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第4週 今も死にかけの吸血鬼

今は満足してますけど、後々読み直したら多分うっわ下手くそってなるのが怖いですよね創作物って。

そして人に沢山見られる系の人じゃないと、本当に自問自答で面白いのか面白くないのかを確認しないといけないのが辛い。

 深夜1時、高い塀が並ぶ高級住宅の一角、余実の家はそこにある。

 親の所有物とはいえ、一介の高校生が住むには贅沢が過ぎる一軒家。

 吸血鬼として無限にあるような時間を使い、確かに日本語の習得はした。

 日本に行こうなんて考えたことも無かった。だからか松濤(しょうとう)という土地の名を言われても、私個人から出てくる感想は、恐らくここは高級住宅街と言えるだけ。

 せめぎ合うよう幅狭しと乱立する、お世辞にも広々とは言えぬ東京の家々の中では、ゆとりある土地を保有しているようにも見える。

「じゃあ私は行ってくるが、何か買ってきて欲しいモノはあるか?」

「……にゃ……たぶん……ない……」

「そうか、お休み余実」

「……うん……おやすみ……」

 眠り眼を擦り玄関先で佇む余実のパジャマを正し、戸に手をかける。

 ホテルに泊まった日から三日、正確には四日になるか。

 北海道から帰宅して以来まともに寝てこなかったツケなのか、余実は一日のほとんどを睡眠に費やしている。

 気絶していると言い換えてもいい、毎日12時間以上の睡眠。正直言って異常だ。

「体質の可能性もあるが、そうとは思えないな」

 ショートスリーパーが居れば、ロングスリーパーも居るだろう。だが私は偶に現似(うつつに)()(さね)は、ただ生きていることが精一杯なのではないか、そう考えてしまうこともある。

「気にしなくてもいいが、少し本でも探ってみるか……何しろ余実は私の友人だ」

 少しだけ熱くなった頬を私は撫で、冷たい掌で熱を落とす。

 とても軽い足取りでツキキュウケ・パアヴァインは進む。目立ちすぎる背丈ほどあるブロンドの髪と真っ赤な瞳とは裏腹に、夜闇に消えるように余実の住む住宅街から後にした。


 跳躍、そして浮遊、空に見える夜闇とは反対に、きらびやかな夜景を俯瞰するよう眺める。

 本来の出力を取り戻せていない今でも、縦横無尽に移動するくらいには再生したのだ。

 見慣れた景色だ、たった3週間程度の感想ではなくここ数十年の感想。

 人類が夜をも我が物とし始めた頃から、造形や構造が変わろうと、この光景は変わらない。

 昔の方が生きやすく自由だった。

 昔の方が住みづらく不便だった。

 そこに綺麗だの、美しいだのは関係ない。この夜は人間が作り出したモノで私という吸血鬼には、何の関係もない景色。

「不思議だ、少しだけこの光景を見て落ち着く私が居る」

 なぜだろう?生まれ故郷でもないのに。

 夜景を綺麗だとは思えない、人間は昼に活動するからこそ、夜を幻想的と語るのだろう。

 私たち吸血鬼は夜にしか生きられない、昼の景色など映像や雨の日にしか見られない。太陽光を浴びれば、体は簡単に燃え(ただ)れ回復すらままならなくなる。

 稀に雨音で目を覚まし、カーテンの先から見える雲海を眺めたことがある。地に光刺す薄明光線、天使の梯子(はしご)。それを気にも留めず歩く人間を羨んだ事もある。

 吸血鬼にとって昼とは天敵であり大敵だが、私はそれでも明媚な光景に息を飲んだ。

 なんて幻想的なのだろう、と。

 一歩踏み出せば全貌できる景色が目の前にあって、それが人間にとっての夜だったはずなのだ、だからこそ人間は夜を幻想的と捉えるのだろう。

「私にも夜が幻想的だと思える心は、あったんだな」

 自嘲気味に私は呟く。

 手放したモノを、未だ諦められずにいる姿は幼少の自身となんら変わらない。

「さて、景色は堪能した。本屋へ向かうとするかな」

 私は跳躍し、夜空にブロンドの髪を靡かせる。ここから約10キロ以上先に、24時間営業の本屋があるらしい。ヨーロッパで24時間営業なんてお目にかかることはない、それが本屋ならば尚更、吸血鬼としては助かるが果たしてわざわざ人間が深夜に本屋を利用するのだろうか。

 だがそれでも数百年生きて初めてのことだ。

 鬱陶しい程に長いブロンドの髪の毛一本が、宙に舞い地面に辿り着く前に風に攫われ、吸血鬼は夜闇に姿を消す、痕跡一つも残さない煙のように。

 今私は初めてを体験しに行く。初めてのことは緊張もするが、それでも心が躍るとも。

 だがこれは、きっと人間も同じだろう。


 深夜であれば繁華街であっても、人目につかない場所は探せば幾らでもある。

 たとえそれが駅前であり、終電はとっくに過ぎた閑静とした時間帯であっても人目につかずに24時間営業の本屋さんに向かうべく、路地裏へと着地する。

 どこからかとも何とかと聞こえてきた、なぜか頬が熱くなる。原因不明、これも調べよう。

 路地裏を抜けた先は、決して自分からは開けられない。昼のカーテンの先に見える景色のように、とても眩しく懐かしい景色。ではなく見慣れた光景と共にそれは居た。

「……あ?」

「あれ?……」

 見知った顔がそこに居る、確か余実の後輩。……緋煩(ひぼん)()扇子(せんこ)、余実曰く凄い子。

 なぜ覚えているかと言えば、写真越しにも伝わる佇まいに目を惹かれた。

 だが実際にあって思うのは、私の方が髪の長さも艶も潤いも上。しかしサラサラ具合は彼女の方が上か、身長は余実と同じくらいの私が上で、胸も多分ギリギリで勝っている。

 顔のパーツは日本人の特性か幼く見える一方、大人びた印象も受ける。不思議だ。

 結論としては、私の方が髪の派手さもあり華がある、間違いなく私の勝ちだ。

 例えるなら彼女は小町娘、だが私は絶世の美女、つまり女性として最強。

「余実と一緒に居た人ですよね、こんばんは」

「?……面識はなかったと思うのだが」

「札幌で余実と話しているところをお見掛けして、その後すぐにどこかへ行ってしまったので、ご挨拶はできていませんね」

「なんだそれなら、私はツキキュウケ・パアヴァイン。今は余実の家で世話になっている、お主は緋煩野扇子だろう?先々週までは、お主の愚痴を語っていた。課題がどうだの、問題がどうだのと」

