最週 もしも吸血鬼になれたなら
とりあえず終わりです、エピローグがあるけどね。
うん、物語の締めがやっぱ難しい。
あとは文の始め、地の文は幾ら練習してもよくなってるのか分からない。
けれど練習あるのみ。
夜を駆けた、ただひたすらに。
北海道で購入した、一際サイズの大きいキャリーケースを乱雑に転がし、電車を降りる。
腕時計を見ると時刻は既に0時を過ぎ、目と鼻の先に進めば雑木林が立ち並んでいた。
ここが家を出た時間から一番遠く、一番人目のつかない場所。
「パアヴァイン、もう出てきて大丈夫」
俺がそう声をかけると独りでにキャリーケースは動き出し、まるで意思があるかのようにファスナーが下りる。
か細い腕が這い出るや否や、キャリーケースの中で赤子のように丸まった彼女の姿。
とても手入の行き届いた誰もが羨む髪を、ぞんざいに扱いパアヴァインは気だるげに現れた。それはもう不貞腐れたような表情を浮かべながら。
「どこだ?ここは」
「詳しい場所はわかんないや、扇ちゃんに指示された通りに来たから」
「そもそも緋煩野扇子が保護しているというから、会いに行ったのに主は居ないわ、もう日が昇り始めているわ。私の体は想像以上に緋煩野扇子に痛めつけられているわで、ここ数日だけで散々な目に遭ってきたが、そうして次に顔を見せた時には有無を言わさずにキャリーケースに詰め込まれ、いくら私が寛大と言えど説明をして欲しいモノだな」
確かに言わなければいけない事は沢山ある、そして今何よりも言うべき言葉は。
「心配かけて、ごめん」
「そうではなくてだな……」
心底呆れたようにパアヴァインは肩を落とす。
謝罪を欲している訳ではないらしい、そうとなればあいわかったと俺は手を打った。
パアヴァインにとって奇怪というのに、他ならない現状についての説明が必要ということだ、それではどこから話すべきかと俺は顎に手を当て考えてみる。
「えっとね、扇ちゃんとダーツを」
「いや……いい、今理解した。凡その位置に検討が着いたのか……」
「そうだけど、でも今から姿を隠せば」
最初は言葉に遮られ、二度目はパアヴァインの人差し指に遮られた。
どうしたのかとパアヴァインの顔を見る、彼女の視線はこちらを向いておらず、その視線は駅から続く道路灯もない道の先に向けられていた。
「流石に先日の件は、お前たちの目にもつくか」
『そうだ、あの日お前が残した痕跡が、お前に辿り着かせた』
「そうだよなぁ、北海道に向かった日から嫌な予感はしていたんだ。なんで余実にあそこまで臭いがこべりつくのか……最大限目立たぬように吸血はしていたつもりだったが。流石に僅かではあっても残滓を見逃す程、目は腐っていないらしい」
それは聞き覚えのある声だった。
聞き覚えがあるのではなく、つい先ほどまで聞いていた声という表現の方が正しい。
ここまで突発的な行動であれば目を盗める、そう思っていた。
『忠告だ。大人しく殺されろ、そうすれば隣に居る少年に危害は加えない』
「どうだか……、異端として排除することもできるだろう?いきなり私への態度を変えたように……な」
「パアヴァイン、俺の後ろに隠れて」
パアヴァインの身を隠すように、俺は彼女の前に立つ。
身震いするほどの威圧感と恐怖に襲われる、けれど大した問題ではなかった。
人間否定したい現実と少しの心の浮つきで、向こう見ずな蛮勇もわいてくるらしい。
「止せ、余実。これは私の問題だ、お主が関わるべき問題ではない」
思考停止とも言える行動にパアヴァインはため息を吐き、俺の肩を止めるよう掴んだ。
「いいや俺の問題でもあるよ」
「違う、私の問題だ。……今ならまだ助かる見込みがある。だから私から離れろ」
「嫌だ」
譲れない、ここだけは譲ることはできない。
「余実、お主少し会わない間に変わったな?もう少し聞き分けの良い人間だと思っていた」
「変わったのか、戻ったのかは定かではないけれどね」
『ウツツニヨサネ君だね、君は今自分が何をしているのか理解しているのかな?』
聞き覚えのある声が問いかける。
理解しているか、理解しているとも。これは個人的願望に他ならないことも、大義名分というのはそちらにあることも理解している、それでも譲れないものはある。
『意思は固そうだね、ならば仕方ない』
「おい!待て、まだ話は……ッ」
パアヴァインが声を荒げた瞬間に、自身が見ていた光景が突如として変わった。
エレベーターの浮遊感を、10倍程度に凝縮したような感覚。
瞬く間に俺の視界は夜空が近くなり、驚きと共に周囲を見渡すことで初めて理解する。
「俺……空飛んだ?」
「お主は飛んでない、私が空へ跳躍した」
声のなる方へと振り返ると、パアヴァインは先ほどより近く映る。
視線を下げると身震いと共に、先ほどまで居た駅や周囲の雑木林がよく見えた。
『対話の時間は終わった、彼の意思が固まっている以上はね。彼は異端信奉者となんら変わらない、それを理解しているから、自分から遠ざけようとしたのでは?吸血鬼』
「クソッ……、余実。私に捕まっていろ、ここを離れる」
「え?待って、このまま空飛んでいくの?まだ心の準備g」
俺が言葉を言い切る前に、彼女は尾てい骨からら露出させた羽を羽ばたかせ空を舞う。
風に潰されると勘違いするほどの風圧をこの身に受け、目も開けていられないような状況が続いた。
次に目を再び開くことができたのは、閉じた瞼からでも外が明るさを取り戻した頃。
しょぼしょぼになった瞼を、ようやくの思いで俺は開き周囲を眺める。
若干明るくなった景色と、視界一杯に広がる見慣れぬ緑色の景色。
空から見ようが、大地から眺めようが答えは変わらない程に自然が多い。
極端に広く感じる民家と民家の幅、見慣れはしないが見覚えは確かにある景色。そこに気づきすぐにも合点がいき俺は手を打つ、ここはつい最近も来た北海道の札幌以外。
「……多分北海道?」
「さぁ?詳しくは知らん、日本の中からは出ていないぞ文字的にも」
「見れば分かるよ。とりあえずホテルか宿を探そう、日も昇っちゃうし」
「そうしてくれると、助かる。私は……寝る」
淡泊な会話を済ませ、彼女はコウモリに変化すると、俺が持つバッグの中へと入り込む。
どうやら会話もする気力になれない程には、疲労困憊であることに間違いはない。
片田舎という訳ではない、だが確かに寂れ衰退の雰囲気がある街並み。
