ち着いたその仕草は、センリの知っているミカリではなかった。


「長く見ないうちに、変わったのではないか」


 ミカリが腰をおろすのを見届けると、センリは苦笑をうかべながら言った。


「貴方さまとはもう六年お会いしていませんでしたからね」


(六年……)


 センリにとって、ミカリと兄妹のように遊んでいた日々はつい昨日のことのようだった。けれどいまのミカリを目にすると、やはりそうでもないらしい。ミカリは自分の知らない六年という月日のなかで、随分と変わってしまったようだ。

 久々に見る少女の顔を見ながらそんなことを考えていると、センリが手にしていた書物に気づいて、ミカリが言ってきた。


「それは……?」


 センリは書物に目を落とすと、表を見せながら言った。


「これはシギアの風俗史だよ。一応、皇子だからね。この国のことを学んでいるんだ」


 ミカリがかすかに笑った気がした。


「きょうは、なぜここに?」


 センリがそう言うとミカリは軽く咳払いをした。そして深く頭をさげて言った。


「イナさまのご誕生を伺って、お祝いのごあいさつに参りました」


 センリはすこし沈黙をおくと、


「ミカリ、どうしてそのような言葉をつかうのだ? ……むかしは、そんなふうではなかったのに」


と眉間にしわをうかべながら言った。


 するとミカリは驚いたのか、目を丸くしてこっちを見てきた。


「だって、もう十四ですから。いつまでもむかしのままでは……」


 センリは胸に寂しさに似たものを感じながら、ミカリを見つめた。

 そんなセンリを見て、ミカリは声をだして笑った。


「センちゃんは、なにも変わってないのね。わかった。ふたりだけのときは、こうしてむかしのように話すわ。それでいいかしら? 皇子」


 ずっと仮面をかぶっていたかのようだったミカリの顔が、一瞬で、幼くて意地悪だったなつかしい少女の顔にもどりった。センリは大きく息を吐いた。


「皇子をばかにするな」


 肩を落とし、緊張が解けたようにまだ笑いつづけているミカリに咳払いをして言った。


 

 やがてミカリも気をとりなおすと、用意していたのかセンリが顔を赤らめているのも気にせずに話しはじめた。


「実はね、話があるの。テルサのことなのだけど」


 テルサとは、シギアの西部に位置し、ここ数年で急成長をとげている鳴滝川河畔に栄える都市のことだ。

 シギアでは、そのテルサ街を中心とする西部一帯がテルサ領と呼ばれている。シギアの中心に位置する王都とのあいだに連なるテルサ連邦の影響もあり、冬場は王都よりも雪深い。


「テルサがどうかしたのか?」


 ミカリは特にテルサと縁があるわけでもない。なぜ突然その名がでたのか、センリには想像できなかった。

 ミカリは、にっと笑って言った。


「気にならない? どうしてあの雪深いテルサが数年で成長してきているのか」

 

 センリは思った。

 たしかにこれから父の跡を継ぎ、国を引っ張っていかなければならない我が身の立場を考えると、知っていて損はない。テルサのように河畔にあり、そこそこ栄えている都市は他にもある。それも、テルサはもちろん、王都よりも雪の少ない地域だ。


「それなら、まずは父上に」


「だめよ」


 センリの言葉を遮るように、ミカリが言った。


「帝には頼らないで、あなたが自分で調べるのよ」


 大人びた目をして、ミカリはまっすぐセンリの目を見ながら言った。


「あなたには“あの技”があるじゃない」


(え?)


