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Well-being for Life!  作者: chai
2章 新しい生活
22/29

長期休暇明け

 GWが明け、日常の日々が戻ってきた。

 長期休暇明けの登園や出勤を億劫に感じるのは、大人も子供も皆同じだ。

 今日は生憎、里緒も芦田も仕事の都合で通常より早く出勤せねばならず、上総は朝一番から保育園に預けられることになっていた。


 久しぶりの保育園に、普段よりも随分と早い登園時間。

 そんな2つの非日常が重なったせいか、ここ1ヵ月でようやく園に慣れてきた上総が、今朝はぐずぐずと登園拒否をはじめた。

 その様子を見た芦田が眉を吊り上げて、すんすんと鼻を鳴らす上総を小脇に抱え、玄関へと向かったので、里緒は小走りでその後を追いかけた。


「今すぐ泣きやみなさい」


 抑揚もない淡々とした口調でそんな言葉をかけたところで、上総が泣きやむはずもない。

 だいたい芦田はただでさえ不機嫌そうな顔立ちをしているくせをして、腕組みしながら高圧的な態度で話すものだから、余計に悪いのだ。

 可哀想に上総は父親の声にびくりと肩を揺らすと、本格的に声をあげて泣き始めてしまった。

 一歩出遅れてしまった里緒は、あいたた、とばかりに額に手をやる。

 そして、この忙しい朝の時間帯に勘弁してくれと思いながら、引き攣りながらも何とか笑顔を作って芦田に応対した。


「長期のお休み明けの子どもって、大概こうなるんです。泣いたり喚いたり、それはもう大変で」


 言いながら、上総を背後から軽く抱きしめ、優しくその頭を撫でる。


「私たちは後から出ますね。芦田さんはお先にどうぞ。ほら、会社に間に合わなくなりますよ」


 玄関の飾り時計を指差すと、里緒は完璧な作り笑顔で芦田を見送った。これ以上余計なことはしないでさっさと出かけてくれ、とメッセージを送りながら。 

 その意図を正しく受け取ってくれたかどうかは定かでないが、芦田は呆れ顔で肩をすくめると、それ以上の言葉を上総に掛けることはせず、玄関先に放置されていたビジネスバッグを抱えて、ドアを押し開けた。


「じゃあ施錠をお願いします」

「あ、はい。いってらっしゃい」


 芦田が早々とその場を立ち去ってくれて、里緒はほっと息をつく。

 こちらも急がねば、うかうかしていると本当に仕事に遅れてしまう。

 里緒はまだ泣きやまぬ上総に声をかけながら、その身なりを整え始めた。

 涙を拭いて、バックを背負わせて――と癇癪を起す暇を与えぬようにテキパキと済ませるのがコツだ。

 素早い手つきで、あっという間に靴まで履かせ終えると、ようやく保育園へと出発した。



 泣きやみはしたものの、まだまだご機嫌斜めの上総の気分を紛らわせようと、里緒は道中、上総の興味を引きそうな話題をいくつか振ってみた。ところがどれも、いまいち反応が薄い。

 話題が尽きてきたところで前方に、今朝方まで降り続いた雨の影響で姿を見せたカタツムリを発見した。

 これ幸いと、隣で俯いて歩く上総の脇腹をつつき、まだ少し季節が早いアジサイの葉を指差してみせる。

 すると不貞腐れ顔をしていた上総は、たちまち瞳を輝かせた。

 足元に落ちていた棒っきれを拾うとアジサイに駆け寄って、恐る恐るカタツムリを覗き込む。

 そして里緒からの「優しくね」という言葉を忠実に守り、そうっと目の前の生き物をつんつんと棒で突っついた。

 上総にじっと見つめられる中、カタツムリは角だか槍だかわからぬ突起らしきものを、慌てて引っ込める。

 それを見て上総は満足気に、へらっと表情を緩めた。

 これで安心して園に預けられそうだ。

 里緒もつられて自然と笑顔になる。


「見て、見て! 里緒ちゃん」


 興奮気味にそう叫ぶ上総に「うん、すごいねぇ」と里緒はのんびり相槌を打った。

 




「アジサイのお花が咲く頃になったら仲間もいっぱい顔を見せてくれるから、それまでは自由にしてあげようね」 


 里緒からそう諭されて今回はカタツムリの捕獲を断念した上総だったが、先の楽しみが出来たためか、その機嫌は上昇したままだった。

 それに、さっき里緒から教えてもらったこと――カタツムリは雨やアジサイが大好きだとか、お引っ越しをするときはナメクジに変身するんだとか――を摂子に話したら、きっと彼女は驚いて『すごいね、上総くんよく知ってるのね』と頭を撫でて褒めてくれるだろう。

 そう思うと、さっきまでは行きたくないと思っていた保育園が嘘のように楽しみになってきた。

 まだまだ特別仲良しのお友達はいないけれど、上総は担任の摂子のことが大好きだ。

 摂子はいつも笑顔で上総に話しかけてきてくれ、とっても優しいし、困っているときはすぐに気付いて助けてくれる。

 何より里緒が「せつこ先生って優しくて素敵よね」といつも彼女の事を褒めているのだ。

 大好きな里緒が素敵だというのだから、きっと本当に素敵で優しい先生なのだろうと、普段は消極的でなかなか自分から話しかけられない上総が、摂子に対してだけはなぜか躊躇せずに話しかけることが出来たのだった。


 

