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第2週 吸血鬼は昼に外へ出たくない

一括で投稿している関係上、碌に語れることがないんですね。申し訳ない。

ただ本当に作品を完成させるという事が目的すぎて、もしかしたら1話長すぎて読みにくいと思われる方が多いかもしれません。

そこは本当に申し訳ない。

 真夏の深夜、煌々(こうこう)と輝く電灯と満月に比べると余りに薄明な月の下、彼女は(あらわ)れた。

 不完全な下弦を完全に変える為、止まる事を知らぬ時間が日を跨ごうとしている。

 そんな闇の中、彼女は燦然(さんぜん)と背丈ほどもあるブロンド髪を輝き、靡かせ、咲き誇るように広がっていく。

 その中心に、麗々(れいれい)しい真っ赤な瞳を()(ずい)とし、大輪の花が(うつつ)()()(さね)を飲み込んだ。

 どこまでも巨大な存在感とは裏腹に、矮小とさえ思う口から紡いだ言葉。

「吸血鬼……ほんとに?」

 吸血鬼、あるいはヴァンパイア、彼女は自身がそれであると口にした。

 人間ではない、参上の仕方も、この体積が無いとさえ思う体重も。

 納得させる証拠はある、だが自己申告の吸血鬼など、荒唐(こうとう)無稽(むけい)で信じがたい話。

「お主、私の言葉を疑っているのか?」

「いや、まぁ。疑う疑わない以前に、この状況を受け入れられる人類の方が、希少じゃないかな?」

「ふむ、確かに」

 この自称吸血鬼、醸し出す威厳の割に頭が軽いのかもしれない。

 人間とは住む世界が違うと語った割には、こちらの疑問を容易く受け入れる。

「お主に問いたいのだが、私が吸血鬼であると一番手早く証明する手段は、何だ?」

「えぇ?……」

 少し悩む、吸血鬼が吸血鬼である証明など、考えたこともない。

 ただ間違いないと、声を大にして言える事があるとするのなら、この事実は易々と受け入れられはしないという事。

 ならば怪物が怪物の証明をする必要はないのではと俺は思う、恐らく怪物というのは、その場に存在するだけで皆が、その存在を理解するのではなかろうか。

 吸血鬼を自称する彼女を、俺は凝視し見つめる。

 彼女が吸血鬼だと語るのであれば、証明するよりも、こちらが吸血鬼との類似点を直接見つけること、それこそが確実だと思い至った訳だ。

「何をジロジロと見つめておる、私の美貌にひれ伏したのか?」

「ちょっと黙ってて、貴方の吸血鬼成分を探しているから」

「もう少し何か思うことが、あるべきじゃないか?そこは人として」

 傲岸不遜な態度とは打って変わり、彼女は頬をピクピクと引き()らせ疑問を問うた。

 人として何を思うことが正しいか、それを余実が知る由はない。

 というよりも吸血鬼が、人となりを語るというのも、おかしな話ではないだろうか。

 現似余実個人としては、彼女は空から降ってきた、絹の様に軽い綺麗な存在でしかない。

 それが異常であるのは、自明の理ではあるのだが。

「この髪は地毛なの?」

「当たり前であろう?私が懇切丁寧に手入れを施した、我が毛髪に見惚れたか?」

「ふーん……赤い目は綺麗だと思うし、派手な髪に比べるとドレスも落ち着きがあって綺麗だと思うけども」

「よせよせ、余り褒めるな、こそばゆいぞ。……でもまぁよく言われる、私自身そうあろうと心がけてもいる」

 彼女は事実の前に鼻高々に語る、その姿は貫禄よりも、頑張り褒められた子供の様だ。

 微笑ましくは思いつつも、困ったことに彼女を吸血鬼だと証明する術を、どうやら俺の凡庸な頭では思いつかないらしい、改めて彼女を伺う。

「なんだ?まじまじと、……やはり?あぁー違いそうだな……」

 目が合うなり勝手に会話を始め、勝手に納得し、寂しそうな目を向け、騒がしい。

 逸れた思考を改めて彼女を見た。

 真っ赤な瞳、宝石よりも煌びやかで、だからと言って見せびらかす訳でもない気品のある色、見れば見るほどにその目に惹かれ、どんどん吸い込まれるようだ。

 つい最近も赤を見た気がする、滴り床に残った赤、その赤と吸血鬼は結びつく。

「吸血鬼ってことなら、血を吸うとか?」

「あー、それはだな、事情は様々とあるのだが、今の私は吸血鬼としての最低限度を満たす程の力も残っていなくてだな。……はは」

 言葉を聞き、俺はベランダから自室に戻る、窓に鍵をかけ更にカーテンを閉じる。

 そうだ俺は何も見ていない、今さっきの出来事は夢現(ゆめうつつ)、そう思えばいい。

 どうあがいても無理だ、折角思い至った案さえ実行できないのならば、自称吸血鬼の証明することは不可能だ、どうせ夜ベッドに横になっていれば眠れる筈。

 なんだかベランダから声がするが無視、イヤホンをして音を遮断しよう。

「待て待て、ほら八重歯、八重歯が凄く発達しているぞ!これはどうだ?」

 頭まで覆った布団を蹴とばす、ベランダの鍵は閉めたし、カーテンも閉じた。

 なのにこの自称吸血鬼は、まるでそこに隔たりなど無いと言わんばかりに、俺の部屋に入り蹴りをすり抜け、本当に人よりは何倍も発達した八重歯を見せつけている。

「それじゃあ吸血鬼じゃなくて、幽霊じゃん!……ガッ」

 驚き俺は体を起こす、先ほどはすり抜けたのに今度は、俺の頭が彼女に激突した。

 常識とは言えぬ現実の連続、少ない脳内のキャパシティが限界を迎え、意識が落ちていく。

「おーい、寝るなー。私の活動時間は夜なんだぞー!」

 遠くでそんなことを抜かしている、自称吸血鬼兼幽霊の声が聞こえた。

 どこか温かい、嫌味のない感覚だ、これならば今日の夜はいい夢が見れそうだ。


 ◇


 眠りが深い間は気にも留めない、鼻孔をくすぐるような不快感が眠りを妨げてくる。

 手を払えど払えど、それは幾度となく鼻をくすぐり体をくすぐり、余実の瞼を開かせた。

「あぁー、くすぐったい!」

 中途半端な覚醒への怒り、目覚めの良い起床にはならなかった不満。

 いい夢を見ていた気もするが、それがなんだか思い出せないもどかしさ。

 動かそうとした足が動かないどころか、痺れるまでに圧迫された違和感。

 原因を探るべく瞼を擦る、ピントのズレ、視界の歪みは増し、色彩の認識がやっと。

「なんで俺の部屋こんなに金色になってるんだ?」

 ぼやけた世界で、この目で認識できるのは、扇状に広がるような金色(こんじき)の何か。

 金銀財宝に囲まれるような生活はしていないし、緋煩(ひぼん)()の家程に資産湯水の如く資産でもない限りは、床に純金製の意匠を凝らすことなど、ないだろう。

「流石に緋煩野の家に失礼か……」

 俺は手を伸ばし、その金色の何かに触れる。

 柔らかなさらさらとした手触りがある、金を求めた幻覚の類ではないらしい。

 そこに実体は存在する、家に金色の何かなどあっただろうか。

 いつまでも撫でていたいような、こんな物があるのなら、俺は一日中触っている。

「いい匂い……、落ち着く……」

 フローラルな香りだ、寝覚めに香ると再び眠りにつきたくなるような、そんな香り。

 あとは重しの様に圧し掛かり、痺れきった足をどうするか、歩けば楽になるだろうか。

 一歩進めると足全体にピリピリと電流が走る、地団駄を踏んでいればいつかは楽になるか、気持ちを切り替えて自室をあとにし、俺は朝食を用意しに1階へ向かった。


 締め切ったリビングのカーテンを開き、エアコンを起動し日光浴。

 外に出なければ日光浴とは言えないかもしれない。

 しかし窓というたかだが厚さ数㎝の隔たり如きで、日光によりもたらされる、なんとかニンと紫外線を遮る事などできる訳がない、そう思うことにしている。

「そうこれはプラセボ、……でも暑い、凄いまぶしい」

 数分にも満たない日光浴の最中、テレビでニュースを視聴して、眩しさに耐えられず退散。

 キッチンに移りタブレットを起動したが、今すぐに対応する通知は無さそう。