 センリは口を開けたまま、しばらく考えてから言った。


「テルサへ、わたしが?」


 ミカリは大きくうなずいた。


(“あの技”を……)


 センリはわずかにためらった。しかし書物を脇に置くと、ミカリを見て小さくうなずいた。


「わかった、少しだけなら」



 テルサの中心地――テルサ街は、父の話や噂通り、たしかにむかしに比べて、建物の数や通りを歩いている人の数が多くなっている気がした。といっても、最後にセンリがこのあたりへ来たのは、もう六年ほどまえのことになるのだけれど……。


 センリはしばらく街のようすを上から眺めていたが、当然ミカリがぶつけてきた疑問を解く手掛かりはつかめず、気がつくと、西の空からはどんよりと重たそうな黒い雲が、風に乗ってこっちへ向かってくるのが見えた。


(雷がきたら、このままでは危ない)


 センリはそう思い、森のなかにちらりと見えた白くて小さなものを目掛けて、一気に降りていった。


 上から見えた水たまりにむかって歩いていると、冷たい雨が降りだしてきた。はじめは弱かったが、次第に強まり、センリの視界を霞めた。


 ミカリとのことが頭から離れて久々の自由な時間を満喫しはじめていたころ、センリは大きな水たまりにたどりついた。そばの草かげには、藁の塊のようなものも見えた。


(人?)


 センリはよく宮に贈られてくる貢物のなかに、獣の毛皮があったことを思いだした。


(狙っているのか……)


 唾を飲み込み、自分を見つめている藁の塊に意識を集中させた。そのとき、視界が真っ白に染まり、とてつもなく大きな音が腹に響いた。

 センリは驚きのあまり、一歩まえに飛び跳ねてしまった。するとそのまま、水たまりのなかへと吸い込まれていった。


 短い手足を必死に動かしてもがいていたとき、さっきまでじっと自分を見ていた藁の塊が、こっちへ向かって飛びだしてきたのが見えた。ちらりと見えた少女の目は、まっすぐこっちを見ている。

 けれどその少女も足場を崩し、深い水のなかへと悲鳴をあげながら落ちてしまった。

 

 そしてつかの間、センリは少女のほうから襲ってきた波にのまれてしまい、目を閉じた。



 押入れのなかで急にうなされだしたセンリを見て、ミカリはすっと血の気が引いていくのをおぼえた。


「センちゃん、どうしたの!」


 大きな声をだすと廊下に立っている見張りの者に気づかれてしまうと思ったミカリは、センリの耳元で何度も名前を呼んだ。


(早く、もどってきて……)


 不安で小刻みに震える手を必死に抑えながら、つよく祈った。



 壺の底のように暗い闇のなかで、センリはおかっぱ頭のミカリのすがたを見ていた。それは、彼女が宮に顔を見せなくなりだすまえの、あの頃のすがただった――。


        □


 白く塗られた窓枠に、一羽の鳥が降り立った。

 その鳥は金色の鋭い瞳で部屋のなかを見渡すと、人影がないことを確認し、そっと部屋のなかに細い足を踏み入れた。


 真夏の暑い陽ざしが差し込み汗がにじんでくるなか、そのときをずっと待っていた少女はこっそり白い歯をだして笑みをうかべた。


「センちゃんみっけ!」


 押入れから飛びだし、喉の奥が見えるくらいに口を開いて声を張りあげているミカリを見て、センリは両手を上下にいそがしく動かして驚いた。


(ミカリ……!)