行き当たりばったり予約もない、しかしそれでも泊まる場所はありそうだった。
◇
関東から北の大地へ苦行ともいえる空旅を味わい、辿り着いてから約2日。
見慣れない天井を視界の端に映し、目を覚ます。
8月も下旬。気候はエアコンがなくとも過ごしやすく、残暑も感じさせない朝だった。
「パアヴァイン?……まだ寝てるか、朝ごはん買ってくるかな……」
横のベッドで眠るパアヴァインは、宿泊施設に着いた後に人型の形態に自身を戻し手首から吸い上げた血を恍惚とした至福と例えられる表情で飲んで以降、未だ目を覚まさない。
緋煩野から受け取った二つのスマホ、その片割れを通話状態でパアヴァインの横に置き、俺は部屋をあとにする。
枕元に置いたからか、静かな寝息がイヤホンからは変わらず規則正しい寝息。
普段は寝息など気にもしないが、現状においては一先ずの安心。
「まさか本当に脈がないとは思わなかった、息はあるのに」
眠りについたパアヴァインが一向に目覚める気配がなく、遂には目を閉じてから丸1日が経とうとしたとき、基本は連絡をしない方がいいのだろうが緋煩野に相談をした。
緋煩野曰く、吸血鬼は心臓が動いていないらしい。だから生きているかを確かめるには、息が分かりやすいとのこと。どうしてそのような事を知っているかと聞くと、少しの静寂の内に緋煩野がパアヴァインと殺し合いをしていた事を明かされた。
そこに俺はビックリ。
だが緋煩野からは、これは過ぎ事だからの一言。パアヴァインもどうでもとの事。
「なんでパアヴァインと殺し合ったかは聞かなかったけどさ、凄惨な現場ではあったんだろうなぁ」
軽く現場を想像するが、即座に身震いを起こしす、あまりに鮮明に想像できてしまった。
飛び散った鮮血の現場を考えることは止め、コンビニで購入したおにぎりの封を開ける。
「鮭だけど、少し高いやつ……あと一応お茶2本と牛乳」
自分一人ではあれば、北海道のこの過ごしやすさも相まって、ペットボトルの一本で十分ではあるが、今日こそはパアヴァインが起きるかもしれない、そう思いながら一日を過ごす。
このままでは冷蔵庫に2Lの消費期限切れ牛乳が溜まる、嫌な予感と共に俺はホテルへと戻った。
「ただいまー、起きてる?」
ホテルの客室へと戻り、返答を期待している訳でもなく、起きていればいいなという願望で声をかける。案の定パアヴァインは今も規則正しい寝息をたて、ぐっすりと眠っている。
「いい加減起きてよ、なんか寂しいじゃん」
ふと無意識に心の本音が口に出た。先生のことを間違えてお母さんと呼んでしまうのと同レベル、こんな気恥ずかしいことで彼女が起きていれば確実にからかわれる。
けれどこの恥ずかしさで、パアヴァインが目を覚ますのであればそれでもいい、けれど彼女は目を覚まさない。
「はぁ……なんか一人で盛り上がって、馬鹿みたいだ」
パアヴァインも俺が寝ている間は、こんなことを思っていたのかもしれない。そんなくだらない事に悩み思考を巡らせつつ、俺はベッドに体を預けボーっと天井に視線を移す。
なんだか眠っている彼女の事を考えていると、自分まで眠くなってきた。
枕に顔を埋め込むと、すぐに眠気がやってくる。なんだか懐かしい感覚だ。
どれ程の時間が経ったであろう、寝惚け眼を擦りぼやけた視界には橙色の光が映る。
少しだけ開いたカーテンからは、光の正体を示す橙色と茜色の調和のとれた夕焼けの空。
閉めないとと、思考よりも体が動き立ち上がる。
「イテッ」
カーテンまであと少しの距離へと迫った所、不意に力が抜けベッド横に置いていた椅子へと倒れ込む、駄目だ一旦休憩しよう。
「くっそ眠い……、成長期か?」
地べたに這いつくばった体を起こし、倒れ込んだ椅子に腰を落とし部屋を眺める。
「なんか違和感……、色合いの問題?なんか寂しいような、駄目だ頭が回らん」
パチパチと自身の頬を数回叩き、そうするとぼやけていた視界が徐々にピントが合っていくとその正体がはっきりと認識でき、冷や汗が一滴額を伝った。
「パアヴァイン⁉……まさか殺され」
そうベッドで横になっていた筈の、パアヴァインの姿が部屋の中に見つからない。
居ても立っても居られず、感じていた眠気などは吹き飛び体が飛び起きる。
「どこ行った?……パアヴァイン!」
どこ?どこだ?部屋を荒らされた形跡もなければ、誰かが部屋に入ってきた形跡もない、念のためにドアに張っていたテープがその可能性を否定している。
ならばどこへ?ベッドの下?いやあり得ない、入れるような隙間はない。日光を感じ取りコウモリになってバッグの中に入った、いやバッグの中は明らかに空だ。
「ふぅ、さっぱりしたー。おや、どうした余実?そんなに慌てて」
その声の主は暢気にホカホカと湯気を纏い、バスローブを体に纏い扉を開く。
髪を濡らし、浴衣姿で部屋に入ってくる背丈ほどのブロンドの髪を濡らした女性。紛れもなく吸血鬼ツキキュウケ・パアヴァイン、彼女はこちらの気も知らず呆けた顔でそこに立つ。
「はぁー……、はぁーー。あぁ……」
「こちらを見るなり、大きなため息を吐くとは無礼な奴だなお主は」
「いや元はと言えばそっちが……いやもういい、なんかどっと疲れた」
安心というのか、それとも気苦労か。どちらでも構わない、とりあえずパアヴァインは俺が寝ている間に風呂へ行っていた、要するにそういう事だと理解はできた。
空の日は落ち、東京に居ては感じることもできなかったであろう、真夏の夜に肌寒さ。
人として手の届くホテルの屋上、少しだけ空に近づいた今時は入れない屋上で、懐かしさも感じる天体鑑賞を試みている。
「星きれー」
東京では中々見れない、街中の星空に風情を感じつつも啜るものがカップラーメンとは悲しくなり、そして判別がつくのは精々夏の大三角というのが哀愁を感じさせる。
だが久しぶりに見た満天の星空は、些細な事を忘れさせ景色で確かに目を奪う。
そんな景色の下で、星空の美しさにも負けぬ美しさを持ちはするものの、人の気持ちも考えないブロンド髪の彼女がいつかのように、空から落ちてきた。
「余実?おーい、いい加減機嫌を治してくれないかー、無視するなー」
ピョコピョコと星空を隠すようにパアヴァインが飛び回る、邪魔だ、風情がない。
「星が見えないんだけども」
「なんだお主、星が見たかったのか。乙女か?こんな星空、いつでも見られるだろうに」
「普段は見れませーん、なぜなら普段は東京に住まい且つ場所が渋谷だからー」
