第3話 特災庁の影
特別災害対策庁――通称「特災庁」本部は、都心から少し離れた湾岸エリアにある。
巨大なコンクリートの建物は、外から見ると無機質だが、内部には最新鋭の装備と情報システムが並んでいた。
若手隊員・神谷隼人は、訓練室の片隅で黙々と装備の整備をしていた。
だが、耳に入ってくる上官たちの会話が、どうしても気になってしまう。
「三崎って男、まだ訴える気らしいぞ」
「弁護士がついたらしい。白石玲奈とかいう女だ」
「面倒だな。どうせ“不可抗力”で終わるのに」
神谷は工具を握る手を止めた。
(不可抗力……本当にそうなのか?)
あの日の戦闘が脳裏に蘇る。
怪獣の背後に住宅街があった。
攻撃の角度を変えれば、巻き込まずに済んだかもしれない。
だが、上官は言った。
――市街地の被害は許容範囲だ。撃ち続けろ。
神谷は、胸の奥に重たい塊が残っているのを感じた。
「おい、神谷。聞いてるのか?」
振り向くと、同期の隊員・村瀬が立っていた。
「お前、あの家の件、気にしてるんだろ?」
「……別に」
「嘘つけ。お前、戦闘中ずっと後方ばっか気にしてただろ」
図星だった。
村瀬は肩をすくめた。
「いいか、神谷。俺たちの仕事は“街を守ること”だ。
個人の家がどうなろうと、怪獣を倒せば正義なんだよ」
その言葉に、神谷の胸がざわついた。
(本当に……それが正義なのか?)
村瀬は続けた。
「それに、上は“問題なし”って言ってる。
つまり、問題はない。わかったか?」
神谷は返事をしなかった。
* * *
一方その頃、白石玲奈は資料の山と格闘していた。
「特災庁の作戦記録……公開されているのは、ほんの一部だけね」
怪獣出現時の行動記録、攻撃の種類、隊員の配置図。
どれも“公式発表用”に整えられたものばかりで、肝心な部分が抜け落ちている。
白石は眉をひそめた。
「……隠してるわね、これは」
そこへ、事務員が声をかけてきた。
「白石先生、三崎さんが来ています」
白石は資料を閉じ、応接室へ向かった。
悠斗は、少し疲れた表情で座っていた。
「どうですか……勝てそうですか?」
白石は率直に答えた。
「正直に言うと、まだ材料が足りません。
特災庁の内部資料が必要です」
「内部資料……そんなもの、手に入るんですか?」
白石は微笑んだ。
「普通は無理。でも、どこかに“綻び”はあるはずです。
組織というものは、完璧に見えて、必ずどこかが緩んでいる」
悠斗は頷いた。
「……お願いします。俺、あの日のことを“仕方ない”で終わらせたくないんです」
白石は真剣な目で言った。
「あなたのその気持ちが、一番の武器になります。
国家は大きい。でも、市民の声が無力だとは限らない」
その言葉に、悠斗の胸に小さな火が灯った。
* * *
夜。特災庁のロッカールーム。
神谷は一人、ロッカーの前で立ち尽くしていた。
手には、あの日の作戦記録のコピーがある。
(……これ、本当に正しいのか?)
記録には「市街地への被害なし」と書かれていた。
だが、神谷は見た。
自分たちの攻撃が、住宅街に向かっていた瞬間を。
そこへ、上官が入ってきた。
「神谷。お前、余計なことを考えてないだろうな?」
神谷は息を呑んだ。
「……いえ」
「いいか。俺たちの仕事は“怪獣を倒すこと”だ。
市街地の被害は、統計上の数字でしかない。
個別の家なんて、いちいち気にするな」
その言葉に、神谷の胸の奥で何かが軋んだ。
(……統計上の数字?)
上官は続けた。
「それと、訴訟の件だが――
余計な証言をするなよ。わかってるな?」
神谷は、返事ができなかった。
上官が去った後、神谷はロッカーに手をつき、深く息を吐いた。
(……俺は、何を守ってるんだ?)
その問いは、暗いロッカールームに沈んでいった。
* * *
同じ頃、白石の事務所の窓からは、夜の街が見えていた。
白石は独り言のように呟いた。
「特災庁……あなたたちの“影”を暴くのは、そう遠くないわ」
そして、机の上のファイルに目を落とした。
――怪獣災害補償請求事件(仮)
その文字が、静かに光っていた。




