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Well-being for Life!  作者: chai
2章 新しい生活
18/29

訪問

なんとか1週間以内に仕上げようと思ったのですが無理でした…。

少し長めです。

「ぐーちょきぱーで ぐーちょきぱーで 何作ろう」

「「何作ろう」」

「右手がグーで 左手がチョキで」

「かたつむりぃ かたつむりぃ」



 ―― 一体何だってこんなことになったんだ? 

 バックミラーに映る仲睦まじい2人の姿に、芦田は思わずハンドルを手放して頭を抱え込みたくなった。


 数ヵ月前、里緒とデパートで出会ったあの日と寸分も違わぬ光景が今、後部座席で繰り広げられている。前回と唯一異なっているのは、里緒の一方的な話しかけではなく上総からも明るい声が聞こえてくるという点だ。


 ここ最近、理由こそ不明だが、上総の口数が目に見えてわかるほど少なくなった。

 ただでさえ、ぎこちない親子関係で、どうコミュニケーションを取ったらいいのか考えあぐねいていた芦田は、今の状況に正直お手上げ状態だった。

 それなのに里緒にそれとなく上総の様子を尋ねたところ、家でも保育園でも特に変わりはないという。

 ――そんな訳があるか! 帰宅の出迎えのときだって、ろくすっぽ目も合わせないんだぞ。

 だったら彼女に直接そう問えばいい話なのだが、プライドが邪魔をして、どうにも口にすることが出来ない。

 一般論で言えば、子どもの世話をすることが仕事である里緒に育児の相談を持ちかけたところで、芦田の事を育児熱心なよい父親だと褒める者はいても、それを情けないと思う輩はいないだろう。

 しかし、息子に避けられてそれを陰で気にする父親など、それこそ威厳も糞もあったもんじゃない、と芦田はそう考えていた。

 そして挙句の果てには、『会話をするときは相手の目を見て話せと保育園ではそんな教育もされていないのか』とお門違いの方向に怒りの矛先を向ける始末だった。


 

 こちらは貴重な休日に朝っぱらか出かける羽目になって、ただでさえ機嫌が悪いというのに。せめてあと1時間遅い出発にできなかったのだろうか。

 他人のペースに合わせるのが何より我慢ならないはずの芦田がそれでもこうして里緒の提案を受け入れたのは、少なからず先日の件で息子に少々負い目を感じていたからである。

 上総は祖父母宅訪問に加え、里緒が同行すると聞くと大はしゃぎで喜んだらしいので、この選択は間違ってはいなかったと芦田は思う。らしい――というのは、芦田本人がその現場を見ていたわけではなく、里緒から聞き跨いだ話だからである。


 ウィンカーを出そうとミラーを確認して、上総と笑い合っている里緒の姿が再び視界に入った。

 まったく、このベビーシッターは、時折突飛な行動にでるもんだ。

 お節介なのは初対面からわかってはいたが、ここまでとは思わなかった。

 芦田は今後の里緒の動向に少し注意する必要があるだろうと、しかと心に止めた。


 





「よかった! それでは、お父様に連絡されるときに私の同行の許可も取っておいていただけますか」 


 嬉々としてそう尋ねてくる里緒に向かって、芦田は当然のごとく断りの言葉を口にした。

 今回の提案に関しては大層感謝はしているが、同行するだなんて言語道断だ。

 これは明らかに仕事の範疇(はんちゅう)を超えている。

 まさかとは思うが家族ごっこがしたいとでもいう気だろうか。

 これまでの態度からいって、彼女が自分に対して恋愛感情はおろか特別な好意ひとつ感じたことなどないと芦田は思っているが、万が一にもその“まさか”だったらとんでもない。

 面倒なことになる前にもちろん即刻、首きりだ。

 しかしそんな芦田の考えが、いらざる心配であったのは言うまでもないことだった。


「一度あちらでの上総くんの様子をお伺いしておきたかったんです。今後のために把握しておきたいこととも幾つかありますし。当然お話が済みましたら私はそのまま電車でお(いとま)しますので」