「だからといって感傷に耽るようなものか?」
「まぁ俺は変な生き方をしていたからね。それこそ夏休み前の記憶なんて殆ど覚えてないの、だから今は何をするにしても新鮮だよ」
しっかりと覚えているのは、精々夏休みが始まる前後から。
それこそそれ以前までに遡ろうとすると、僅かな断片と残るは12年前以降、お父さんもお母さんも生きている時代の記憶ばかり。
「そうか、それは水を差して悪かった……」
パアヴァインは納得したのか、背中合わせに俺に体重を預ける。
「肩に頭を乗せられるの、邪魔なんだけど?」
「いいだろう?産まれたばかりのお主に、私からのハッピーバースデイというやつだ。ロマンティックだろう?」
「産まれたばかりなのにハッピーバースデイ?使い方違くない?俺の誕生日はまだ来てないし、そもそもロマンティックって何?」
「余実、お主モテないだろ?」
「モテてはいたと思うよ、少なくても好意を二人からは告げられたし、それも最近」
横目に見えるパアヴァインが不貞腐れたような表情を見せ、顔を逸らす。
過去の自分を好きなってくれた幼馴染と、現似余実という人間を好きでいてくれた幼馴染。その二人から想いを告げられた。
その結果がどうであれ、恐らくモテてはいたと言えるだろう。
「私はお主の過去を詳しくは知らん、過去の余実など知らん、私が知っているのは今の余実だけだ。余実が果たして過去に戻ったのか、それとも以前と変わらないのか、私には知らないが、……まぁお主が少し成長したのは事実だろう?」
「成長しているのかな?」
「しているさ、だからハッピーバースデイ。……私はただのお主に寄生した友人に過ぎないが、お主の成長を喜ばしく思うよ」
パアヴァインは手を差し出すが、そこにあるのは封を切られていないカップ麺。
風情もくそも無かった。
「乾杯がカップ麺か。ロマンティックからは程遠いよ、パアヴァイン」
「いいだろう?今度はハードボイルド、折角の記念日。私が精々もてなしてやるから楽しめ」
「そういう事にしておくよ」
「そういう事にしておくといい」
確かになんでもない今日に乾杯するのならば、ワインもシャンメリーも似合わない。
そうして、コツンとカップ麺を打ち合わせ、一口啜ったところで疑問が一つ。
「ふと思ったんだけどさ、これって誰のお金?」
「そりゃ……、まぁ財布を持っているのは余実だけだ、それならどこから出たかも明白だろう?……まぁ気にするな、記念日だ」
「それで騙せると思うなよ?……おい、馬鹿!空に飛んで逃げるな!……このッ」
空に浮かび麺を啜るパアヴァインを眺め、俺も一口啜る。
他愛のやり取りが、こんなに楽しいと思うとは思わなかった。確かになんでもない記念日だ、意味もない。
「まぁいいか」
どんな感情よりも、先にその言葉が出た。
確かにこれは成長かもしれない、今は楽しければそれでいいと、そう思った。
◇
夜闇に浮かぶ白金の下弦に至りつつある月の下、肌寒さが本格的な寒気と変わっていく。
それを察知したパアヴァインが、俺を抱えてホテルの屋上から飛び降りた。
心臓が止まるかと思うほどの驚愕、人に見られていないのかと心配したのも束の間、彼女は気にも留めずにホテルの部屋へ壁をすり抜け侵入する。
「偶にホテルから出ているけどさ、バレないの?」
「……UMA的な何かと認識するだろうさ、今までの人間はそうだった」
「そりゃ吸血鬼はUMAでしょ」
「確かに。まぁそれはいい、私は明日の夜、身を隠すがお主はどうする?何度も言うが余実、お前が殺されない手段は限られている。手っ取り早いのは私から離れることだ、そうだな……緋煩野扇子の下にでもいればいい」
わかっている、理解もしている。多分パアヴァインよりも、ずっと考えているから。
「覚悟は硬い……か。強情だな、まぁ考える時間はまだあるが」
なんだかなぁとも言いたげな眉を下げた様子で、パアヴァインは肩をすくめた。
「強情かもね、でもまぁこれはもう俺が決めたことだからさ、変えられないんだよ」
「そうか、……なら私にも一つ聞かせてくれ。如何にしてお主はああなった?そしてなぜここに居ること、私に拘るのかを」
ちゃんとした答えでなければ、否が応でも置いていく。そんな気概を感じさせる態度、そんな威圧感とは裏腹に子が話す、突拍子もない夢物語を聞きたがる祖母にも見える。
これを口に出したら、きっと絞められる。
「なんかおばあちゃんみたいだね、今のパアヴァインって」
「バッ……まぁ否定はしないさ、齢数百を超えたババアだよ」
意外な返答が返ってきて、俺は言葉に詰まり目を丸くしてしまう。そんな表情を見るなり、パアヴァインはしてやったりとニヤついている。
少しパアヴァインは丸くなった、僅かだがそんな印象を受けた。
説明すると言っても、何を話すべきかと俺は頭を悩ませる。
数多の言葉を紡ごうと、他人からすれば理解しがたい結果。だがそれはこの身にとっては耐え難く、現その実に直面したとき、偶然的に自己の崩壊を引き起こしたに過ぎない。
だから俺が覚えている限りの事象を、話そうと思った。
幼馴染との出会い。両親の死。幼馴染の介護にも似た手助け、そして数日前までその幼馴染によって、両親の死は生きていると偽装されていたこと。
俺はその偽装によって、今日この日まで生きていたこと。
何故かそれからも今日を生きていて、まだ死が遠い物に感じること。
ここまで話し、改めて俺は理解する。
「あぁ俺って、ずっと死にたかったんだ」
俺は当然のことのように、俺自身が自身の死を望んでいることを知った。
「余実、お前なにを言って……」
やっぱり緋煩野は全部分かっていたようだ。今考えればその予兆を自ら発信していたというのに、俺は異常な睡魔も記憶能力の欠如も現実逃避の一環として考えていた。
「ただの現実逃避と思っていたけど、違ったみたい。……どうしたもんかな」
パアヴァインについてきた、彼女を死なせたくないだのと宣っていた癖に。自身の醜い願望に利用しようとしていた、そんな事実が気持ち悪く反吐が出そうだ。
「パアヴァイン、……俺の血を全部あげるって言ったら、パアヴァインは貰ってくれる?」
「………ッ………」
彼女にとってメリットを与える形で、他人行儀に言葉を紡ぐ現似余実という人間。
彼女の表情を見ると、彼女が思っている感情が簡単に汲み取れる、本当に見ていられない程に醜い存在だと思うだろ?
