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Well-being for Life!  作者: chai
1章 出会い
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車中

 ――あの男は本当にわけがわからない。

 デパート内の女性用化粧室で、里緒は考えこんでいた。

 こちらが失言を吐いたら笑い転げ、謝れば更に大笑いをする。そうかと思えば、強引に人を車で送ろうなんて言い出すし、挙句の果てに「悪いけど、こいつの手洗うの手伝ってやってくれないか」だなんて、強引なんてもんじゃない。

 いったい何様のつもりだろうか。

 軽く手を洗い終えた上総がこちらの様子を窺っていることに気づいた里緒は、壁に取り付けてあるハンドペーパーを引き抜いて、彼に手渡した。


「これで拭いたら、おしっこ行こうか。その後でもう一回、手を洗おう」


  

 トイレで用を足す上総の様子を見ながら、里緒はもう一度考えを巡らせた。

 あの男は人のことを、召使兼ペットか何かと勘違いしているんじゃないかと里緒は思う。

 しかも、全くの初対面である成人女性を相手に――だ。

 ――あのお医者さんごっこの時は、自然体な良いパパに見えたんだけどなぁ。


  

「もうちょっと石鹸つかおうか。爪の中まで泥が入ってるからキレイにしようね」


 里緒は背後から上総に被さって小さなその手を自分の掌で優しく包み込むと、指先の一本いっぽんまで丁寧に洗った。

 上総は少しくすぐったそうに、小さな声を漏らす。


「うん、ピカピカ。パパにも見せてあげようね」 


 そうして上総を促して化粧室を出ようとしたその時、先ほどの水でひんやりと冷たくなった小さな手が自分の指先をそっと掴んだことに、里緒は気がついた。

 どうやら、この小さな男の子はようやく自分に心を開いてくれたらしい。

 ぎゅっとその手を握り返す。

 保育士として4年間、亜衣の育児をサポートし続けて2年間、里緒はこれまで計6年もの間子どもたちと関わってきたが、こういう瞬間を迎える時はいつだって、何だかくすぐったいような気持ちになる。 

 ――お別れする前に、この子のちゃんとした声聞いてみたいな。   

 先ほどまでは何が何でも電車で移動しようと心に決めていたはずが、今ではもう少しこの子の様子を見ていたいという気もちが強くなってきた。

 里緒の中のお節介の虫が、うずうずと疼き始める。

 相手の家庭内の事情をこちらから暴こうなんてのは御法度だっていうのは保育士時代に学んだことだが、今は現役でもなければあの親子とは何の関わりもない。

 それに、すでに虐待云々(うんぬん)かなりの失礼発言をしてしまった後だし、今更取り繕う必要もないだろう。


「お待たせしてすみません、行きましょう」


 男性化粧室の入り口を通り過ぎその角を曲がると、待ち人のために備え付けられているベンチの上で眠そうにしている芦田の姿が見え、里緒は穏やかな気持ちでその人に、そう声をかけた。



  


 

 ♢♢   


 ――何とも妙な感じだ。

 車の中でハンドルを握りつつ、バックミラーに映る後部座席の様子を目で捉えながら芦田はそう思った。


 あの後、なぜだか急に態度を翻した里緒が何を考えているのかはよくわからなかったが、芦田にとってはその方が好都合と、彼女を駐車場まで案内した。

 しかしそこでドアを開けて助手席へと促した芦田の横をするりと通り過ぎると、里緒は当然のように上総と一緒に後部座席へと乗り込んでしまったのだ。


「あ、おかまいなく。私後ろが好きなんです」


 そう言って芦田を制すと、手早く上総のチャイルドシートを固定して、彼女は有無を言わさぬ笑顔でにっこりとほほ笑んだ。


 後ろでは、里緒が楽しげな様子で上総に何やら話しかけている。

 ――これじゃ肝心の話ができないじゃないか。やはり、人選を間違えたか。

 時間を無駄にしてしまった。芦田は予想外の展開に苛々とした表情を隠せない。

 すると、そんな芦田の胸の内をまるで読んだかのように、後ろから少し大きめの声で里緒が話しかけてきた。


「すみません、重ね重ね失礼な態度で」


 ――やはり自覚してやっていたのか。

 まさか2度も笑われた腹いせのつもりだろうかと、芦田の眉がピクリと動く。


「でも、もうちょっと上総くんと話してみたくて」 

「……上総と?」


 意外な言葉に驚きつつ、芦田も心持ち大きな声で返す。


「もう失礼ついでに伺いますけど、普段お子さんと過ごす時間、殆どないでしょう。あの、すっごく余計なお世話だと自分でもよくわかっているので、不快だったらもう話しませんけど」


 里緒の真意が知りたくて、芦田は彼女の話を黙って聞いた。

 その無言を、許しを得たと理解して里緒は言葉を続ける。


「休日のデパートも素敵ですけど、芦田さんも忙しい方みたいだし、他にも過ごし方はあると思うんです。無理しなくても、上総くんが楽しいって思えることは沢山あると思います。さっきのお医者さ……」

「――ありがとう」被せるように芦田は礼を言った。

 

 鴨がネギを背負(しょ)ってくるなんていうが、正にそんな感じだ。

 どうこちらから切り出そうかと悩んでいたが、余計な手間が省けた。

 向こうから振ってきてくれるなんて、話が早いじゃないか。 

 彼女の年齢が――と躊躇していた気持ちはすっかりどこかに消え去り、芦田は今日の迷子センターでの出会いに感謝した。


「今日、君に出会えたことは正直ラッキーだと思ってる。いろいろ家庭の事情ってやつも含めて、上総のこと相談させてもらってもいいだろうか」


 迷子センターでお礼を言って見せた以来の真剣な表情と声色で、芦田はそういった。 




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