「多分、勉強会のことかな?」

 それだ。予定の前日になると、机に向き合い頭を捻らせていた。

「えっとパアヴァインさんは、どうしてこんな時間に?」

「それを言うならお主の方がどうした?年端も行かない少女がこんな時間に」

 深夜2時頃、少なくともこの時間に麗しい少女が一人で出歩くなど褒められたものではない。それが世界的に見ても安全と言える極東の島国、日本であったとしても。

「まぁ色々と、外に出たい気分だったから?かな」

「そうなのか?変わった奴だな、わざわざ夜に出歩く必要はないだろうに」

「パアヴァインさんはないですか?眠れなくなった時、無性に外に出たい瞬間」

 無いな、眠くなる時間というのは、代償を払わなければ外になぞ出られないのだから。

「無さそうですね、まぁ私も本音を言うと本を買いに来ただけなので」

「今時の娘なのに電子書籍ではないんだな」

「本は紙の方が好きなので」

 わかるとも、本というモノは紙に限る。

 文字を追う、いつもより速く文字を追える、それには何かしらの理由がある。調子が良かったり、没頭したい気持ちであったりと、その逆もあり得る。

 ページをめくる時にも差は出来る。めくるのが速い時は内容が頭に入りやすい、次を知りたいという好奇心かそれとも、時間を持て余しているのか。だからと言って同じ速さでページをめくれたとしても、本をしっかり読めていない時もある。

「電子を悪だとは言うつもりがないが、没入感に差がある。ような気がするな私は」

「私は電子と紙の違いで、没入感の違いを感じたことはないかな?」

「そうなのか」

 本屋に入り医学関係のコーナーを探し、私は睡眠についての著書を手に取った。対して緋煩野扇子は頻繁(ひんぱん)に足を運んでいるのか、迷いもなく小説コーナーへ向かうと肘を曲げ手を口元に持っていく、その様は少し余実に似ている。

