同僚
「で、最近調子はどうよ」
会社近くの定食屋で他人丼を掻っこんでいると、向かい合って鳥唐揚げを口に運んでいた佐倉から近況を尋ねられた。
この男とは入社当時からの腐れ縁で、営業時代は同じチーム、現在も部門は違えど同じ製作課に在籍している。
そのうえ憎らしいことに芦田より一足先にこの課へ異動していたという、所謂目の上のたんこぶというやつだ。
男のプライドから言えば正直気に食わないところはあるものの、飄々とした性格の佐倉とは何だかんだいって波長が合い、芦田にしては珍しく職場内で心を許せる唯一の友だった。
彼とは2人きりで定期的に飲みに行く程の親しい関係で、酒を片手にプライベートな話も話題にのぼるため、芦田の家庭事情についてもそれなりに詳しい。
今回息子を引き取るにあたり、この男に限っては内情を打ち明けていたのだ。
とはいっても所詮31歳の独身男、親戚に小さな子どもがいるわけでもない。
とてもでないが頼りになる相談相手になるはずもなく、この話題において佐倉は一方的に管を巻く芦田の隣で、聞き役に徹していた。
「いくらか落ち着いたよ。近いうちに飲みに行く時間も取れると思う」
「おまえ、息子の世話は大丈夫なのか」
「まあな。詳しい話は今度、酒の席ででも話すわ」
そう返せば、それ以上は突っ込んで聞いてこない。芦田はこの男のそんなところも付き合うのに楽で気に入っているのだ。
店内の壁に掛っているやたらと大きな時計に目をやって、芦田は残っていた丼の中身を一気に平らげた。そして目の前の男が箸を置いたのを確認すると席を立つ。
「戻るぞ」
ぼそりとそう口にすると、揃って足早に会社に引き返す。
営業時代は昼休みの時間を気にする必要がなかった――というより大体その時間帯会社にいないことの方が多かったのだが、製作課に移ってからというもの、時間通りに休憩を取る機会が増えた。
芦田の会社は始業・終業、昼休憩の時間にそれぞれ小学校のようなチャイムが鳴るシステムになっている。そのためか、時間をきちんと守らないと何となく周囲の、特に古株女性社員の視線が痛いのだ。
何とかチャイムが鳴り終わるギリギリに席に着くことのできた芦田はデスクに肘をついて、そういえばここ1ヶ月余り飲みに出かけるチャンスもなかったのだなと独りごちる。
上総を引き取る話が舞い込んで以来、やるべきことが多すぎて実際そんな暇はなかった。
義理親の家では夕食時に義父と日本酒を空けることはあったし、引っ越しがすんでからも寝る前にウイスキーを一杯ひっかけるなど、酒断ちをしていたわけではないのだが、外で飲むのはまたこれとは別物である。
先ほど佐倉に話した通り生活も落ち着いてきたことだし、そろそろフラストレーションを発散させなければなるまい。
来週あたりにいつもの店に佐倉を連れていこうかと思いつく。
――彼女に前もって上総の世話を頼んでおくか。
芦田はそう決めると、明日のプレゼンで使用する膨大な資料の山に手を付けた。
♢ ♢ ♢
翌週の水曜日、公言通り芦田は佐倉とともに行きつけの小料理店で酒を飲み交わしていた。
久々に同期と昼食をとったあの日、自宅に帰ると芦田はさっそく昼間思いついた予定を里緒に相談――ではなく決定事項で伝えたところ、一つ返事で快くOKをもらったのだ。
「仕事上のお付き合いというものがありますしね。久々でしょうから、ゆっくりなさってきて下さい」という里緒の意外な労いの言葉に、少しばかり後ろめたさを感じ、芦田はその予定を水曜日に組み込んだ。
早い時間から飲み始めれば帰宅時間が23時を越えることはないだろうとの、彼としては最大限の心遣いだ。
「ふぅん、じゃあそのベビーシッターさん? とは、そこそこ上手くやってるんだ」
「ぼちぼちな。上総のこととなると多少口煩そうだが、まあ、今のところ特に問題はない」
とりあえずビールで乾杯し、定食屋での話の続きを佐倉に話して聞かせる。
「で、どんな感じの子なわけ。美人系? セクシー系?」
「お前はそれしか頭にないのか、ったく」
日本酒を片手にニヤリとして里緒の容貌を尋ねる同僚を、芦田はいつものように冷たくあしらった。
この佐倉という男は博愛主義だか何だか知らないが、数え切れないほどの女性と関係している割には一度だって修羅場を経験したことがないらしい。
どんな女性に対してもフェミニストで、一度に複数の女性を愛することができるとのたまう彼は、これまで本気の恋愛をしたことがあるもんだか怪しいものだ。
プライベートは素足に革靴だなんて主張する佐倉に、おまえは石○純一信者かと何度突っ込んでやろうかと思ったか知れない。
とはいえ別名プレイボーイと言われし佐倉のその手腕は、女性関係のみならず仕事にも生かされていた。
同期の中ではどちらも群を抜いた優秀者と言われる彼らだが、2人の仕事に対するアプローチの方法には随分違うものがあった。
芦田はどちらかと言えば事を強引に進めるタイプで、自分の力量を武器に“全てを私にお任せ下されば間違いありません”といった自信満々な攻めの姿勢で顧客を落とすのが常のやり口だ。
