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「処刑人生ツラ過ぎ。そうだ。断罪されに行こう」

作者: 鷹咲


 上質な掛け布団を跳ね除けるようにして飛び起きた。

 短く断続的に肩で息をして、必死になって酸素を肺に送り込む。

 天蓋から垂れたうすいレース生地の隙間からこぼれ落ちる朝日を確認して、【悪役令嬢】オルフェリア・カレンダルトは、絶望に満ちた18歳の誕生日がやってきたのだと自覚した。


「まただわ…………また、私は…………」


 汗でべたつく身体を抱きしめるようにして蹲った。深紅色のゆるくウェーブがかった髪が流れるように肩を覆う。

 

 実は今しがた、前世で断罪が行われたところなのである。


 前世と表現するのが正しいのかどうかわからないが、ともかく、一度死んで、生き返った。

 そんなことを繰り返して早――……何回目かしら。


 オルフェリアには、今の公爵令嬢の人生を歩む前に生きていた世界線があったことを覚えていた。現代日本、社畜OLの時の記憶である。

 無類のゲーム好きの友人から借り受けた乙女ゲーム『エンドレス・ワルツをあなたと共に』という、なんとも微妙なタイトルのソフトを渡され、興味本位でプレイしてみたのが運の尽き。

 気が付いた時には、そのゲームの世界に転生してしまっていたのだ。

 転生先の身体は【悪役令嬢】で、ヒロインとヒーローの仲を裂こうとする(と、いうか、婚約者を取られまいと意地悪をする)嫌な役回りをするキャラクターなわけだが、何が悲しくて人に嫌われるような人間に生まれ変わったというのだろうか。

 別にゲームにそんな思い入れもなかったしぶっちゃけ最後までプレイしていない。社畜なんだからプレイする時間なんてなくて当然。

 ということで世界観すらまともに把握していないのに、転生とかいう訳のわからないことになって、そして私は死に戻りを永遠と繰り返しているわけだ。


「私さっき死んだのよね。私、死んだのよね。死んだのになんでまた戻るのよ…………!」


 もう我慢の限界だった。

 断罪の方法は一つじゃない。火あぶり、水没処刑、ギロチン、絞首刑、串刺し、アイアンメイデンその他諸々よりどりみどり。

 断罪ルートを回避したくてどんなに頑張っても必ず処刑される運命を辿っている。

 死ぬのって普通に怖いし痛いし苦しいしえげつないし二度と経験したくないのに、たとえ逃げおおせたと思っても何かに試されているかのように、結局は最後に死ぬのだ。

 それも、決まって愛する婚約者の手によって。


 頭の中に思い浮かべるのは、愛してやまないのに、憎くてしょうがない婚約者。

 この国の第一王子であるシリウス・アルヴェステリア。

 全身を白と金色で統一した正装に身を包み、ミルクティー色の細くて柔らかい短髪を風にたなびかせながら、表情は一つも動かすことなく、冷たく透き通る晴天の色をした目がじっとオルフェリアを見下ろす――。

 その記憶は、毎度オルフェリアが死ぬ直前に見る光景だった。

 

 しばらく自分で肩を抱いて蹲っていたが、とある一つの名案が頭の中に急に現れて、オルフェリアは勢いよく顔を上げた。

  


「そうだ。シリウスに殺してもらおう」



 最期はあの人に殺されるという運命に抗えないなら、いっそのこと最初からあの人に殺されればいいのよ。


 決意が固まってからは早かった。

 善は急げとばかりにベッドから飛び起きたオルフェリアは、侍女を呼び寄せて外着に着替えると、アポイントメントすら取らずに王宮へ馬車を走らせた。

 顔パスなので入城に特別な許可はいらない。勝手知ったる城の中を、令嬢のマナーなんか無視してばたばたと駆け回る。

 目的の部屋の前についてもその勢いは消さずに、ノックもせず扉をあけ放った。

 

 

「シリウス! 今すぐ私を殺して頂戴!!」

「はい?」



 執務机に積み上げられた書類から顔をあげたシリウスが、驚愕で目を見開く様子を視界が捉える。

 暫くその場に静寂が訪れる。いや、正しくはオルフェリアの荒い息遣いが静かな空間でやたら目立って聞こえていた。

 シリウスは無言で立ち上がって、オルフェリアの手を取ってソファに座るように促す。

 

