回答編、その④:彼女の逆鱗
「だから、報告書に私情を書くなとあれほど……」
「あはは……そこはもう、警部に慣れていただくしか」
とうとう開き直ったアンに、ツヴェルクは長いため息を吐いて、観念する。
「それはさておき……今回もお手柄だぞ、名探偵。事件も『無事に』解決したな」
「無事……ですかね?」
「死人はひとりも出ていない、怪我人は……あの吸血鬼が殴った相手は、まあ軽傷だな。人並みに手加減とかできたのか」
「いつも手加減してますよ。僕と交わした〈契約〉で全力が出せませんから」
「そりゃいい、まるで飼い犬の『首輪』だな」
わざと小バカにするように、けらけらと笑った。
「警部……なんでヒリングが嫌いなんですか? 吸血鬼がですか? 亜人に恨みでも? それとも、単純に性格が悪いんですか?」
「最後以外だな、俺ほど性格がいいお姉さんはいないぜ」
「たしかに、いい性格はしてますね……」
そう言えば、とツヴェルクは事務所を見回す。
姿は見せずとも、常にアンの傍に控えているはずのヒリングが気配も感じさせなかった。
突入の際のように気配を隠しているわけではなく、本当に不在らしい。
「あいつ、いねえのか?」
「ちょっと、食材を買い出しに行ってもらってます。聞かせたくない話題があって」
「お、お? 血か? ついに人間でも攫ってくんのか? お?」
「はあ……普通の食材ですよ。亜人差別なんて、いまどき流行りませんて」
「お前は直接、あいつらと対峙したことがないから、そう言えんだよ。亜人がその気になれば、俺たちは力じゃ敵わねえ」
「だから、知恵を使うんですよ。暴力じゃなくて、対話のために」
「はんっ、信用し過ぎて寝首をかかれんなよ。殺されてからじゃおせえ」
水かけ論だと悟ったのか、アンが嘆息で話を切り上げる。
「ところで――ツヴェルク警部、事件はまだ解決してませんよね?」
彼女が一転して、冷ややかな声を発した。
相棒をバカにされて腹を立てたのかと思えば、そうではないらしい。
「なに言ってたんだ? 犯人は逮捕されただろ?」
「まだ〈竜の逆鱗〉を市場にばら撒いた真犯人が、逮捕されてませんよ」
「たしかにバイヤーはまだ捜査中だが……この件とは無関係だ。新型魔道具が出回った時期と、たまたま重なっただけだろ」
「物事にたまたまや、偶然はありません」
アンはきっぱりと言い放つ。
ツヴェルクは軽口も返せず、バツが悪そうに沈黙してしまう。
不気味で仕方なかった。
彼女がこの場から――護衛のヒリングを離席させていたことが。
「僕の記憶によるとあの夜、警部は『〈竜の逆鱗〉が入った箱』を新型魔道具から素早く遠ざけました、ですよね?」
「そりゃ……当然だろ、発火したら危ないからな」
「危ない? どうして危ないと思ったんですか? 僕はまだあの時点で新製品としか言ってません――おかしいですよね?」
「ああ……いや、俺は葉巻を吸うんだぜ。事件とは別に、新型魔道具が着火装置だと知っててもおかしくねえだろ」
「いいえ、警部は魔術師です――『火をつけるのに、道具は使わない』。知っていたとしたら事件絡みです。
そしてあの夜、わざわざ僕たちの目の前で〈竜の逆鱗〉を吸った。まるで、行き詰った僕にヒントを出すように」
決定的なひと言を、アンはさらにダメ押しする。
「――警部は最初から、『事故』が『事件』だと知ってたんじゃないですか?」
「なあ、アン……お前どこまで気づいてる?」
促されるまま真相を語り始めたアンは、楽しげな探偵モードとは乖離していた。
「警部はあの工場で〈ピストゥ〉が製造されているとわかっていた。
でも〈禁忌〉技術は〈教会連盟〉の管轄だから、報告すると手柄を横取りされてしまう。
そこで、魔石に反応する〈竜の逆鱗〉をわざと市場に流通させ、魔道具の誤作動に見せかけた――」
