第1問:急行列車の個室で乗客が次々と『手形』を付けられた、なぜか?
元警部ツヴェルク・ルドゥルブマン(仮名)
彼女の書きかけの原稿を遺族の意向により復刻、及び再編
我が生涯の盟友、私立探偵――アンブレラ・アンブラーラの活躍が記された記事は、その功績に比べれば、あまりにも少ない。
そこで遺された手帳に書かれた【メモ】と当時の会話、目撃証言等を頼りに、筆者の拙い想像力を働かせて、ひとつの『物語』にしてみようと思い至った。
名前は変えてあるが、家族に迷惑がかかるかもしれない。
それでも、これは私から彼女へ手向ける、せめてもの『罪滅ぼし』である。
◆
「――やあ、ヒリング。いい昼下がりだね。君もそう思わないかい?」
黒いショートヘアの少女が、移り変わる車窓を眺めながら、ウキウキの足取りで列車の通路を歩く。
彼女の瞳は、昼下がりの青空を切り取ったように青い。
ベージュ色のジャケットを羽織り、紺のシャツに紺のネクタイを締めているが、大きな胸元の膨らみから女性だと判別できた。
「アンお嬢様、もっと緊張感を持ってください」
首元の白いリボンがワンポイントの喪服のような黒いワンピースを着た、腰まで伸びた白いロングヘアの女性が、ため息をひとつ。
瞳の色も対照的で、夕焼けが焼きついたような深い赤。
言葉こそたしなめているものの、またか、という反応で口調も淡白である。
「僕を見習って、僕の助手である君も少しは楽しむことを覚えたまえ。仕事とオフの切り替えは大事だよ」
「お嬢様は『今が仕事中』なのを、お忘れになったご様子で。お労しや、その若さでもうボケ始めたのでしょうか……?」
「相変わらず、ツッコミが辛辣だねえ。僕のこと大好きなくせに」
「いえ、どちらかと言えば嫌いですけど」
「またまたー、このツンデレめー」
「あの、マジでやめてほしいんですが」
肘でぐいぐい、と軽く小突かれ、ヒリングはそっぽを向いてしまった。
「あっ、なんか……調子に乗ってさーせん……」
アンは、がっくりと肩を落とし、手帳に記しておいた目当ての個室に向かう。よっぽどショックだったのか、打って変わって、トボトボと歩いている。
ヒリングは既に、クールな鉄仮面へと戻っていた。
「ええと……『10号車の5番』、ここだね」
個室のドアを開けたアンが「しまった!」と声を上げる。
ヒリングが「お嬢様!」と咄嗟に前に出る、が――。
「とくに……『魔力的な反応もありません』けど?」
「よく見たまえ――【メモ:ベッドがふたつ】なんだ!」
アンが探偵手帳にペンを走らせ、気になった数点を書きこんでいく。
持ち前の記憶力で、メモは後から纏めて書きこむこともある。
「それ、メモの必要あります? ふたり部屋なんだから、当たり前じゃないですか」
「くそっ、ひとり部屋だったら……ヒリングと同衾できたのに……!」
「添い寝ではなく『同衾』って呼ぶのが、輪をかけてきしょいですね。顔と胸はいいのに。いえ、その場合でも一緒には寝ませんよ」
「くっそー、今は別々のベッドで我慢するかー」
「将来的にも一緒に寝る予定はありませんが……というか、寝るつもりなんですか?」
争点がズレていることに、ヒリングがやや遅れて気づいた。
「お嬢様、まさかとは思いますが、本当にお忘れになってませんよね?
私たちは『急行列車事件』の――
『ロンヴァルディア発急行列車10号車5番の個室に泊まった乗客が、次々と赤い手形を付けられた事件』の、調査を依頼されて来たんですよ?」
「わかりやすい説明ありがとう。もちろん、覚えているとも」
などと言いつつ、少女はコートをかけて靴を脱ぎ、警戒心ゼロでベッドにだらけている。
「ちょ、アンお嬢様! 戦闘になるかもしれないんですよ!」
「相手が凶悪な死霊だったら、だろうね。被害者たちの衰弱っぷりと魔力の痕跡から見ても、この件は十中八九、死霊の――【メモ:『地縛霊』の仕業】さ」
事前調査で書いておいた、前のページのメモを見せる。
「ですから――この部屋に憑りついてるかもしれないんですよ!」
アンはむくりと起き上がり、「それはないよ」と首を振った。
「この部屋からは、まるで『死霊の気配も、魔力の残滓すらほぼ感じない』。
ヒリング、君も自分で言ってたろう? ははっ、君のほうが忘れてるじゃないか」
顎に手を当てて、ヒリングは自らの発言を反芻する。
「たしかに……いや、お嬢様がベッドがふたつとか、余計なこと言うからですよ!」
彼女には、それは事件とは無関係に思えていたらしい。
「さあて、ロンヴァルディア発急行列車事件も、また情報が更新されたね。【メモ:列車の部屋そのものに問題はなかった】」
使い込まれた革表紙の手帳に、これまた年季の入ったペンを走らせる。
「となると……調査の続行は列車を降りてからだ。この急行列車は僕らの街から終点まで直行便。途中の駅では止まらないし、もうやることがない。と言うわけで、おやすみ」
アンはベッドに、どかっと体重(ほぼ胸)を預けた。
「ええ……! 寝てるあいだに襲われたら、どうなさるおつもりですか?」
「襲ってくれるのかい! ウェルカム! ぜひに!」
「なぜそこで喜ぶ……?
