赤い風
旧ポーランドのヴロツワフには、無数の小人の石像が存在している。正確にはドワーフと呼ばれる神話の小人であるのだが、元々は第一次冷戦時代、東側陣営であったこの国の芸術家が作ったものだ。それが時を重ねる毎に誰かが模倣して同じ物を作り、当初は百七十前後だったが、今は千体近くの石造りの小人達が旧市街を中心に隠れている。
そんな説明を通りがかったガイドから聞きながら、ソフィアは街をぶらぶらと歩いていた。その両腕には無数の紙袋がぶら下がっている。
先の作戦の後、二人はこの街の安宿を借りて滞在していた。理由は二つある。一つは、この街の郊外にあるNECの整備施設でブレイクの整備をしてもらう為。あの白いハウンドとの戦いで左腕を切られたハウンド・シャドウカスタムの修理は、飛鳥単独で出来るものではなかった。そこで彼の仲間とやらに頼み込み、施設を使わせて貰えるよう便宜を図って貰ったのだ。それの修理が終わるまでの待機と、もう一つはその仲間と会うことだった。これは飛鳥一人で行った為、残されたソフィアは気晴らしついでに街を散策していたのだった。
「んー、買い物も粗方終わったし、お昼ご飯食べて戻ろっかなー」
大量の紙袋を軽々と持ちながら目を移ろわせる。何と書いてあるかは何とはなしに分かるが、そもそも彼女はポーランドの名物なんて知らなかった。
「むむむ...、たまの外食、失敗したくないんだよなー...」
ただでさえ普段からレーションやエナジーバーのような(一部を除いて)味気のない物ばかり食べているのだ、ここでの失敗は必ず尾を引く。
眉間に皺を寄せながら熟考していると、後ろから叫び声がどんどんと近づいてきた。
「どわーっ!ど、どいてぇーっ!」
「えぇ?うおわぁっ!?」
声の方を振り向いた途端、背中に何かがぶつかったような衝撃が走った。そのまま体勢を崩し、その場に倒れ込む。
「ってて...、ちょっと、何さ!?」
「ご、ごめんなさい...、うわぁっ!?ちょ、ちょっとごめん!」
そう言うとぶつかってきた女は慌てて立ち上がって、同じく立ち上がっているソフィアの後ろに身を隠した。
「ねぇもう、何やってんの!?」
「姉さぁぁぁん!待てぇぇぇい!」
「うわぁぁ!来たぁぁぁ!」
ソフィアの正面から男が全速力で走ってくる。流石に観念したのか、女は叫ぶばかりで逃げようとはしなかった。
男は息を切らしながらソフィアの前で止まると、
「申し訳ない、姉が迷惑をおかけしてしまったようで...」
と息も絶え絶えに言う。そして女の手を掴んで、
「ほら帰ろう姉さん。皆待っているぞ」
「やだ!まだ帰らない!絶対怒られるもん!」
まるで駄々っ子のようにごね回る姿に若干引きつつ、ソフィアはそそくさとその場を離れようとする。だが女はソフィアの腕を握って、
「た、助けてぇ...」
と縋るように言うのだった。流石に見かねて、
「...何があったの」
と一応尋ねるだけ尋ねる。すると男は呆れたように首を振る。
「姉が...、その...、会社の機械を弄って壊してしまいまして。それで従業員から怒られるのを嫌がって逃げてたんです」
「だってぇ!あんなんじゃ全然遅いんだもん!」
「はぁ...」
内心で知らねぇよ...と溜息をつく。姉弟喧嘩など夫婦以上に犬も喰わない。話は聞いたし帰ろうとするが、運のないことにソフィアの腹の虫が咆哮を挙げた。それを聞いた姉弟は互いに顔を見合わせる。
「お昼まだなの?じゃあ一緒に食べよ!いいよね、一?」
「姉さん、アージンって呼べって言っているだろ?それにこれ以上の迷惑はかけられない」
「えー?いいじゃん。美味しいお店、いっぱい知ってるよ?」
