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三人目

 畑に挟まれた道をいき古びた資材小屋を抜けると、香ばしい臭みが鼻をつく。盛り上がった河川敷沿いの休耕地から煙が登っていた。パチパチとはじける音も響いている。煙の傍にはチェックのカーディガンを羽織った老爺が立っていて、黒い火かき棒で白煙を吹き出すゴミ山をつついていた。野焼きついでに可燃ごみを燃やしているようだった。それだけなら田舎のありふれた光景だったが、男は魔女のように不気味な笑みを浮かべていて、その一点だけが明らかに異様で、僕はどうにも気になって足が自然と男の方に向かっているようだった。河川敷へ続く坂道の手前、すれ違いざまに横目で盗み見ていて僕は気付いた。男が燃やしているゴミ山は札束だった。真っ白な灰の上に、無数の長方形の紙束。卵型の透かしとほくろのついた福沢諭吉の顔が転がっては、赤黒く燃え尽きようとしている。


「こんにちは」


 声を掛けてみると、老人は愉悦に揺れるような声で挨拶を返してくれたが、札束をつつくのに夢中らしく僕に顔を向ける事はなかった。


「それ本物ですか?」


「ああ、本物だよ」


 ひょうきんを作ったような声を上げつつ、皺に囲まれた目が上がる。僕は一歩近づく。


「どうしてお金を燃やしているんですか?」


「そりゃあ、日本経済をどん底に突き落とす為だよ」


「何のためにですか?」


「そりゃあ、日本が成長し続ける為だよ」


「いまいち話が見えてきませんが」


「ちょっと長くなるが、いいかね」


「構いませんよ」


 老人はやっと手を止め、火かき棒をトタン小屋に立て掛けた。自分だけ折りたたみ椅子に腰かけて、飽いたように燃えかけの札束を見下ろした。僕は棒立ちのまま男が切り出すのを待っていた。


「昔なあ、バブル経済っちゅうのがあってな。……君は若いからその頃はまだ生まれてないだろうがね、あの頃はな……俺も東京にいたがね、自分でも信じられなくなるくらい楽しかったよ。外車なんか乗り回してな、ディスコで女を口説いたりしてな。俺も若いころはずいぶん遊んだもんだよ」


「くだらないですね」


「そりゃあな。そりゃあそうだろうが……でも、今よりはずっとマシじゃないか? 少なくとも向かっていたんだよ。あの頃の俺達は」


「どこにですか?」


「もっと良い生活に向かってだよ」


「良くなってどうするのですか?」


「しらんがな、少なくとも向かってはいたんだよ。日本が一丸となって、良い方に向かっていた、向かおうとしていた。だから経済が成長していたんだよ、それが今ではどうだ?」


「大分酷いことになっているようですね」


「他人事みたいに言うけどね、どうして平然としていられるんだ? あんたは。今なんかアホみたいに物価が上がって、実質賃金なんか下がり続けてるっていうじゃないか。このままいくと全員時給1円になって餓死だよ。そういう流れの中にお前たちが立っているって事なんだよ。なにの……マスコミもお前らも……どうしてそんなに平然としていられるんだ? 本当に俺はどうしても信じられない。ただ今の快楽だけ貪って、惰性で生きて、どうして君たちは平然としていられるんだ? どこにも向かっていないじゃないか!」


「あなただって快楽に酔っていたのでは?」


「だとしても、向かってたんだよ。千鳥足でも明後日の方向でも、あの頃の日本は向かっていたんだ。みんな向かっていたんだ!」


「今だって、少なくとも破滅には向かっていると思いますが」


「いや、向かってないね。本気で向かっていたらもっと悲しそうにしてる筈だろうが」


「それで無理やり悲しませようって事ですか?」


「そうだよ。俺は独り身で子供もいないし、資産ならたんまりあるからな。転がすのも得意なんだ。昔っからな。このまま先物やら株やらを転がしまくって、日本中の金を全部俺がかっさばって、全部燃やしてやるんだ。……まあ、この程度燃やしても何にもならないって事はわかっているさ。これはただの……ストレス解消だよ。こんなもんじゃない。全部燃やしてやる。そうしたら能天気な連中も目を覚ますしかなくなるだろうよ」


「無理だって事は分かってるんですか?」


「俺だってそこまで馬鹿じゃないさ」


 赤茶けた炎の中で、滑稽な鳩胸の鳳凰像が、仰々しい壱万円の文字が縮れ揺れていた。生きながらに燃やされる人は、こんなふうに踊るのかもしれない。


「燃やされて死ぬのと、飢え死にするのはどっちが苦しいんでしょうかね」


「はあ?」


「仮にあなたが日本中の金を集めて全部燃やしてしまえば、それこそ食うに困る人が沢山出て来るでしょうね。餓死する人も出てくるかもしれません」


「だとしても、このまま手をこまねいていてもどうにもならんだろう」


「やむを得ない犠牲ということですか? 死ぬのがあなたでも、同じことが言えるんですかね?」


 老人は一時呆けたような顔で空を仰いだかと思うと、自嘲するように顔中に皺を作った。小さく笑っていた。


「もう俺は死んでるようなもんだ。いつ死んだってかまやしないよ」


「さて、どうだか」


「何なら試しに殺してみるかい?」


 乾いた笑いを無理くり作って「それでは」と適当な挨拶で足を踏み出してみても、老人は軽く手を上げるだけですぐ札束の燃えカスに向き直っていた。一度すれ違って河川敷へと上る。老人の背後に回るように河川敷を駆け下りる。やっと老人は訝しむように僕の方を向いた。僕は試した。老人は喉からナイフの柄を突き出して、目を開け広げて、赤い泡を吹いていた。濁った声で何か呻いていたが聞き取れなかった。暫くすると灰の中にうつ伏せに倒れた。

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