1話
廃退した町。
広がる闇を激しい打撃音と、がなり声が切り裂いた。
「死を持って償えや!」
後頭部に重い衝撃が打ち据えられ、瞼の裏に閃光が走る。
平衡感覚を失い、よろめく。全身の暴行による激痛から息すらままならない。
意識を掻き集め、必死に濡れた地面を踏みしめた。泥が跳ねる音が遠くの方で聞こえる。
倒れないのはもはや意地以外の何ものでもない。ここで気絶でもしようものならば弱々しく灯る命は虫けらのごとく、あっけなく吹き飛ばされるだろう。
「おいおい、もう殺すのか。それじゃあ報復にならねぇだろ。見せしめの役割が必要だ」
「いや、人質として使うべきじゃないか……っておい。やべぇな、こいつ興奮して人の話聞いてねぇ」
「――ひ、ひ」
男たちの下卑た笑いが雨音をかき消し高らかに響く。耳障りで忌ま忌ましさに蹂躙される月音は舌打ちをこぼした。
何度かまばたき、雨粒と流れる血液を手の甲で拭えば、霞む男の顔が醜く歪むのを捉えた。
生意気だ、と握られた凶器を振りかぶる。
鋭利な輝きが命を屠るものだと瞬時に理解した。
骨が軋む。死の臭いがすぐそこまで迫る。
女は歯を食いしばり、振り払うために地を蹴った。汚れたズボンに隠し持ったそれを躊躇いなく握り、またたく間に男の懐へと踏み入る。男が驚く暇すら与えず、勢いよく一閃。
「ぎぃ、ゃあぁぁッッ!」
ぱっと赤がほとばしり、男の濁音まじりの絶叫が夜闇に轟いた。
「は、ちょっと切れた、だけで大袈裟ですね」
こちらは何度も殴られ蹴られて呼吸すら痛いのに。
挑発するように嘲笑を浮かべれば、控えていた他の男二人がたじろぐ。
たかだか学生の女相手に滑稽だな、と吐き捨てる。強がりだろうが奮い立たせねば、今にも動けなくなりそうだ。
ぐっと血に濡れた折りたたみナイフを握り直す。
まるで手応えはなかった、痕にすら残らないはずだ。弱い鼠が、予想外に噛み付いたから混乱しているだけだろう。すぐさまに体制を整えてくるに違いない。
それに比べて自分の満身創痍が煩わしい。どう足掻こうと彼らに勝つのは不可能だろう。だからこそ月音は目が痛くなろうと視線を外さず、凝視する。
体感何時間とも思えるほどの沈黙。睨み合いの末。
「――っ」
遠くで物音がした。赤や白と派手なスーツを着る、明らかにカタギではない男たちの目線が一瞬、月音から逸らされる。
一筋の希望よりも淡い隙を見逃さず、身を翻した。全ての力を振り絞り一心不乱に足を動かした。ぬかるみに足を取られようと、前へ前へと走り出す。
少しでも遠くへ。彼らから逃げねば、勝てない。
「おいっまちやがれ!」
「にげやかったぞ!」
「オイ、なにしてやがるッ捕まえろッ!」
怒号を背に浴びても確認の余裕はない。
息苦しさで朦朧とするなかで女は脇目も振らず、彼らの追撃から逃れるため走る。
捕まれば死ぬ。死ぬわけにはいかない。
まだ、生きなくてはいけない。
生きて、生きて、誰よりも長く。
それが――それだけが大切なのだ。
敵を排除してでも。手段など選んではいられない。
これから先ずっと――独りで生きていくのだから。