 朝食は卵とウィンナーをフライパンで焼くだけ、蓋をし中火で、タイマー設定3分。

 トースターには、6枚切りの食パンをぶち込み、野菜室にあるレタスを適当に用意し、皿に盛り付けるのではなくとりあえず口へ。

 シャキシャキとした食感、これこそが野菜という感想、冷蔵庫に常備してあるミニトマトも二つ口の中へ。

「すっぱい……、昨日は甘かったのに」

 どうしてトマトというのは、こうも当たり外れがあるのだろう。

 瑣末(さまつ)な事を考え、俺は頬杖をつきセットしたタイマーの告げる完成を、茫然と待っていた。


 カチャカチャと食器を洗う、眠たくなるような作業を蛇口から出た水の冷たさを頼りに、俺は毎日の日課として切り抜けている。

 朝食の感想は、可もなく不可もなく、そもそもが朝食は基本毎日固定。

 変わるのは目玉焼きに何をかけるか程度、素材の味こそが至高と言えば聞こえはいい。

 シンクに着けた水切りラックに食器を置き、ソファーで一息を付いた。

 後は顔を洗い、歯を磨けば1日の50%は終わったようなもの。

 暑い日にわざわざ外へ出かける理由も見つからない、だからパジャマのまま過ごしても文句を言う人はいないのだが、両親との手紙で書かれていた事を思い出す。

 休日で外に用事がない時は、パジャマのままで1日を過ごすと洗い物が減る、一人暮らしに置いて、これは画期的なアイディアであると両親に手紙を送った。

 返事は急な来客を考え、着替えなさいが言伝、実に真っ当でぐうの音もでない正論だ。

「でも洗い物が増えるのも、それはそれで面倒なんだよなぁ」

 自堕落な言い訳は幾らでも出てくるが、今日くらいはと思う気持ちを1階へ残し、自室の扉を開いた。

「そういやなんか朝…、なんだっけ」

 寝起きの記憶は少しあやふや、思い出しそうになりながら俺は自室へ。

 朝カーテンを開かなかったせいか、それとも遮光カーテン性能がいいのか、余実の部屋はどこまでも暗く、生活感のない部屋である。

 デスクと椅子、ノートパソコンに本棚。壁面クローゼットが備え付き、緋煩野から誕生日に貰った人をダメにするソファーとベッド、それだけの質素な部屋。

 そこにはこの部屋に似つかわしくない、何かがあった。

 そして俺はその何かを知っている。

「吸血鬼じゃん」

 自称吸血鬼が夜に顕れた、そうだ俺は覚えている。

 ただおでこを人差指で小突いても、彼女が誰であるかは思い出せない。

「確か月休憩みたいな名前……まぁいいや、おーい起きてくれー警察呼ぶぞー」

「んにゃ?…にゃむ、…くぅ」

「起きる気配がないんだが?カーテン開いてやろうか、コイツ」

 彼女が吸血鬼というのであれば、日光は天敵の筈だろう。

 伝承を鵜呑みにすると日光で彼女は死に、俺のベッドには大量の灰が残される。

「堪ったもんじゃない、流石にそれは。片づけるのが面倒すぎる」

 例え罪には問われないとしても、人間の形をしたモノに手をかけけるというのは、良心の呵責に(さいな)まれるのもあるが、文字通りそんなことになると面倒くさい、ただその一点。

 1日くらい自室を明け渡してもいい、逆に考えろと、どこかの誰かも言っていた。

「まぁいいや、課題……は緋煩野にやらされるし、久しぶりに本でも読んでよ」

 我儘な高尚にして、偉大なる自称吸血鬼様には困ったものだ。

 俺は内容も殆ど暗記している、色褪せを起こした本を本棚から手に取った。

 自称吸血鬼は、ベッドの半分を幸せそうな寝顔で占領しているが押し退け、栞を挟んだ訳でもない適当なページを開く、多分場面はあそこの部分。

「やっぱりね、ここら辺だと思った」

 開いたページは物語の序盤の終わり、主人公に訪れた悲劇から。


 黄昏時、西向く太陽は黄金色に輝く中、茜色の空を視界端に捉え俺は目を覚ました。

 閉めていた筈のカーテンは、どういう訳か少し開いている。

「あれ?いつの間に寝ていたんだ?俺」

 しおり替わりに入れ込んだ指を本に挟め、いつからかは分からぬが俺は夕刻を迎えるまで眠っていたらしい。

 指を挟んでいるのは、終盤も終盤、俺は物語の終幕直前で本を置いている。

「内容を覚えているから、余韻も何もないけれども、なぜにここで読むのを止めた?」

 眠る前の記憶は曖昧で、思い出せる気はしない。

 何かあったような、そんな感覚を覚えながら体を起こすと、ある一点に俺は目を惹かれた。

 そこにあるのは、長い長いブロンドの髪の毛。

「なげぇ髪……、邪魔じゃないのかな?」

 昨日見た彼女も、朝にベッドを占領した彼女も、幻ではなく確かにここに居たのだろう。

「不法侵入も良い所だけど、帰ったのか?」

 まぁ帰ったのならば、帰ったで問題はない。

 そもそもの話、なぜ人様のベッドを我が物顔で眠っていたのかが、個人的には気にはなる。

「ようやく起きたのだな、私を待たせるとは何様のつもりだ?人間」

 扉を開けた、そこには俺の自室とは反対側の扉の前で、言葉とは裏腹に縮こまりながら座り込む、とても美しい自称吸血鬼の彼女の姿がそこにはあった。

「あ、居たんだ……えっと自称吸血鬼さん?」

「自称じゃない、紛れもなく私は吸血鬼、吸血鬼ツキキュウケ・パアヴァインだ」

「ツキキュウケパア……バイン?」

「バインじゃなくヴァイン……オイ待てお主どこを見て、ヴァインに疑問を抱いている?」

「え?いや……秋鹿よりは小さいていうか、緋煩野とどっこいというか……、まぁ俺は良いと思うよ機能的で」

「お主少し口が滑り過ぎだな、次は無いぞ?というか黙れ」

「あっ……はい」

 吸血鬼は、胸に自身の手を宛がったが、しょんぼりと口先を尖らせた。

 そこには満足行くものは無かったらしい。

「とりあえずなんて呼べばいいの?吸血鬼さんでいい?」

「人前で吸血鬼なんて口走ると、お主の世間体に支障は出ないのか?」

「じゃあパアヴァインさん?敬称はつけた方がいいのかな?」

 海外の人は姓名が、名姓だったはずだ、ファミリーネームというのだったか、呼び名は別にそちらでも構わないだろう。

「いらん、私から見ればお主が爺だろうがガキだよ、……だがなんというか……初対面の時と比べると……」

「え、なんか言った?」

「何でもない、随分とすんなり受け入れるな。昨日もそうだが、もう少し慌てふためくんじゃないのか?普通」

 確かにそう言われてみればそうだ、だが衝撃は昨日に受けたものであるし。

 今この事実が摩訶不思議には変わりなくとも、どうするのが正しいのか。

「えっとじゃあパアヴァインに質問は、大丈夫?」

「いきなり敬称を辞めたな、お主……。まぁよい、それは答えられる範囲ならば答えよう」

 良いって言ったじゃんという気持ちを静め、とりあえず抱いている質問を問おう。

「なんでそこで(うずくま)っているの?」

 部屋から出た先にある影に、パアヴァインは身を潜めるように体を丸めている。

 その様がさっきから気になっていた、なぜ家にという話でもあるが、なぜ態々そこにという話でもある。

「私が目を覚ました時、何故かお主は再び眠りについていたのでな、目を覚まそうと夕暮れの日差しで起こしてやろうと思った、のだが……この通り肌が焼けたのだ」

 そう言って彼女は、服の袖をめくる。

 そこには大きな火傷痕のモノに覆われ、見るも無残になった肌があった。

「日の光が当たってこと?……というか冷やす物持ってくるよ」

「いや冷やしても意味はない、気にするな。これで少しは私が吸血鬼だと信じたか?」

「灰にはならないんだ、そこは伝承とかと違うの」

「まぁ成りたての吸血鬼であれば?灰になるだろうさ」

 突如としてパアヴァインは、自信満々に蹲った姿勢を変え、立ち上がる。

「私は、否、私こそが絢爛(けんらん)華麗(かれい)、赫々(かっかく)しく、堂々(どうどう)たる、尊大な吸血鬼、ツキキュウケ・パアヴァイン、そこらの吸血鬼と一緒にしてくれるな」