「それよりもだ。何々?睡眠の基本、有名大学の睡眠決定版、睡眠最強……中身を見てないが私が求めている本ではないことは確かだな」

 正しい疲労回復……とりあえずこの本を購入するとしよう。

「疲れているんですか?」

「うぉびっくりしたぁ……凄い量だな」

 少なくとも50冊以上はあろうかという本の量に、私は思わず二度見をした。

 財布のタガが外れ購入した女の買い物としてはあり得なくもないのだが、その全てが書籍となると話が変わるというのに、彼女は当たり前のような顔をし首をかしげている。

「お主もしかしなくとも、実家が太いな?」

「いきなりですか?まぁ否定はしませんけど。流石に本を買うのに家のお金に手は出さないです、私が読むんですよ?私が合法に稼いだお金で買い物はします」

「それもそうか……ちなみに何冊買ったんだ?」

「さぁ?とりあえず買っていない小説を、まぁ普通に端から端まで持てるだけ」

 普通というには、あまりに常軌を逸していると思うのだがここは気にしたら負けだ。

 ただそれは当たり前に異常だ。

 余実の不自然な異常と例えるならば、緋煩野扇子の異常は自然ではある。

 しかし会話を続けていると、私の正体にすらたどり着く。何がその異常の原動力になるのかは分からぬが、彼女はそれが可能であると私は確信できた。

 ならば退散するに限る。

「それじゃあな、緋煩野扇子。精々夜道には気をつけろ」

「タクシー拾うので、ご心配なく。……あぁそれと」

 忘れていたように彼女が呟く、その声は深夜という理由だけでは説明がつかぬ程、透き通って聞こえ私は慌て振り返る。

「パアヴァインさん。貴方は余実のご両親の友人と聞いたのですが、それは本当ですか?」

 ただの確認、緋煩野扇子が語ったのはそれだけのはずだ。

 緋煩野扇子と余実は親戚と聞いた、その心配だろう。

 ではこの底知れぬ、谷底に引き込まれるような感覚の正体はなんだ。

「さぁな、余実がとっさに吐いた嘘じゃないか?」

 少し離れた先に見える、緋煩野扇子の後ろにまとめた髪が風で靡き顔を隠す。

 顔は見えないが、彼女の口元が少しだけ安堵したように見えた。

 風が私の髪も靡かせ、視界を覆った。

 落ち着いた視界の先には、既にタクシーに乗車しようとしている緋煩野扇子の姿。

 やっぱり微笑んだのは、気の所為だったかもしれない。

 緋煩野扇子は窓からこちらを見つけ会釈する、私も一応の礼儀とし肩ほどにまで手を上げ路地裏に向かった。

 夜空へ跳躍した私の体は少し強張っている、嫌な意味で約1カ月ぶり人生二度目緊張だ。

「緋煩野扇子……、恐ろしい娘だ。あれで余実より齢は下か、全く……どうかしているな」

 敵ではない安心感か、それとも敵となる可能性の不安か。

「それにしても余実の両親に友人がいると、困るといった質問の仕方だったな」

 恐らくではあるが、余実の異常性の根幹の一部を理解するのに、時間は必要なかった。


 ◇


 翌日、あるいは本日とも捉えられる火曜日。

 私は起きるはずのない時間に目を覚ます。閑静な住宅街には似つかわない、男女の喧騒が耳に届き私は重たい瞼を開く。声の主の片割れは聞き慣れるほどに聞いた声だった。

 背筋を伸ばし、大きく口を開きあくびをする。

 私がこの家に住まわせてもらってから、余実が誰かを家に入れるというのが珍しい。

 私が居るから誰も家に招かない、それが正しいのかもしれない。

 普段より数時間も早く起きたというのに、二度寝できる気配が一切ない。だからと言って私は外に出られる訳でもない。

 余りの内容の無さに10ページで諦めた、あの疲労回復の本を読めというお告げか。

「読む気が起きん、余実がよく手にしている本でも」

 本を手に取った瞬間の出来事だった、甲高い大きな声が響き渡る。

 何の話をしているのかを聞き取れはしなかった、けれどその声は確かに聞き取れる。

 この下はリビングとは真逆、この1カ月で恐らく一度も入っていない余実の両親の部屋。夜と考えれば至極当然だが、必ずカーテンが閉まっている唯一の部屋。

 盗み聞きにはなるが、私が安全に会話を聞きとれる場所はここしかない。

 私は床をすり抜ける。

 空に浮遊するように滞在する跳躍力、人並み以上の怪力、肉体がバラバラになっても再生する再生力、全てを自由自在にすり抜ける透過。どれも吸血鬼として標準装備の力。

「以前の様に透過できるようになったはつい先週、……流石に万全通りの感覚はないか」

 私は1階の床に着地する、掃除はされていないのかホコリまみれだ。

「ケホッ……凄いホコリだな」

 私は目の前を仰ぎながら、周囲で舞うホコリを払う。

 両親の部屋と呼ばれたその場所には、人が住んでいた形跡など一つも存在しない。ただ額縁に飾られた二名の写真と、日本風の祭壇がある以外は。


 ◆


 先週の天気とは見違えたように、真夏の暑さを取り戻した今日の午後。

 セールス以外では鳴ることのなかった呼び鈴が、秋鹿によって幾月ぶりに鳴り響いた。

 約1週間ぶりに見た秋鹿は変わらず元気そうだが、パッチリとしていた目から黒目が隠れるように瞼がかかり、少し疲れを感じさせる。

「久しぶり秋鹿、珍しいね。……あのこの前は」

「家に入ってもいいかな?余実。外は暑いからさ」

 有無を言わせぬ形で、秋鹿は敷居を跨ぎ玄関先から家の中へと入る。

 いつもは乱雑に脱ぐ靴を揃えて脱ぎ、秋鹿は久しぶりでも内装を覚えているのか、そのままリビングへ入る姿は少しだけ懐かしい。

「飲み物は紅茶?お茶?コーヒー?」

「お茶かな?あぁお菓子は要らない。余実も座ってよ、今日は余実と話がしたかったから」

 お茶請けをお盆に乗せたが、行き場もなくなってしまったどうしよう。

 だが秋鹿はただこちらを見つめ、俺が座るのを待つばかり。話題は決まっているようだ。

「札幌のことについてでいいんだよね?俺も話さなきゃいけないことが」

「札幌のことはもういいよ、気持ちの整理は付いたから」

 言葉は遮られたが疑問が一つ、なぜ秋鹿が気持ちの整理をつけるのだろう。

 謝るべきは秋鹿を怒らせた俺にあるはずだ、俺が謝罪をしないから彼女は家に来た。そう考えていた、それ以外の理由は分からないから。

 改めて彼女の表情を伺うが、そのような印象は受けない。

 ますます理解が難しくなる、では秋鹿は何のために来たのか、分からない。

「えっとじゃあ、俺は何を話せばいいの?」

「とりあえず三つ質問に答えてくれればいいよ、それでちゃんと終わりにする」

 終わりにするって何を、まさか幼馴染としての友人関係をなのか。それは嫌だ、それが嫌だから今回ちゃんと謝らないといけない。だけど秋鹿の怒りその理由が俺には分からない。

 そんな俺を気にも留めず、秋鹿は淡々と話しを始めた。

「最初にさ、これはまだ答えてもらってなかったよね。あの人は誰?いつ会ったの?」

 鋭い目つき秋鹿はこちらを見た、皆の断りもなく友人を作ったのが問題だったのか。なんでそこまでパアヴァインを目の敵にしているんだ。

 だからと言って質問させて貰えるような雰囲気ではない、だから今は素直に答えよう。

「パアヴァインについて……、でいいんだよね?」

「そう札幌で余実と話していたい人、へぇーパアヴァインさん、ね」

 秋鹿の反応は恐ろしい程に冷めていて、興味がないと言っても過言ではない。

「うん、ツキキュウケ・パアヴァイン。初めて会ったのは夏休み前日の夜なのかな?正直憶えてないんだ」

「ふーん、そう」

 コップの淵を指でなぞりながら、秋鹿は相槌を打つ。

「じゃ次、パアヴァインさんを両親の友達って紹介したのはなんで?」

 なんでと言われても、それは回答に困る。

 赤の他人を家に居候させていると言っても、パアヴァインを吸血鬼と教えてもそれはどちらにとっても全く利の無い行為だったと今でも思う。

「関係性があやふやだったから、余計な心配させるかなって。いきなり赤の他人を家に招いているなんて。それに秋鹿は大会前だったでしょ、迷惑で大会に支障なんて与えたく無いよ」

「支障ね、……まぁいいや。じゃあ最後」

 冷たく見つめる秋鹿の視線に、俺はごくりと固唾を飲む。

 どんな宣告をされても、納得するため。これ以上秋鹿に心配も迷惑もかけないため、そして友達としての関係を終わりにするなんて、踏み止まってもらうために。

「本当に私の気持ちに気づいてなかったの?」

 秋鹿は俺に問う。張り付けたような笑みに、頬を引き攣らせながら。

 顎に手を当てて考えようが、胸に手を当てようが俺には秋鹿の気持ちなど理解できない。理解できたなら秋鹿を怒らせることもなかった、怒らせてしまったのはひとえに俺が人を理解する能力が低いからだ。

 迷惑をかけるのも、心配をかけるのも相手への理解が浅いから、だから俺は皆を理解できるようにならなければならない。

「えっと……」

 秋鹿の気持ちを考える、秋鹿は俺に何を思っていたのか。

「……えっと……」

「分からないよね」

「ごめん、本当に分からない」

 秋鹿は呆れたようにため息を吐き、決心したように立ちあがる。

「なんで!」

 秋鹿は勢いよくテーブルから身を乗り出す。椅子は後ろへと倒れ、次の瞬間には胸倉が強く引っ張られた。

 もしビンタの一発で秋鹿に許して貰えるなら、それでいいと俺は本気で思う。

 成長ができていない俺では、生きるだけで行き当たりばったりな俺では、償いかたも分からない。できるのは精一杯の謝罪と、促された行動だけなダメな人間だ。

 そう生きてきた、そういう風にしか生きてこられなかった、そう生きるので精一杯だった。

 だから秋鹿に許して貰えるなら、その術が例えどんな方法であっても俺は納得できる。

「なんでっ、なんでわからないの……」

 秋鹿に引き寄せられ顔が近づく、秋鹿は大きく手を振りかぶる。

 けれどもその手が振りかざされることは無く、ただ俺の視界に映るのは涙ぐんだ彼女の表情だけ、涙の意味を俺は理解できない。

 俺は秋鹿を理解できない、けれど秋鹿は俺を理解できるのだろう、きっと緋煩野のように。

「ねぇ、おばさん達は元気?」

 だからこそ彼女は振りかざした手を振るうのではなく、胸倉へと移動させ俺を揺らすようにしながら俯いたままで問いかける。

「元気だと思うよ?手紙のやり取りだけだけど」

 どうしてお父さんとお母さんの話が出てくるのか、秋鹿が何は必至に何を伝えたいのか。俺には理解できない、理解できないけれど猛烈に頭の隅で警鐘が響いていた。

「ねえよっ君教えて、おばさん達とは最後にいつ話したの?なんでおばさん達はよっ君が寂しいがってるのに帰ってきてくれないの?なんでよっ君に顔を見せに来ないの?」

「それは……忙しくて日本に帰る暇がないって」

「おばさん達は何の仕事をしているの?どうして10年以上も帰らないの?」

「なぁ秋鹿何を言いたいんだよ。お父さんもお母さんも忙しい、それだけの話だろ?」

 声を荒げ、何度も質問する秋鹿。

 俺と秋鹿の問題の筈だ、そこに両親がどう関係するのかが分からない。

 秋鹿が俺に向ける涙を溜めた目も、彼女が何を訴えかけているのかも、掴まれた胸倉も、体がおかしくなりそうな焦燥感も、何もかもが分からなくい。

 それが怖くて、その恐怖から逃げたくて、つい力が入った。

「秋鹿、やめてってば!」

 胸倉を掴んでいた手を、俺は強引に引き離す。自分でも信じられないくらいの力が入って、俺は尻もちをつくように転んで、そこに覆いかぶさるように秋鹿が倒れ込んできた。

 倒れ込んだ秋鹿は、力なく俺の胸元を叩く。何度も叩く、まるで納得できない子供のように何度も何度も声を押し殺し、涙を流しながら駄々をこねるように叩いている。

「ねぇ……よっ君!」

 叩くのを止め、余実の胸に顔を埋めながら秋鹿は叫ぶ。

「……………………ッ……」

「何の……話を……」

 言葉だ、秋鹿は言葉を発した。多分俺には理解しようない言葉。

 過去になんて囚われていない、ちゃんと前を向いている、こうやって秋鹿と話している。

 それなのに、秋鹿が怖い。彼女が怖くて、彼女の言っていることが分かりたくなくて、彼女の言葉を理解したくない。

 鈍痛が頭の中で何度も波打つように訪れ、どこかで何かが壊れそうな音がした。


 ◆


 余実の家に住まわせてもらっている中、一つだけ抱いた疑問があった。

 リビングとキッチンに自室、私に用意した客室に浴室と洗面所そしてトイレとそれに連なる廊下と階段。睡眠で削られていそうな家事もしっかりこなす余実が、そこには一切近づかない。