「唐突に来て早々、そんな妙ちくりんなことを叫ぶなんて、いったいどうしてしまったというんだ」


 オルフェリアの隣に腰かけて、顔を覗き込むようにしてシリウスが隣に腰掛ける。取られた手は握られたまま、オルフェリアのおでこにそっとシリウスの空いた方の手が当てられた。

 

「熱は……無いよね……?」

「……っ!」


 どうやら手ではかるには疑問が多く残るようで、シリウスはおもむろに顔を近づけて額同士を合わせてきた。

 驚いて身体を硬直させるオルフェリアだが、そんな反応をしてしまうのも無理はないだろう。

 なぜなら――


(え? こんな扱い、受けたことありませんけど???)


 まさかこんなことになるだなんて思っていなかっただけに、拍子抜けしてしまって言葉も出ない。

 彼は額をくっつけた状態で眉間にしわを寄せ、晴天の目をすっと細めた。オルフェリアの深緑色の目を捕える。

 その瞬間、呑み込めていなかった状況を一気に理解して、オルフェリアは全身を真っ赤に染め上げた。たぶん漫画だったら「ボンッ」という効果音がついていたに違いない。


「ちょっと熱いな?」

「…………」


 真っ赤になったオルフェリアをからかうように、にやりと口角をあげる。

 何も言い返せない婚約者を、照れと受け取ったのかシリウスはちゅっ、ちゅっと顔面にキスの雨を降らせてきた。

 焦って身をよじれば、今度は力強く両腕で抱き締めてくる。これはさすがに逃げられない。


「!? し、シリウス……!?」

「君を殺せるわけないだろう。変なことを言うのはよしてくれ、全く……君のせいで今日の公務はもう取りやめだ」

「えっ!?」

「当たり前だろう。今の一言で俺はひどく驚いたし、……傷付いたんだ」


 抱き締められたまま、ソファにあおむけに寝転がるシリウス。自然とオルフェリアの身体は彼の上にのしかかるような体勢になって、さらに慌てふためいた。


「傷付いた……って」

「こんなにも君を愛しているのに、君はそれを理解してくれていなかったということだろ? そんなことを言われて、俺が傷付かないとでも?」


 まっすぐこちらを見据えるシリウスの顔をじっと見つめて「いや、むしろ傷付いてきたのは私の方ですけど?」という言葉を必死になって飲み込む。

 いったいなにがどうなってこうなってしまったんだろうか。

 目の前にいるシリウスは、今まで見たことがないぐらいにオルフェリアに優しく、紳士だ。

 何十……いや、何百……ともすると何千……は、盛りすぎかもしれないが、嫌というほど繰り返してきた18歳から断罪されるまでの約二年間、彼は一度も、心の底からオルフェリアに好意を寄せたことはなかった。

 そりゃそうだろう。人を貶すような言葉遣いをするし、我儘で自分勝手で、人を振り回すような人間が政略結婚の相手なのだから。愛情なんか持てるはずがない。

 悪役を回避しようと善人ぶってみたこともあるけれど、結果はお察しの通りだったので、いちいち18歳までの自分像を払拭することももうやめている。

 だからこそ、彼が嫌う人間性のままのオルフェリアに、こんなにも深い愛情表現をしてくるシリウスの態度が不可解なのである。

 

(もしかしてゲームに隠しルートが存在したとか……?)


 思い返してみれば、この繰り返される断罪劇は、プレイヤーの操作に左右されるような展開になっていた気がする。

 トゥルーエンドとやらを迎えるために、様々な選択肢の組み合わせを試す。繰り返されるバッドエンドの中に、たった一つだけ存在するハッピーエンド。


(こんなことならしっかりゲームやっておくんだった……)


 こんな溺愛にも似た選択肢が存在するなんて知らなかった。余計に処刑が怖くなる。死ぬのが怖くなる。目が覚めるのが嫌になる。

 もう終わってほしくなる。


(……いえ、これも何かの選択肢に違いない。なんかこう、きっと、殿下の愛を受け入れるてきな選択肢が今、画面上に存在しているに違いない)


 だめよ。そんなものを選んでは。


(プレイヤーがどこの誰かは存じ上げませんが、私は私の人生を自分の選択肢で終わらせるまで死ねませんので!)