「へぇーそう……、ん?それって大体同じ意味なんじゃ?」

「そこは気にするな、響きがいいだろう?……って本当に興味無さそうだな、お主」

「そういう事ならいいんだけど……いや、いいのか?」

「それよりもお主の名を、私はまだ聞いていない、名乗る事を許す」

 おぉ本当に尊大な態度だ、昔の王様みたいな立ち振る舞い。

 自身を吸血鬼である証明に手こずっていた存在とは、到底思えない程に。

 しかしながら、確かに言われてみれば納得できる部分もある、凄くて、偉くて、凄いと自称するのも納得の、普通とは一線を画す見た目である事は事実。

 傍若無人の彼女に比べれば、平々凡々で名乗ることも心苦しくはある。

 だがそれでも俺は両親から受け継ぎし苗字と、授かりし名を精一杯、自信満々に名乗ろう。

「俺の名前は(うつつ)()()(さね)、偉大でもなければ尊大でもないけれど、えっとよろしく」

「ウム、ウツツニ…ヨサネ……ならばヨサネだ。()い!いい名前だ」

 ふむ……、名前を褒められるというのは少し新鮮で、こそばゆくもなるが悪くない感覚だ。

「ときにヨサネよ、いきなりで悪いがお主に頼みがある」

「なに?朝からご飯食べてないから、お腹でも空いた?簡単なモノでよければ作るよ?」

「まぁそれに近いな、時間は取らせんし、手間もかけさせない」

 なぜだろう、彼女の発言にものすごい含みがあるような。

「お主の血をくれ、簡単だろう?」

「あー……ん?」

 その言葉を理解するのに、時間は必要なかった、考えないようにしていただけで、頭の片隅に最初からそれはあったのだから。

 刹那、俺は玄関に差し込む、日の傾き夕焼けの陽を確認した。

 薄暗までは残り幾ばく、だがそこに日は確かにある。

 行ける、そんな確信があった。


 ◇


 駄目だった。

 パアヴァイン曰く、今は吸血鬼としての力は、十分に発揮できない。

 そんな事を抜かしていた記憶もあるのだが、なぜか俺は彼女の尾てい骨付近から突き破り出でた、コウモリの翼のような形を取る黒色の羽で体を拘束している。

「それを昨日見せてよ、もっと早く信じられたって……というか動けないんだけど」

「そりゃ逃げようとしたからな。だが羽を持った存在なんて、どこにでも居るだろう?」

「少なくても17年生きて、俺は会ったことないけど、逆にどこで会うっていうのさ」 

「……街灯の下とかによく?」

「まさか人間と、蛾を同レベルとして語ってます?」

「同じようなモノだろう?私に比べれば、か弱く、貧弱で、数ばかりが増えていく、私から見れば無にも等しい時間を生き、子を成し、世代を繋ぐ存在だろう?」

 パアヴァインが両指を無造作に繋げ、そしてすぐに離れ、そこには何も残らない。

「まぁ確かに……虫も子を成し次世代に託す性質は同じだとは思うけど……けども」

「けど?なんだ?違うことがあるのか?」

「人間は文明を発展させたりするし」

「その発展した恩恵を得るのは、発展させた本人ではないだろう?そのもの子、あるいは更に世代を渡った先だ」

「……最近の技術進歩は早いと聞くよ……」

「確かに、全盛が40年も続かない人間にしてはよくやっている。そこは私も認めるさ」

 苦し紛れの言い訳ではあったが、彼女が人類を少しは認めたことに背中側に拘束された、右腕を強く握る、決して自分の事ではないのだが少し誇らしくなった。

 精一杯のガッツポーズ、だがそれが脱出を企てた合図として反応されたのか、本来そこまで器用に動かすモノではないのだろう、彼女は反射的に拘束を強めた。

「痛い、痛い」

「話が逸れたな、本題に話を戻すとしよう」

「血をくれって話だろ?普通に嫌だよ、てか俺以外じゃダメなの?こんな事できるなら、力づくでいいじゃん、路地裏とかどっかで囲って、幾らでも血を飲めそうだけど」

「まぁ出来るという事を否定はしない、お主には今の私は弱体化した状態である、そういう話はしたな?」

「してたよ、それはちゃんと覚えてる」

 弱体化した吸血鬼がこれならば、本来の力であればどうなのか。

 伝承としては首を噛み生き血を吸う怪物、それが吸血鬼であるが、実際は人間の首をねじ切り、湯水のように血を浴び、顔に伝う雫で口を潤すのだろうか。

 考えを少し巡らせたところで、血の気が引き悪寒がした。

「お主、失礼な事を考えていないか?」

「いや別に、いや顔を近づけられても……本当に考えてないって」

 徐々に近づく彼女から距離を置こうにも、足を後ろに動かそうにも宙ぶらりん。

 彼女の真っ赤で綺麗な瞳が、俺の全てを包みそうで怖い、安心感さえ覚えそうで怖い。

 緋煩野もそうだが、顔が良すぎると逆に怖いのだ。

「まぁそこはどうでも良い、お主が私の存在を周囲に隠し、尚且つ血を再び提供するのかどうか、とりあえずお主の命運はお主が決めるといい」

 嫌でも冷や汗をかき、俺は固唾を飲み、息を飲む。

 間違いなく人生で最も重要な分岐点に俺は立ち合っている、間違えようもない。

「選びようのないのない選択肢を与えられても、困るんだけど」

「私に協力はしないと?」

「とりあえず協力するメリットを、提示してもらえるとなんて……はは」

 口走った言葉から目を背けるように、渇いた笑いで俺はお茶を濁そうとする。

 彼女の気を害すれば首が飛ぶ、そんな力関係が今ここにあるというのに。

「メリット、か、吸血鬼でもになるか?不死とは言わないが、永遠は約束できるぞ」

「えぇ……いやそれは……嫌だなぁ」

「だろうな、冗談だ」

 どういう訳かパアヴァインは自嘲気味に笑う。

「ならばそうだな……、回復するまでお主の下僕にでもなってやろうか?」

「誇り高き吸血鬼じゃなかった?恥と外聞はいいのかい」

「お主にはそうは見えんかもしれんが、私はかなりの窮地に陥っているからな、命とたかだか数十年の恥なら、お主の言う選びようない選択肢というやつだ」

「長い間生きていても、やっぱり死は怖いの?」

「癪に障る言い方だな。……だが、長く生きすぎた所為かな、それとも……」

 パアヴァインは最後まで言葉を紡がず、物思いに耽るよう既に陽が暮れた窓の先を見る。

 周囲の家は既に照明をつけ、窓からは昼白色の光がカーテン越しに各々照らされている。

 気が付けば夜になっていた。


 そして彼女は、その夜を背景に真っ赤な瞳を輝かせ、こちらに振り返る。

 やはり俺は目が離せない、彼女の赤色から、ありもしない記憶を呼び起こされる錯覚に陥らされるほどに、目に焼き付いて離れない彼女の赤い瞳が美しく、暗がりに浮かんでいた。