腹の鳴った恥ずかしさのまま無視して帰ろうとしていたソフィアは、女が最後に言った言葉に後ろ髪を引っ張られた。
美味しいお店...。本当に知っているのならば、自分がこのまま探すよりよっぽど速く料理にありつける。長い長い思考の末、ソフィアは答えを出して、とても無理矢理な作り笑顔でそれを言った。
「いいよ。一緒にご飯、食べよ?」
同時刻、ヴロツワフの隅にある寂れたバーに、飛鳥はいた。周りに人気はなく、おあつらえ向きといった具合に店の照明も薄暗い。
「久しぶりだな、波音」
「良い店知ってるじゃねぇの、ニコル」
久々の再開は、グラス同士が重なり合う音から始まった。
ニコル・ラーガス。飛鳥の同志であり、無二の友人であり、最も信頼の置ける仲間である。元々はNEC内務省秘密情報局のエージェントだったが、飛鳥からもたらされた全世界核攻撃計画を知ってからはその阻止に奔走する事になり、個人の裁量に限界のある国家直属では難しいとして辞職、現在はフリーの情報屋として飛鳥や他の同志たちと協調している。
この男の前だけ、飛鳥は昔のような喋り方を解放していた。
「むぅ、このザワークラウト良く漬かってんな。めっちゃ美味い」
「それは俺が漬けたんだ。最近ハマっててな、色んな店に置かせてもらっているんだ」
戦友の意外な特技に手と舌鼓を打つ。
心底美味そうにザワークラウトを食べる飛鳥を眺めつつ、ニコルは話を切り出した。
「ムルマンスク襲撃成功、おめでとう。核はこちらで処分しておく。それと、お前の機体の整備と、別の核ミサイル基地の情報だな」
「悪ぃな、迷惑をかける。...それと、すまないついでにもう一つ頼みたいことがあってな」
そう言うと、飛鳥はジャケットの内から小型の情報端末を取り出して、こっそりとニコルに渡した。
「ムルマンスクで交戦した機体のデータだ。ガンカメラの映像だから分かりづらいかもしれねぇが、これの解析、頼まれてくれんか?」
「ん、了解した。...あぁ、なら、俺からも一つ頼みたい事がある」
手渡された端末を懐に入れつつ、ニコルも一つの写真を取り出した。
「近頃、NECの基地がとある傭兵団に度々襲われててな。兵員への被害は少ないが、情報が奪われている。雇元に流しているんだろうが、中々厄介でな。傭兵団の名はレッドウインド。リーダーは風峰零と風峰一。姉弟で分担して率いているらしい。こいつらを叩きのめして欲しい」
「レッドウインド?聞いたことはあるが...。だが、あれはスロバキアの民間用飛行機工場だったはずだぞ?」
「それは表向きの話だ。あそこの従業員の半数以上は裏で傭兵をやっている古強者だ。数はそれなりだが、リーダー二人の実力はそこいらの正規兵より遥かに上だぞ」
「知らなかったな...。それで、そいつらのアジトは?スロバキアか?」
「いや、傭兵として動く時の為用の別の拠点があるらしい。丁度この街の近くさ。もしかしたら街の中にいたりするかもな」
「さっきはほんっとーにごめんね!私が奢るから、食べて食べて!」
「ううん、いいって!いただきまーす!」
運ばれてきた料理に目を輝かせ、ソフィアはスプーンを忙しなく口に運ぶ。
「このビゴス?ってすごく美味しい!ノーリ、アージン、ありがとね!」
ノーリとは姉の方の名前である。彼らは二人で会社を経営しているそうで、ノーリ・ウインドとアージン・ウインドは迷惑料としてソフィアにおすすめの料理をご馳走していた。
ビゴスとは東欧やバルト地方で食べられる煮込み料理である。狩人のシチューとも揶揄されるそれは、ザワークラウトや肉類、ソーセージ、キノコ類を数日かけて煮込む伝統料理だ。
クリミア半島生まれのソフィアにとっては馴染みの薄い料理ではあるが、そのシンプルかつ奥の深い味にすっかり虜になりつつあった。
