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鳴ノ海の物語  作者: プラスイオン
秋‐冬
10/11

九 止まない雨

九 止まない雨


挿絵(By みてみん)


――どうして帝には黙っているの?


 薄暗い部屋のなかで書物を読んでいたとき、センリの目が止まった。夕暮れの淡い光が窓から差し込み、センリの持っていた書物を照らしていた。開かれた書物に載っていた竜の絵は、眩しい金色に変わった。

 昨日ミカリに言われた言葉が、脳裏をよぎった。


 レーネ村の燃える水の献上を機に、シギアでは至るところで拓きの工事がすすめられていた。野山は切り崩され、池や川は次々と埋め立てられていく。


 父もヤンダンも、じいも気づいてはいないだろう。あのことを知っているのは、ミカリとレーネの若き長の跡取り……それから、その親友ぐらいだろう。


〈舟渡り〉をすると、獣の気持ちが嫌というほどよくわかる。人間に立ち入られる度に、住みかを追われて苦しむ獣の気持ちが……。


 誕生式典のあと、レーネへ足を運んだことでテルサが急な発展を遂げてきた意味がやっとわかった。

 テルサでは、王都でもまだほとんど知られていなかった燃える水が、当たり前のように使われていた。王都や他の都市にはない新しい資源が、あそこにはあるのだ。


 式典後の宴で父は長い間テルサやレーネの長と話しこんでいた。あの時から既に、水の献上の話は挙がっていたのだ。



 センリは書物を置いてそっと立ちあがり、窓から顔をだした。もう春も近いというのに、相変わらず遠く西の空にはどんよりとした分厚い雲が広がっている。

 雪よけが施されたままの街並みを眺めていると、シギアの冬はほんとうに長く感じられた。


      □


 ミヤは久々に不思議な夢を見ていた。


 真夏の空のような濃い青空に、木々の萌える緑、夕焼けの赤い空……そのすべての色が、鮮明にわかる夢だった。

 雨上がりの土のにおい、飯の時間になると家々から漏れてくるいい香りもよくわかる。

 まるで、ほんとうにその場にいるかのような感覚に囚われる、そんな夢だった。


 そこはレーネのようではあるが、レーネではない良く似た別の村だった。

 ミヤは空の上から、一人の若い娘を見ていた。その娘の顔は、雨上がりにできる水の鏡で見る自分の顔にそっくりだった。年はすこし上だろうか、ミヤよりも大人びて見える。

 白く細い身体に、背には艶やかな長い黒髪を垂らしている、うつくしい娘だ。



――その娘の名は、ツキカといった。


 ツキカの村では、十七になると娘たちは皆、親に決められた村の若い男と結婚しなければいけなかった。

 

 その年、ツキカは十六を迎えていた。

 すでに嫁ぐ家は決まっていて、来年からはまだほとんど会話を交わしたこともない男の家に嫁入りすることになっていた。

 ツキカはそれが、嫌でたまらなかった。


 嫁入りすれば、自由は奪われてしまう。それに、あとは子を産み死んでいくだけという自分の未来が、たまらなく寂しく思えた。

 それでも、十七になればツキカは家を出なければならなかった。



 ある日、ツキカは思い立って深い山のなかへと入っていった。先の暗い十七の歳がやってくるまえに、自ら命を断とうとした。


 山を奥へ奥へと入っていったとき、目のまえに陽を浴びて眩しく光りながら流れる川を見た。鳴滝川だった。

 ツキカは何かにとり憑かれたかのように、その川へと入っていった。


 するとそこへ、一人の青年があらわれた。風に揺れてさらりと流れる黒髪に、雪のように白い手足……その青年はまさに、ミヤの知っているギンがすこし成長したようなすがたをしていた。



 ツキカは、そのうつくしい顔立ちの青年に、一目見て魅かれてしまった。それから、毎日のようにその川へ訪れ、青年と会った。いつしかその青年の瞳を見て、〈ギン〉と名を呼ぶようになったころには恋をしていた。



 ツキカがギンに恋するように、ギンもまたツキカに恋していった。


 そして、ツキカはとうとう十七を迎えた。そのころには、二人の恋は愛へと変わっていた。

 だが、十七を迎えたツキカは、もう親によって決められた村の若い男に嫁がなければならない。


 それから、ツキカは村の男のもとへ嫁ぐと、鳴滝川には行かなくなった。行ってはいけない気がしたからだ。



 しばらくして、ツキカは子を孕んでいることがわかった。

 けれど、ツキカにはその子が、嫁いだ村の男の子ではないような気がしていた。


 ツキカは生まれた子をとても愛した。夫やその家族もまた、生まれた子をとても可愛がった。もちろんツキカ以外のだれもがその子を、夫の子だと思っていた。



 それから、周りの者を騙している罪悪感に、ツキカは毎日一人で苦しんでいた。


 そしてとうとう、再び死のうとした。山のずっと奥にある鳴滝川の滝壺で、まだ乳飲み子だった我が子と一緒に。ギンと出会ったその川の滝壺に身を沈められるなら、それでいいと思った。