 

 心の中で叫んでから、シリウスに乗っかっていた身体をぐいと起こす。ぱちくりと開いた晴天を見つめて、オルフェリアはもう一度叫んだ。


「あなたが傷付こうが傷付かまいが私にとってはどうでも良いことです。なんでもいいから今すぐさっさと私を断罪なさい!」


 


 ***



 

 そんな騒動を起こしたのが一週間前。

 今現在はなぜか王宮の医務室のベッドで寝かされている。


(どうしよう。今回の人生、ぜんぜん先が読めない)


 あの後、本格的に私の頭がおかしくなってしまったと勘違いしたシリウスが、顔面を青とおりこして真っ白にしながら私を抱き上げてここに放り込んだというわけだ。

 現代のような医療がそろっているわけもなく、どちらかというと中世ヨーロッパ的な世界観の医療といえばたかが知れている。簡単な質疑応答に、頭脳や神経のテストを経て、正常であることを通達されたのが昨日。

 そして大事を取ってもう一日王宮で過ごすようにと言われ、退屈な一週間を耐え抜いて、本日は退院日である。

 シリウスは時間の許す限りオルフェリアに会いに来ていた。

 リンゴを剥いてくれたり、ボードゲームをしたり、他愛ない雑談をしたり。彼の言葉の端々に感じられる、オルフェリアが退屈しないようにという配慮にうっかり絆されそうになってしまう。

 こんなに愛してくれるってことは、もう断罪を回避できたんじゃないかという一筋の希望さえ抱いてしまう。

 

 でも、オルフェリアには似たような過去を既に経験していた。

 今回のような、あからさまな溺愛には程遠いが、たった一度だけシリウスの心を手に入れられそうになった瞬間があったのだ。


(その時の私は、シリウス殿下に愛されれば断罪を回避できると思っていたのよね)


 冷たくあしらわれる人生だったけれど、ひょんなことからシリウスの秘密を知ってしまったのだ。

 それは〝ぬいぐるみが好き〟なこと。

 男性で、しかも次期国王で、そんな可愛らしい趣味を持っているというのは誰にも知られたくなかっただろう。現に、シリウスの側近ですら把握していないシリウスの趣味嗜好である。


(私もかわいいものは大好きだったから、シリウスが欲しがっていた限定品のテディベアを買いに行って、こっそり渡したっけ。ヒロインはその秘密を知って引いてしまって、好感度が駄々下がりになった。そこにつけいって、断罪を回避しようと思ったのに)


 結果は、以下略である。うまくいったと思ったのに、結局、オルフェリアがヒーローと呼ばれるキャラクターに愛されようと奮闘した結果愛されてしまうと、どうやら断罪ルートに入ってしまうらしい。

 だから今、愛されようとしてシリウスに心を許してしまった時点で、もれなく断罪ルートへ一転直下なわけである。

 たまったもんじゃない。


「早く殺してくれないかな……」

「まだそんなこと言ってる」


 白い天井をうつろな目で見上げて呟いた言葉を、ばっちりシリウスに聞かれてしまって今度はオルフェリアの顔が青ざめる番になった。

 やばい。退院日を伸ばされる。


「わ、私の頭は正常よ。シリウスには理解できないかもしれないけれど、身体も健康体そのものだったでしょう?」

「そうだけど、言ってる言葉が物騒過ぎるんだ」

「っ……!」


 上半身を起こした状態で、ベッドに凭れていたオルフェリアのすぐ近くに、シリウスが腰掛ける。ずい、と顔を近づけられて、後ろに下がりたいのに後頭部はすでに壁にくっついるせいでそれは叶わない。逃げ場がない。


 なんのためらいもなくシリウスの唇がオルフェリアのそれをふさいだ。バードキスを何度か繰り返して、解放される。

 顔をあげられなくて俯いたまま、ぷいと彼と反対の方に顔を背けた。


 突然の愛情表現は、どうしていいかわからなくなるから困る。抵抗するべきなんだろうけれど、そういう時は不思議と身体が動かないのだ。

 さっきだって、キスされる前に唇を手で塞げばよかったのに、咄嗟にそうできないのが地味に不便で仕方ない。


 ドキドキと高鳴る心臓を押さえて、ベッドの上でじりじりと距離を取る。シリウスも負けじと距離を詰めてきた。隙をついてベッドの反対側から逃げようと思ったのに、タイミングをはかるのがうまいのか両手をついた瞬間に腰を抱かれて引き戻されてしまった。

