人間証明(リライト企画0001)
しいな ここみ様『リライト企画』参加作品。
いかすみこ様『人間第一原則 ~アシモフのロボット工学三原則に敬意を込めて~ 0001』をリライトさせていただきました。
素敵な企画と原作ありがとうございます。
なお文中の『ロボット工学三原則』の日本語訳文は、Wikipediaの該当ページより引用しております。
Wikipedia『ロボット工学三原則』:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87(2023年10月22日現在)
第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
――2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版。
(以上引用:アイザック・アシモフ『われはロボット』より)
人工知能の構築という分野が、あらゆる困難を乗り越えて自意識や判断能力を持つロボットの製造を可能にした時。
当然ながら、ロボットの『頭脳』が人間を害することも逆らうこともできないような機構は、最初からその『頭脳』すなわち判断能力たりうる電気回路とプログラムに組み込まれることとなった。
それが20世紀の偉大なるSF作家アイザック・アシモフの『ロボット工学三原則』にほぼ酷似したものであったのは、前述したそれがたった3つの短文でできたシンプルなものでありながらも必要事項を抑えた優秀なものだからである。ただしその隙間に残された多大な曖昧さや抽象性は、実現可能なプログラムによってがっちりと定義されるか、あるいは現在の技術では対応不可能かそもそも対策の必要がない点であるとして『抜け道』のまま残された。
アシモフの描いた世界観では一企業と一天才の存在によって全てのロボットの標準規格とされたかの人間の安全を保証する機構、そしてロボットの頭脳たる回路とプログラムは、実際には数多の企業と数多の技術者や研究者によって改良を繰り返されている真っ只中である。
しかしもはや老齢に足を掛けようかという刑事が踏み込んだ研究室の主は、かの技術の最先端からとっくに落伍した、あるいはそもそも着いていくことすらできなかったらしい。
「確かにあの男を殺したのは、ライバルである僕だよ」
ライバル、という単語に刑事の唇がひくつき震えたのにも気が付かず、得意げににやつく男は傍らに立つロボットの頭部を撫で回す。
「人を傷つけることができないロボットに、どうやって人殺しをさせたのか。簡単な話だよ」
ここがロボット工学の研究室であり、男がロボット工学の研究者を名乗る存在でありながら、傍らのロボットはとうに一般販売されている既製品である。
それ自体が男の『トリック』だったのか、単にロボットの『頭脳』そのものを作ることも改造することもできない程度の能力しかないのか――両方か、と刑事は胸中で毒づいた。
『簡単な話』だからこそ、とうに予想はできている。
そして、予想通り。
「人間そっくりの人形を作り、『これは人間ではなく人形である』と言い聞かせながらロボットの前で解体してみせる。見た目もそっくりに、表面温度も36度前後、服も着せてあるその人形を、立たせたまま解体してみせる。この存在は『人形』であると学習させる――数十体は見せたかな、最後はあの男にそっくりなやつを数体解体して、ロボットにも解体させた。なかなか、手間のかかる作業だったよ」
ロボットの自己学習能力を利用した、アプローチとしてはあまりにアナログ。しかしそれはちゃんとかの男の望んだ誤学習を生じさせた。
そして。
「あとはロボットに指示するだけさ、『あの人形を解体しろ』ってね」
本来自分も召集されるべき現場に「関係者の可能性があるから」と呼ばれなかった地点で、嫌な予感はしていた。
そして刑事ではなく『遺族』として対面することになった死体は、嫌な予感の囁いた通り、己の息子のものだった。
高卒で警察学校に入り希望通り刑事課に配属された己とは全く違う進路を進んだ息子。大学で研究者としてロボット工学の最先端を走り続ける姿を眩しい思いで見つめ続けていた。
その顔にはまだ苦悶の痕が色濃く刻まれている。「生きたまま解体された」と言うに等しい状況だった。顔に傷はないが、体の方は悲惨なものだった。
警察に通報した第一発見者は、既に死んでいた息子のそばでロボットが刃物を持っていたと話した。警察が駆けつけた時には既にロボットはおらず、けれど確かに量産型ロボットに特徴的な車輪の痕が被害者の血で描かれていた。立ち去る時に拭き取ったのか、乾いていたのか、どこに向かったのかは不明。科学調査でも追いきれなかった。