 金色のおかっぱ頭をした少女の瞳は、まっすぐと自分を捉えている。


「早くしないと、お父さま来ちゃうわよ」


 なめるように見てくるミカリをまえに、センリの目は戸惑いの色を隠せなかった。

 しばらくミカリとにらみあいをしていたが、廊下を早足にこちらへむかってくる音に気づくと、とうとうセンリは“あの技“をつかった。


 みるみるセンリの魂が離れていくと、その鳥は本来の赤い瞳をとりもどし、ミカリのまえで一目散に窓から飛びだしていった。

 桃色の鳥が青い空にひとつの点となって消えていったとき、ふすまのむこうから乳母の声が聞こえてきた。


「センリさま、スミでございます。間もなく婚儀のお支度を始められないと……」


「わかっておる、入れ」


 センリがそう言うと、ゆっくりとふすまが開き、ふくよかなスミの顔が現れた。

 スミは一礼をするとセンリに目をやり、すぐさま目を丸くして言った。


「まぁ、センリさま! どうしてそのように汗だくで!」


 スミはうしろで正座していた若い娘に小言でなにかを伝えると、用意していた布でセンリの顔にうかぶ汗を慣れた手つきで手早く拭きはじめた。


「一体、なにをして遊んでいらしたのですか? こんなに汗だくになるまで!」


 呆れた顔をして言うスミに、センリは無言なままでいた。ちらっとスミのうしろに目をやると、ミカリがおもしろそうに自分を見ているのが見えた。


 

 しばらくして、スミに小言でなにかを言われていた娘が、お湯を張った桶をもってやってきた。

 娘は布をお湯につけて硬く絞ると、スミよりも丁寧に汗のにじんだセンリの身体を拭きはじめた。

 そのとき、ミカリがにやにやとこっちを見ながら言った。


「センちゃん、もうお兄さまになるのだから、もう少ししっかりしないとね!」


 センリは顔を赤らめると、ぷいっとミカリから目を反らした。


(嫌だな、ミカリは)


 この宮のなかで、センリになんでも言いたいことを言える人間は極わずかである。

 父であるシギアの皇帝ナイルをはじめ、父がもっとも信頼しているヤンダン武将……。それから乳母のスミと、なぜか、最年少で幼なじみのミカリだ。


 ミカリはヤンダンの孫娘で、よく話す気の強い少女だ。父がヤンダンをすごく慕っているから、ミカリは唯一、宮のなかを自由に出入りできる皇族以外の子どもだ。


 ミカリは、怒るとすごく恐い。耳の奥が突き抜けてしまうのではないかと思うくらいに、大きな声で延々と泣きわめく。そして最後は、ミカリが悪くても、いつも男の子なのだから女の子を泣かせるな、とセンリがスミや父に説教されるのだ。


 けれど、そんなときでも唯一味方をしてくれるのが、ミカリの祖父・ヤンダンだった。

 ヤンダンはミカリが悪くても悪くなくても、父やセンリに頭をさげてくれた。好きなお菓子や遊具もくれる。とてもやさしくて、シギアで一番つよい武人だった。


(おじいさんはあんなにやさしいのに、なぜミカリは……)


 センリは、まだスミの陰でこっちを見てにやにやしているミカリを横目に、心のなかでつぶやいた。


 汗を拭ってもらってすっきりすると、今度はいよいよ婚儀に出席するための衣を着せられはじめた。純白でとてもきれいだけれど、肩のあたりが重たくて動きにくい。

 身支度を整えながら、センリは何度も、


「式のときは、きちんとお父さまとお母さまのうしろをゆっくりとついていくのよ」


とスミに言われた。

 そして、そうするとまた、ミカリがスミのうしろから、


「よかったわね、センちゃんにもついにお母さまができるのね!」


と余計なことを言ってきた。


 センリの父は、きょうで二回目の結婚だった。宮の召使いだった、ケイネルという市井の出の女人との結婚だ。

 一度目の相手は、センリの母だった。けれどセンリの母は、センリを産んだときに死んでしまい、二度と帰らぬ人となった。


 だから、センリは母の顔を肖像でしか見たことがない。どんな声をしていて、どんなふうに笑う人だったのか、全くわからない。父やヤンダン、スミが言う、明るく、気さくで真のつよい女性だった、という言葉だけを頼りに、その面影を想像するしかなかった。



 準備が整うと、センリはスミに、父と新しい母の待つ、宮の一番奥の間へと導かれていった。


(ミカリに話しておきたいことがあったのに……)


 “あの技”をミカリに目撃されてしまってから、センリは気になって仕方がなかった。


(どうしてシギチョウがぼくだって、すぐにわかってしまったんだろう)