 

 

 いざ滝壺のまえに立つと、ツキカはどうしてもその先の一歩が踏み出せないでいた。ギンと出会ってしまってから、死ぬ勇気がどこかへ行ってしまったようだった。来る日も来る日も滝壺に通っては、何時間もそこにたたずみ、思い止まってはまた帰るという日々が続いた。



 何日も滝壺に通いつづけていたある日、ツキカはいつものように、その日も何時間も滝壺のまえでたたずんでいた。不思議なことに、ツキカが子を孕んでからは、ギンが現れることは一度もなかった。


 ふとどこからか一羽の鳥が飛んできて、ツキカの向かいに止まった。

 その鳥は淡い桃色の身体をしたうつくしいシギチョウだったが、瞳の色は鮮やかな金色をしていた。


 ツキカはその変わったシギチョウに、心を奪われた。そしてそのシギチョウを傍らでじっと見つめていたとき、森の奥から一発の破裂音が響いた。



 木々の陰に隠れていた小鳥たちはざわめき、一目散に滝壺から離れて行った。

 そして瞳が金色のシギチョウもまた、小鳥たちのあとを追うように慌てたようすで遠くの空へすがたを消していった。


 その瞬間、ツキカは腕から我が子を落とし、滝壺のなかに沈んだ。

 シギチョウを狙った狩人の流れ弾に当たってしまったのだ。



 ツキカの腕から落ちて奇跡的に助かった子は、必死に母のぬくもりを求めて泣いていた。けれど、滝を流れ落ちる水の音が、母を失ったまだ幼いその子の泣き声をかき消した。


 しばらくして、しっとりとした雨が降ってきた。


 雨は山のなかを独特なにおいでつつみ、空気を冷たくした。毛布に包まれている子の体温は徐々に奪われていく。

 そのときだった。


 草かげから、一人の見慣れた少年がでてきた。その少年は、ミヤのよく知っているギンだった。

 ギンはそっと泣きつづけている子を抱くと、そのまま川沿いをくだっていった。



 ギンが向かったのはレーネ村だった。

 雨で子が濡れないように、やさしく抱え込むようにして抱きながら、何時間も山のふもとのあぜ道に立っていた。いつしか泣いていた子も、すやすやと心地よさそうに眠っていた。



 雨が上がった夕暮れ。

 

 ギンが立ち続けていた所に一人の村人が通りかかった。

 いまよりもしわの少ない顔をしたオウキだった。


 オウキは、ギンにあやされて、やわらかな笑顔をうかべている子を見て足を止めた。

 子には気づいているが、ギンには気がついていないようだ。戸惑ったようすで子を抱えると、その場をあとにした。


 オウキが足早に去っていく後ろすがたを、ギンはずっと黙って目で追っていた。


      □


「おじいさん、大変です!」


 春が近づく夜更け、雨が激しく地を打ちつける音と家の戸を頻りに叩く音で、ミヤは長い夢から目をさました。


 戸の向こうから聞こえてくるのは、村長――ソジの父の声だった。その声からは、緊迫したようすがひしひしと伝わってくる。


 オウキは慌てて床から起きあがり、重たい戸を引き開けた。薄暗い外の明かりが、全身ずぶ濡れのソジの父のすがたを黒くうかびあがらせた。同時に、風に乗ってつよい雨が水しぶきとなって、床で目をこすっているミヤの元まで届いてきた。


「大変です、おじいさん。鳴滝川の水がいまにも溢れそうなんです」


 強い雨風でかき消されそうなその声が、微かにミヤの耳にも聞こえてきた。

 連日降り続いていた大雨に、鳴滝川が暴れ川と化そうとしていたのである。


 オウキはいそいで蓑を着ると、ミヤにソジの家へ行っているように言い残して、そのまま外へ飛び出していってしまった。


 暗い部屋のなかで一人、取り残されてしまった。止まない雨の音が、ミヤを現実へと引きもどしていた。


 ギンは、ナリノカミだ。そしてナリノカミは、母を喰らってなどいなかった。

 最も母に愛され、母を愛したのがナリノカミだった。


――ミヤ、よく聞いてほしい。


 口数の少ないギンの、七色の池での言葉が耳の奥でこだました。

 ミヤは、池の水を王都に献上してしまった。ギンの言葉を受け入れなかった。


 ギンは、ナリノカミ。そしてナリノカミは、テルサを繁栄させた鳴滝川の神さま。テルサを治める、神さま。


 ふと戸口の隙間から雷光が差して、つぎの瞬間激しい轟音が家を揺らした。雨の勢いは一向に収まる気配がない。……胸が今までになくざわついた。


 小正月のあの日、ミヤを抱きよせ温かなぬくもりをくれたギン。ギンはあのとき、なにを思っていたのだろう……。


 暗がりのなかでミヤは一人うずくまり、身体を震わせていた。



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