第2問:ある魔道具の連続発火事件が起きた、なぜか?
「名探偵、列車の件はお手柄だったな……あー、正しくはトンネルの事件か?」
金のショートボブを耳にかき上げながら、若い女性が黄色い瞳で、アンの纏めた簡易レポートをざっと眺め、最後に嘆息を吐いた。
「だから、レポートに私情を書くなと何度……上への提出用に俺が清書するんだぞ」
「あはは、まー、いいじゃないですか。地縛霊の討伐や浄化魔法の申請もツヴェルク警部の手柄になるんですから」
黒いショートヘアのアンは探偵事務所の来客スペースで、女性と机を挟んで向かい合っている。
ここは彼女が居を構える都市国家――霧の都ロンヴァルディア。
「お前……『どうして』だ?」
「やだなあ、僕と警部の仲ですし」
「違う、『どうして正規軍の討伐隊編成を待たなかったか』と聞いてるんだ」
「その軍を動かすのに、どれだけめんどうな手続きがいるか。ご存じない警部ではないでしょう?」
「そのために、軽い申請で動ける冒険者制度があるんだが……ったく」
グレーのシャツに羽織った黄土色のコートから小箱を取り出し、中の葉巻を一本摘まむと、折りたたみ式ナイフ(十字架の〈魔術刻印〉入り)で器用に端をカットした。
「ツヴェルク様、お嬢様の前で喫煙はご遠慮願いたいのですが……」
アンの傍に立って控えていた白いロングヘアの女性、ヒリングが注意する。
「んだと? おいアン、この事務所いつから禁煙になった?」
「『お嬢様の御身は死後、私がもらう』という〈契約〉を交わしております。肺に副流煙が溜まっては悪影響ですので」
「ははっ、いつ聞いてもきっしょい〈契約〉してんなー、お前ら」
喫煙を咎められて顔をしかめたツヴェルクであったが、一転してヒリングを発言を揚げ足を取るようにからかい、けたけたと笑う。
「なあヒリングさんよ、体なんてもらってどうすんの? やっぱ『お楽しみ』か?」
「アンお嬢様……こいつ、ぶちのめしてもいいですか?」
「上等だこら。こちとら魔術師何人も相手にしてきた叩き上げだぞ、こら。吸血鬼の真祖だかなんだか知らねえが表出ろや、こら」
ふたりは嫌煙の仲――ならぬ犬猿の仲で、一触即発の空気である。
「一般の魔術師風情と一緒にしないでくれます? 真祖の扱う魔術は『限りなく魔法に近い』んですけど? ボコボコにされて泣いても知りませんよ?」
「ふたりとも、そこまで!」
マジで事務所でバトルし兼ねないふたりを、アンが大声で仲裁する。
「ですが、お嬢様……」
「そもそも、ふたりが争う理由はないの。ツヴェルク警部もどうぞ、僕に気を遣わず吸っていただいて結構です」
ツヴェルクは『歳のわりに見た目が若い』ので、未成年が葉巻を吸っているようにも見えるが二十代後半――れっきとした成人である。
今回は、べつに未成年の喫煙を咎めたかったわけではないようだが。(未成年の喫煙、飲酒は法律で固く禁じられています)
「こんな奴に遠慮する必要ありません」
「言い過ぎだよ、ヒリング。吸血鬼の存在に目を瞑ってもらってるんだから……。君も少し、反省しなさい」
「やーい、怒られてやんの」
ツヴェルクが愉快そうに勝ち誇る。
「警部も無駄に煽らないでください。ヒリングは僕たちより、うんと年上なんですから」
「はんっ、軽く千年は生きてますけど?」
ヒリングが腕を組みつつ、鼻で笑う。
叩き上げのツヴェルクは目上からの命令は絶対遵守が身に着いているため、しばらく押し黙ってしまい、決着がついた。
「……クソババア」
負け惜しみを、ぼそっと呟き、葉巻に火をつける。道具の類は使わず、指先から炎魔法で直に炙る。
ふうーっと彼女が息を吐くと、口から吐き出されたのは白い煙――ではなく、淡く光る緑色の粒子であった。
「おや、これは〈マナ〉……? 有り体に言えば『魔力の残滓』ですか?」
ヒリングはツヴェルクを避け、わざわざアンに尋ねている。
「言ったろう? 争う理由はないって――つまり、ツヴェルク警部が吸うのは普通の葉巻ではない。あれは『魔力草を束ねた魔力の回復アイテム』だよ。ですよね?」
「職業病……もとい、お得意の推理か、まあ正解だ。〈魔力回復薬〉の一種でね。携帯性にも優れている」
なぜわかった、とツヴェルクが聞き返す。
待ってました、とアンが青い瞳を輝かせた。
「警部はこれまで葉巻を吸ってません。最近になって吸い始めました。理由は単純に考えるなら、お金の問題でしょう。僕たちと組むようになって羽振りが良くなった」