「でしょ!私もここのビゴスが一番好きなんだよねー」
「しかし、このザワークラウト...。いつもと味が違うな。これも美味い」
「あぁ、それはとあるお客様から頂いたもので...。市販のものより評判良いんですよ」
感嘆したような声を出したアージンに、通りがかった店員が答えを教える。
この短時間で三人、特にソフィアとノーリは非常に仲良くなっていた。二人とも生来の人当たりの良さがあったのだ。そんな者同士が相対すれば反発など起ころうはずもない。お互いが溶け合うかのように距離は縮まっていた。
「えー?じゃあソフィアって元々軍人さんだったんだ」
「うん...。今はやめて、普通の仕事してるんだけどね」
「何のお仕事?」
「...あー、運転...、かな?そう、トラックの運転手やってるの!」
「へー、凄いんだねぇ。私達は農家さんの飛行機作ってるよ。ね、アージン」
そんな他愛のない話をしつつ、ソフィアは少し疑問に思っていることがあった。
(ノーリ・ウインドにアージン・ウインド...。見た目は飛鳥みたいな日系人なんだけど...。ハーフなのかな?それにしても...。若いなぁ。もしかして十代?)
等と呑気な事を考えつつ、最後の一口を食べ終わる。大盛りを頼んだので結構な量だったが、大飯喰らいの彼女はぺろりと食べてしまった。
「あれ、もう食べちゃったの?速いなぁ」
「ふふん、軍で身についたことの一つだよ」
「ソフィアさん。改めて言うが今回の件、本当にすまなかった。償いにはなっただろうか」
アージンが改まって頭を下げると、それに釣られてノーリも謝る。流石に申し訳なくなったソフィアは、
「いや、いいって。それより美味しいお店を教えてくれて、しかも奢ってくれてありがと。また会えるかな?」
と困りながら言った。するとノーリは目を輝かせて、
「絶対会えるよ!だって友達でしょ?」
と天真爛漫な表情で言うのだった。その純真さに若干の眩さを感じつつ、二人と別れたソフィアは宿へと戻る。そこで丁度同じ頃に帰ってきたのか、部屋の前で飛鳥と鉢合わせた。
「あ、おかえり。仲間とは会えたの?」
「おかげさまで有意義な話が出来た。次の仕事のな」
「あれ、もう?そっか、もうそろそろ整備も終わるもんね」
「あぁそれと...」
飛鳥が手に持っていた紙袋をごそごそと探り出す。そしてその中から取り出した物を、ソフィアに手渡した。
「仲間が漬けたザワークラウトだ。余ってるからと押し付けてきた。すごく美味いが、俺は二週間はキャベツを見たくない」
飛鳥がげっそりとした感じで言う。あの後彼は古漬けだの浅漬けだの様々なバリエーションを食べさせられ、胃の八割ほどがキャベツによって制圧されていた。
「何か、色々な店に置かせてもらっているらしい。シェア率ナンバーワンを目指すんだと」
「スパイが漬物...」
色々突っ込みたいところはあるものの、とりあえず疲れた様子の飛鳥を部屋へと戻し、自分も部屋に入る。そのまま一人用のベッドに寝転がり、今日あったことを思い返してみたりする。
「ノーリにアージン...。楽しかったなぁ...」
そんなことを考えつつ、飛鳥から貰ったザワークラウトの瓶を開けて、中のキャベツを少し齧る。その味は彼女には覚えがあった。
「あれ、これあの店のと同じやつ?」
それから三日が経ち、二人は作戦会議をしていた。目的は傭兵団レッドウインドの殲滅、あるいは戦闘能力の排除である。
「今回はNECの駐留部隊も作戦に加わるらしい。立場上我々は好きにやるが、状況に応じて彼らと協働するかもしれないから気をつけろ」
「りょーかい...」
眠そうにソフィアが返事をする。