 ご機嫌な上総と一緒に、繋いだ手を大きく振りながら「でんでんむーしむーし」と、カタツムリの歌を口ずさんで保育園に向かう。

 歌が途切れた所で上総が思い出したかのように「パパ、怒りんぼだね」と口を尖らせたのに、里緒は吹きだしながら「ねー」と同調した。

 すっかり機嫌を持ち直した上総は、未だぷりぷりと父親の理不尽な態度に文句を唱えている。

 もちろんそんなことを芦田(ほんにん)の前で言えるだけの勇気はまだ持ち合わせておらず、今のところはこうして里緒の前で文句を言うのが精いっぱいだ。

 上総にとって芦田は、大好きだけれどちょっと怖くてなかなか自分の意見が言えない相手なのだった。

 里緒からすると、上総がこうして可愛く文句を垂れるのは微笑ましかったし、出先での芦田の態度についても実のところ、いい傾向だと思っていた。

 確かに上総の高ぶった気持ちを助長させるような事を言う芦田に、余計な事をしないで欲しいと思ったのは事実だ。息子がなぜ泣いているのか、その理由を考えてみることせず無骨な態度で接したことだって褒められたことではない。

 それでも以前の芦田であれば、間違いなく泣いている上総には目もくれず、全てを里緒に任せきりだったはずだ。

 正直子どもに対する接し方としては及第点に届かぬばかりか赤点そのものであったが、自ら息子に関わろうとする姿勢が少しでも見られたことに里緒は驚いていた。

 芦田は息子とどう関わったらいいのかわからず、育児においては無知そのものなのだ。

 それなら一から覚えていけばいい。

 過去の父親としての意識の低さや、子どもに対する知識の乏しさなどは大した問題ではない。

 大切なのはこれから相手を知ろうとすること、息子と関わろうとする気持ちなのだ。

 少しずつ、本当に少しずつではあるが、芦田の上総に見せる関心の度合いは間違いなく以前とは変わってきている。里緒はそう感じていた。




 玄関でのひと悶着で、職場に遅刻してしまうのではないかと危惧したものの、ほぼ予定通りの時刻に園に辿り着いて、ほっとする。

 里緒は足どりの軽い上総とともに保育園の門をくぐった。

 いつもより時間帯が早いせいか、見慣れない保育士たちがいる。

 早朝専門のパートの先生だろうなと思いながら「おはようございます」と声をかけて園舎に入った。

 どうやらクラス担任はまだ出勤していないようだ。

 お願いしたいことがあったのに、とがっくり項垂れながら見慣れた部屋を通り過ぎ、別の教室へと向かう。

 早い時間帯に預けられる子どもたちが過ごしている部屋だ。


 

「あ、かずさくん! おはよう」


 明るい声でそう言って教室から顔を見せたのは、学生かと見間違えそうなくらい幼い顔をした保育士だった。

 可愛いキャラクターが描かれたピンク色のエプロンを纏って元気よく挨拶をする、その姿はエネルギッシュで若々しい。――ただし残念なことに、保育士としては少々化粧が派手だった。 


「おはようございます。ええ……と、ゆみか先生。早朝保育は今日が初めてなんです。お迎えは通常通りに伺いますのでよろしくお願いします」


 彼女の胸元に付けられたチューリップ形の名札を確認して、そう挨拶する。

 ――新人先生かな。私も1年目はこんな風に初々しかったかも。

  

 腰まである長い髪の毛を高い位置で2つに結わいだその姿はさしずめセーラー○ーンといったところだ。

 いや、セーラー○ーンはもう古いかもしれない。

 さすがに現役の頃に比べるともうあまり詳しくはないが、ここ最近ではプリ○アというキャラクターが女の子たちに大人気だということぐらいは里緒だって知っている。その中にこんな髪形のキャラクターがいたようないなかったような。

 夕実伽の髪を結わえているヘアゴムにはピンク色の髪に、これまた全身ピンクのユニフォームを纏った小さな人形が揺れていた。

 自分も先生業に慣れないうちは子どもの気を引くために、ああして子ども受けするようなアイテムを身に着けていたっけ―-と里緒はしみじみ現役時代を思い出す。


「おはようございます。じゃあせつこ先生にそう伝えておきますねぇ。お預かりしまーす」  


 軽く頭を下げた夕実伽の長髪が揺れる。

 鼻にかかったようなアニメ声は声優顔負けだ。

 外見だけでなく、どうやら声のトーンまでアニメに徹しているらしい。

 秋葉原でも通用するのではなかろうか――なんて思ったことは彼女には内緒である。


「それでは今日もよろしくお願いします」

「ちょっと、待って下さい!」


 最後に挨拶をして、もう一つの職場に向かおうとしていた里緒は、引き止めの声とともに、軽く腕を引かれた。

 少し驚いて首だけ振り返ると、先ほどとは打って変わった様子の夕実伽ゆみかが、急に声を(ひそ)めて切り出してきた。


「あのう、ベビーシッターさんですよね? ちょっと小耳に入れておいた方がいいお話があるんですけど……」


 予定している電車の時刻まではまだ少し余裕があるものの、常に15分前行動を心がけている里緒としては正直、急ぎの話でなければまた次回にして欲しかった。

 しかし夕実加の瞳が『聞いて下さい!』と言わんばかりに輝いて見えるので、時間がないとも言い出しづらく、5分くらいのロスならまあ仕方ないと諦めて、里緒はくるりと身体の向きを変えた。




すみません、予定していたところまで行きつけませんでした。

活動報告の予告内容は次回に持ち越しです。

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