 そのままシリウスの腕の中で固定されてしまう。


「シリウス……っ!」

「君が逃げるから悪いんだろ」


 怒気を含ませた声で牽制するも、腰に回された腕は離れる気配がない。


「俺が君をどれだけ愛しているか、わからせてやってもいいんだよ」


 耳元で囁くように、意地の悪いことを言う。ああ、もう、そういうことを言うのは本当に、よしてほしい。 

 オルフェリアは抵抗をやめて、両手で顔を覆った。髪の色と同化してるんじゃないかと疑ってしまうぐらいに、上気した頬を見られるのが嫌になったからだ。

 これ、もう断罪ルートを回避できそうにないな。愛されちゃってるもん。


(それならばせめて、処刑は一瞬で終わらせてほしい……)


 水没処刑がいちばん嫌だ。苦しいのが長く続くのは勘弁願いたい。どうしよう、処刑方法の希望を今から伝えておくという選択肢とかないかな――


「シリウス様! こんなところにいらしたのね!」


 割と本気でどの処刑方にしようかと迷っていたところに、突然、女性の甲高い声が響き渡った。


「……ティアナ」

 

 〝ティアナ〟

 シリウスの声が一段低くなって呼んだ名前に、オルフェリアははっと目を見開いた。

 ティアナ・リゼット男爵令嬢――この世界のヒロインの名前だ。

 彼女はいつもなんのマジックを使っているのか、必ずシリウスの心を射止めて自分のものにする。そうしてオルフェリアを断罪する流れにもっていくのも彼女の役回りだ。


 不機嫌なシリウスの声は何度も聞いて慣れているが、この声音でティアナの名前を呼ぶのは初めて聞いた気がする。

 ずかずかと医務室に入ってきたティアナは、シリウスに抱き締められているオルフェリアの姿を確認すると、肩眉をきゅっと上げて口をへの字に曲げた。


「あなた死にたいの!?」

「むしろ殺してくれない!?」

「バカを言うなオルフェリア!」


 この際ヒロインでもいいわ。私を殺してくれていいから、早いところこのうんざりするような死に戻りをリセットさせて。

 どうせもう三次元世界に戻れるわけがないんだから、この世界で成仏させて。そろそろ私を解放してよ。


 ティアナが眉間にしわを寄せたままオルフェリアの腕を掴んで、べりっとシリウスから引きはがした。なにその腕力。怖い。その細い腕のどこからそんな力が出てんの。

 シリウスと二人しておっかなびっくりしていると、ティアナはなぜか私の身体を労わるようにして抱き締め、シリウスに鋭い眼光を投げかけた。


「あなた、オルフェリアを死なせたいの!? もっと身の振り方を考えなさいよ!」

「へ…………」

「てぃ、ティアナ…………?」


 ヒロイン? あなたこの世界のヒロインじゃなくて??

 今から心を射止めようとしている殿方に対して、とんだ口ぶりである。しかも第一王子に向かって、なんという口の利き方……。ここに側近がいたら、不敬罪でティアナの首が飛んでいたかもしれない。 

 状況を飲み込めなくてひたすらぽかんとティアナを見つめていたが、彼女はわざとらしく「ふん!」と言って、オルフェリアの腕を掴んで医務室を出た。シリウスは追ってこなかった。


 ティアナに連れて行かれるがまま、王宮のガゼボに足を踏み入れた。備え付けられた椅子に腰をおろす。

 まだ機嫌が直っていないのか、ぷりぷりと怒ったままのティアナが目の前の椅子に腰掛けた。ピンク色のロングヘアを、さらりと手ではらって背中側に流す。綺麗な卵型の顔の輪郭、長いまつげ、ぱちりと開いた瞳の色はアーモンド色。


 なんと声を掛けるべきか迷っていると、先に口を開いたのはティアナの方だった。


「あなた、殿下に愛される選択肢を取っても死ぬ、って、わかっててやってるの?」

「――……どうしてそれを……?」

「やっぱりこの世界の仕組みを知ってるのね。まぁ、私もここがゲームの世界だって思い出したのは今日だったんだけど。私、略奪愛って嫌なのよね。倫理観バグってんじゃない? このキャラ。ほんと嫌だわ」

「………………」 


 え? 同じ世界に転生者が2人もいるの? しかも、口ぶりからして同郷よね? そんなミラクルある?