それに比べて佐倉はというと、エレガントな物腰で相手を立てると“○○様のために是非とも全力を尽くさせていただきます”との信頼感溢れるパフォーマンスで顧客のハートをもぎ取るのだ。
これは如実に彼らの性質を表しているともいえるだろう。
「だってさぁ、年齢的にちょうど美味しいじゃん。26だろ」
「化粧っ気も色気もない女だよ。仕事に関しちゃ信用できそうだが、あれはお前の期待には添えない部類だな」
この手の話題には興味がないといった芦田に比べ、佐倉はまるで新しいおもちゃを発見した子どものようだ。
「期待に添えないって、どうしてそう思うよ。知ってると思うけど俺のストライクゾーンは半端なく広いぜ。で、具体的にはどんな子?」
具体的に、と言われて芦田は眉根を寄せた。
正直芦田はこの手の質問があまり得意ではない。やり手の営業マンだったくせをして、根本的に人の顔を覚える能力は高くない――というより仕事に支障が出ない程度には問題ないのだが、その範疇を超えると覚えようとする意志が全くないのだ。
適当に流そうにもこの男の事だ、どうせ納得いく返答を導き出すまでこの話題から離れる気はないだろう。
そう思い、初対面で里緒に感じたイメージをそのまま述べることにした。
「でかい垂れ目の小動物的な……隙だらけの学生もどき?」
「ふぅん。意外とちゃんと見てるんだ。普段だったらどんな女もカボチャに見えるなんていって滅多に顔のパーツなんて見てないじゃん。仕事相手だって、フレーム眼鏡とか前髪パッツンとかアイテムで識別してるし」
佐倉は珍しいものを見るかのように目を細めてみせた。
何故だか芦田のこの表現力に欠けた返答が、かなりお気に召したらしい。
こういう表情をするときのこいつは大概下らないことを考えているのだと、芦田はげんなりとした。
「は? 何が言いたい」
「べっつに。あ、その子スタイルは? 童顔に巨乳とかだったらマジ美味しいじゃん」
やはりこの男は仕事から離れると下らない、女のことしか頭にないのか。
まあ、しかし――と佐倉のその言葉に、芦田の脳裏に里緒の全身像が浮かぶ。
確かに細っこい身体の割に、出るところはしっかりと出ていた気がする。身長が足りないぶんモデル体型とは言い難いが、一般女性としてはなかなかのプロポーションではないだろうか。
――あんなガキっぽい面してるくせして。
「あー、無言ってことは肯定なんだ! 俺今度絶対遊びいくし」
「……来んでもいい。それに、こっちしばらく、上がりが早いんだ。まだ上総と住み始めて日も浅いし、流石に早目に帰らないとな」
あのベビーシッターに文句を言われ兼ねない――と言いかけて芦田は慌てて口を閉じた。
さすがにそれを言ってしまうのは例え佐倉の前でも恰好が悪い。
「へえ。けど、今後忙しくなるかもよ。例の新プロジェクト、本決まりで来月から動くことになるらしいけど、実はお前の名前上がってるみたいなんだ」
例の新プロジェクトとは、大手医薬企業のCM広告の企画提案のことである。
ここ5年間は他社が専属して担当していたのだが、両者間に大きなトラブルが生じたために次回作から別会社に乗り換えようと、うちにも声が掛ったらしい。
つまり、このチャンスをモノにすれば今後も贔屓にしてもらう可能性が高く、新規顧客が得られるばかりか十億単位が動く契約が締結されるかもしれないのだ。
それこそ自分のキャリアを大きく延ばす絶好のチャンスだ。
「マジかよ、俺まだ製作課に移ってきて1年経ってないだろ?」
「メンバーはまだ、本決まりじゃないけどな。けど本部長の口から聞いたから信憑性は高いと思う」
芦田のボルテージが一気に上がった。
2人が務めるこの広告代理店は、主には雑誌広告や企業広告を手掛け、テレビCMを担当することは数少ない。
3年以内にCM広告の企画に携われたらラッキーだなと考えていた芦田は、たかが配属1年でそれもこんなビッグな企画を担当できるなどとは夢にも思っていなかった。
「本部長といえば営業の榊部長、栄転の話が出てるらしいよ。めでたい話が続くねぇ――ってことで、前祝いとでもいきますか!」
友の出世のチャンスを祝いのんびり乾杯の音頭をとる佐倉に応えながら、芦田の心はすでに1ヶ月後の新プロジェクトに浮き立っていた。
その夜ご機嫌で帰宅した芦田は珍しく里緒との会話にもひどく饒舌で、落ち着いたら同僚が家に飲みに来るかもしれない、なんて普段は話さないような事までも口にした。
そんな芦田の様子を見て里緒は、この気難しげな男性にも心を許せる友人がいるのだということに少々驚きつつ、彼が弱音を吐ける相手がいるであろうことに少し、ほっとする。
今日はいい息抜きになったのだろうと、今後も時々はこうした頼みを聞いてあげるのも、延いては上総のためになるかもしれないなと思った。
佐倉さん初登場。
作者のお気に入りのキャラです。
※15話と話を合わせるために、最後の佐倉さんのセリフを少し変えました。