「仲間からの情報では、ここから南東に200km、カトヴィツェ郊外の廃工場に奴らの隠れ家がある。そこを襲撃し、リーダーである風峰零、及び風峰一を殺害、あるいは拘束する」
飛鳥の言葉と共にモニターに出された写真を見て、ソフィアは思わず愕然とした。写真の二人の男女は、まさしくあの日出会った姉弟だったからだ。
「ノーリ、アージン...!?」
「それは偽名だそうだが、名前をそのままロシア語とはセンスが無いな。しかし、何故知っている?」
ソフィアは言葉に詰まった。街をぶらついてたらたまたま出会っていたなんて、馬鹿らしくて言えそうもない。
だが、今の自分たちは協力関係だ。情報の隠匿は信頼に関わるし、何よりそれが命をかけるものであれば尚更だった。
「...三日前、会った。本当にたまたまで、一緒にご飯を食べて別れてそれっきり」
「...教えてなかったしな。仕方ない事ではあるが...。惜しい事をしたな」
飛鳥の言葉に、ソフィアは背中に寒気が走ったのを感じた。
「惜しいって?」
「その時知っていれば、排除も容易だったろうと言う事だ」
「っ!」
そうだ。自分はともかく、飛鳥にとっては敵なのだ。
そして彼と協力関係にある自分にとっても、もし戦場に出ればあの気の良い姉弟とも殺し合いをやらなければならない。
それが戦場に出るということなのだと、ソフィアは改めて実感させられた。
「それで作戦だが、まずNECの戦闘攻撃機が空爆を行い、その後地上部隊が突入し制圧する。NECの陸戦ブレイク部隊が北から攻めるので、我々はそれより先に南から侵攻、敵の陽動に務める」
脳が揺れるような感覚になりつつも、ソフィアは飛鳥の言葉を聞いていた。それは戦闘員としては何より優先されることだからだ。
「そしてリーダー二人についてだが...。拘束すれば向こうに引き渡さねばならん」
「...!」
やはり、か。とソフィアは心の中でため息をついた。
この時点で飛鳥は、ソフィアと風峰姉弟に何があったのか大体の検討はついていた。元よりソフィアは感情が豊かで、その思考はすぐに感情に出ている。隠そうとしても隠しきれていない。
それ故に、飛鳥は次善の策を考えていた。
「だが、こちらが彼らを殺したと言ってしまえば、奴らは追及してこないだろう。傭兵と正規軍の間には一種の自治権と言うか、互いに踏み込まないという秘密協定のようなものが存在する。今のご時世、正規軍を堂々と動かす訳にはいかない政府にとって見れば、傭兵の利便性を捨てる事は出来ないからな。だから...」
「私達が二人を捕まえれば、後はこっちで処遇を決めれる...、と?」
飛鳥はあくまで真顔を崩さずに首を少しだけ縦に振る。
「まぁ、あくまで本当に最後の手段だがな...。ニコルになんて説明すりゃいいんだ...?」
参ったとばかりに飛鳥が髪を掻き上げる。
一瞬本当に苦心した顔を浮かべるが、一つため息をついてソフィアに向き直ると、
「お前とあの二人に何があったのかは知らん。知らんから、俺に言ってくれ。俺は俺に出来るだけの事はやるから」
精一杯微笑を浮かべてソフィアに言う。
飛鳥がこの判断をしたのは、別にソフィアに情が湧いただけではない。未だ確固たる信頼関係を築けていない現状、早く絆したいという打算の上での判断だった。
それはなんとはなしにソフィアも勘づいていた。だがそれでも、飛鳥がその判断を取ったという事実に感謝を覚えた。
「うん...、ありがとね、飛鳥」
「...まぁ!仲間だしな。ほれ、腹を決めたなら機体の調整だろ。今から施設へ行くぞ、急げ!」
照れを隠すかのように飛鳥が指示を飛ばし、部屋から早足で出る。それにくすりと笑いながら、ソフィアはその背を追いかけるのであった。