 使わないからだけでは説明のできないまでに、そこに部屋があることすら認識していないのか、それとも部屋に入ってはいけないという強迫観念がある様にも見える。

『前を向いてよ!いつまで過去に囚われているの!』

 女の声が響き、リビングと思われる方向から大きな音が聞こえた。

 けれどそんなことはどうでもいい。

「どういう事だ?」

 余実が両親の寝室だと語ったその部屋には、余実の面影を感じさせる二人の肖像と私には馴染みのない仏具、仏壇と言われたはずの仏教的な家具。

 人が暮らしていた形跡などはなく、木質系のフローリング。壁に埋め込まれた形で仏壇があるだけ、そんな質素な部屋がそこにある。

『おばさん達は10年以上前に亡くなってるよ!』

 女の声と共にガタンと音を立て、後ろの戸が開く。

 目が眩むほどに眩しいが、幸いにも日の光は入らない。女は私がこの部屋で佇んでいることに驚愕し、余実は扉を開けた女を見つめる訳でもなければ、部屋の中に居る私を見る訳でもなく、ただ茫然とそこに座っている。

 自分の意思では決して開けなかったであろう、この部屋をリビングから見つめていた。

「どうしてアナタが、いやそれよりも……」

 女はやるべきことを思い出したのか首を振り、余実の腕を引きホコリに塗れたこの部屋へと連れてくる。

 不安、恐怖、そして絶望。余実の瞳はそれらに埋め尽くされ、目には涙が溜まっていく。

「…めて……いやっ……待って!秋鹿!」

 抗うように声を荒げても、恐怖によって委縮した体を上手く動かせていない。

 ただジタバタと、子供のように四肢を動かしているだけ。

「……やめ…て、助け…て……助けて………」

 大粒の涙が余実の頬を伝った。

 助けなければという気持ちと、未だ理解が追いつかない情報整理の時間がせめぎ合う。

「やめろ!」

 それでも部屋に入る寸での所で足は動く、止めなければそれだけの行動だった。

 余実の体を抱え階段へと移動するが、時刻はまだ起床時間に程遠い昼盛り。

 吹抜けの玄関から絶えず照らす直射日光を、衣服という薄皮では到底防げるはずもない。

 絶えず入る日光が私の肌を焼き、今にも全身が発火しそう。死のうと思えば今すぐ死ねそうだ、死ねそうだが今ここでは決して死ねないし、この決死の覚悟が過ちとも思わなかった。

 例え私が塵芥(ちりあくた)になろうとも、余実が余実でなくなる事を防ぐ、それが答え。

 誰よりも優しい余実を奪われたくない、そんな独占欲も混じっていたのだろう。

 だから独占欲が脅かされた元凶を、私は怒りのままに壁へと押し付ける。

「お主……余実に何をしようとした!」

 ホコリが舞う部屋。壁が軋む音を前にし、女に問いかける。

「アナタには、関係ない!これは……私たちの問題……余実と会って1カ月にも満たないアナタが、私たちに口を挟むな!」

 女が怒鳴りの声をあげた。

「確かに繋がりは短いな、だがお前が余実に強引に突きつけようとした真実。それは余実が望んだことか?あれだけ恐慌した余実を見てお前は!」

「うるさい!じゃあアナタは待てる?私は12年待った!ただ待った訳じゃない!……小さい頃はなにもかもが、よっくんを中心に回っていた。運動も勉強だって、どんなことにも興味を持って、どんなことにでも熱中してた!せんちゃんみたいに結果が伴わなくても、よっ君は活き活きしてた!だから私もよっくんのようになれたらって、頑張って全国を取れるまで努力もした!敵わないと思っていたせんちゃんに勝てるまで努力したの!……、だけどよっくんは、おばさん達が亡くなった日からずっと、12年経っても戻ってこない!」

 女は大粒の涙を流し、押し付けられた腕を引きはがすように藻掻き叫ぶ。

 女が語る余実は、私の知っている余実ではない、だが妙に納得が行った。最初に出会った時、私を怖がるのではなく心配をしたのは、彼の底なしの善性による優しさからきた行動。

 今以上に活き活きとする余実ならばきっと、女が語る余実のようになるのだろうと。

 目の前の女はたった12年だが、人間にすればとても長い時間を待った。

 その事実は確かなのだろう、確かに私が口を挟める状態ではない。

「よっくんを返して、私達の中心だったよっくんを帰して……帰してよ」

 私の手を離れ、床に項垂れ女は嘆き呟く。

 けれど今日までの1カ月、誰よりも余実を近くで私は見て、接してきた。

 故に一つだけ、たった一つだけ女に対しての疑問がある。

 女の言いようでは過去の余実を取り戻したいと、まるで今の余実は要らないと語っているように聞こえたからだ。

「今の余実じゃダメなのか?」

「え?」

「余実は今もお前たちを大事に思っている。私は幼少の余実を知らない、けれど余実にとって、お前たちは掛け替えのない友人じゃないのか?だった」

「それはずっと傍に居た訳でもないからそんなことが言えるんだよ!アナタには分かる?大事な思い出が、まるで初めから無かったように消えていく気持ちが!」

「そうなるなら……、何度だって思い出を作ってやればいいだろう。記憶とは徐々に薄れゆくモノだ、保有している期間だって人それぞれ。失った過去を取り戻すのではなく、再び築いていく道だってあったんじゃないのか?過去に囚われているのはお前じゃないのか?」

 それが限られた生を与えられたモノが、進める道ではないのかと私は女に問う。

「……はは……」

 視線も合わせぬ、女の渇いた笑い声をあげる。

「ははっ……はっはは、過去に囚われているのはよっくんでしょ?だから前を向けるようによっくんへ私は戻そうとしたの!……今のよっ君は壊れているんだよ?よっ君と話すには気を遣うんだよ?…………でも、もういいや……もうよっ君はよっくんに戻ってくれないのはよくわかった……」