殺人に時効は存在しないということだけが、もはや刑事の生きる糧であった。妻は既に息子の後を追った。たった一人の子を突如として奪われ、さらにマスコミの取材や親族からの詰問、好奇や同情の目に晒される日々に追い込まれた妻は、多忙ながらも仕事の合間も伝手も費やした夫の支えも虚しく、その献身に応えられぬことを謝りながらまるで枯れるかのように衰弱して死んだ。家族に先立たれた刑事はもはや殆ど家に帰ることすらなく、日々の職務と息子を殺した犯人を突き止めることだけに全てを費やした。
深夜の犯行であり直接の目撃者はなく、第一発見者には直前まで同じ研究室のメンバー複数と共にいたというアリバイが存在する。防犯カメラは一年前までそこに存在していたが、警備の見直しで配置を変更され犯行現場は死角となっていた。昼間ならば学生や研究者が数多く通る場所だったのが仇となった。
ロボットの車輪の痕から型番まで特定されたが、五年ほど前に発売された一般的な多機能家事用ロボットに過ぎなかった。使い勝手が良く後継機がまだ開発中であり、さらにそのプログラミングはこの大学にある研究室がメインで関わっていたため簡単な改良を施してカスタマイズするのも大学内であれば容易だったためかなり多数の同型機がこの大学で使われていた。管理されていたものについては調査が行われ血液反応が出ないことを確認されたが、私物として購入し持ち込んで使っていたとなればどうしようもない。
また、ロボットの人間を害せないように設けた安全機構については、アクセスした瞬間にプログラムの消去と回路へ超高負荷電流を流しての物理的破壊を同時進行するようにしており、また誤ってアクセスすることを防ぐための回避プログラムも複数組み込まれている。ゆえにロボットは犯行の『主犯』では有り得ないと考えられていた。せいぜい犯人が凶器を運ぶのに使ったか何か程度、共犯や従犯ですらなく単なる道具の一つと考えられていたのである。
その考えが覆されたのは偶然だった。
当初は調査のためにわざわざ購入までしたかの同型機のロボットも、すっかり捜査本部のお手伝いさんと化している。既に進展もほとんどないこの事件は捜査本部の解散もそろそろ避けられぬと思われた。本来であれば被害者の遺族であり捜査に関わることのできない刑事が、捜査本部に割り当てられた会議室に一人で入り込んで開示されないはずの資料までも見ることができた。
ついでに決まった時間に「夕食はどうされますか」と聞きに来るロボットに、カップ麺を用意させるのも日々の習慣となりつつあった。
「夕食の時間となりました。何を召し上がりますか」
「カップ麺」
「どのカップ麺にいたしますか」
「あるやつから適当に」
「了解いたしました」
コミュニケーションとも言い難いほどのやりとりが、さらに簡略化されていたことに気がついたのは、一体そうなってから何日経った頃だったのかなどわからない。
けれど。
「夕食の時間となりました。召し上がりますか」
「ああ」
そう、このやりとりだけで、会議室の段ボール箱に乱雑に放り込まれているカップ麺の中から、前回とダブらないように適当なものが選ばれ、しっかり湯を注いで時間通りに提供されていたのだ。
命令が常に同じものであればその部分を省くよう学習するロボット。
ならば。
「何度も学習させれば、ロボットに人間を『人間ではないもの』と思い込ませるのは簡単だ」
刑事の至った結論と同じことを、目の前の男は口にした。
「そう学習させたのがこのロボットさ」
大学時代は息子と同じ研究室に所属していたが、高度なプログラミングを習得することができずに大学院進学を機にロボット心理学分野へと移った男。
複雑化し、自ら学習して判断することを求められたロボットの『頭脳』の挙動は既に施されたプログラムのみから予測できる範囲を容易に超えるようになった。
だからこそロボットにおける臨床分野とも言えるロボット心理学は決して軽んじられるものではない。心無い者が最新科学、最高難度プログラミング技術からの落伍者と嘲ることはあったし、事実その非常に複雑なプログラムの世界に馴染めずロボット心理学へと専門を移した者も多い。けれどロボット工学とロボット心理学は既に相互に不可欠な分野だと理解している者の方が大多数なのだ。そこに貴賤を付ける方が愚かだというのは間違いない。
刑事とてそう思う。
けれど目の前の男は、同い年ながらロボット工学の最先端をひた走る刑事の息子に勝手に嫉妬し、ライバルであると吹聴しながら殺意を募らせて遂には惨殺した。当然ながら容疑者リストの上位に挙げられていたが、男にもまたアリバイがあったために捜査線上から外されたのだ。