(この世界の事情を知っている人間が、私以外にもいたんだ)


 その事実に、気が付けば両目からどばっと水が大量に流れ出た。ぎょっとしたティアナが大慌てでハンカチをオルフェリアの顔面にこすりつける。

 この苦しみを分かってくれる人がいる。理解してくれる人がいる。ティアナのハンカチを両目に押し当てながら、いや、と思い返した。

 ティアナが転生に気が付いたのは今日だと言ってたじゃないか。

 真にこの死に戻りの苦しみを理解はしてくれないかもと思ったら一瞬で涙が引っ込んだ。


「なんなのよあんた。どうしちゃったの」

「あなたが私の苦しみを理解してくれなくてもいい……っ! とにかく話を聞いて!!」

「へっ?」


 ティアナの両肩をがっしりと掴んで、これまでに起きたことをあらいざらい全部喋った。

 ゲームのことはよくわからないが、こういう時ってだいたい喋れない制約とかあるんじゃないの? って後から疑問が沸き出て来るぐらい、何もかもをティアナにぶちまけた。

 あっけにとられていた彼女も、私が何千回と死んで生き返っているという話をしたら「何千は盛りすぎよ」と言いながらも、オルフェリアの想像を絶する経験に顔は青ざめていた。


「もう断罪処刑されるのは嫌なの。だから私、シリウスに殺してもらおうと思って彼の元を尋ねたら、あれ、なんていうの、溺愛ルート? が、始まっちゃったってわけ」

「殺されに行ったの???」

「そうよ。どうせ殺されるんだもの。それが今なのか二年後かの違いなだけじゃない。しかも断罪のきっかけはティアナだし」

「まぁね。私がシリウス殿下を誘惑して寝取って、あなたを処刑に導く役目だもの」


 ティアナが、ゲーム中に殺されに行くとかいう選択肢なんかあったかな、と首をかしげている。

 隠しコマンドのようなものかもしれない、乙女ゲームに隠しコマンドなんてあるのか、など結論の出ない議論を繰り返すうちに、気が付いたら空がオレンジ色に染まっていた。


 どうやらティアナも、今回オルフェリアが取った選択肢のパターンは知らないらしく、しかもゲームの世界ではオルフェリアがシリウスを誘惑して愛されることはあっても、シリウスが自らの意思でオルフェリアを愛するストーリーは存在しないという。初耳なんですけど。

 ティアナの中の人の自我が目覚めたのも、オルフェリアのイレギュラーな選択のせいなんじゃないか、という仮説を立てた。

 二人とも物語の展開に心当たりがないのだから、これ以上、話し合いのしようがない。


「まぁ、一つ言えることは、私は貞操観念が無い人間が大っ嫌いだから、シリウス殿下を寝取ることは100%あり得ないわね」

「自ら処刑人を退いてくれてありがとう」

「誰が処刑人よ」


 ティアナは清廉潔白でいじらしいキャラクターだったはずだが、中身はややおっさんくさい人間が入っているらしい。ばしばしと背中を叩かれながら、安心なさいなと何度も言われた。


「少なくとも私がきっかけで断罪は行われないわよ。ただ、あんたが言うようにどれだけ回避しようとしても結局断罪ルートに入ってたんなら、今後も油断は禁物よ。もしかしたら、生き延びるきっかけが突然現れるのかもしれないし……わかんないけど……あんまり不安にならないことね。あと、殿下に殺されに行かないようにすれば完璧」

「どのみち殺されるんだから今、殺してくれたらいいのに……」

「そういうこと言わない。せっかくだから存分に愛されてから死になさい」

「そこは生き延びろって言ってよ」

「ほんとわがままね。…………ほら、迎えが来たわよ」

「え……」


 ティアナにうながされて視線を上げると、城の柱の向こうでちらちらと金髪が風で揺れているのが見えた。様子を窺っていたのだろう。


「シリウス殿下が自分の意思であんたを愛してるなら、今回ばかりは生き延びられるって信じてみるのもありかもよ」

「ティアナ……自分は断罪されないからって……」

「あんたの絶望を完璧に理解はしてあげられないけれど、なんとなく、これが隠されたトゥルーエンドなんじゃないかって思い始めてきたわ。だから信じてみなさいよ。じゃあね。もう二度と会うことはないでしょうけれど、あんたの幸せを願ってる」

「ありがとう、ティアナ。あなたに会えてよかった。でも二度と会わないとかはなしで。これからも会って私の生存確認して」

「今、感動の別れのシーンだったわよね??」

 