 諦めがついたように、女は脱力しながら体を起こし、私が出られない日の下へと足を運ぶ。

 玄関に置かれた自身の靴に足を伸ばし、靴を履きながら下から覗き込むように余実へと視線を向ける。

「パアヴァインさんとお幸せに……、ばいばい」

 女は最後の一滴と言わんばかりに涙を零す。そして扉が閉じ、余実の家には静寂が訪れた。

 今の私が居る部屋から余実を眺める、操り手がない人形のように茫然と階段に座り込む余実がそこに居る。

 遺影と仏具以外何もないホコリの舞う部屋の隅で、私は壁伝いに一歩、また一歩と歩みを進めるが皮膚に伝播する日光による激痛と、万全でもない体が思考の邪魔をする。

「今行くからな、余実……今…」

 余実の傍に居てあげたい、そう思っても体が言う事を聞かず私は床に伏す。

 ただ無駄に生きてきたことだけが取り柄の私が、いつまでも傍に居てあげられる筈の私が、ほぼ不死と言ってもいい私が肝心な時に余実を支えられない。

「私は一体何のためにここまで生きてきたんだ」

 体が動かない苛立ちと、恩の一つも反せない私自身に反吐が出る。

 余実の傍に行く、余実の隣に行く。それだけのことが、たった一つ日光に遮られる。

 この行動こそが罪で、そしてこの結果がきっと罰なんだ。そう思わずにはいられなかった。


 ◇


 知らない天井、知らない壁、印象に残る遺影、絶えず部屋を舞うホコリ。

 いつの間にか薄暗がりになった部屋を見て、私は目を覚ます。恐らく意識を失っていた。

 私は焼け焦げた肌に鞭を打ち、体を起き上がらせる。

「余実……、大丈夫か?」

 階段の先にある人影を確認し、私は駆け寄ろうとするが、私の足はその場で止まった。

 正確に言うのならば、足が動かない。

 半分に欠けた月明かりか、それとも東京という街の灯りか、その光は階段を照らし逆光の中にそれは居る。

 編み込みで出来た三つ編みのカチューシャが、彼女の美しさを示す気品高き王冠のように見せ、その気品高く見える王冠でさえ余分と感じさせる(ぬれ)(からす)の髪の色。

 乱れた髪を櫛でとかし月明かりの下、部屋から出た私を視界に入れ彼女がそこに居る。

 緋煩野扇子が私を見下し、見返り美人が如く後目で見つめていた。

「居たんですね、パアヴァインさん。余実は今は私の家で寝かせています」

「お主よく言うな、私が起きるまで待っていたのか?」

「眼中にもなかっただけですよ、この家に来るのは久しぶりでした……なので少しだけ余実の家を散策していただけですよ?」

「敬語はいい、本来の話し方でもないだろう?」

 緋煩野扇子は、大きくため息を吐きながら振り返る。

 美しいとしか形容できぬその容姿からは想像できぬ程、冷酷な瞳に私は改めて息を飲む。

「まぁそうか、別に目上の人だからって敬語を使い分けるのは、確かに私の柄じゃない」

 憑き物が落ちたかのように、彼女への印象がガラリと変わる。先ほどまではまるで貴族のような佇まいだったのが、今は年相応の少女のよう。

「……余実には会わせないよ、多分パアヴァインさん、貴方には一生」

「まるで私が考えていることが分かっているような口ぶりだな。いやいや正解だ、やはり私がお主に感じた傑物っぷりは本物だったらしい」

「私はそこまで大層な人間じゃないよ、余実と違ってね」

 彼女はゆっくりと階段を下る、手に持ってスマホをゴミ箱に投げ捨てながら。

 一挙手一投足に気品を感じさせるのは、彼女の美貌を映えさせるために身に着けたモノではなく、彼女の生まれから教えられた所作なのだろう。それほどに完成された、言葉通りに見惚れる動きを彼女は日常の動作として行っている。

「私は余実が好きなんだ、だから余実に想いを向ける。けど余実が幸せでいてくれたらそれでいいから、余実が幸せに生きてくれるのなら、私はそれだけでよかった」

 あの女が余実に納得できぬ現実を、緋煩野扇子は当然の如く納得し容易く口にした。

「あの女とは違い、随分自身の気持ちに正直なんだな」

「あぁ笛ちゃんのこと?笛ちゃんも余実のことは好きだったからね、同じような気持ちでしょ?見れば分かるよ。……まぁ好きだった頃の余実がいつまでたっても帰ってこないからって、こんな暴挙に出たら駄目だよね常識的にさ」

「それは……そうだと思うが、お主は思った以上にドライに生きているんだな、余実の奴は幼馴染の友人というくくりを大事にしていたように思えたが?」

 これまでの会話から感じ取るのは、緋煩野扇子は余実のために幼馴染というくくりを保っている、そのようにも感じ取れる。

 いや違う理解した。緋煩野扇子という人間は、語った通りの生き方に執着している。

 余実という個人のために、余実が一番幸せであれる状況を作り出すこと、それ以外に彼女は執着しないのだろう。

「ちょっと、遠出しようよパアヴァインさん、あなたと話をしてみたいな」

「丁度良かった私も、お主と話をしてみたかった、雑談も余実についても」

「断られなくてよかった、じゃあ行こうか」

 緋煩野扇子が余実の家の扉を開く、もう時刻は19時を回り日も落ちていて、日光を気にする必要はなさそうだ。

 彼女が捨てたスマホからは、通知音がひっきりなしに響いている。

 あれは余実のスマホではなかった、ならば彼女のだろう。倒れたゴミ箱からひっきりなしに通知音と、それを知らせるように画面が光りを見せる。

 だが彼女は、それを遮るように家の扉を閉める。

 無感情で冷徹、そして冷酷。故に彼女の瞳に今は光がない、まるで過去の自分を見ているかのようだ、余実に出会うまでの優しさを知るまでの私にそっくりだ。


 星が見えない空で、上弦の月が孤独に浮かぶ。

 表参道から千代田線の電車に乗り、1時間ちょっとを揺られ目的地が見える。

 都会の喧騒は忘れさせ、虫のせせらぎと自然に満ち溢れた都立水元(みずもと)公園に辿り着く。

 この街に来てから私は、ずっと人が近くに居る生活というモノを過ごしてきた。だがやはり人と会わないのであれば、会わないに越したことはないらしい。

 清々しいほどに、気が楽だ。一曲躍ってみせられるほど。

「お主もこういう所が好きなのか?」

「私?……そうだね、好きだよ。私は人が嫌いだからさ、こういう場所にくれば自ずと人は、景色を見て、自然をその身で体感する。昼間なら話が変わるけど、でも夜はそれが顕著だ」

 緋煩野扇子はそう言って、近くにあった椅子に腰を下ろす。

 目を瞑り、瞑想するように空に顔を向けた、彼女が言う自然を体感するとはどういうことかを見せつけるように、月明かりに照らされる。

「私を連れてきたのは、何か話したい事があったんじゃないのか?」

「話したいこと……、どうだろう。そこまで考えてた訳じゃないかもなぁ、パアヴァインさんこそ私に聞きたいことがあるんじゃない?私の機嫌は良くないけれど、聞かれたことは答えてあげるよ」