「残念だが私はお主を殺さない、期待には沿えない。悪かったな」
「そっか、パアヴァインは俺を殺してくれないのか」
「当たり前だろ」
「それもそうだね、でも少しだけ残念だ」
微妙な空気感にしたのは俺自身だが、なんだかいたたまれない状況。
頭を掻きながらどうしたモノかと考え、ふと思いつく。俺の過去は教えたが、そういえばパアヴァインのことを俺は未だ知らない。
知らないというよりは、興味を持てるほどちゃんと生きていなかった。
「……パアヴァインはさ、どういう風に生きていたの?なんで吸血鬼になって、なんで今こうして殺されそうになっているの?」
なら聞いてみようと思う、ツキキュウケ・パアヴァインがどういう存在かを。
「そこまで面白い話ではないが、……それでもいいか?」
「話してくれるなら、でも無理にとは言わないよ」
「よい。本当の私を知っている人間などこの世には居ない、……まぁ余実の過去を聞いたんだ、私も答えるのが筋であろう?」
「じゃあ、聞かせて欲しい。パアヴァインの過去を、パアヴァインがどういう存在なのかを」
「けれど誰にも明かさないと約束しろ、これが私の過去を教える条件だ」
明かすような間柄の人はいないし、言いふらす趣味なんてないのだが。
先ほどの発言で信頼が損なわれた可能性は……、我ながら大いにありそうではある。
「わかった約束するよ」
「これは私の恥ずべき過去で、そして私という怪物の人生だ。だからお主以外には教えない、そう誰にも決して明かさない。例えそれが歴史を紐解き明かせる事象であっても、私の本当の過去を、本当の気持ちを知るのは余実だけであってほしい。これは我儘か?」
「いいや、普通だよきっと。でもきっとパアヴァインが思っているより、きっとパアヴァインの過去は恥ずべき物じゃないよ」
「そうか……、そうだといいな」
そうしてパアヴァインは俺をベッドに押し倒す。
手を取り、薬指を大層大事に触り、そして彼女は噛み千切るように歯を立てる。
俺は突然の痛みに耐えるべく、絞り出すような声が漏れた。
ジンジンと痛みと薬指の付け根から手首、腕へと伝いベッドに血が垂れる。それを気にせず彼女は俺にまたがり満足気に血を眺め、舌すらも美しい彼女が大きく口を開けた。
その寸での所で伸びた舌は止まり、そして口すらも堅く閉じていく。
珍しくも見ただけで満足したのだろうか、体を預けるように倒れ込む。
そして彼女は言葉を紡ぐ。
「私はな……」
俺と彼女しかいない密室で、それでもなお誰にも聞かせないとする、吐息すら伝わる距離でパアヴァインは紡ぎ始める、己が人生の生涯を。
ゴクリと俺は固唾を飲む。死にたいと言った癖に今生の淵で、それでも何かを知りたいと思う好奇心。本当に自分勝手で嫌気がさす、けれども、けれども。
確かに薬指からシーツに広がる血の模様が、先ほどよりは死を近くに感じさせていた。
◇
彼女の語る人生というモノは、1時間もかからない程にあっさりと終わりを迎えた
「こんな感じだ、大した話ではなかっただろう?」
「うーんと、俺と会う直前に色々あったのは分かるけど、その前は?」
「何もしていないな、強いて言うなら言語学習と最近だと読書とかか……なんだその顔は文句がありげな顔をしても文句は受け付けないぞ?」
本当に何もしていないのだから、文句を言われても困るという表情をされた。
「しょうがないだろ、下手に動いたらそれこそ教会が目をつける」
「じゃあ吸血鬼として過去に悪逆非道の限りを尽くしたから、今こうして命を狙われているとかさぁ」
「お主、さては私を野蛮人だと勘違いしていないか?」
「いや今の性格は、過去のーとかそういうのじゃん、普通。あまりに平和過ぎる……」
いや平和ではない、そもそも前提からして平和ではないのだが。
流石にならばどうしてこうなったとしか言えないのが、それこそ今の状況だ。
「でもそれならなんで命が狙われるのさ、自称穏健派ってことなんでしょ?血は強引に奪ってたとか?」
普通に考えればパアヴァインという存在に、人類側がから干渉するその理由がない。
というか過去のパアヴァインが、自らの意思で人間に過干渉する姿を想像できない。
「そこが人間の厄介な所だな」
「どういうこと?」
「まぁ組織なんて上の人間が変われば、その実態を大幅に変えることもある。今までは実害がない事を条件に共生の関係を築けても、組織としての方針が異端、怪物の抹殺に切り替わった、それだけの話だ」
パアヴァインはそれが当然だと言わんばかりに、自身のベッドへ体を沈めながら笑う。
無駄に高反発なベッドに彼女の体は、二度三度と上下させた。
まるで彼女の人生のようというのは、他人事過ぎると怒られるだろうか。
「パアヴァインはそれを受け入れられるの?」
「さぁ?死にたくはないが、死んだらそれまでだ」
死んだらそれまで、それはその通りだ。
だが自分の生を他人によって左右されるというのは、あまりに勝手すぎる。
「明日、移動するんだよね?」
「あぁ明日移動する。なんだ、ここで待つ気になったか?」
「いいやついて行くよ、連れて行ってくれる限りずっと」
「そうか……、まぁ気が済むまでついてくると良い、私としてはお主を死なせる気はない」
パアヴァインが再び壁から外へ出向き、改めて考えを纏める。
今日もパアヴァインは血を吸わない。
喉の渇きがない訳ではないだろうに、牛乳の消費がそれを物語っているというのに、彼女は俺の血が嫌いなったよう自らの意思で拒んでいる。
嫌な予感だけが徐々に輪郭を得るのは、気のせいではないのだろう。
打てる手を打つべきか、スマホを手に取り緋煩野へと電話を繋ぐ。多分彼女ならその人と会うことができる。そして彼女ならその人の連絡先を俺に教えることができる。
明日は土曜日、夏休みが始まってから早6週間。