「それでお主はどうする?提案を受けるのか、それとも拒むのか、今ここではっきりさせろ」

「下僕になられても困るんだけど、とりあえずお試し期間?……それ以外選択肢ないし」

「契約成立だな、とりあえず手を差し出せ」

「手を⁉いや無理!絶対無理、流石に割に合わない、腕一本⁉助け…んぐっ」

 俺は助けを請おうとしたが、パアヴァインの余った片翼で容易く口は封じられた。

 恐怖の既視感、こんな恐怖を感じた覚えはないのに、以前にも感じた恐怖が余実を覆う、怖い、死にたくない、怖い、誰だって身近な死を忌避する、それが普通、だから怖い。

 常識的恐怖が俺を襲う、具体性のない恐怖の先行、それが死への恐怖を軽くした。

 死への恐怖が軽くなった、死を忌避しなくなった、故に死を受け入れる準備をする。

 どうしてと疑問は尽きない、ただ怖いけれど、怖くはないのは本当。


 目を瞑る、死を受け入れる準備が完了してしまう。

 だからこそ現似余実は、死を受け入れた。


 注射を刺された様な感覚、か細い傷、紙で指を切ったような、そんな感覚。

「あれ?」

 目を開き、俺は周囲を見渡す、見覚えのあるリビング、そして羽を伸ばすパアヴァイン。

 視線が向いた先は俺の自身の右前腕、ひいては手首近くから流れる小川の様に流れる血。

 天からの恵を待つような、餌を待ちわびた犬の様に床に膝をついた姿勢で、恍惚と一滴一滴と垂れる血に下を転がす。

「私のダメージを即時完全再生させるには、凡そ成人男性一人分の血液が必要だ。だが即時という条件でなければ、私自身の再生力と、少量の血で十分。私はお主を使い時間をかけ安全に再生する、お主の私を下僕にできる、この条件なら随分破格だとは思わないか?」

「まぁ条件としては、破格だね……腕に一本取られると思ってたから」

「普通に考えて、私がお主の腕を取ってでも血を飲むのなら、殺したほうが効率的だろ」

「確かに」

「私を見境なく襲う蛮族と一緒にしてくれるな、それにお主から2度血を分けて貰っているしな、対等な条件を出したのはその礼だとでも思ってくれ。、

「うそ?いつ?」

「覚えていないのか?昨日と、……丁度先週か、お主が転んだ際に出した鼻血を少々」

 覚えている、昨日起床後に自ら清掃をしたのだ、確かにその状況に彼女は居たが。

「先週?全然記憶にないんだけど?」

「家の前ですっころんで居たではないか、確かに頭も打ってはいたか……、まぁ思い出して気持ちのいいものでもないだろう、それでどうする?私に協力するか?」

 彼女の語る過去に対し、こちらはびっくりするほど身に覚えが無い。

 俺の記憶力の問題か、それともパアヴァインが現実と空想の区別がつかないという問題か、ともあれこれならば生活に支障が出る訳でもない。

 不安がないと言えば嘘になるが、もう血が止まりかかった腕を彼女に向ける。

「とりあえず、友達から……お願いします」

「よい……ヨサネ、お主を私唯一の人間の友として認めよう」

 絢爛(けんらん)華麗(かれい)であり、赫々(かっかく)しく、堂々(どうどう)たり、尊大なる吸血鬼、ツキキュウケ・パアヴァインは、その口上でアピールした気丈な雰囲気とは大きく打って変わる。

 その姿は親しみやすく、夜なのに眩しいとさえ思う、少女の様な満面の笑みで、俺の差し出した手を握り返した。


 ◇


 耳障りで、騒がしいアラームに設定した音楽が鳴り響く。

 自分で設定しておいてなんだが、相も変わらず今日も最悪な目覚めだ、とにかく体が重い。

 起きようとしても起きれない体、これは自律神経的な問題だろうかと若干の違和感を覚えながらも、目を擦り中々合う事のない焦点を合わせる。

「いや隣の部屋、そもそもなんで人のベッドに」

 ツキキュウケ・パアヴァインまたは吸血鬼、彼女と協力関係を結んでから既に3日が経つ。

 吸血鬼は血を、人間は一人の家の同居人を、見合っているのだが、見合っていないのか分からない協力関係を築いたのはいいが、どういう訳か彼女は用意した部屋を使わない。

「1日かけて掃除した、俺が馬鹿みたいじゃん」

 蹲るように丸まり、余実のお腹を枕替わりにする彼女の頭を少し小突く。

「俺起きるから退けて、……パアヴァイン?おーいパアヴァイン?」

「や、やめろ……カードではなく殴るなら現金で……ぐぅ」

 どんな夢を見ているのだろうか?幸せそうな顔をしているし、とりあえず体を動かせるくらいには体は退いてもらえた。

「吸血鬼社会でも、キャッシュレス化か、大変なんだな」

 未だ現金派な自分には生きにくい社会になったものだ。

「カーテン閉めとかなきゃ」

 少しだけ隙間が空いたカーテンを閉める、パアヴァインはそこまで気を遣わないでもいいと言ったが、直ぐに治るからと言ってあんな火傷痕は余り見たくないので徹底している。

 まだ寝たい所だが、悲しいかな今日は絶望の学力強化日間、俺は肩を落とし部屋を出た。

 

 嫌々ながらも家を出る、同居人が家に居るが鍵も一応。

 生憎の曇天の空模様だというのに、気温は前回と同じように猛暑日に迫る勢いで。

 せめて曇りならば気温を落としてくれ、落とせないのであれば湿度をあげないでくれ、そんな願いを口にはしないが、空を眺めて思う厚い雲からでも眩しいこの景色。

 俺が口にせずと、天気予報士が答えずとも、この空模様こそが答えそう言われた気がした。

「頭いてぇ、これが低気圧ってやつか……、コンビニで飲み物買ってこよっと」

 低気圧のせいかガンガンと響くような頭痛を少しでも改善させようと、余実はコンビニへ向かいコンビニの手前で立ち止まる、馴染のある後ろ姿を見つけた。

「おはよー秋鹿、コンビニの前でボーっと突っ立ってどうしたの?」

「ん?あ、よっ君ー。おひさーおはよー」

「おひさーって、一昨日とか買い物の時に会ったよ」

「よっ君は知らないのかな?会ってお辞儀一つで去るのは、会ったとはいえないよ」

「へぇー」

「凄いどうでもよさそうな返事をするね、よっ君は。まぁいいや、これからせんちゃんと勉強でしょ?サボっちゃダメだよ」

「サボりじゃないよ、ちょっと飲み物を買いに来たの。そういう秋鹿は?部活あるんじゃないの?」

「そうだよ、部活があるんだよ……あるのに!」

 秋鹿は噛み締めるように握り拳を作り、財布を見せて余実に告げる。

「今月お金使い過ぎたぁ、家に水筒忘れちゃったー」

「そういうことね、はいはいお金遣いが荒くない幼馴染が、秋鹿に飲み物のプレゼントー」

「よっ君、さんきゅ!ちゃんと今日家に帰ったら、お金返すから!」

「いいよ、秋鹿は部活を頑張っているんだし、お礼は全国優勝の報告で」

「お、いいの?今年の私は絶好調だからねぇ、インハイ優勝で借金が返済できるならもう余裕だね」

 コンビニ内で秋鹿は自身満々に豪語しているが、背後からとことことくっ付いてきているなと思えば、気づけばカゴの中にはチョコレート菓子が1個、2個。そして3個目が今入っていく。