ツヴェルクは否定も肯定もせず、アンの推理を聞き入っている。
「――裏で〈禁忌〉を作っている社長は、警察には相談できない。だから探偵である僕に依頼が舞いこんで来た。真相に気づいた僕が工場に踏み入って尻尾を出したところを、現行犯で逮捕できるようにした」
アンはひと呼吸置いて、推理の最後をこう締め括った。
「――この事件の〈ホワイダニット〉、【問題:ある魔道具の連続発火事件が起きた、なぜか?】、【答え:犯人を炙り出すため】。ここまでが僕の推理です」
「あーあ……忠告したよな? 『推理を頑張り過ぎんな』って」
ツヴェルクの声もまた、薄氷の張った真冬の湖底のように冷たく沈む。
それでも、アンはまるで動じず、逆に氷を溶かさんばかりの剣幕で言い返してきた。
「僕の推理は誰かの弱みを握ったり、貶めるためじゃない。ですが、〈竜の逆鱗〉のせいで火傷を負ったり、火事になって家を失った人もいる。死者が出る可能性だって、十分にあった。
それこそ、軽傷で済んだのはたまたま……偶然なんですよ!」
「なあ、アン。アンブレラ嬢ちゃんよお、聡明なお前のことだ。当然この〈魔力回復薬〉の『違法な用途』も知ってて言ってんだよなあ?」
まさにその一本を長机に置き、ツヴェルク側も一歩も引かない。
「魔術師以外に、原則売買は禁じられています。耐性の弱い人がいっぺんに魔力を摂取すると重度の『魔力酔い』――泥酔状態に陥り、多幸感を得られるから」
薬と毒に、明確な線引きはないらしい。
あるとすれば人にとって有益か、有害か、それだけで分けられている。
「そいつが違法行為だと、知ってて買うようなクズだぞ。利用してなにが悪い」
「――人が死んでたかもしれないんだ! 悪いに決まっている!」
アンが、長机に両手を付いて立ち上がり、声を荒げた。
いつも穏やかな彼女の激情に、ツヴェルクは箱に火が燃え移るかと思ったほどだ。
「……すみません、ついカッとなって、大声を」
「どうやら……お前の『逆鱗』に触れちまったみてえだな」
「僕は、協力関係を抜きにしても、警部のことが嫌いではありません。僕が独断先行して地縛霊と戦った時――すごく心配してくれたから」
「さあ、なんのことやら」
「ツヴェルク警部にあまり、手を汚してほしくないんです……本当は優しい人だから」
「俺が優しい? お前に死なれちゃ、出世に困る。理由はそれだけだ」
「本当に……それだけですか?」
「買いかぶり過ぎだ。俺は自分の『目的』のためなら、平気で他人を利用するぜ。アン、お前が一番嫌いなタイプの人間だ」
私情の『復讐』に、巻き込むわけにはいかない。
ここらで突き放してやるべきだ、と思ったのだが、返答は意外なものであった。
「なら……僕のことも、用が済んだら使い捨てますか?」
「忘れるな。吸血鬼を抱えた探偵なんて危険分子、俺がその気になれば、いつでも尻尾は切れるんだ」
「そうしたら、切れた尻尾が怒って、竜の首を絞め殺してしまいますよ。警部の僕を見る目、ヒリングの好意とも違うんです。まるで――」
脅しているにしては、その声はあまりにも、か弱くて。
しかも、自分の身の心配より、あくまでツヴェルクが身を滅ぼしてしまうことを案じている。
寂しそうな青の瞳が、言外にそう訴えている気がした。
「……これで話は終わりだ」
この時、アンと真っ直ぐ目と合わせる自信がなくて、ツヴェルクは逃げたのだった。
【今回の総括】(ところどころ消されたメモを、当時の会話から再現)
・〈竜の逆鱗〉をばら撒いたのは、警部本人であった。
・〈禁忌〉技術を作った犯人を炙り出すために、違法な〈魔力回復薬〉の取り引きを利用したのだ。
「警部――僕のこと誰かと重ねてませんか?」
乱暴にドアを閉める音で、聞かなかったことにした。
当時の事件の証拠となる大部分は、アン自らの手で処分されていた。
(第2問・世間的には解決、つづく)