もうすぐ人生最後の夏休みが終わりを迎える、今更になってそんな実感が湧いた。
終わり切っていない課題、久しく行った覚えのない夏祭り、残す程も無かった心に心残りが一つや二つ。
「うん、まぁ許容範囲かな?」
お盆は過ぎてしまい、両親の命日には少し早い。でもそこへ赴く理由はきっとありすぎる。
肌寒い夏の夜を体験したこの身で、果たしてもう一度東京の熱帯夜を味わう勇気があるかと聞かれれば、正直言ってそんな勇気はない。涼しい所に居たい。
ただそれとこれとは話が別、今は怠惰なる肉体に鞭を自ら打つのも、やぶさかではない。
夏休み二度目の下弦の月がもうすぐ訪れる。
彼女と出会い、それだけの時間が経ったのだとしみじみと思い馳せた。
◇
お盆も過ぎた8月の下旬を、一切と感じさせない日の光が木々の葉の隙間を縫うように、チカチカと木陰から照らし輝いている。
その光はまるで加工された宝石で、幾重の入射角に対しても反射し、最大の光度を誇るよう俺の視界を狙い潰しにかかっていた。
「戻ってこなけりゃよかったぁ、せめて夏が終わるまでは北海道に居りゃよかった……」
昨日、少しだけ成長した自分に対しパアヴァインと乾杯した後、俺は東京に戻ってきた。
死ぬ気が無くなった訳でもない、ただ会いたい人が居た。
「余実本当に良かったの?私はここまでで。隣に居ることもできるよ」
「いいんだ、俺が内密な話をしたいって言ったんだから」
視線の先に居るのは、マーシー・エレイソン神父。
昨晩緋煩野に連絡を取った。
彼と話を二人だけで話をできる状況を作れないかと、昨日の今日だというのにここまでの手筈を彼女は整えてくれた。
「……わかった、何かあったらまた連ら」
緋煩野が言葉を言い切る前に、俺は借りていたスマホを手渡す、これは多分もう必要ない物で、これ以上は彼女に頼れないそれがせめてものケジメだった。
だからここでお終い、もう緋煩野に頼ってばかりにはならない。
「あのさ扇ちゃん、聞きたい事があったんだけど、聞いてもいい?」
「うん、いいよ。なんでも聞いて」
彼女は優しく頷き、こちらが遮った事実には気にも留めず微笑みかけた。
「もし……もしも扇ちゃんが、今のまま不老になれとしたら、なる?」
「……それは、難しい質問だ。明日に回答を引き延ばしてもいいんだけど……」
明日も会うつもりなのか、折角もう頼らないと決めたのに、そんな表情が出ていたか。
緋煩野は小馬鹿にしたような、からかうような表情を浮かべたのち、目を細めた満面の笑みを浮かべ彼女は口を開く。
「ならないよ。だって余実は絶対に不老になんかならないでしょ?だから私はならない」
参った、そんな顔で言われるとは思っていなかった。
もっと馬鹿にしてくれてよかったのに、俺のことなんて考えてくれなくてよかったのに。
「うん不老になんてならない、だってきっと後悔するから」
そう、後悔する。きっとその選択を取ったことを後悔する。
たかだか10年とちょっとの時間ですら、自分は皆と過ごせなくて。知らない内に関係は修復不可能なほどに歪になってしまった、それほどに時間の差は冷酷だと知っていたから。
「ありがとう、扇ちゃん。俺は扇ちゃんに好きになって貰えてよかったよ、一生の自慢だ」
安っぽい言葉。けれどもこれが俺にできる、最大限の感謝の気持ち伝える術だ。
「そっか……うん。私も余実を好きになったことは後悔しないよ」
突如として視界が覆われた。
暗くて何も見えない、けれど不安はない。頬に柔らかい何かが触れる、たった1秒にも満たない僅かな時間の後に、青々しい葉たちを縫うように見える木漏れ日が目に届く。
「だからさ、またね!」
頬が赤らめ息を漏らすような微笑みを浮かべ、くすぐったそうに肩をすくめながら緋煩野は振り返る。
彼女はもう振り返らない、今度は俺が後ろ姿を見守ろうと思う。
「うん、バイバイ」
彼女が取り戻そうとした笑顔を、振り返ることをやめた緋煩野扇子という個人に送ろう。
ずっと傍に居てくれて、ありがとう。
今日この日まで壊れないようにしてくれて、ありがとう。
俺なんかを好きになってくれて、ありがとう。
たった一言では言い表せないありがとうを、彼女に送る。
伝わったかどうかなんて分からない、これはただの自己満足にすぎないけれど、扇ちゃんが最後に見せた表情は、紛れもなく彼女の満足感と本心、そして少し後悔だったと思う。
満足だ。緋煩野が繋いだ俺の人生を、俺はしっかりと満足できた。
だから進もう、後ろは振り返らずあの日の記憶に向き合う。
向き合うための、最初の一歩。そのたった一歩の歩みが脳に危険信号を即座に点灯させた。
何度も記憶を想起しかけては、脳が、思考がその光景を見た眼球がそれの鑑賞を拒む。
思い出したくない訳じゃない、現実に向き合いたくない訳でもない。ただ一度拒んでしまった記憶だから、もう二度と引き出したくないと考えてしまうだけのこと。
「なにもかも記憶と違う筈だけど、昔と何も変わってないように見えるや」
額からは脂汗が垂れ、炎天下というに相応しい気温の中で寒気さえ感じる。
それでも目を開く、その先の光景を見る為に。
無残にも崩壊したログハウスは残骸一つ残っていないし、木がめり込んだSUVなんてありはしない、土砂の流入で地面が高くなった錯覚なんて決してありはしないのだ。
あるのは不自然なほどに開けた森にある土地、その場に添えられたまだ新しい花の束。
きっと誰かすら知らぬ人間ですら死を慈しむ、敬虔な神父の姿があった。
「来ましたか……、まさかあなたの方から話がしたいと言われるとは、いやはや思いもしませんでした」
「俺も会うつもりはなかったです……けど、こちらが誠意さえ見せればあなたなら、会ってくれるかなと」
「確かに、その判断は正しい。ヨサネさんアナタが恐らく考えるように、私は組織としての命令には従順に従います」