「優勝を豪語するアスリートにしては随分と、ご自分に甘いようで」

「えッ……」

「そりゃ気づくって、お菓子は自分用とメンバー用で二つまでね」

「はーい……」

 そんなにしょんぼりとされると、こちらが悪いような気がしてくるからやめて欲しい。

「そういえばさ、秋鹿」

「なーに、よっ君」

 突如として湧いた、彼女ならばどう答えるかという疑問。

 俺の疑問に対する答えは一つしかない、だからこそ気になった、もしも不老になれるなら、そんな子供の夢物語のような、高校生が抱くには少々幼稚な疑問。

「もしも、もしもの話だけどさ、秋鹿には特にデメリットがなく今の姿のまま、不老になれるって話があったら、その契約を秋鹿は飲む?不死じゃないよ、不老」

「なにそれ?小説とかでそんな話あったの?」

「いやそういう訳じゃなくて、ふと思ってさ」

「ふーん、……まぁ特にデメリットが無いんでしょ?それなら私はその誘いを受けるよ。まぁ綺麗な姿をずっと見せたいしね、特に大切な人には……さ、それでよっ君は?」

 純粋無垢な笑顔を秋鹿は浮かべた。そんな彼女の笑顔は、俺には眩しすぎる。

 秋鹿の答えに反論なんてできない、だって俺にはその答えを間違いだなんて思えない、その考えはとても美しくいと思う、なのにその答えはきっと俺には相容れない答え。

「まぁそれはご想像にお任せします……というか、ほら遅れるよ」

 だから俺は答えをぼかす。これはただの、もしもの話。

 けれど俺は、いつか秋鹿の隣には居られなくなる、こんなにも親しくしてくれる彼女を裏切ってしまう、そんな予感が過っていく。

 会計を済ませスマホの時刻を示し、急かすように俺は袋を秋鹿に手渡す。

「本当だ、このままじゃ遅れちゃうや、じゃ部活行ってこよう……かな!」

 これ以上近くに居ると、きっと秋鹿を心配させる。

「あ、ちょっと待った、今の内に上着脱いじゃおう熱いから。よっ君荷物持ってー」

「え、いや人前。そもそも秋鹿、今着てるのジャージじゃ」

 止める隙もなく、下から服を持ち上げるように脱ぎ始め、現れるのは上着で押さえつけられていた実った二房の果実が、はち切れんばかりにスポーツウェアに起伏を作る。

 ちょっと動悸がする、ある意味二重の理由で。

「人目を気にしてください」

「いいのいいの、どうせ誰も見てないって」

 大抵の人間が、秋鹿を二度見していたと思うのだが、多分秋鹿は感覚がバグっている。

「それじゃ練習行ってくるー。よっ君、せんちゃんから逃げちゃだめだからねー」

 こちらの不安なんていざ知らず、彼女は風のように走り去る。

 交渉の結果三つとなったチョコ菓子と、ペットボトルの入った袋を片手に。

 さっきまで何かが崩れそうな感覚があったのに、そんなモノはどうでもよく。

「色々揺れているけど、痛くないのかな?秋鹿って……」


 ◇


 勉強会の終わり、暮れ行く夕日がビル群の隙間から、疲れ目に突き刺さる。

 揺れ、それは物理か何か、これが今日の勉強会の感想。

 お礼変わりのアイスを買ったはいいが、この暑さではアイスも秒で溶け始める。

 何故か溢さない緋煩野を後目に、俺は駅構内で手を洗い外に出る、相変らずの人通り。

「なんで緋煩野は、溢してないんだろほんと。いやアイスが悪いな、何もかも今日は」

「あ、よっ君ー、今朝ぶりだねー勉強お疲れー」

 愚痴を溢しつつも、最近になって持ち歩く意識が増えたハンカチで手を拭いていると、見慣れたスポーツウェアの少女。

 どこかセクシーさを感じさせた朝のスポーツウェアとは違い、オーバーサイズのTシャツを身に纏った秋鹿笛寄が、部活終わりとは思わせない溌剌(はつらつ)さを持ってやって来た。

「秋鹿、今まで練習してたの?」

「そそ、まぁ大会も近いから練習詰めって訳でもないよ、戦略とかそういう話とかね」

「頭良さそうな事やってるんだな、意外だ」

「ある人は言いました、スポーツは頭が良くないと上手くなれないと」

 肩から落ちかけたラケットバッグを再び持ち上げ、彼女は大きく胸を張る。

「それは至言だね、文系科目で赤点ギリギリだった人が口に出さなければ」

「文系科目だけだから……数学は頑張ったから」

 痛い所を突かれたのか、秋鹿は言い訳をぶつくさと唱え、正そうとも変わらぬ癖毛をスマホを器用に鏡代わりにし、確認し始める。

「気にするほどか?癖毛も個性だろ秋鹿の」

「それはよっ君が、そこまで癖強くないから言えるんだよ!女の子にはね憧れというモノがあるんだよ、せんちゃんなんて憧れの的」

「まぁ確かに緋煩野の髪は綺麗だとは思うけど」

「でしょー?あそこまで天然のサラサラヘアーはもう一種の才能だよ」

「遺伝の間違いじゃないか?」

「わかってないなー、よっ君は」

 チッチッチと指を左右に振り、秋鹿は一歩余実の前へ出る。

 その姿は幼馴染であり後輩の緋煩野扇子に向けるモノではなく、おとぎ話のお姫様に憧れる少女のように秋鹿は語り出す。

「由緒正しき家に生まれ、大和撫子中の大和撫子。鬼才としか形容できない無数の才能の数々、きっと髪の毛も才能なんだよ、毛根がね必死に何かしてるんだ多分、……そんな才能が沢山あるから、皆もせんちゃんに憧れる。よっ君もそう思わない?」

「…………どうだろ、……」

 俺の緋煩野に対するスタンスは、昔から変わらない筈だ。

 才能で彼女という人間を片付けたくない、実力で蹂躙してきた面もあるからはっきりとは否定できない、だから出てくるのはどっちつかずの答え。

 皆に才能と呼ばれるそれを背負う責任、それに悩む彼女を幼少の頃から見ていたから。

 緋煩野を贔屓してる訳ではない、ただ秋鹿らが彼女に向ける言葉に対して、手放しで賛同はできかねるだけ。

「……?…、いやぁーそれにしても、お腹減ったなぁ、夜ご飯なんだろう?」

 濁した回答を自分なりの解釈をし、俺とは違い上手に飲み込んだ、それが少し羨ましい。

「ドリア?」

 秋鹿は肩をすくめ、呆れるようにこう言った。

「それはサイゼに毒され過ぎだよ、よっ君」


 今日も今日とて熱帯夜、涼しい夜とは久しく縁遠く、湿度が絡まる暑さをし尚酷い夜。

 単純に食材の消費が倍になり、今朝の段階でさえ空にも見えた冷蔵庫の中身を補充するべくスーパーへ、秋鹿も丁度頼まれていた物があるらしく一緒に入店となった訳だ。

 パアヴァインの活動時間には基本どこも閉まっている、開いていたとしても少々割高。

 緋煩野の消費と浪費の違い講座を思い出いし、日用品の担当である俺は買い物を進める。

 此れと言って何が欲しいという話はないが、これだけはと強く頼まれたのは、生乳100%の牛乳。だがそそられるのは低脂肪などの方。

「あれ、よっ君てさ、牛乳そんな好きだった?」

「え、いや別に、そこまで好きじゃ……ないかな?」

 しまった言い訳を考えていなかった。

 吸血鬼と一緒に暮らしているなんて言える訳もない、そもそもの話だがそれは、協力関係を反故にするモノであるし。

 そもそもの話をするのなら、こんな訳の分からない状況に巻き込みたくはない。

 しっかりと極々普通で、当たり障りがなく、不自然に思われない回答を俺は考えなければ。

 頭を傾げ、頭を捻り、ようやく天啓が下る。

 人間頭を使わなければ幾らでも馬鹿になれるが、その反面頭を使えば賢くなる、学力強化日間なんて、とち狂ったハードスケジュールを熟してきた俺だからこそ、そこに閃きが一つ。