 もしかしたら、とっくにミカリは気づいていたのかもしれない。毎日暇を見つけては、だれにも見つからないように押入れのなかに隠れ、自分の身体を置いて、鳥や獣になって空や野山を駆けていたことを……。


 センリの魂は、いつもはこの〈シギアの皇子〉の身体に宿っている。けれどそれが、まだ八才の自分には全然おもしろくなくて、大嫌いだった。ほんとうは、こんな一日中宮のなかから出られない不自由な身体に入っているということは、ほんのひと時でも避けたかった。


 センリにとって、人の身体も獣の身体も肉体は皆、魂の乗り舟でしかなかった。

 空を飛びたいときには皇子の身体を乗り捨てて鳥になる。野山を駆けたければ、獣になって思いきり森のなかを走りまわった。

 まるで舟を自由に乗り換えるかのように、肉体という舟を渡り歩いた。

 

 いつしか、センリはこの生まれながらの不思議な能力を〈舟渡り〉と名付けた。そして他の人には見つからないように注意をしながら、こっそりとつかってきた。

 そう、こっそりと、慎重につかっていたはずなのに……。



 ミカリに早く口止めをしておかなければ、とそんなことばかり考えていたら、婚儀はあっという間に終わった。

 

 宮のまわりには大勢の観衆が集まり、広場は人で埋め尽くされた。

 

 センリの父ナイルは、先代の帝よりもはるかに人気を集めていた。このことについて、スミはいつも言っていた。


「ナイルさまは、この国の偉い人と、そうでない人の区別をなくされたのです。ケイネルだって、いままでならどんなにナイルさまのことが好きでも、ナイルさまと結婚なんてあり得なかったのですよ。皇子も帝を見習ってくださいね」


 たしかに父が帝になってから、シギアの人たちの暮らしは見違えるように豊かになったと聞く。戦を終えたこともあるのかもしれないが、観衆の人々もセンリには皆生き生きとしているように見えた。

 そんな父を、センリはもちろんとても誇りに思っていた。自分もいつかは、父のような立派な帝になりたいと願っていた。


(でも)


 最近は、複雑なのが正直な気持ちだった。特に舟渡りをしたときなんかは、つよくそう思った。


(父上は気づいているだろうか)


 婚儀のあとの宴で幸せそうにケイネルと見つめあって笑っている父のすがたを見て、センリは思った。

 

 そのとき、うしろから肩を突かれてセンリはうしろを振りかえった。

 普段よりも鮮やかな色の衣をまとい、髪に花飾りをつけたミカリが立っていた。


「ねぇ、赤ん坊はいつ生まれるのかしら」


 ミカリはちらちらと父のほうを見ながら、にこにこして言った。


「知らないよ。ぼくに聞かないでくれ」


 センリはぶすっとした顔で言うと、はっとあることを思いだし、ミカリに言った。


「ミカリ、さっきのことなんだけど。あれ、絶対にだれにも言うなよ」


 ミカリは一瞬とぼけた顔をすると、妙にお姉さんぶって言った。


「……仕方ないわね、センちゃんがそう言うなら。二人だけの秘密ね!」


        □


 ミカリの声に呼ばれてセンリが目をさますと、青ざめた顔で自分を見つめている少女の顔が目にうつった。


「センちゃん……!」


 ミカリはほっと息をつくと、額にうかんでいた汗をぬぐった。

 センリは重たい身体を起こして、心配そうに自分を見ているミカリに言った。


「池に落ちたんだ。はっとしたよ。もう終わりかと思った」


 ミカリは一瞬口元を固く結んだが、ふっと息をだして笑った。


「まぬけな皇子ね」


 センリは頬を赤らめて、ミカリをにらみつけた。


「だれにも言うなよ」


「二人だけの秘密ね」


 あのときと同じ顔をしてそう言うミカリを見て、声をだしてミカリと笑いあった。


挿絵(By みてみん)

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