「でしょうね、あの時は本気でパアヴァインと俺を殺そうとしていた」
「ですが私も神に仕える身である前に、一人の人間です。誰彼構わずに無差別に異端として排除できるほど、自身が盲目的ではあるとは思いたくありません」
やはり彼は優しい人だ。話していればより理解がしやすい。
仕事人だが、彼の本質はどこまでも慈しみの心を忘れない、皆に慕われるべき人間だ。
「なのでセンコさんからこの連絡を受けたとき私はとても安堵しました、よかったヨサネさんアナタを」
「違うんです、エレイソンさん。そんな話をしに来たわけじゃないんです」
だから俺はそんな優しく、皆から慕われる人間の気持ちも考えずに裏切る最低な人間だ。
勝手に壊れ、皆に救われ、恩人に恩どころか仇で返したようなモノだ。そんな最低な人間だがそう生きることしかできなかったのならば、それを貫き通そうと思う。
「……どういうことでしょうか」
空気が凍った、まさかの回答だったのだろう、それまでの嬉々とした表情が一転、動揺そして怒りと落胆にも似た表情をマーシー・エレイソンさんは浮かべた。
「俺が聞きたいことは三つ、そしてその対価として用意できるモノが一つ。……俺の話は聞いてもらえますか?」
「対価次第……、といった所でしょうか」
「一つ目の質問を答えるか、それで決めてください」
心地の良い葉擦れの音が耳に届き、見ているだけで熱中症になりそうな神父の黒く丈の長い服を重々しく揺らす。
「人間が吸血鬼になる方法を教えてください」
軽はずみにも思えるその一言。
川のせせらぎも、葉擦れの音も一瞬全ての音が止んだ。
首筋には確かに人を殺せる刃が突き立てられ、その刃を認識した瞬間まるでパアヴァインが全力で跳躍した時にも似た、風とは思えぬ風圧がこの身を襲う。
「その発言を私は、決して冗談として捉えることができません。撤回してください」
「撤回しません、そもそもまだ実行するかも決めていません」
そう答えるとカチャと刃は音を立てながら向きを変え、なにか水滴のようなものが首筋を伝う感覚を覚える。
「もう一度言います、ヨサネさん発言を撤回してください」
「撤回はする気はありません、殺す気なのであればどうぞ」
「……二つ目の質問を教えてください、先にそちらを答えます」
「では二つ目を先に、マーシー・エレイソンさん、あなたはあなたの意思でパアヴァインを殺しますか?」
「私は私の意思で彼女を殺します、そこに嘘偽りはあり得ません」
嘘か本当か、それを完璧に把握できるほど俺は優れた人間ではない。
ただ彼が見せる俺という人間を心配する優しさの中でさえ、このまま進めば俺は躊躇いなく殺される予感はあった。
「質問の意図を変えます。教会の人間でも、異端を狩る存在でもなく、マーシー・エレイソン個人として答えてください。あなたはパアヴァインが吸血鬼という異端として、この世界を脅かすと本当に思いますか?」
「……それは……」
マーシー・エレイソンさんは言葉を詰まらせる。
その感情を知りたかった、彼らがただ無感情に定めた異端を、彼らだけの杓子定規で盲目的に排除している訳ではない。
決定に逆らう意識はないが、だからと言って一方的に対話の余地もなく殺すことを是としない。その感情が存在するならば多分マーシー・エレイソンさんは、俺の質問全てを答えてくれる、その確信があった。
彼の行動そのモノが嬉しかったからか、それとも自分の思惑通りに事が運びそうだからか、あるいは両方が合わさったからかは分からない。
だがお父さんとお母さんの死、それを何も知らない筈の彼が悼んでくれたその事実が印象を好転させるには十分。だから俺は笑顔を彼に向けた、少し歪かもしれないが、紛れもなくその行動が嬉しかったのは事実だから。
「最後の質問に答えてください、エレイソンさん」
◇
全てを照らすには物足りぬ照明頼りの森の中、太い幹の木の下で雨を凌ぐ。
あれだけ晴れていた昼の空が遠い昔のようにも感じさせ、北海道の寒空にも負けぬ肌寒さを雲の奥に見える月明かりの影を眺め、来るかも分からぬ待ち人をいつまでも待つ。
葉を叩く雨粒、枝木を揺らす風。地面にできた水面を目掛け、音は絶えず鳴らす雨の雑音が、静寂なる森に似つかわしくない豪華な演奏会を披露する。
「この雨じゃ、流石に来ないかな」
吸血鬼にとって流水は天敵、肌にぶつかり続ける水滴の一つ一つがまるでマグマのように肌を燃やす物、自分ならばそんな痛い思いをしてまでここには来ない。
痛い思いなんてしたくはない、誰にとってもそれは当たり前のこと。
じゃあ来ないのも仕方がないと諦め、俺は立ち上がり雨風を凌いでいた木の下から出た。
雨は一瞬で顔を濡らし、目も開けていられぬほどに雨が体を襲い、気がつけばTシャツが肌に纏わりつく。
「酷い雨。そりゃパアヴァインも来ないな、この雨が続けばどこかの川とが氾濫するんじゃないかな。ゲリラ豪雨ってやつ」
台風などの予報はなかったはずなのだが、気づけばそれに匹敵する豪雨。
「でもなんだかなぁ、微妙な感情が……なんでだろ」
パアヴァインが現れなかったことに安堵する自分。
パアヴァインに現れて欲しかった、そんな我儘な願望をわずかに持つ自分。
相反していても、どちらも本心。可能であればと抱いた自分勝手な願望に、勝手に絶望し、勝手に一人で納得しろという話だ。
それは自分で言ってて悲しくなるが、それは正しくぐうの音もでないほど正論。
空を眺めた。
月は雲に隠れるが、それでも薄靄の中から金色に輝く月の輪郭を覗かせる。
上を見ていた所為か雨粒が目に入り、異変は瞬きをした瞬間に起きていた。
空に浮かぶは真っ赤な傘。それを背景にするように金色の髪を揺らし宙に浮遊する美しい女性の姿、真っ赤で引き込まれるような瞳を一際目立たせ、彼女は常闇の空に浮かぶ。
「探したぞ余実」
「わざわざ探しに来てくれたんだ」