 パアヴァインは紛れもなく、外国人の容姿をしているのだ。

 そして都合の良い事に両親は海外に居る、ならば秋鹿の預かり知らぬところで両親の友人が日本観光の為に家に来ている、そんなでっち上げの事実もまかり通る。

「実はさ、緋煩野とかには言ってないんだけどね」

「うんうん、何々?」

 秋鹿は興味津々に顔を近づける、俺の幼馴染は距離の詰め方が相も変わらず凄い。

 内緒にする話でもなければ、全てが嘘の虚言(きょげん)なのだ、心が痛くなるが仕方がない。

「お父さんとお母さんの友人がね、日本観光で(うち)に来ているんだよ、んで牛乳が好きだから買ってきてくれって頼まれてるの」

「……へぇー。……おばさん達の友人か。そっか、そうだね……、あっちの人って結構牛乳飲んでいるイメージは確かにあるもんね、水道水が飲めないからなのかな?」

「多分?でも大分こだわりがあるみたいだし、好きなんじゃない?」

 打たれた相槌の前と後に訪れた、一瞬の静寂にドギマギしながらも、どうにか秋鹿を納得させるに至ったらしいと、とりあえず俺は心の中で胸を撫でおろす。

「男の人が来ているの?」

「いや?女性だけど?」

「それ気まずくないの?おばさん達も……あー?50行ってたよね?私の両親と同年代だし」

「確か……行ってたはず?」

「よっ君が疑問形でどうするのさー」

 呆れているのか、秋鹿は苦虫を潰したような、少し歪んだ笑顔を向けてくる。

「しょうがないでしょ、誕生日は覚えていても、歳だけは、あれ?ってなるんだよ」

「まぁ分からないこともないけど、……おばさん達と同年代の人ってよっ君と会話合う?」

「普通に話せるよ?気のいい友人みたいな感じで、それでも海外の人だから常識の違いはあるかも?」

 少なくてもパアヴァインが軽く触れた感じでは、歳は両親を軽く10週できるほどに凌駕していて、主食が血の時点で人間の常識からは逸脱しているのは間違いない。

 それにしても、よく当たり障りのない答えを用意できたと、熱い自画自賛すらできる余裕が今の俺には存在する。

「なんか今なら大抵の事が、可能になった気がするよ……これが全能感?」

「そっかそっか、じゃあさ」

 秋鹿は安堵したかのように、胸を撫でおろす。

「そこまで、よっ君とも仲良くなれるなら、私も会ってみたいな」

 口は災いの元とは、よく言ったものだ。もう全能感など毛ほども感じないのだが。

 こんな時に、前に読んだ本のオチを思い出す。

 空爆が意図しない瞬間に落ちてくるのだ、今は嫌だ、今日じゃなければ、そんな日が来なければなんて思った時に限って、混乱という悪魔がこちらを見て笑う。

 きっとこれは幼馴染を巻き込まない、巻き込みたくないなんて思ったからだ。

 前に悩切が言っていた、世間一般ではこういう状況をフラグというらしい。秋鹿に興味を抱かせる目印を用意してしまったのは俺自身、まさに旗を表すにふさわしい例えだ。

「え?いや、うーん……」

「私に教えるのに、何か困ることあったりする?」

「いや困りは……、しないと思うけど、うん」

「それとも私に見せられないものでもある?」

「見せられないモノは、そうかもしれない……一旦、一旦ね会計してくる」

「それもそうか、長話はし過ぎたね」

 秋鹿から時間を稼ぐことはできたが、どうするか、いっそ事情を説明するべきか。

 ダメだパアヴァインに説明できる気がしない、よし説明は断念しよう、そうしよう。

 ろくに考えは纏まらないまま、無情にも時間は流れ袋に商品を積め、レシートが出てきた。

「お待たせ秋鹿、多めに買ったから会計に時間がかかってね、荷物持とうか?」

「よっ君そういうことは、私より重いダンベルを持てるようになってから言うんだよ」

「男としてのプライド的なね、あと一応本業以外で利き手に負荷をかけるってのも……」

「なんかよっ君、古文の先生みたいな事を言うね」

「それは……、褒められているのか?」

「いや全然、じじくさいねーって話。これが10キロ20キロあるならまだしもさ」

「普通に酷くない?」

 端的に昭和のおじさんと言われたようなモノだ。

 世は令和で、生まれは平成、昭和の空気どころか、俺達は20世紀の空気感すら知らぬ若人だというのに。

「それよりさ」

 緊張とプレッシャー、たったその一言で、少し胃が痛くなる。

「やっぱり家に」

「無理」

「え?」

「無理、……無理です、無理。今は無理、むーりーだー」

 誤魔化せない、ならば取れる戦法はただ一つ、断固拒否。

 子供が駄々をこねるよう、全てに対しての拒絶。

 俺が説明して秋鹿を納得させる必要はない、秋鹿が独自で納得すればいいとの判断、これであれば説明は要らないはず。

 マリー・アントワネットだかマリリンモンローだかが発したとか何とかいう、パンが無ければの応用……、のようなもの。多分革命同様、強引な行動で終わる。

「えぇー、理由くらい説明してくれても……」

「無理……夜……外出……良くない」

「よっ君、とりあえず目を逸らさずに話そうか?」

 向けられる視線が痛い……、だがその首をできる限り捻り続けなんとか視線から逃れる。

「まぁいいや、予想が付きそうではあるし」

「予想付くの⁉ほんとに?あ、いや別に隠してる訳じゃないけど」

 本当であれば秋鹿が鋭すぎる、やはりパアヴァインに話しておくべき。

「まぁ予想というか、なんとなくだよ。でもそっか、私達にも言えないかくらいの隠し事か」

 秋鹿は俺の少し先を小走りで前を行く。

 無理やりにでも納得したように、背中を向ける彼女の姿を見るのが、少し心苦しかった。


 拒絶とも言える隠し事。それが秋鹿にとっては相当嫌だったのか、少しむくれさせた顔を向け、買い物袋からパンを一つ取り出し、噛り付く。

 咀嚼し、また口にし、口が渇いたのか飲み物も取り出す。多分これが本当の、やけ食いだ。

「約束!……全国優勝したら、その見せられない隠し事を私にも教えて」

 意を決したように肩幅に足を開き、秋鹿は現似余実に向けて視線を向ける。

「いや別に優勝しなくても、ちゃんと準備できたら」

「いいの!よっ君はこの約束を守れるの?それとも守れない?それを教えて」

 秋鹿はその言葉共に、真剣な眼差しをこちらへ向けていた。

 そしてその言葉には強い意志の様なモノを感じる、正直秋鹿が知ったところで何それとなるような情報だ、けれどそれを彼女の目標へ進む意欲の足しになればいいか。

 ならば〝今〟は言わない、それと秋鹿に教えるまでは緋煩野にも言わない、そう今決めた。

「わかった、ちゃんと教える」

「それと、優勝後には予定を開けといて、話たいことがあるから」

「説明にそんな、時間も場所も必よ」

「いいから」

「はい……」

「それじゃ、帰るとするかな……良い夜を、よっ君ばいばいー」

 また違う理由があるのか、強く睨みつけるように言葉を遮り、そして秋鹿は閃光の如く一瞬で走り去る、返事をする暇を与えない程に誰よりも速く。

 真剣な顔し約束をさせたと思えば、ちょっと怖い顔で会話を打ち切り、それに納得したのか少し熱を持ったような赤らめた顔をし、彼女は自宅への帰路へ着く、やはり説明せずとも納得させる方が手っ取り早かった。

 夜は更けていく、幼稚園の頃から一緒の時間を過ごしてきた幼馴染が、全国優勝後に1日を使って何を伝えたいのかもわからぬまま。


 家に帰宅し、靴を脱ぎ捨てリビングへと赴く。

 リビングにはパアヴァインの私服が散らばっている、急遽用意する事になったシンプルと品質が売りのブランドの衣服。

 普段着がドレスだったことよりも、思った以上に財布が軽くなった事に驚いた、リーズナブル系だと思っていたのに、と。

「洗面所に洗濯かごも用意しているんだから、そっちに置いといてって言ったのに……」

 手荷物をキッチンに置き、脱ぎ捨てられた衣服達を手に取り、洗面所へと足を運ぶ。


 (もや)がかかったような頭で、今も今日のことを考える。

 秋鹿は全国優勝後に1日開けて欲しいのか、それが理解できないから、幼馴染として理解しようとするために思考する。

 理解したい、理解できない、秋鹿が隠し事をされたことが嫌だったのは分かった、けれどなぜ二人きりになりたいのか、俺はそれを全く理解できない。

 帰り道ずっと、熟考という熟考を重ねてもなお、それでも答えには辿り着きそうにない。


 玄関ホールから、奥にある洗面所に俺は向かう。

 それは脈絡もなく、洗面所のドアが開いた瞬間に起きた。

 地面を蹴ったようなと大きな衝撃音、それに連なり何かが倒れる音が遅れて来る。

 眼前に迫るのはフローリング。

 なんだか最近、似たような事を味わった気がする。

 どういう訳か膝から崩れ落ち、そのはずみで観葉植物と棚を倒してしまったらしい。

「あれ……」

「お主……またか」

 倒れてきた物は、俺に落ちてくることはなく、何かに覆われ守れている。

 視界の端に映るのは、身を包むようなブロンドの髪と、緋煩野から誕生日に貰った肌触りの良い綿のバスタオルと、鼻腔(びこう)を伝うフローラル系シャンプーの匂いが仄かに香る。