 感情を押し殺し鉄仮面の如く、張り付けた笑顔を緋煩野扇子は向ける。

 馴染み過ぎて、普通の笑顔と変わりはない、幾つもの感情が積み重なって生まれた表情。

 全て込みで人間離れしている、これを成人に満たぬ少女がやるのだ、正直怖い。

「そうだな、ではお主が本は電子ではなく紙を好む理由でも聞いておこう」

「そんなこと聞きたいの?」

「他にないと言えば嘘になるが、今それを聞きたいとは思わないだけだ」

「そっか、変な人だね。パアヴァインさん」

 人ではないからな。

 そう言ってやろうとも思ったが、自分で明かす意味もない勘違いしてくれた方が楽だ。

「特に理由はないなぁ、電子も紙も。どうせ内容は一回で覚えちゃうから、本を読み直したいときに直接そのページを開きやすい、それ以外に理由はない……のかな?」

「余実から聞いてはいたが、お主はアレだな、私が考えている以上に傑物だ」

「よく言われる―、優秀だとか、天才だとか」

 へらへらと緋煩野扇子は笑う、その目はどこまでも虚ろを見ていた。

 彼女を表すのに〝天才〟これほどまでにちょうどいい言葉はない、多くの人間にとっては憧れの言葉にも近いだろう。

 誰もが誇らしく思うその称号、それが彼女にとっては烙印と言うに相応しいとでもいうのか、それほどにまで緋煩野扇子は天才を嫌悪している。

 私には、そのようにも見える。

「あーあ、時間が解決してくれると思っていたんだけど、そうも行かないなぁ」

「まて、お主なにをしよ」

「ごめんね、……パアヴァインさんはきっと余実を殺すから、余実を生かすためにあなたを殺す。恨んでくれていいから」

 目にも止まらぬ一撃が、私の喉元を一瞬にして貫いた。

 視線を下げた先にあるのは鈍色に光る刃物、血が溢れて止まらない。

 悪意の一つ、敵意の一つ、殺意の一つを感じさない。

 ただ自身の目的を遂行するため、無感情に緋煩野扇子は刃物を振るう。

 指紋は付かないように手袋を装着し、返り血が付かぬようにただ刃物を振るう。ただ私という存在の息の根を止める為だけに、無表情で、無感情に。

 刺し終わったのか私の体は地面に打ち付けられる、視界に映る緋煩野扇子が見下ろすように立っている。教会の人間ですら、何人も人間を使い肉体の40%を破損させ私を瀕死に追い込んだというのに。

 この年端も行かぬ少女は、意図も容易く私の命に手を届かせた。

 教会と同じ装備であれば、私は塵も残さず本当に死んでいた。

 あまりに規格外だ。

 本当に緋煩野扇子、お主は天才で怪物だ。そして彼女は彼女以外なり得ないという事も理解できる、当たり前に誰もが羨むのも頷ける。

 誰もが緋煩野扇子を羨む、才能、技術、外見ではなく、緋煩野扇子を羨む。

 彼女を私は心から賞賛する。私は初めて、自身の不死性に感謝した。


 綺麗な半月が、木々の隙間から覗く。

 ある意味で自然の弱肉強食を体現したかのような、凄惨な現場に私は居た。

 血管、筋肉、皮膚という3つの防波堤は突き破られ、閉じ込められていることが普通の血液は収まりを知らずに、傷口狭しと喉を裂くような勢いで噴出を続ける。

 満月には程遠い空虚な上弦の月、それを新月としてしまわんが如く私から噴出した血は、私の視界の半分を丁寧に覆い隠す。

 無警戒という訳ではなかった、緋煩野扇子が私を吸血鬼と断定しているかもしれない。私の存在に気づいている教会が、すぐ傍まで迫っているかもしれない。

 ただ私の想定よりも緋煩野扇子という人間は、知勇(ちゆう)兼備(けんび)な存在であり、頓智(とんち)頓才(とんさい)さを持ち合わせた存在。私が生きてきた千年にも届き得る生の中で、最も全知全能その言葉が似合う人間だっただけ。

「初めて人を殺した、流石に少しの動揺はあるね。……でもどうしてだろ、余実のためになら私は捕まっても良いけど、どうして私が捕まらないよう限り得る時間全てを使って、私は私が捕まらないようにした?……保身?いいや違う……」