 ったく、とんだ悪役令嬢だわ。

 そう言ってあきれた様子で笑いながら、ティアナがひらひらと手を振った。


 「しょうがないから手紙ぐらい書いてあげるわ。それじゃ、()()()

 「またね」

 

 目は合わなかったけれど、オルフェリアも小さく手を振って理解者の背中を見送った。こんな奇跡的な縁を切り離してたまるもんですか。

 しばらくガゼボの前で立ち尽くしていたが、ティアナの「信じてみるのもありかもよ」という一言を思い返して、オルフェリアはシリウスの方にむかって、重い足をゆっくりと動かした。


「……オルフェリア」


 少し離れた場所で立ち止まる。ぱっと上げた顔は心配そうに眉を下げていて、彼は腕に引っ提げていたコートを広げた。


「外は寒かっただろう。君のそばに寄りたいんだが、良いだろうか……」

「…………うん……」


 さっきまでの威勢はどうしたんだろうか。急にしおらしくなってしまって、一度だけなら好意を許してもいいかと、オルフェリアはゆっくり頷いた。

 ぎこちなく肩にかけられたコートからシリウスの香りがして、思わずそっと深く吸い込んだ。そのままぎゅっと優しく抱きしめられる。


「ティアナとなんの話をしていたんだ」

「……自分から殺されに行くなって言われた」

「まったくもってその通りだ。ティアナもたまにはいいことを言うじゃないか」

「たまには……?」


 妙な言い方が気になって顔をあげる。ちゅっとキスが降ってきて、迂闊なことをしたと赤らむ顔を隠すようにコートに頭を埋めた。


「ティアナは愛らしくて華奢で、庇護欲を掻き立てられるような人間性だが、どうもきなくさいなと思っていたんだ。裏表が激しいタイプというか……。今日の様子を見て、それは確信に変わったんだがな」

「ああ……」


 あながち間違ってない。ティアナの中の人が目覚める前のキャラクター像は、ゲームに則った性格をしているから、シリウスがギャップを感じるのもしょうがないことだろう。


 シリウスに肩を抱かれながら、城の中に入る。思ったよりも身体が冷えていたようで、室内に入った途端にあたたかい空気に全身をじんわりと包み込まれる感覚がして、とても居心地が良いと思ってしまった。

 そのままさも当然かのようにシリウスの寝室に連れて行かれ、あら? と首をかしげる。

 彼の寝室は誰一人として立ち入りが禁止されている、いわば聖域のような場所。

 

「シリウス」

「……実はね、君が俺に殺されたいと言った理由を、俺は理解していたり、する」

「はい?」


 今度はオルフェリアが目を丸くする番だった。


「以前、君に俺の〝秘密〟がバレたことがあるね」

 

 寝室の扉が開かれる。目の前に広がるぬいぐるみ天国。

 その中に、あるはずがない、いつぞやの前世でオルフェリアがこっそりとあげた限定品のテディベアが、ベッドの中央に鎮座しているのが見えて、思わず駆け寄って手に取った。


「こ、これ、どうして」

「さあ。俺も原理はわからない。だけど、君がくれた時からずっとここにある」

「……シリウス、あなた」


 オルフェリアの深緑の瞳が、シリウスを凝視する。

 気丈に振る舞っていたシリウスの表情がどんどん崩れていく。


「辛かっただろう。俺にはどうしようもできなくて、本当にごめん。君を殺したくなかったのに、身体が言うことを聞かなかったんだ」

「嘘…………」

「本当はティアナとの会話を一部だけ盗み聞きしてしまったんだ。まさかすべての記憶が残っているとは思わなくて……合わせる顔がなかった。だけど、君を愛しているのは本当なんだ。だって俺は、オルフェリアが『殺してくれ』と言いに来てくれて、本当は飛び上がりそうなほど嬉しかったんだから」

「……、?」


 なぜ。

 戸惑いと混乱のせいで、その一言さえ口から出てこなくて、ただオルフェリアは首を横に傾げるしかできなかった。テディベアを腕に抱いて、シリウスの言葉を待つ。


「俺は、制限されている自分の言動を解除する方法を知ってた。――オルフェリア、君が自らの意思で、俺に断罪を請うことだ」

「!」


 いよいよどう返事するのが正解かわからなくなって、ベッドの淵に腰を落とした。いや、半分腰が抜けた、というのに近いかもしれない。ただひたすら目の前に立つシリウスを凝視する。