 お風呂上りだからか髪は少し濡れ、温かくて柔らかい感触が俺を包み込んでいた。

「ごめん、なんか疲れてるみたい」

「なに気にしなくていい、私はお主の友人、友の危機には……それより今日は眠いか?」

「ごめん……夜ご飯作って……無いのに、ちょっと眠る……血は取っていいから……」

 薄れゆく意識の中、廊下には植木鉢から零れた土と、棚に仕舞った掃除機を確認した。

 あぁ掃除しなきゃ、面倒で仕方ない。

 最近はいつもこうだ、何故か凄く疲労が溜まっていて、気が付いたら眠っている。

 秋鹿が俺に何を思っているのかと同じで、俺は俺の体を理解できない。

 なのに嘘と思いたくなるほど、満たさているような感覚の幸福感が体に残っている。

 こんな状況が続くのは皆の迷惑に繋がる、それは嫌だ。

 考えても、考えても眠気が先行し、この感情と疲れに思い当たる節はない。

「……疲れたのだろう?無理に意識を保とうとしなくていい」

「……よく……わかったね、緋煩野みたいだ……」

「伊達に長生きしている訳ではない、顔を見れば大抵は理解できているつもりだ」

「羨ましいよ……ほんと……」

「私もお主程の齢の時は……………いやなんでもない」

「……?……」

 パアヴァインが何かを言いかけたが、俺には聞き取れずしばしの静寂が場を包み込む。

 流石に湯冷めしてきたのか、それとも重たかったのか、彼女は俺の体を持ち上げる。

 抱えられた俺の視界には、首を伝い鎖骨に垂れていく水滴と、パアヴァインの顔そして髪。

 そして真っ赤に輝き続ける美しい、血の如く深紅(しんく)の瞳に目を奪われながら、眠りについた。


 ◇


 行燈(あんどん)のような柔らかくて、微かな光を感じた。

 クーラーの断続使用でも生憎の熱さと、浅い眠りをアラームの音が眠りの邪魔をする。

 時刻は5時、午前の5時ではなく17時の方、8月に入って最初の金曜日、その夕方。

 カーテンの隙間から漏れる茜色の光と、シーリングライトから発せられる常夜灯の光が交じり合う自室の中で、現似余実は目を覚ます。

 大きなあくびと、なぜか一緒に出る涙が1滴2滴と目に溜まり、瞳を潤わす。


 思い耽るように時計を見る、もう10年は変えていない筈の使い古された時計。

 起きるのが苦手という訳ではない、俺は起こされるのが苦手だ、アラームや誰かが起こしてくれなければちゃんと起きられないというのに、苦手になるのは何故なのか。

「この時間に起きてもなぁ、これも設定したアラームの切り忘れが悪い」

 最近では、無理やりの起床を促すアラームに敵意すら感じ。

 それにしても昼寝には長すぎる睡眠を取った。それ自体に罪悪感を感じなくもないが、それでもアラームに起こされるというのは正直に言えば不愉快他ならない。

 けれど俺の大して柔らかくもないお腹を、枕替わりにするパアヴァインの姿を見ると、そんな感情はどうでもいい、うん、どうでもよくなった。

「あっつい……てか重たい」

 乱雑にパアヴァインの頭をお腹の上からずり落とし、体を起こす。

 体調に問題がある訳でもないし、正直気づけばこの部屋に居る彼女という存在に関していうのであれば、もう慣れた物だった。

「夜ご飯の用意……してくるか」

 再び大きなあくびをしながら、自室を出てスマホを確認する。

「そういえば今日行くって話だったもんな」

 メッセージに貼られているのは、秋鹿達が到着したインターハイ会場、北海道の写真。

 二人で仲睦まじく写真を撮りまくり、気づけば通知が異常に溜まっているのは恒例。

「トリックアートだな」

 初めの写真が、秋鹿の胸を使いまるで自身の胸かのような画角にした写真、これも恒例行事の一つかもしれない。

 それにしても色々な所に行っている。よく聞く観光地と名物へ足を運ぶのに、昼食はチェーン店どうしてそうなるのか、表情的にはきっと楽しいのだろう、多分。

 最近話題の映えというモノも意識しているのか、正直見ているだけで面白い。

「見れなくなっちゃうから本体に保存して……、自費で前のりって、お前は親なのか?っと送信……、速いって」

 閉じた瞬間になった通知音に驚き、俺のスマホは宙を舞った。

 送信し、アプリを閉じてから2秒も経ってないのだ、誰だって驚く。

 遠く人相手に、言葉ではなく文字で意思疎通ができるのだ、技術の進歩は凄いと感心する。

「富の暴力か……確かにな」

 メッセージに附属するのは、謎の筋骨隆々の生き物のスタンプ。

「暴力だから、筋肉?……いや……うーん、どう返信しろと」

 返信を考え階段で立ち呆けていると、暑さからか汗が一滴流れ落ちる。この時間北海道は涼しいらしい、こっちはキッチンに立ちご飯を作らなければいけないというのに。

 暑いのにキッチンに立つなんて馬鹿らしい、そうだドリアを食べよう。

 俺の心変わりは早く、既に夜ご飯を自炊することは諦め、外食することを前提にリビングのソファーに腰を掛け天井を眺めることにする。

 さてアラームでも起きない、そんな自身のリズムで睡眠を取れるパアヴァインはいつ起きてくるだろうか。……待ち時間というのは、暇だ。


 日は完全に落ち、時刻はまだ7時半を指す(よい)の口。

 目を擦りながら、リビングに現れたパアヴァインは夕食を求めている。

 こちらとしてはパアヴァインを待つのが暇で、リビングの掃除が終わりかけていた所であったが、それはどうでもいい話だ。

「今日は外食にしたいんだけどいいかな?」

「構わないが、わざわざ私を待っていたのか?」

「そりゃね、外食に行くのにご飯を作る二度手間はしないよ」

 パアヴァインは、少し意表を突かれたような顔をする。

 長いブロンドの髪をいじりながら、もじもじする姿がなんとも珍妙で、尊大な態度が多い彼女のイメージからは少し離れている。

「パアヴァインがいいなら、さっさと着替えて行こうよ」

 時刻は8時に迫る、夕食としても遅い時間であることに違いはない。

「わかった、少し待っていてくれ。因みにどこに行くんだ?」

「サイゼ」

「お主、今週だけで2、3回は行ってないか?」

 パアヴァインは随分と冷めた目で見つめなおすが、俺は逸らし続けたいと思う。

 数えていないけれど、多分彼女の指摘は事実だ。

 お手軽、安い、美味しい、量も十分、三どころか四拍子が揃っている、そりゃ利用するさ。 

 まぁ若干というか、味が濃すぎる気はする、と言っても外食なんてどこもそんなモノだ。

「まぁいい、次はちゃんとしたところをだな」

「ちゃんとしたって、どんな?」

「……まぁ今の私が悪いか、お主に期待をした私が」

「喧嘩売ってる?」

「あぁ売ってる、着替えてくる机に置いてある板で調べろ、馬鹿」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは、まぁ調べるけどさ」

 なぜ呆れられているのか分からない、怒っている訳ではなさそうで安心はあるが。

 そもそもの話が、ちゃんとしたってなんだ、ちゃんとしたって。

 とりあえず、ご飯 ちゃんとしたところ、検索っと。


 ちゃんとした食事処の定義を探る前に、パアヴァインの着替えが終わったらしい。

 シャツとスキニーデニム、それと珍しくヘアゴムを口に咥え、髪を結うパアヴァインが戸をがさつに足で開く。

「足癖が悪い」

「ちゃんと私を見ろ、手が塞がっているだろう?」

「結んでから入ればよかったでしょ」

「まぁ、それはそうだが……そうだ時に質問だが余実。お主、酒は飲まないのか?」

「未成年なんだけど?」

「バレなければいいんじゃないか?」

「高3で自分から退学の理由作る馬鹿がどこに居るんだ、ばーか」

 つまらんと口にし、そっぽを向き彼女は家を出て、後を俺も追うように家を出る。

 施錠し振り返ると、パアヴァインはボーっと空を眺めていた。

 気温は相変わらずでも、日差しがないだけで少しはマシに感じる夜。その空は雲もなければ月もない、そして星すらも見えない、ある意味で満天の夜空がそこにある。

 会話もない状況、歩き慣れた筈の道が、なんだかむず痒い。

 スマホを開き、メッセージを確認するが新着の写真はなく、なんとなくで俺はカメラを立ち上げて構えてみた。

 闇夜を背景に彼女は、ブロンドの髪を靡かせ、髪の隙間からは赤い瞳を時々覗かせる。

 月も見えないこの土地が、彼女という存在を際立たせる為に、月を隠している。

 ロマンチックにも思える考えが浮かび、パシャリと画面をタップし写真を撮った。

「あ、吸血鬼って写真にも写らないのね」

「知らなかったのか?」

「てっきり鏡だけかと、だから何もない夜空の写真が撮れた」

「それは残念」

 笑いながらパアヴァインは体を余実に向け、手を広げながら渾身のドヤ顔を披露する。

「私の美しい姿は記録には残せないが、けれど余実の記憶に焼き付けることを許す」

 見下(みお)ろすような視線と、歯を見せて笑う顔でも見下(みくだ)されている感も醸し出すが、顔が整っている彼女が自身満々にやれば、格好いいとしか感想が出ないのだかズルい。