 専属とはいえ、たかがベビーシッターの身で普通そこまでするだろうか。

 そう不信に思わぬこともなかったが『質問なら自分にすればいい』などとは口にできるわけもなかった。

 実際父親である芦田は息子の事に関して何か問われても、それに答えられる自信はない。

 どんな食べ物が好きで、今一番欲しい物は何か、何をして遊ぶのが楽しいのか――何一つ知りはしない――いや、知ろうとする努力を怠ってきたのだ。

 こんな調子では軽いネグレクトだと言われても否定しきれない。

 以前に受けた里緒からの指摘も完全な間違いだとは言い切れなかった。







「右手がパーで 左手もパーで」

「ちょうちょー ちょうちょー」


 バックミラーには両手を広げて作られた2羽の蝶々がひらひらと楽しそうに遊んでいる様子が映っている。


 ――あれのどこが蝶々に見えるんだか。

 芦田は運転をしながら心の中で悪態をついた。






 ♢♢ 


「じぃじ!」


 チャイルドシートが外されたが早いか車から飛び降りると、上総は一直線に祖父の腕の中に飛び込んだ。


「上総、元気にしてたか」


 目尻の皺を濃くした初老の男性が上総を抱きとめる。

 その視線がゆっくりと里緒を捉えると、彼は更にその表情を緩めて見せた。


「じぃじ、りおちゃん。りおちゃんだよ」


 祖父の視線の先に気づいた上総が、里緒をそう紹介する。


「初めまして、里緒さん。上総の祖父で伊藤と申します」


 深々とお辞儀をしながらそう挨拶をする男性は、とても穏やかで優しげな印象を受けた。

 複雑な生活環境に育ってきたにもかかわらず、あんなに素直な子どもに育った上総にも頷けると里緒は心の中で納得する。


「初めまして。上総くんのベビーシッターをさせていただいている若宮といいます。ご家族の団らんのお邪魔をしてしまってすみません。お話を伺いましたらすぐにお暇しますので」 

「ようこそいらっしゃいました。お茶でも入れますんで、どうぞゆっくりしていって下さい」


 自分にじゃれついてまわる上総を愛しそうな目で見つめながら、上総の祖父、伊藤は客人を家に招いた。


 玄関に足を踏み入れて一番に里緒の目に入ったのは、廊下に貼られている数々の画用紙だった。

 カラフルな色画用紙の上には、それぞれクレヨンで絵が描かれた白い用紙が重ね貼りされている。

 里緒の視線の先に気づいた伊藤は廊下を誘導しがてら壁一面、等間隔に飾られた画用紙の理由(わけ)を教えてくれた。


「この子はお絵描きが大好きでしてね。あんまりにも上手だからきれいな用紙を買ってきて、この廊下を上総の作品ギャラリーにしたってわけですよ」


 親バカならぬ爺バカってとこですかね、と伊藤は少し照れの混じった表情でハハハと笑って見せる。


「すごく上手だね、上総くん。この虹の絵なんて素敵。7色あって、まるで本物みたい」


 玄関寄りに貼られている絵を指して里緒がそう褒めると、上総は得意顔をする。

 

「リビング側から貼り始めたんで、玄関前のが一番最近のものなんですよ」


 よく見ると一つひとつの作品の右下に、小さく日付が入っている。

 虹の絵には“11.02.11”と記載されており、里緒と出会う少し前に描かれた作品であることがわかった。

 伊藤の話に、なるほどこれは孫の成長記録でもあるのだな、と里緒は感心する。


 長廊下の中間辺りまで来ると、とびっきりの笑顔をしている上総が額縁の中に飾られていた。現在よりかなり幼く見えるそれは、おそらく半年から1年ほど前に撮られたものだろう。