「その言い方、もっとどうにかならんか?」
彼女はバツが悪そうに顔をしかめる。
「おっと失礼、他意はありません。それはそれとして、警部の衣服からは愛煙家特有の染みついた葉巻の匂いがまったくしませんでした。
最近吸い始めたので当然? しかし、葉巻をナイフで切る手つきは妙に――『手慣れていた』」
「たったそれだけの動作を見て、よくそこまで……」
穴を揶揄してやろうと思ったツヴェルクも、感心するほかなかった。
「つまり、慣れるほど吸っていたにも関わらず、匂いは染みついていなかった。ならば、あれは葉巻にそっくりな、別物という推理ができます。
魔法を使う警部が定期的に摂取しなければならないもの――そう、〈魔力回復薬〉の可能性が高い」
「ったく、言い触らしてくれるなよ? こいつが流通してるのは、ごく一部だからな」
深入りし過ぎるな、とアンに釘を刺す。
「探偵の名誉に誓って、顧客情報は漏らしませんとも。僕が推理するのは、他人の弱みを握るためじゃありません。ただの『趣味』です」
「お前の場合、ただの趣味だから……」
「余計に質が悪いのですが……」
この点において、ヒリングとツヴェルクの意見がぴたりと揃った。
アンは自慢の推理を終えて、ふふん、と満足そうである。
「警部、流通してない理由をお尋ねしても?」
「一応、口止めされているんだが……まあ、お前なら漏らさんだろう。自力で推理し兼ねんし、俺から教えたほうが安全か」
かぶりを振って、ツヴェルクがしぶしぶ口を開く。
「こいつの原材料に使われてる【メモ:魔力草は別名〈竜の逆鱗〉】とも呼ばれててな。おい、真祖の吸血鬼、なんでかわかるか?」
「私……ですか?」
探偵が本業ではないヒリングに尋ねている。
「アンに推理させると、全部当てちまってつまらん」
「ふむ、葉の形状が竜鱗に似ているから……でしょうか」
「当たらずしも、遠からずだな。褒めてるんだぜ、誰かさんみたいに――なんでもかんでも当てりゃいいってもんじゃねえ」
「それで、正解はなんだったんです?」
「ああ、こいつは常に微量な魔力を発していてな。【メモ:魔術的な刺激に反応して、活性化する】。
取り扱い危険物にも指定されてるほどだ。不意に活性化して火が出る様子を『竜の逆鱗に触れた』と例えたわけだな」
アンは熱心に「ふむふむ」とメモを取っている。
「この情報、要るか?」
「いやあ、ちょっと今追っている事件……事故と関連性がありそうでして」
「――『連続発火事件』だったか?」
「よくご存じですね。社長が大事にしたくないみたいで、探偵の僕に依頼されたんです。なんでも、その会社の新製品が、誤作動を疑われているらしくて」
これです、と小型の着火装置を机の上に置く。
ツヴェルクは素早く、葉巻の入った箱を遠ざけた。
「事務所を火事にしたくなかったら、ここで使うなよ? 〈竜の逆鱗〉に触れかねん」
「……お嬢様、僭越ながら、これが真相なのでは?」
ヒリングが遠慮がちに口を挟む。
「詳しい仕組みは社外秘なんですけど、【メモ:魔石を組み込んだ新型魔道具の着火装置】なんですって」
「ほう、火事の被害者は〈竜の逆鱗〉を吸っていた、なら理屈は通るな」
これで呆気なく事件解決、となるはずもなく、アンは眉間にしわを寄せている。
「それが――【メモ:被害者は全員、魔術師じゃない】んですよね」
変でしょう、と言葉を続ける。
「魔術師でもないのに、〈魔力回復薬〉を持ってるなんて……」
「普通に考えたら、ありえないわな」
「……やはり私などの推理では、お嬢様に遠く及びませんね」
ヒリングが、自虐気味に謙遜する。
「ううん、こういう時に多角的な視点は大切だよ」
アンが相棒を激励する。
それはお世辞などではなく、彼女の本心なのだろう。
「さてと、そろそろ俺はお暇させてもらうぜ。アン、せいぜい捜査頑張りな――頑張り過ぎん程度にな」
頭を抱えて考えこんでしまった彼女に、ツヴェルクはそれだけ言い残し、事務所を後にするのであった。
【ここまでの調査レポート】
・発火事故に、魔石を組み込んだ新型魔道具が疑われている。
・〈魔力回復薬〉の〈竜の逆鱗〉と合わせれば、火事は起き得るけど。
・ところが被害者は全員、魔術師ではなかった。
「うーん、おかしいなあ。点と点が、繋がりそうで繋がらない。まったく無関係ってことはないはずだけど……」
(第2問その①・了、つづく)