「どうした?見惚れたか?」

「そうだね、つい見惚れたよ」

「真顔でそういう事を言うな、馬鹿」

 じゃあ、どうしろと。


 ◇


 徒歩10分もかからずに、目的地であるサイゼに到着する。

 流石に都会のど真ん中と言えど、夜8時。客足も鈍くなっていると思いもしたが、そんなことはない。

 何なら昼よりも、客は多いまである。

「なぁ余実、普通こういう場所は、夜は空いていると思うのだが?」

「仕事終わりとか、部活終わりがあるから何とも……そもそも夜には来ないし」

 人目に晒されることに慣れていない、パアヴァインにとって人混みというのは、辟易とするのか入店してからすでに数分、そこには机に項垂れた姿がある。

「なぁ、私はワインを飲んでもいいと思うか?余実」

「別にいいと思うけど、随分元気ないね」

「これだけの衆人環視に晒されても見ろ、奇異な目だろうが、興味だろうが、好意だろうが、正直不愉快だ……はぁ……」

 ガラスからは離れた席に座らせては貰ったが、確かにそれが店内においても、一際目を引くのは間違いない。

 パアヴァインはちびちびと口をつけてワインを飲んでは、ため息をついている。

「そういえば余実、お主ドリアとサラダしか頼んでいないが、本当にそれで足りるか?」

「俺が大食漢に見える?見えないでしょ?」

「まぁ確かに……いやでも」

「なんか言った?……あ、頼んだメニューが来たよ」

「さっさと食べて、退散するとしよう」

 そんな事を言われると、何故か俺も誰かの視線が気になってきた。

 食事を急かされることは嫌いだが、この状況ならやむを得ない。

 運ばれてきたドリアとサラダ、そしてハンバーグのセットとピザがテーブルに乗せられ、頼んだメニューは全て揃ったことを確認する。

 俺は口には出さないが、いただきますと手を合わせる。

 残しても腹には、入らないからな、ちゃんと食べてくれよ。


 ◇


 住宅街の一角、その街灯に照らされながらブロンドの髪が揺れている。

 片手間にスマホを覗き見ると、現時刻が9時を回っていた。

 夕食後に俺は人一人を背負い、帰り道を歩いている、どうしてこうなった?


 机にグラスを叩きつける音で俺はハッとする、お腹が一杯で睡魔が。

 視線を上げると今にも泣きそう顔をし、呂律が回らなく舌足らずな口と、ゆでだこのような真っ赤な顔をした美女。

「もう帰るけど……大丈夫?」

「らいじょうぶ……けぷっ……らいじょぶ」

 ハンバーグセットと、ピザの半分を食べ、パアヴァインは頼んだワイン飲み終えた。

 明らかに酔っている、日本人から見ても下戸(げこ)と言っていいレベルだ。

「なぁよさね~、なんで人間はすぐ死ぬんだぁ?」

 多分哲学、恐らくこういう物を哲学と呼ぶのだと思う、返答に困る。

 パアヴァインも考えて発言している訳ではないのだろう。俺は適当な相槌を考える。

「一応人間も、今なら80年は生きる時代だよ」

「80年……うんむ、その中れ、お主たちは何年、わたしを考えおぼれている?」

「え?どいうこと?」

「ほーうら、意味がわかってにゃい、これだから人間は嫌なんだ……ヒッ、むにゃ……」

「おーい、寝るなー帰りどうする気だー」

 その声掛けも空しく、彼女は顔を机に伏せて寝息を立て眠りにつく。

 結果、こうして熱帯夜にも関わらず、彼女をおぶり、汗を垂らし、自宅までもう少しの所まで歩いてきたという所。

「いい加減、歩いてくれーい」

「むにゃむにゃ……」

 起きる気配もなければ、息にかかってくすぐったい。

 何というべきかスキニーデニムのせいか、布越しでも分かる体のラインに触れるのはなんだか、申し訳なくなる。

 具体的に言うと柔らかいのだ、秋鹿に比べれば薄い胸でも、多分男より本当に。

「パアヴァイン、頼むから家に帰ったら部屋に戻ってくれよー」

「分かっている……着替えは……洗面……」

 全く違うし、会話も成立していない。

 もう疲れた、少し立ち止まり休もう。

「……さみしいな……」

 真っ暗な空を眺めている最中、空耳のように一言が耳の中で呟かれた。

 パアヴァインの声のはずだが、パアヴァインは既に寝息を立てている、寝言だろうか。

 明日も平等に朝は来る中、起きた際に思うことがある。

「さみしい……か、人間も吸血鬼もそこは同じなんだな」

 一人で生きている人間も、一人で生きていける吸血鬼も、結局は寂しいという感情がどこか根底に残っている。

 共感しかない、起こされるのが嫌いな理由も、実の所はそこに起因するのかもしれない。

 目が覚めて、目を擦って、着替えて、リビングに降りる、けれどそこには誰も居ない。

「会いたいなぁ、お父さんとお母さんに」

 同じ空の下で、繋がっているとはいえど、十年近く合っていないのも事実。

 彼女も吸血鬼として生きていく中で、距離ではなく、寿命という区切りによって会えない人が居るのだろうか?もしそうなのだとしたら。

「少しだけ、ほんの少しだけだけど、理解はできそうだ」

 相手を理解することが、一番苦悩する。

 同じ感情でも、度合いや具合が違って、他の人の思いなんて近くいようで遠い。

 けれども自身が持ち合わせた感情、それとほぼ同じならば理解はそう難しくない。

 今日も夜は涼しさなんてなく、浴びるのはただ暑さと街灯と暗闇、そして人の音。

 夜は好きだ、頭の整理と、物思いに耽り、落ち着ける時間だから。

 けれど夜は嫌いだ、空は暗く照明を頼りにしなければ相手を見る事もできない、そして人との繋がりが一番遠くなって、寂しさに一番近くなる。

 だから夜が嫌いだ。

 でも少しだけ夜も好きになった、夜行性の吸血鬼が寝るときも起きた時も、近くに居て少しだけ寂しさを紛らわせることができるから、夜の好きな比率が少しだけ増えた。


 彼女の鋭利とは思えない爪先に、俺は指先を宛がう。

 紙で指を切った時のように、切った瞬間に痛みは感じない。

 数秒待てば膨れ上がるように、ジンジンと血が溢れ出し、表面張力かのように指先で丸まった血が指先に留まって、ダムの決壊が訪れ、血が重力に従い下に流れ始めた。

「一応、今日寝てばっかりで血をあげてないから、今あげる」

「はむ……じゅる……」

「吸わないでよ、いつもはもう少しお淑やかに……、まぁいいか」

 赤子のように舐る、パアヴァインの姿が少し新鮮で、気品を感じるのに、子供らしく個人的には親しみやすい彼女の姿。

 なんだかパアヴァインと出会ってから、新鮮なことの連続で楽しい。


 それにしてもいつまで口にするのだろうか、指先がふやけて、痒くなってきた。

「でもこんな日も、悪くはないかな?……暑い中でも外に出た甲斐は、会った……のかな?」

 今日は、こんな熱帯夜。

 こんな日常が、できる限り続いてくれたら、なんて思う真夏の夜、その独り言。


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