「馬鹿かお前は、教会に直談判するなんて置手紙を残した奴を、心配はするなという方が無理な話だ」
「もしかしてパアヴァイン、怒ってる?」
「なんだ?余実の目には私が怒ってない様に見えるのか?……そもそも私がどれだけ……」
「ごめんて」
呆れたような、行き場のない怒りのような、それらを我慢しクドクドと口を開く。
パアヴァインがどのような行動を選ぼうとも、その行動には感情が乗り、そして感情が体を動かす。だというのに彼女は欠片程も悪気を感じていない俺の謝罪で、感情を向けるべき矛先を見失った。
「……まぁいい、逃げるぞ余実。当たり前だがここは奴らの臭いが濃い」
「パアヴァイン……ごめんね」
「後にしろ余実、今は移動が先決だ」
パアヴァインが言う臭いとは、一体どんな臭いなのだろうか。
刺激臭、腐乱臭等の激臭なのか、あるいはフローラル系や柑橘系の人間にとってはマシな匂いと思われるものが、彼女にとっては忌避するべき悪臭になるのか。
「きっとこれが最善手だと思ったんだ、……本当にごめんね」
俺は背後に回した腕を、パアヴァインに向けるよう体の前に出す。
空をも掴むように、掌の上に転がす鈍色の撃鉄を落とす為の道具に指をかける。
パアヴァインに一切気取られず。
一切違和感を持たせず。
一切の察知をさせず。
一切の疑念を抱かせず。
一切の想いを告げず。
一切合切を何一つの真実を告げず、ただ彼女への裏切りを示す撃鉄を落とすのだ。
無明に煌めく閃光、雨音の中で耳を劈く筒音。
視界に映るは、金髪の髪を濡らし赤い瞳をギラつかせた月下美人。
雨が止んだ、世界が静止したように。
一滴一滴、視界に映る全ての雨粒を視認できる。
肉体が引き裂かれる、自分の体がコーヒーフィルター注がれ濾されるようなそんな感覚。そして遅れてやって来る轟音。
「格好だけでもさ、撃とうと思ってたんだけど……そうもいかなかったね」
確かに指をかけて引いたが、それでも彼女に向ける事なんてできなかった。
本当に何もかもが中途半端な人間だ。
「余実?……余実!」
パアヴァインは自身に備わった死を忌避する、自己防衛機能のままに俺を突き飛ばした。
そして今その条件反射の様なモノから、認識を取り戻しあろうことか命を狙った俺に駆け寄る。彼女が取った行動は当たり前なのに、どうしてそんな表情をしてくれるんだろう。
命を奪おうとした相手にさえ、こんなにも優しいのだから、やっぱりパアヴァインが人を脅かせるとは思えないんだ。
だってこんなにも弱々しく、泣きそう顔を浮かべる怪物はいない。
「大丈夫……まだ……多分生きてる」
「なぜだ!……なぜ……こんな……馬鹿なことを」
「……パァ…ヴァ…イン…為……できる事…考えた。これしか……なかった」
顔をあげているのもやっと、目の前にパアヴァインが居て、こんな事をしたことをちゃんと謝らないといけないというのに、視線は下がる一方。
衣服は赤が侵食するように広がり、視界に入るまで気づかなかったが、銃を持っていた筈の右腕は肘から先がない、感覚も無いので何も不思議ではないか。
「これしかなかった?何を言っている、お主が生き残る術がか⁉誰がそんなことを吹き込んだ!教会か?それとも緋煩野扇子か?……そんなことをしなくとも余実、お主は!」
「そうじゃ…ない、どうすればパア…ヴァインが生きて……俺が死ねるかを…考えた」
「お主自身が死ぬために……ここまでの芝居をしたのか?」
「……そう……かも、……エレイ……ソンさん…聞いた、吸血鬼になる方法」
「……こんな傷を作らなくても!余実、お主が望むのなら吸血鬼になる術は…ッ」
パアヴァインに顔を持ち上げられ、俺の視界は彼女の髪で覆われる。
首筋に走るチクリとした感触。驚いた、まだ痛覚が残っているらしい。
けれど体は、末端からどんどん冷えていく。
それを温めなおすように、息がかかり、唾液がかかり、歯があたる。
「この……状況を…、作り……たかった」
パアヴァインが俺の血を吸う、この状況こそが俺の望んだ状況。
よく飲んで。
全快とは行かずとも。
せめて俺が持てる血の全てを使って。
そうして俺は死にたい。
お父さんも、お母さんも居ないこの世界は、俺が弱すぎる所為で耐えられない。
けれどパアヴァインを生かしたい。
今日も、明日も生き続けるであろう彼女を、少しでも支えたいから。
ここが俺とパアヴァイン、人間の終わりとと吸血鬼の始まり、生と死の岐路。
「ごめんね……パアヴァイン」
背負わせてごめん。
逃げてごめん。
選ばせなくてごめん。
謝ってばかり、助けてもらってばかり、そんな自分でも返せる恩と、せめての言葉を紡ぐ。
「俺の前に顕れてくれて……、友達になってくれて……、ありがとう」
これは我儘なのは分かっている。
そういう未来は無いし、その選択を自らの意思で拒んだことも分かっている。
けれどこうも思った。
俺がもしも吸血鬼になれたなら、彼女の隣に立てる強さを持てたなら。
それはどれだけ幸せなことだっただろう。
もっと話したかった、もっと一緒に居たかった。
それも選べたはずだけど、それを選べるほど俺は強くなかった。
だから吸って、掬って、啜って、全てを忘れて今まで通りに進んで。
せめてあなたの血肉になれたら。
せめてあなたを生かす一助になれたなら。
どこまでも強い吸血鬼、俺が耐えられない孤独に耐えられる吸血鬼。
意識が遠のいて、自分勝手な想いの満願成就に至る刹那であっても、こう思う。
もしも吸血鬼になれたらと、あり得もしないもしもが、とても恋しい。
こんな末路でも、未練がましく叶わぬ願いを想い続けてしまう。
何とも醜い浅ましさか、けれど納得しよう。
あぁこの未練こそが、逃げた自分に対する罰なのだと。
◇
◆
◇
甘美なる、想像を絶する美味が、口いっぱいに広がる。