「余実の重荷にならないためじゃないのか?」

「……ッ!……」

 緋煩野扇子は振り返る。

 目的を遂行し解けた緊張の糸、自らの手で今この場で葬ったはずの存在。

 それが何故か目の前に居る、流石の彼女も普段は隠れる上下の白目をあらわにし、文字通り目を丸くし瞳孔が開く。緋煩野扇子が私の前で初めて見せた驚愕の表情。

「……どう……して?……」

 なんだ、そんな人間らしい顔もできるんじゃないか。

 私が感心した矢先、彼女は既に冷静さを取り戻す。

 行動の結果、緋煩野扇子は最初に自身を疑い、次に私を疑う。彼女ほど聡明な人間であれば、その答えに辿り着くのに時間はきっと2秒と掛からない。

「……不死?そんなことあり得る?でもそれ以外に説明が付かない……」

 常識の外側への理解があまりにも早すぎて、流石に恐怖が上回ってきはじめた。

「納得までが早いな本当に、……お主程の逸材を世界は放っておくか?普通。よくその思考で脳を開かれないな、一度も検査しなかったのか?」

「生憎私の脳年齢は、昔からずっと18歳だからさッ!」

 既に血の付着が取れた刃物を、彼女は勢いのままに振り切る。

 数にして十数本のブロンドの髪を切り裂き、そして再び私の頬にその凶刃が届く。

 攻撃されるのは分かっている、避ける準備もしている、あまつさえ反撃する準備も整っていた。だというのに避けられないのだから、この現象に脳が理解を拒んでいる。

「そういう話か、普通」

「そういう話だよ」

 即座に結論を付け、恐怖という名の勇気を踏み出すには長すぎる悪路。

 その地雷原にもなりかねない不確かな一歩、それを彼女は容易く踏み抜き最短で迫る。

 眼球、首、心臓、その他各臓器を緋煩野扇子は的確に突き刺した。

 わかっていても避けられないのであれば、自身の再生のみを頼りに私は手を伸ばす。

 刃が皮膚を貫き、肉を貫き、傷口からは鮮血が宙を舞う。

「本当に……鬱陶しいッ」

「怪物相手に抱く感情がそれか……」

 目が攻撃に少しだけ慣れた。相変らず避けることは難しくとも、いなすことはできる。

 それでもダメージの方が激しい、教会に損壊させられ60%となった体。余実の血を毎日貰い70%ほどにまで再生してこれだ。

 今日の日光と確実に命に届いた刺突、そして今も再生と破損を繰り返す状況。

 死んでいなければ再生はできる、それは私にとって指を動かすより単純な行為だから。

「でも死ぬな、このままじゃ」

「なら余実を生かすために死んでくれないかな?パアヴァイン!」

「まるで私が、余実を殺すような口ぶりだなぁ」

 緋煩野扇子が右手に持つ刃物を、私は左手を貫通させ掴み取る。

 傷口からの出血は、既に傷口へ逆流によって再生を不完全な形で終了させる。

 武器を持った相手の武器、それを手っ取り早く奪う方法を最速で考えた。

 その結果がこれ、私自身に刺して固定してしまえばいい。

「どういう構造しているんだ、この不死身は!」

 刺された刃物は骨と筋肉、その両方に縫い付ける形で再生を行う。刃物がどれ程鋭利であろうが押さえつければ刃は止まる、代償があるとすればめちゃくちゃに痛い。

 そして緋煩野扇子ほど並外れた人間であれば、成功した場合も失敗した場合も、限りなく失敗に近い場合や失敗に近い成功の場合。成功はしたが完遂できなかった場合、それらすべての状況を考えていない筈がない。

 恐らくすべての場合を考え、それらに至る過程に思慮(しりょ)を行き届かせ、今と言う現実を考慮して、全ての可能性をパターンとして組み込んでいるからこそ用意が良い。

「全くでたらめすぎて嫌になる。……そこまでのIFを、どう脳に組み込んで置けるんだ?」

 私の真っ赤な瞳は、最初から最後まで緋煩野扇子を視界から外していないというのに、どうして既に後ろを取られている。

 その両手に持つ刃物はなんだ、口に咥えた銃器はなんだ。

 用意周到という言葉で言い表すにも限界というモノがあるだろうて。

「生憎、生まれつきこういう考え方しかできないからさ!」

「まずい」

 私は右手で左手に刺さった刃物を抜き、相手の左手の刃物を目掛け投擲する。

 不完全な形で再生を終了したことが功を奏した、本気で抜けば刃物は激痛を引き換えに抜き取れ、攻勢に転じることもできると思うだろう誰でも。

「だからそれが人間の動きか?いや本当に」

「私の取り得の一つだよ」

「恐怖の一つくらい抱けよ、その方が可愛げもある」

 投擲した刃物は正確に、彼女の左手の刃物に当たる。そう当たるように彼女が仕向けた。

「残念なことに可愛げで余実は生かせなかったんだよ。パアヴァイン」

「……カハッ……」

 違う、先ほどまでの致命傷と決定的に何かが違う。この身ヲ焼くような痛みはなんだ。

 胸を抉る刃物、傷口から血は溢れ、それでもと私の体は再生を志す。

 だが決定的に何かが狂い、再生は上手く進まない。

 私は胸元に捻じ込まれた緋煩野扇子の手を覗く、彼女が手にしたのはテーブルナイフ。

「不安だからさ。どんな状況にも対応できるように、何度も、何度も考えた」

 それは吸血鬼(わたし)達のような怪物に攻撃を通すのに、もっとも安価で、最も入手のしやす、紛れもなく誰にでも持つことができるモノ。

 銀製品(それなら)なら、確かに怪物の弱点になる。

「あはっ、(ふる)きを(たず)ね新しきを知るとは、よく言ったものだね……弱点一つ見っ」

 気分の高揚、それにより生まれた明らかな隙。

「クソッ。本当に小賢しいなお主は」

 振り切った拳はいなされ、発生した風圧によって緋煩野扇子は空を舞う。

「わっはッ……、すっご」

「少しは怯め、お主は人間だろうて」

 その身一貫で宙を舞う経験など、人間として経験しないだろう。それなのに着地も受け身も、そして立ち上がりも、緋煩野扇子の動きは全てが最適解。

 この状況でも彼女は無邪気な笑みを浮かべる、まるで遊びを覚えた子供のように。

「そんなに好きか、自分の体を動かすのは」

「いいや運動は嫌い、静かに本を読んでいる方が好き」

「なら早々に倒」

「でも一人の人間として、人生を賭けるべき時はあるでしょ?」

 彼女の右手にある刃物は、下から上へと切りあがる。

 その刃物は私の髪を掠め、眼前を通る。

 懐に入られたが、どういう訳か回避が間に合った。

 死なない程度に、けれどある程度の威力を持った軽めの一撃を……。


 いや待て、なぜ回避が間に合った?