 玄関には庭先に咲いている金魚草が花瓶に活けてあり、訪れた者を歓迎してくれる。

 古めかしいこの家屋(かおく)は家の主同様、温かみが感じられた。 


 リビングを通り抜け、奥の部屋に通される。

 そこには伊藤の妻である八重子がベッドに臥せっていた。


「一時はね、もう駄目かとも思ったんですが後遺症は残ったものの、わりと元気でね。まぁ寝たきりっていっちゃあ、そうなんですが」


 伊藤が妻の症状をそう説明する。

 上総の祖母である八重子は左半身の不随で、言葉を発する際に時折難を要することがあるものの、右脳は影響を受けなかったため知能的には何も問題なく、しっかりとしているらしい。

 病気で少しばかり気落ちしていたという彼女は久しぶりに顔を見せた孫のおかげか、病人の顔色には見えなかった。

 半身不随とはいえ御髪は綺麗に整えられ、よく見ると薄らと化粧もされていた。

 お客である自分を意識してのことかもしれない。きっちりとした性格の女性なのだろうと里緒はそう思った。


 是非とも昼食を食べていって欲しいという彼らの好意に有難く甘えることにした里緒に、上総は手放しで喜んだ。

 「すっかり里緒さんに懐いておるんですね」と、伊藤夫妻は孫のはしゃいだ様子に嬉しそうに笑みを浮かべる。


 

 芦田が上総を連れ立って食材を買いに出たところで、上総のここ1ヵ月の様子について夫妻から質問を受け、里緒は自分の知る限りでの芦田親子の生活ぶりを報告した。


「自分たちが志願して上総を預かっておきながらこの低落で、お恥ずかしい限りです」


 里緒が一通りの事情を知り得ていることを打ち明けると、伊藤はそう言って恥を偲ぶかのように上半身を屈めた。

 夫のそんな姿に八重子も表情を歪ませる。


「私がね、こんな身体にならなければ……。里緒さんにも、無理をお願いしているんじゃないかしら」

「いえ、私はお話を伺って自分の意思でこのお仕事をお引き受けしましたから。待遇も良くしていただいていますし、何より上総くんと過ごすのが楽しくて」


 夫妻の深刻な様子に里緒は、そう力説した。

 

「そう言っていただけると私どもも救われます。あなたのような方に上総の面倒を見ていただけることになって本当によかった。感謝します」


 芦田から話を聞く限り、実直な人柄だろうとは想像していたが、これほどまでに道徳心が強い人たちだとは驚いた。

 こんな両親の下で育った芦田の妻だった女性は、どんな人物だったんだろう。

 里緒はふと純粋に、夫妻の娘である美波の存在に興味を持った。

 

「ああそうだ、上総の話でした。そのためにこんなところまで足を運んで下すったんでしたね。何でも聞いて下さい」 

「あ、はい。それもそうなんですが、実はお話したいこともありまして――」

  

 実はこの訪問の一番の目的は、芦田に説明したものとは少し異なっていた。

 もちろんここでの上総の生活ぶりを聞くことも必要だと感じていたので、それは嘘ではない。

 しかし、こうして彼らの顔を見て話をする必要があったのは、他の理由からであった。

 そして実際会ってみて、自分の思いつきが名案だということに里緒は確信を持った。






 ♢ ♢ ♢

 

「これからも上総の事をよろしく頼みます。お気をつけて」

「はい、ありがとうございます。ではまた」


 そろそろ3時のお茶の時間になろうかといった頃になって、朝からテンションの高かった上総がうつらうつらと舟を漕ぎ始め、本格的に深い眠りについたのを確認できたところで、里緒は絶好のタイミングとばかりに伊藤宅をお(いとま)することとした。

 昼食を終えて腰を上げた里緒に『もう少し居て欲しい』とのおねだりが聞きいれられたのをいいことに、その後も上総は「りおちゃんはお泊まりしないの?」と大人たちにしつこく食い下がってきた。どうやら本人は何度も押せばこちらも承諾して貰えると思っていたらしい。

