ナリノカミ
『春のとばり』と一部設定が異なります。
序章 ナリノカミ
テルサの山々が眠るころ、レーネの子どもたちは蜜色のやわらかな陽ざしを受けながら、白く染めあがった村を駆けまわる。皆どこからか雪をかきあつめてきては村の広場に山のように積みあげていき、小さな手で丁寧に押し固めていく。
やがていくつかの大きな雪山ができあがると子どもたちは何人かに分かれて、鼻や頬を赤らめながら大人が数人入れるような穴を掘っていく。そして最後には、見事な雪洞をいくつもつくりあげる。
息を切らしながらやってきた子どもたちに雪洞の完成を告げられた大人たちは、藁を持ちよって雪洞のまわりに集まり、できあがったばかりの雪室の屋根にそっとかぶせていく。
鳥の巣のように乗せられた藁のうえには、女たちが朝からこしらえたたくさんの菓子や料理が、子どもたちの鋭い視線を受けながら酒と一緒に乗せられていく。
村人は昼にはご馳走を持ち寄る。日が暮れるまで男たちは酒を飲み、女たちはたわいのない話をする。子どもたちもご馳走を食べたり、雪玉を投げあったりして冬の短い一日を過ごす。
やがて日が沈み空が薄闇に包まれると、雪洞には火が灯され、雪深い村は月の下で淡い光を放ちだす。
夕餉を終えた子どもたちは再び広場に集まり、ハイの木でできた拍子木を打ちながら〈ナリノ唄〉をうたい、村中の田や畑を練り歩く。
――これは雪国シギアの、のどかな農村に古くから伝わる祭り事だ。
小正月のその日、三才になったトビもようやくミヤの許しを得て、村の子どもたちと一緒になり雪洞づくりに汗をながしていた。
トビは去年までは、背の高い子どもたちが協力し合って雪洞をつくりあげていくのを、ミヤの隣で目を光らせながら見ていた。
やんちゃな男の子たちが仕事を放りだし、雪玉をつくって投げあいをはじめると、トビの手はいつもミヤの手から必至に離れようとした。
ところが、雪玉を投げあっていた子どもたちが大人たちに注意されると、離れようとしていたトビの手はとたんにおとなしくなり、ミヤの手を握り返してきた。
そんなとき、ミヤは心の底から我が子を愛おしく思った。いつかはトビも、大人たちに注意されようが、構わずはしゃぎまわっている子どもたちのようになるのかと思うと、そんなすがたを待ち遠しく思う一方ずっとこのままでいてほしいと思うのだった。
「ちゃんとお隣のシーヤちゃんの言うことを聞くのよ。それから、危ないから川へは近づかないでね」
いまにも外へ飛びだしそうな小さな背にむかって、ミヤが言った。
するとトビは振りかえり、ミヤの不安気な目を見てにっこり微笑むと、行ってきますと言いながら踵をかえして外にでた。
トビが開け放った戸のむこうから、温かな光がさしこみミヤを包んだ。
(ギン……)
ふいに全身になつかしい温もりを感じ、ミヤはそっと目をとじた。瞼の裏で、一人の少年がぼんやりとすがたを現わした。透き通るその瞳はつよい光をたたえている。
(あのとき、わたしがちゃんとあなたの言葉を受けいれていれば……)
ミヤは、大きく息をついた。ふっと白い靄が広がる。
あのとき、あの瞬間に戻れたなら……。
そう思いつづけ、もう十年が経つ。
耳をすませば遠い彼方から、笛のように高く細い音が、野山を越えて響いてくる気がした。
とても切なく、哀歌にも聞こえるその音が――。