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二人目

「はじめまして。相浦アキラです」


 声を掛けて来たのは30前後の女だった。短めの髪と高い背丈は男らしいが、輪郭も顔立ちもはっきり丸みを帯びている。やはり女のようだ。女は小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら向かいの席に勝手に座った。


「意外そうですね。男だと思ってましたか?」


 コーヒーカップの残りを飲み干すついでに軽く頷くと、女は悦に浸るように目尻に皺を刻んだ。


「無理もないことです。相浦アキラって、中性的なハンドルにしたつもりだったんですがね。まあ、言う程中性的でもないですね。普通なら男と思いますよね」


「何か飲みますか?」


「いえ、結構です! 私は今あなたに夢中でコーヒーどころではありませんので!」


 女は作り笑いのような笑みを作っていた。無性に腹が立った。女の引き上がった口角に、不自然なまでに揃った白い歯に、何もかも分かったような色が見て取れた。


「いいですねその表情。私が嫌いですか?」


「嫌いです」


「素晴らしい! 正直言うと、ずっと不安だったんです。私が女性だからってあなたが拍子抜けして手加減してしまわないかってね。杞憂だったようで何よりです。あなたはね……私の敵じゃなくちゃいけないんです。本当に、愛すべき敵ですよ! あなたは!」


 この女……相浦アキラはネットで活動している自称マルチアーティストで、ポストモダン的な小説やら絵画やらをネットに上げては信者に称賛されている、所謂インフルエンサーという奴だった。対する僕はネットで気に入らない作品をこっぴどく批判する事を趣味にしていて、影響力なんてものは全くないが一部の界隈で悪名はそこそこ売れており、批判しかしないクズとして毛嫌いされていた。そんな僕がたまたま毒手をこの相浦アキラとやらに向けて長文で批判文を書き連ねてみれば、どういうわけか相浦アキラは僕を大絶賛し、呑気に大喜びし出してしまった。それだけに飽き足らず奴はそれこそ熱狂的な文体でダイレクトメールを僕に宛てては、会ってくれと執拗に頼み込んでくるので、僕もどういう人間があんな下らない物を作ってきたのか多少は興味があったので、実際に会う事にしたのだった。


「敵というのには中々巡り合えないものです! ただのアンチならいくらでもいますがね……あんなのはただのアリンコですよ。その点あなたは違う! ちゃんと私の作品を受け止めた上で、批判してくださっている! だから敵なんです! 敵……敵なんだ……私の敵! こんなにうれしいことはありませんよ! あなたは! あなたは敵だ!」


「さて、どうですかね」


 冷やかすように投げかけてやると、女は初めて怪訝そうに首を傾げた。


「敵ではないかもしれませんよ。同族嫌悪って言葉もありますからね」


「つまらないことを言うんですね……白けさせないでください。私の真っ赤なこの愛を!」


「……僕が申しあげたいのはですね。どうしてそんなに呑気そうにしているのかって事なんです」


「呑気なんてもんじゃありません! これはね、歓喜ですよ! 歓喜なんです! 神が死んだからです! 私が……私達が神を打倒したんです! 私達が神を殺したんです!」


 僕はただ女の引き攣った口角の鋭さを目に入れていた。女はもはや有頂天の体になって大袈裟な身振り手振りまで始める始末だった。


「私達はね、自由なんです。罪なんてものはどこにもないんです! 私達は罪から解放された! 何をやってもいい! 何が起こってもいい! 素晴らしいじゃないですか! そしてこれからの時代はもっと素晴らしくなる! 今にジャスティンビーバーがアメリカ大統領になって、洋ナシ型のスペースコロニーが宇宙を埋め尽くすかもしれないんですよ! 愉快じゃありませんか? 今このカフェにだって、ピカチュウが現れてコサックダンスを踊り出すかもしれないんですよ? こんな愉快なことがありますか?」


「あり得ないですよ。そんなことは」


「あり得ないなんてことはあり得ません! 全ての可能性はゼロじゃない! 全ての可能性があるんです! 今こそ全ての宇宙人を掻き集めて、高らかにイマジンを歌い明かすべきなのです! 素晴らしい! 素晴らしい可能性に世界は満ちている!」


「あなたはニーチェの信奉者を自負しているらしいですが」


「はい!」


「ニーチェが発狂して死んだのももちろんご存知ですよね?」


「……随分と下品な事を仰いますね」


「下品でも何でも、ニーチェの自意識と思想を切り離すなんてことはできないでしょう」


「…………」


「ニーチェは自分が発狂して死ぬ事を知っていても、永遠回帰を受け入れられたのでしょうか。人間の身にありながら、無限に発狂し続ける覚悟を本当に持てたんでしょうかね」


 女は軽く俯いたまま黙っていた。目を潜めてはいたが、軽薄な笑みは変わらず口の端を歪めていた。僕は不愉快になりながらも続けた。


「洋ナシだかピカチュウだか知りませんがね、ありもしない可能性を心配して時間を浪費して、何の意味があるんです? 絶対に確実な事の方が重要でしょうよ。要するに、僕たちはみんな遅かれ早かれ死ぬって事です。そしてそんな運命を背負わされながら生きなければならないと言う事です。それが一番確実な事でしょう。どうして確実な事をほっぽりだして、ありもしない事ばかりに浮かれて悦に浸っていられるんです? 例の投稿でも書きましたがね……可能性があるとしたら、宇宙人やらピカチュウやらが出て来るよりも、あなたが5分以内に心臓発作で死ぬ可能性の方がよっぽど高い筈です。違いますか?」


 沈黙が流れた。女は頬杖で細い顎を支え、何やら考え込んでいるようだった。


「やっぱり……敵だな……あなたは。私の敵だ……!」


「僕があなたの敵かどうかなんて、どうでもいいことです。ただ僕が言いたいのは一つだけです。……あなたが次の瞬間隕石に撃ち抜かれて死ぬとしても、今から僕に殺されるとしても、あなたはそれでも呑気して……歓喜してられるのですか?」


 初めて女の笑みが完全に消えた消えた。口を軽くすぼめて、不安そうに目を伏せた。それは一瞬の事だった。次の瞬間には女は小馬鹿にしたような笑みを取り戻していた。


「素晴らしいじゃないですか! 無論、私は大いに歓喜します! 大いに歓喜しますとも! 私があなたに! 不倶戴天の敵に殺される! 素晴らしいじゃありませんか! 私は何が起きても歓喜の元に受け入れます! 隕石も殺人もピカチュウも宇宙人も全て私は受けいれます! 素晴らしい! 何もかもが素晴らしいです! もはや私にもあなたにも、一切の罪はないのです! 私は全てを愛します! 私の敵も! 私の運命も! 何故なら神は死んだ! 神は死んだのです!」


 それから僕は家に女を誘った。散々酔わせてからガムテープで縛って首を絞めて殺した。女はずっとガムテープ越しに何か呻いているようだったが、何を言っているのかは聞き取れなかった。きっと彼女は歓喜し続けていたのだろう。

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