 初めて見た可愛く駄々を捏ねる上総の姿に困り顔を見せるも、里緒は内心では自己主張を見せてくれたことに喜びを感じていた。

 祖父母宅訪問の効果が顕著に表れた嬉しい結果である。


「里緒さんさえよかったら是非夕食も食べていって下さい」夫妻にはそう誘われた。


 近くに親戚の経営している小洒落(こじゃれ)た小料理屋があって、これがなかなかの評判なのだと伊藤は言ってくれたが、八重子を一人家に残していくのは忍びないし、それに自分はこの後用事がある。 有難くも丁重にお断りをして夕方になる前にここを引きあげることにしたのだった。



「結局、家まで送れなくなってしまって申し訳ない」 


 車の助手席で古ぼけたノートを開いていた里緒に、芦田がそう詫びた。

 もともと芦田も日帰りのつもりでいたのだが、上総のお泊まり発言により、せめて父親だけでも1泊してやれと周りから強く勧められ、一晩足止めを食らうことになったのだ。


「いえいえ、むしろ私も賛同しましたし。逆に交通費いただいちゃってすみません」


 芦田の足止めは実を言えば計画的犯行だったのだが、里緒はそんなことはおくびにも出さず、肩をすくめてみせた。


 赤信号で車が停止したところで、芦田の視線が里緒の膝の上にある古びたノートでついと止まる。

 その視線に促されて里緒は、開いてあるページに書かれた文字を声を出して読み上げた。


「好きな食べ物――ハンバーグ・ミートスパゲティ・焼き豚・鳥そぼろ……うーん、意外と肉食ですね。苺アイスにショートケーキ。嫌いな食べ物――干しブドウ・グリンピース・パイナップル」

「……。」

「好きな色――赤・青・オレンジ。嫌いな色――紫。……伊藤さんに戴いたんです。上総くんのことが書いてあって、今日私が聞いたいろんなことも、これにメモしておきました。次にお宅に伺うときに持ってきますね」


 信号の色が青に変わり、車が発進する。と同時に芦田の視線が正面に移り、里緒に対する返答は一切返ってこなかった。

 ――うんともすんとも言わずに、また“だんまり”ですか。

 今の自分の発言の中の、一体どの部分に彼を不機嫌にさせる要素があったというのか。

 相変わらず隣に座るこの男性は、コロコロと気分が変わるらしい。

 出会って1ヶ月以上になるが、里緒には未だこの男の気に障るポイントが見つけられない。

 誰の前でもこうなのだろうかと半ば呆れて溜息をつきそうになったが、そこは何とか我慢をする。一応ではあるが、この男は自分の雇用主なのだ。

 遠くに駅のロータリーらしき景色が見え、あと少しの間、里緒は溜息のかわりに返答を期待できぬ会話を続けることにした。


「奥さんのご両親、とっても素敵な方たちですよね。上総くんがあんなに素直に育ったわけが納得できます。羨ましいです、義理とはいえあんな素敵なご両親がいらっしゃって」

「ああ、あの人たちの事は僕も……」


 珍しく柔らかな表情と声で里緒の言葉に同調しかけ、芦田はハッとした様子で口を噤んで小さく咳払いを一つした。

 そしてまるで何事もなかったかのように車を停車させると、到着しましたとばかりに視線で里緒を外へ追いやった。

 思わぬ反応が気になったが、駅が目の前にある以上、会話を続ける意味もあるまい。

 田舎の駅はなかなか電車が来ぬゆえ、予定しているこの1本を逃すとその後の乗り継ぎにも支障が出るため大変な時間のロスになるのだ。

 次回の訪問日を確認して挨拶を交わすと、里緒はまっしぐらにホームへと向かった。



※ネグレクト:児童虐待・高齢者虐待の1つ。保護の怠慢や拒否により健康状態や安全を損なう行為。


※ネグレクトも幾種かに分類され、本編で芦田が語っている(?)のは軽度の『情緒的ネグレクト』『消極的ネグレクト』に該当すると思われます。

補足説明はブログでさせていただきますので、どうしても気になる方はご訪問下さい(本日中7/16にアップしておきます)。



なんだか段々、完成度が低くなってきた気がします…。

そのあたりは目を瞑って下さいませ。


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