「信じてもらえないかもしれないが、君がテディベアをくれたその日、夢の中でそんな啓示を受けたんだ」

「…………」

 

 人生が強制的にリセットされてしまう世界なんだ。そんな啓示を受けたと言われても、何の違和感もない。

 声が出なくなってしまった私を労わるように、背中を撫でながら丁寧に今までのことを説明してくれた。

 曰く、私を殺したその日に寝て覚めたら、オルフェリアの18歳の誕生日に戻っている。

 というのを、テディベアを受け取った日から今日までずっと繰り返していたらしい。


「君が俺の趣味を受け入れてくれた時から、本当はずっと君のことが好きで好きで仕方なかった。だって、気持ち悪がらずに、何もかもを許容してくれたうえに、この子までプレゼントしてくれただろう」

「……ええ……」


 いとおしそうに、オルフェリアの腕の中にいるテディベアの頭を撫でる。

 まさか「あの時はもう断罪されたくなくて取り入ろうとしていただけ」というのは口が裂けても言えまい。

 きゅっと口を真一文字に結んで、ちらりと隣に座るシリウスを見やる。


「…………ティアナは、あなたを寝取ることはしないと言ってたけど……」

「俺だってオルフェリア以外を娶る気はないよ」

「……でも私、どんなに努力しても、あなたに……殺されることを、止められなかった……」

「オルフェリア」


 今までの苦しかった思い出が、走馬灯のように流れていく。どうしても避けられなかった断罪。処刑の数々。希望が消える瞬間。期待して裏切られて打ちのめされた記憶。

 望んでもいない世界にやってきて、よくわからないまま勝手に物語が進んで、何度も殺されて、何度も生き返って、そのたびに絶望にうち震えた朝。


 ぼろぼろと流れる涙を、シリウスが一生懸命に拭ってくれる。


 思い返すたびに胸が痛むのは、オルフェリアというキャラクターが、シリウスのことを愛してやまないからだ。

 実際に、何がきっかけで、いつから愛していたのかはもう定かではないし、ゲームの攻略本を読んだわけでもないから知りようもないのだが。

 それでも心の奥底でずっと抱いていた一方通行の思いの欠片が残っていた。


「オルフェリア、すまない。だけどもう、俺が君を殺すことはないから」

「まだ、信用できない」

「そうだよな。でもこれからずっと、オルフェリアの隣にいるから。俺が君を死なせない」

「うぅ……っ」


 とめどなく流れる涙。泣きじゃくるオルフェリアを、ただひたすらシリウスが抱き締めてあやす。

 もう断罪されない……かもしれない可能性を、自分を殺し続けてきた人物の口から聞くことができた。それだけでも救われたような気持ちになって、涙が止まらない。

 ティアナの言う通り、今回ばかりは希望を抱いても良いんじゃないだろうか。

 ああ、でも、やっぱり怖い。突然、何かをきっかけにすべてがなかったことになるかもしれない。

 恐怖心をなんとかしてほしくて、オルフェリアはシリウスの胸元に頭を摺り寄せた。


「大丈夫。オルフェリア。何があっても俺が君を守るよ」

「もう私を殺さないで……」

「もちろん。約束する。絶対に、君を殺さない」


 強く抱きしめてくれた背中に腕を回して、同じぐらいの力でシリウスの身体を強く抱き締め返した。

 シリウスがゆっくりと身体を倒した。家のベッドよりも上品なベッドシーツに大人しく身を沈める。

 オルフェリアの頬にのこった涙の痕を、シリウスはゆっくりと撫で上げて、目頭にキスをした。


 この世界に来て、初めて幸せを感じた気がする。

 安堵と少しだけ残る恐怖と、泣きつかれたせいで瞼が重くなってきた。


「……寝て起きたら、すべてがリセットされていたりして……」

「怖いことを言わないでくれよ。……今夜は一緒に寝てくれ、オルフェリア」

「うん」


 寝心地の良い場所を探すように、もぞもぞとシリウスが身じろぎした後、オルフェリアの身体をもう一度しっかり抱き直した。

 オルフェリアもシリウスの胸元に頬を寄せて、テディベアをしっかりと抱き締める。

 少なくともあと二年は油断はできないだろう。

 

 だけど、もしもこれがトゥルーエンドなら、どうかこのままエンドロールを迎えてくれますように。 

  

 


 

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