って、そういう意味じゃないわ、この『セクハラ色ボケ探偵』!」
ついぞ、お嬢様とも呼ばなくなった、ヒリングであった。
「ま、寝てるあいだの身辺警護は、僕は守る〈契約〉を結んでる君に任せるよ」
「マジで寝るんですか……この状況でよく眠れますね……」
「襲ってもいいよ?(チラッ)」
「頼むから永眠してください」
シンプルに罵倒され、ちぇーと呟くと、アンはもう寝息を立てていた。
どこに出しても恥ずかしくない美少女の、綺麗な寝顔で。コートを脱いだシルエットは華奢で。
ヒリングも細いほうだが、背の低さも相まってか、余計にか弱い生き物に見えたという。
寝息を立てるたびに、呼吸に合わせて、細い体に似合わぬふくよかな胸が上下する。
アンの体重の大部分を担うのは胸である、とは過言であろうか。
「あまり、蠱惑されると困ります。私だって、やぶさかではないんですから……」
その首筋に顔を近づけ、口を開くと、鋭い『牙』が光を反射して煌めく。
「私はお嬢様に危害が加えられないと、油断なさいましたね。
眷属化は攻撃ではないので、こうして血を吸ってしまえば、あなたの『体』は、私の――」
寸前で思い留まり、部屋から出ずに、ベッドからできる限り遠ざかった。
「――いけない。それをしたら、私の『一番の望み』が、永久に叶わなくなる」
そう呟くと、気を紛らわせるように、護衛に集中するのであった。
◆
「さて、列車が問題なしとくれば、調査すべきは運行ルートだ」
「お嬢様、お体に異常はありませんか?」
「ぐっすり寝て全力全快、乗る前より調子がいいくらいさ!」
アンが元気にブイサインを作ってみせ、助手に「君は大丈夫かい?」と問い返す。
「いえ、私はあまり……」
「体調が優れないみたいだね? まさか、僕が寝てるあいだに魔術的な攻撃を? ごめんよ、君だけに負担を押しつけてしまって」
「いえ、そういう〈契約〉ですし。それに攻撃は大したことありませんでした。ご報告しようと思ったのですが、あまりに一瞬で……。体調が優れないのは、べつの理由です」
「べつの理由? なんだい?」
墓穴を掘り、焦って口元を抑えるヒリングである。
「じ、事件とは関係ありませんので……」
「ははーん、さては僕のかわいい寝顔に見惚れてたなあ?」
「……戦闘には支障をきたしませんので、お気になさらず」
「僕にはあんなこと言っておいて、理性と葛藤してたんだなあ?」
上目遣いで覗き込んでくるアンを無視して、ヒリングは報告を続けた。
「魔術的な攻撃を受けたのは、トンネルに入った一瞬でした。比喩ではなく一瞬の出来事だったので、確証はありません」
「ふむふむ、だいぶ絞れてきたね。【メモ:現場はトンネル近辺と推測される】と」
ヒリングの思惑どおり、興味が逸れて、手帳にペンを走らせている。
「さっそく行ってみよう、と言いたいところだけど、ここから歩くには距離があり過ぎるね。この時間じゃ、馬車も出てないだろう」
時刻は夜で、しかも列車は終点の駅に到着してしまっていた。
「宿屋を探してから、今夜は下調べに徹するとしよう」
「くれぐれも、ベッドがふたつある部屋にしてくださいよ……」
「はあ? 当然だろう? 君は捜査中に何を期待してるんだい、サキュバスじゃあるまいし」
探偵モードに切り替わったアンは、そっけなく返すと、つかつかと町一番の図書館へと向かって行ってしまう。
「お嬢様の、そういうところが……本当に、本当に……!」
ヒリングはその場に、ぽつんと残される。
自分で促したことでもあるため、やり場のない拳を握りしめるのであった。
【ここまでの調査レポート】
・部屋にはベッドがふたつあった。
・犯人は『地縛霊』の可能性が高い。
・列車自体に憑りついているわけではなかった。
・実際の現場は、トンネル近辺と推測される。
(第1問その①・了、つづく)
カクヨムはもう真面にランキングが機能していないので、ミラー投稿です。
こっちのほうが速く読めちゃいます!!