 その愚問を私自身に問いかけた時、既に緋煩野扇子へ向けた拳は、飛び上がった彼女の腹部に命中していた。

「……ゴフッ……」

 私の拳は確かに緋煩野扇子の腹部へめり込む。

 私にとっては軽い一撃でも、人間にとっては決して軽い一撃ではない。

 どうして緋煩野扇子は私の攻撃をいなすのではなく、とっさに受け止めもしないのか。

 私の伸びきった腕を握りしめ、攻撃の確実な命中を狙ったのか。

「私は……私は余実を生かすためなら!どんな嫌なこともできる。だからパアヴァイン!」

「どこまで人間離れしているんだ?緋煩野扇子!」

 偶然だ。

 私は偶々余実に入れ込んだ。初めて人間を友と呼んだ、友になってもいいと心から思えた。余実という人間が壊れることを拒んだ、余実の居場所を知るためにココに居る。

 緋煩野扇子は余実の居場所を知っている、無理やり吐かせるという選択肢もあったのに、私は穏便に事を済ませようとしていた。

 緋煩野扇子がダメージを受けてまで、確実に命中させようとした一刺し。

 回避は不可能、狙いは心臓。不死性を以てしても彼女は教会同様、再生を阻む策を講じる。

 勝ち負けなんてどうでもいい、余実の居場所が知れさえすればと、考えは変わらない。

 やはり偶然だ。ここまでの行動は私の気まぐれ、だがそれでも吸血鬼(わたし)は人間に負けた。


 相手を人間として扱えば、余実に会えず確実に私は死ぬ。

 勝ち負けなんかじゃないのは理解している。しかし人間を人間として見られなくなった時点で、緋煩野扇子の勝利であることは揺るぎなかった。

「本当に厄介だな、お主は」

 尾てい骨周辺から羽を剥き出し、私は空へと跳躍する。

 普段滑空でもしない限り羽を出す必要はない、浮遊にも羽が必要な訳ではない。

 距離を取るためでもあれば、少しでも浮遊の時間を稼ぐためでもあるが。

「全部言い訳だな」

「厄介なのはアナタだよ、パアヴァイン。人間じゃないことは分かる、不死身と言ってもいい存在なのも分かる。けどさそんな風に逃げられちゃ、流石の私でも……」

 私の敗北宣言を、緋煩野扇子は遮った。

 たった数秒間の直視の後に、震える瞳で私を見つめ彼女は声を荒げる。

 そのたった数秒に幾つもの行動があったか、私には分からない。

 だが、目を見れば結果は分かる、緋煩野扇子は種族という差で敗北を悟ったと。

「………いだから、お願いだから!私に!殺させてよ!私がアナタを殺さなきゃ、余実は死んでしまう!余実には死んでほしくない!だから……」

 涙を堪えながら彼女は叫び懇願した。もうこれ以外の術では自身の望みは叶わないと理解できる、客観的視点の怪物だ。

「年端も行かぬ子どもの恋心にしては、お主は歪みすぎだ。お主ほどの聡明な人間がそこ気づかないか?普通」

 私が存在すれば、余実は死ぬ。

 あまりに突飛な発想だが、歪んだ恋心もここまで行けば純愛か。

 私の想像とは裏腹に、彼女は涙を浮かべ叫ぶ、私の言葉に否定するためではなく、ただ当たり前のことを訴えるように。

「アナタは一人でも生きていけるでしょう?けど余実にはその余力すらない!」

 余実には生きる余力は残されていない、緋煩野扇子は確かにそう言った。

「夏休み入ってからずっと一緒に居たなら分かるでしょ?余実が危うい状況だって」

 緋煩野扇子の言葉が、私が持つ違和感の正体の紐を解く。

「これでもしアナタまで目の前で失ったら、余実は今度こそ生きていけない!」

 緋煩野扇子の言葉には、身に覚えがあったから。

 出会ってから上手く掴めなかった、現似余実という人間の在り方。

 現似余実は既に壊れている、故に一切の迷いなく彼は私を善意と優しさで助けたのだと。


 疲れやすいのも、彼がよく眠るのも、全部がその結果の残滓。

 無意識下で行われた逃避。推測の域は出ない、恐らく起因は無意識に遠ざけた両親の死。

 もう生きているとは言えない、しかし生きる為のトリガーは降ろされた。

 余実の生の裏にあるのは、究極の現実逃避。

「余実には、幸せに生きていて欲しい。私を始めて人間として見てくれた、大切な人なの」

 跳躍を止め、私は地面に足を着くと、緋煩野扇子は再び迫る。

「お願いだから、余実を殺さないでください……余実をこれ以上」

 その先は私には聞こえない。地面にめり込むほどの土下座を緋煩野扇子は恥も外聞も捨てて、彼女とは生きる世界の違う怪物に頼み込む。

 幾ら汚れてもいい、幾ら傷ついてもいい。ある一人の為に自分がどうなろうと構わない。

 その行為は、どこまでも自分のためで、どこまでも余実のため。

 緋煩野扇子の行動理念は、正しく歪んだ愛から来るものだった。



 どれ程の静寂が続いたか、未だ緋煩野扇子は頭を地面につけていた。

 勝ち誇っている訳ではなく、無言の間が続き私は彼女をただ立って見下している。

 緋煩野扇子が挑戦した、私を殺すというルールであれば私は勝利を収めた。

 だが緋煩野扇子と吸血鬼という分野の勝負では、私は負けた。それこそ完膚なきまでに。

「お主いつまでそうしているつもりだ」

「……アナタが余実を見捨てるまで、ずっと」

「今私が死ぬ分には、余実の精神は修復できる。その確信があるから私を殺そうとした」

「……はい」

「……まぁ良い。面をあげろ、あげろって。……はぁ誰に似たのか頑固だな、お主」

 大きくため息と一緒に息を吸んで首根っこを掴み、緋煩野扇子を立ち上がらせた。

 折角の美人顔が台無しだ。

 土に塗れ、草に塗れ、涙に溺れたような辛気臭い面。余実が見たらどう思うか

「美人が台無しだな。とりあえず余実に会う、そこから先のことはそのあとだ」

 呆けている緋煩野扇子の口角を、羽を使って持ち上げる。

「お主が泣いていたら、余実も困るだろうが。だからお主は笑っていろ」

 泣いている女は嫌いだ、目の前で女に泣かれるのも嫌い。

 悲しみの涙なんてもってのほかで、見たくもない金輪際御免だ。

「変顔でもしてやろうか?」

「……してほしいかも」

「本当に望む奴が……まぁいい、ほら」

 私ができる最大限の変顔を披露してやろう。何も頼れず、何も救いはなく、それでも前を向こうとして、蝿が集る血だまりに映っていた私の顔の真似。

 どうだ、まるで婆のようだろう。

「ふっはっははっは、何その顔……あははっ」

「そこまで笑うか?普通。まぁいいさ、お主に見せた以上金輪際誰にも見せんと決めた」

 私を殺そうとした奴に、自嘲気味な気分にでもならなければ、他人になぞ到底見せることも無い顔を披露したというのに。

「……余実には見せてあげてよ、笑ってくれるかもしれないから。その顔」

「誰が見せるか、余実にだけは見せん」

「多分余実なら、ちゃんと受け止めてくれるよ。その顔の意味もきっと」

「当たり前に私の記憶を土足で踏み荒らすな、名探偵にでもなればどうだ?ホームズ」

 容易く人の内情をズバズバと、プライバシーという概念が育っていないのか。

「憧れてなんかない。これは初歩的な推察だよ、ワトソン君」

「先ほどまで泣きべそかいてた、可愛らしいガキはどこへ行ったんだ」

「さぁね。ここに居るのは余実のことが大好きな、余実に生意気を言うガキだけだ」

 夜風が濡烏色の髪をほどきながら、緋煩野扇子の意思を巻き込み靡かせる。

 掴んでいたはずの首根っこの衣服からは、自然と手が離れ私はただ立ち尽くす。

 きっと疲労が回復しきれていない、そうすることにする。

 彼女はそこに居る、私が笑わせた顔は崩れず仮面が外れても微笑んでいた。

 そうだな、今は彼女を習って笑う事にしよう。


「こらー君たち!ここで何をしているんだー」

 こちらに向かってくるのは、ライトを片手に持った警察らしき人間。

「あ、やば……時間かかり過ぎた所為で、色々な工作が……」

 周囲を見渡せば抉れた地面と半壊した椅子、そしてへし折れた木が丸々一本。

 これだけの余波が発生しておきながら、なぜ目の前のコイツはぴんぴんしているんだ。

 真面目に聞いても恋のパワー、なんて真面目に返されそう。想像すると少し面白い。

「とりあえず逃げるとするか、私の都合的にも悪い」

「あ、そうだよね、じゃ次いで私もよろしく」

 乗りかかった船か、の月夜に照らされた私達は人ならざる跳躍によって姿を消した。

 これぞ吸血鬼の真骨頂。それはそうと私の血以外は、残骸として残るがどうしたものか。

「お主が使った刃物。私は持ってきてないが大丈夫か?」

「あぁそれなら、ちゃんと拾ってる。安心して」

「大概だな、お主」

 本当に人間か?緋煩野扇子。

 100%人間だから恐ろしいのだ、緋煩野扇子。

 今更ながらこんな女と、家に来たあんな女。

 この両名に好かれる幼少の余実は、一体どんな人間だったのだろうか。


 もしそこに……。


 やっぱり何でもない。考えるだけ不毛で、空虚な想像そんなモノに浸ろうとするには、きっと何百年も遅いのだから。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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