人間の生き血が形容できない程に美味しいことも、現似余実という人間の血が私という存在のためにあると思わせるほどに上手いことも知っていた。
「格別で、至高で、極上だ……なのに」
いつまでも口に留めておきたい、そんな絶品としか形容できぬ血を幾ら口にしようと、私の喉は一向に潤いを覚える気配は無い。
「なぜお主は……一向に……」
もう体温も感じぬ現似余実の首筋に、私は何度も口をつける。
心拍は停止し、循環する血が新たに出てくることは無い、だから吸い出すように私は彼の首筋に牙をあてがう。
何度も、何度も、何度も、何度も。
人間を吸血鬼にする方法、それは相手の首から血液を経口摂取すること。
そこに意思は介在しない、ただそこから吸血されれば問答無用で人は吸血鬼に変容する。
それが私の知り得る限りの常識だ。
もう余実は反応しない、物言わぬ骸と成り果てた。
では誰が余実を物言わぬ骸に仕立て上げた。
私が殺した。
私が命を惜しんだばかりに、取り返しのつかないことを反射的に行った。
雨が私を打ち付け、雨と血の臭いに混じり私の嫌いな臭いが立ち込める。
「お前達が余実に、何か入れ込んだのか」
立ち込める臭いは無臭。
本来であれば羽織った祭服に付着するべき、個人の臭いが一切付着しない違和感。
その人としてあり得ない臭いが、私は嫌いだ。
「私は……、ただ彼の疑問に答えただけです」
男は徐々に足を進め、気づけば私のすぐ真後ろで男は傘を差す。
「自らの大切な者すら手にかけた、愚かな怪物への憐れみか?それともお得意の慈愛か?」
傘など要らぬ、それが私の本心であると言い聞かせ、露出させた羽を羽ばたかせ男の傘を弾き飛ばした。
雨に濡れる、肌が焼け落ち、そして即座に再生を開始し私の体は何の異常も示さない。
ただ痛みが欲しかった。
余実の血を吸えるだけ吸って、肉体をほぼ全盛にまで回復させた私を罰する為の、痛みが欲しかった。
雨は私を打ち続ける。
雨は絶えず肌を、この身を焦がすというのに、私は毛ほどの痛みも感じない。
これが数えるのもやめるほどに無意味で、無価値に生きながらえ、生きた分だけ力をつけてしまった吸血鬼の姿だ。
その無様さくらいは、反射してもらいたいものだが、それでも私は私の姿が分からない。
決して何にも私の姿を映らせないと、世界から見放された。
懺悔することも許さないと、神から見放された。
人の血を飲まなくては生きてられないと、社会から見放された。
そして自罰を与えるにも、この身では何一つ苦痛をもたらすことも叶わない。
「なぁ余実は、どうして吸血鬼にならなかったんだ」
抱きかかえる彼を見る、血塗れで傷だらけだ。
痛かっただろうに、血を失い続ける感覚など苦痛でしかなかっただろうに、それなのに余実は恨みごと一つ言わず死んでいった。
言ってくれた方が楽だったのに、死にたくないと言ってくれるだけでよかったのに。
「ヨサネさんが私に問うたのは三つ。一つは吸血鬼になる方法、二つ目はアナタという怪物を殺すとき私の心について、そして三つ目は」
「吸血鬼にならない方法……だな」
「はい……」
男が言わずとも、そこまで簡単に聞けば理解できた。
「人間が吸血鬼に変容しない方法、その前例はあります。ですが具体的な事は何一つ分からない、ただ心持ちとして全ての前例は吸血鬼になることを拒んでいた、だがそれでも吸血鬼になった例の方が多い……、ですが吸血鬼にならない方法ならば話は別でした」
吸血鬼に変容するより先に、人として死ねばいい。
首からの吸血をし、その上で吸血鬼にさせない方法はそれだけだ。
「お前……神父だよな」
「はい」
「丁度良いな本当、なら私に懺悔をさせてくれ。そのあとにでも私を殺せばいい、私はもう逃げも隠れもしない」
もう疲れた。
無意味に生きるのも、無価値に過ごすことも。
もう動かない余実を抱いたまま、私は振り返る。
そこには雨に晒され、雨粒に絶えず打たれるだけの、ただの神父が居た。
吸血鬼を殺そうとする教会の人間ではなく、神に仕える神父が私の言葉を受け入れる準備をしている。
その姿を見て少し私は昔を思い出す。
昔の私は神への信仰を忘れない、その日暮らしがやっとなただの生娘であったことを、この男はそう語れば信じるだろうか。
そんなことはどうでもいい事か。
私を軽く息を吸い、告白する。
心の準備も必要ないし、神が私を許すこともない。
だから私は私の後悔と、その後悔のまま生き続けた生涯を告げる。
「許してくれとは言わないし、この生き様も誇れるようなモノでもない」
だが無駄だったとは思わない。
「ただ余実は、私を友だと言ってくれた、怪物の私に手を差し伸べてくれた。だから余実に会えたこと、それがもし神の導きだというのならそれだけは感謝しようと思う」
千年生きて、たった一人だ。
現似余実という人間だけが、ただ優しく私を受け入れた。
見返りを求める訳でもなく、それが当たり前かのように。
「ただ……、余実という人間に会えたこと、それは紛れもなく幸運だったけれど」
それで私の生、その全てをひっくり返せるものではない。
私の後悔は変わらない。
「私は間違えたな、最初から全て間違えていた」
懺悔するには遅すぎる、だが紛れもなく私の本心だ。
今まで一度たりとも吸血鬼になれたことを、吸血鬼で有れたことに感謝などできるはずがない。
ただもしもを思うのであれば、余実が隣に居てくれたのであれば。
願いはしなかった、初めから叶いはしなかった望みだ。
けれどそのもしもがあればと、私は少しだけ悔やむ、悔やんでも悔やみきれない程に。
余実は後追いなんて望まないだろう。
私は泡沫の夢が見たい、だからこれは夢追いだ。
笑える程の屁理屈だが、余実は許してくれるかな。
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