単純に「この人形を見つけたら解体しろ」と命令して息子の顔を記憶させたロボットを待ち伏せさせる、というだけのトリックに、息子は殺され捜査本部は騙されたのだ。
学問にも職業にも貴賤はない。
ただ、自分で勝手に貴賤を付けて嫉妬と劣等感の末に一人の人間を殺し、その手法を誇る男を、刑事は心底軽蔑した。
アナログな手法とて別に頭ごなしに否定する気はない。ただそれでプログラミングの穴を突いた自分の方が偉いなどと自尊心を満たす男の満足げな顔は、あまりに醜悪に歪んでいた。
「さぁロボット、今目の前にいる男を解体しろ!」
了解いたしました、と聞き慣れた機械音声を発するロボットを前に、刑事は黙って拳銃のホルスターへと手を掛ける。
警察官として支給された拳銃ではない。違法ルートで取り寄せた高威力の改造拳銃だ。
「さて、君は何を以って自分は人間だと証明するか……おっおい! そのピストルで僕を脅しても命令は取り消さないぞ!」
タァン、と響く銃声。支給の拳銃とは比べものにならない反動に手首は痛みより先に痺れを訴えたが、両手で保持したその銃口が大きく動くことはなく。
ロボットの頭部を銃弾が貫通し、動きが止まる。既に動き出していた車輪が慣性で幾らか滑り、それもまた止まる。
「ロボットが人を傷つけられないなら、お前を殺せる俺は人間だろうさ。……いや、くだらない嫉妬なんかで、未来も愛する人達もあった人間を殺してそれを誇るお前は『人でなし』か」
逃げ出そうと椅子から立ち上がった太腿を撃つ。床に倒れ込んで喚く男につかつかと近づき、躊躇なくもう片方の膝に銃口を押し付け引き金を引く。
急所ではなくとも治療がされなければ出血で致命傷ともなり得る傷を、靴裏でさらに踏み躙る。息子を殺した男の悲鳴でも聞けば気が晴れるかと思ったが、単に耳が痛いと思っただけだった。
復讐は虚しいと説く人間は、事実を口にしているのだろう。
わかっている。
そんなことはわかっている。
それでも、息子をあれだけ苦しめて殺しそれを嗤う男が、のうのうと何の痛みもなく逮捕され、裁判を受け、十何年か何十年かは知らないが刑務所に入れば罪を償ったことになるなど、許せなかった。
「どうでもいいんだよ。私には人間である証明なんか必要ない。そもそも――とっくに家族もなく、ただ仕事をして息子を殺した犯人を探して、ロボットにカップ麺を作ってもらって生きている私が、人間だってロボットだってどうでもいいことだろう。お前にとって重要なのは、今から俺がお前を殺すってことだけなんだ」
足をどければ這って逃げようとする、その判断だけは素早いなと思いながら右の掌を撃ち抜いた。穴の空いた掌を押さえた左手の上からもう一発。
「は、アンタ奥さんにも逃げられたのかよ!アイツ仲良し家族とか言ってたくせに無様な……」
「死んだよ」
温度のない声に、男は嗤いと痛みにか奇妙に歪んだ表情をそのまま強張らせる。
「妻は、心を病んで衰弱して我が子の後を追うように死んだ。お前は一人の人間を殺して、一人の人間を死まで追い込んで、そうして一人の人間をお前と同じ『人でなし』にした。三人もの人間を壊したお前は満足か?」
それに満足な応えは返ってこなかった。けれど刑事は気にせず男の腹へと最後の銃弾を撃ち込んだ。
研究室の防音性能は非常に高い。研究者達が集中できるように。
だから、息子の助けを求める声は誰にも届かなかった。
そしてこの男の耳障りな断末魔の叫びも誰にも届かない。
叫び声が弱まり、藻掻いていた手足から力が抜け、ぴくりとも動かなくなるまで、彼はずっと息子を殺した男の最期を眺めていた。
翌朝、『元刑事』のナイフで首を掻き切った死体がとある研究室の前で、そしてその研究室の主の死体が室内で発見された。――そう、もはや彼は刑事ですらなかったのだ。
警察を退職し、身辺整理を済ませ、さらにはロボットに繰り返し学習させることで『前提』となる安全機構すら覆す可能性を示唆した文書をかつて息子のいた研究室や捜査本部などに送付し、全てを終わらせ復讐という目標だけを残しそれを完遂して死んだ彼が、息子の仇と対峙した瞬間に自らを『人間である』と証明できる何かを残していたのか。
そもそも人間は何を以って人間であると己を証明できるのか。
それはすぐにロボット工学とロボット心理学の両分野における最大命題として設定され、長らく数多の研究者達の頭を悩ませることになるのだが――いずれにせよ、もはや物言わぬ死体となり物理的にも人間ではなくなった彼にとっては預かり知らぬことであった。