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第45話 ふたりを結びつなぐもの

 地震の影響は、幸太の記憶をそのままなぞるように拡大しつつある。

 さらに推移すれば、前回と同様、津波が東北地方の沿岸域を破壊して2万人近い死亡者を出し、さらに東日本を中心に長期にわたる電力危機を招くことになるだろう。

 16時を回ってから、幸太と美咲は1階に下りて、彼女を自宅まで送ってゆくことを母と姉に告げた。

「そう……二人とも、気をつけてね。電車も止まってるみたいだし、余震もあるから」

「マシュマロちゃん、怖かったよね。帰り道、コーちゃんがきっと守ってくれるからね」

「今日はありがとうございました。このようなことになってしまって……」

「美咲ちゃんのせいじゃないんだから。またいつでもいらっしゃい」

「落ち着いたら、また遊ぼうね」

「はい、お邪魔しました」

 幸太の自宅から美咲の自宅へ徒歩で向かうには、北大通りとアジア大学通りを経由するのが最も近道だが、道幅が狭く、万が一にも地震の影響で落下物などがあると危険であり、迂回して玉川上水沿いをひたすら東に向かってゆくのが最も安全で安心と思われた。

 道々、ふたりはこれまで話さなかった、というより話せなかったことについて、(せき)を切ったように語り合った。

「コータ、『時を〇ける少女』って、知ってる?」

「名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らないよ」

「中学生の女の子が、タイムトラベルを経験する話。少し、似てる気がして」

「俺たちが経験したことと?」

「そう。こんなこと言ったら、ほかの人なら笑われちゃうと思うけど。私だけじゃなくて、コータも同じだったなんてね」

「俺も、まだ信じられない気持ちだよ。美咲も、あの日から戻ってきたなんて。俺だけなら、こんな不思議なことも世の中にはあるんだなって思えるけど」

「私にも、分かることはなにもないよ。気づいたら、実家のベッドで目が覚めて、17歳の自分になってた。でも、ひとつはっきりと分かってることあるよ」

「なに?」

「私、コータのこと愛してるよ」

 手をつなぎ、並んで歩く美咲を振り向くと、彼女は明るい表情で片目を閉じた。

 それはいかにもみずみずしくはじけるような果実を思わせる美少女の姿ではあったが、実際、その向こうには幸太と同じほどに成熟した、大人の美咲がいる。

 美咲が幸太と同じ経験をしたと確信したとき、彼はほんの一瞬だが、自分が美咲だと思っていた人を失ってしまったかのような錯覚に襲われた。

 だが、考えてみれば、美咲は美咲なのだ。

 幸太が、まぎれもなく幸太であるように。

 そして今、すべてを知った彼らがなおも愛し合っているということ。

 それこそ、美咲の言うように唯一はっきりと分かっていることであり、それさえ分かっていればよいことでもあった。

「俺はさ」

 と、幸太には今、彼女に改めて伝えたいことがあった。

 ゆっくり、ゆっくりと、噛みしめるように、彼は言葉をつむいだ。

「ずっと、ずっと前から、美咲のこと好きだったんだ」

「ずっと前……?」

「そう、ずっと前から。俺の、初恋の人だから」

「……そうだったんだ。一度目は、全然気づかなかった」

「隠してたからね。でも、俺はそれをずっと後悔してた。いくつになっても、君のこと、忘れられなかったよ。だから、高3に戻って、人生のやり直しができるらしいと分かったとき、真っ先に考えたのは、今度こそ美咲と一緒になろう、必ず君を幸せにしようってことだった。それさえかなうなら、あとはどうでもいいと思ったよ」

「コータ……」

「美咲は、俺のすべてだよ。君のすべてがいとおしい。これからも、ずっと一緒にいたい。どれも、俺が心の底から想ってることで、嘘はひとつもないよ」

「コータ、ありがとう……」

 美咲は幸太のまっすぐな言葉を受け入れ、胸のなかでじっとそのぬくもりを感じようとするように、しばらくの沈黙をつくった。

 幸太が待つうち、

「私もね」

 と、今度は美咲が、想いを言葉にしてくれた。

 声に湿り気があって、またしても、今の美咲と、12年後の美咲の姿とが重なり合う。

「私も、ずっと自分が大嫌いだった。高校の頃まではいつも友達と一緒で楽しかったのに、行きたかった看護大に落ちて、両親は離婚して、銀行の仕事は忙しくて、友達とも会えなくて、毎日がただただ苦しかった。それに私、恥ずかしいけど、ほんとに人を好きになったこと、なかったの。結婚も、私が強く望んだわけじゃなかった。離婚もそう。私、自分のそんな人生がほんとにほんとに嫌いで。でも、あの同窓会でコータに会って、あぁ、こんなに素敵な人と一緒になれたら、私ももしかしたら幸せになれるのかもしれないって思った。だから私、酔ってたせいもあるけど、もうこんな人生どうなってもいいって思って、あなたのこと誘ったの。最低でしょ。あなたに奥さんいるって、知ってたのに。誰もいない家に帰って、私、自己嫌悪で。お酒、浴びるくらいに飲んで、そしたら変な夢見て、どういうわけか、17歳の自分に戻ってて」

「そう……」

 幸太には、先ほどの美咲と同様、彼女の気持ちを受け止めるための、少しばかりの時間が必要だった。

 あの同窓会の夜、あれほど優しく、あれほど美しい表情を見せていた美咲は、それまでずっと苦しく満たされない思いを抱えて生きていたのだ。

 そのことを知っていたら、彼はあのとき、彼女の手を離さなかったかもしれない。

 彼もすべてを捨て、美咲を愛し、幸せにするため、残りの人生のすべてを(ささ)げようと決心していたかもしれない。

 結局、彼はあのとき、美咲の気持ちを理解しようとするより、自分のなかにある甘い初恋の思い出を守ることと、それまで手に入れた家庭や仕事、信頼や名誉などといったがらくたどもを選んだのではなかったろうか。

 彼にとって本当に大切なのは、このひとだけであったのに。

 このひとの、美しく優しい心を守ることこそが、彼が本当に必要とすることであったのに。

 語っているうち、美咲の心は再び、あの日の自分へのいとわしさに支配されかかっているようだった。

 彼女は足を止めた。

 幸太を見つめる瞳に、不安と困惑の色が浮かび、不安定に揺らいでいる。

「コータ、私のこと嫌いにならない? 私、あなたが想ってくれてるようなひとじゃないんだよ。ほんとは、嫌な女なの。大好きなあなたに、嫌われたくないのに……」

 そう言うと、美咲はこらえきれず、ついに泣き出した。

 苦しく、痛々しい声が、彼女の口から漏れ出している。

 幸太はたまらず、彼女を抱きしめた。

 人目もはばからず、抱いた。

 彼もまた、あふれる涙をどうすることもできなかった。

「美咲、俺が君を嫌いになるわけないよ。なにがあっても、君を離さない。美咲も言ってくれたでしょ? 俺たち、もう離れられないよ。こんなに……」

 と言いかけて、幸太は漏れる嗚咽(おえつ)のために、唇がもつれた。

 彼の脳裏には、美咲とつくり上げた大切な思い出の数々と、そしてその一つひとつをたどって育ててきた彼女へのこよなき情愛が、花のほころび咲くように次々と想起されている。

「こんなに、愛し合ってるんだから……」

 美咲も、同じ気持ちだったろう。

 ひときわ大きく、悲痛なまでの声とともに、彼女は必死に幸太の胸にしがみついた。

 その重みと想いを夢中で抱き止めながら、幸太はふたりの言葉を、ある種の神聖な予言であるかのように感じた。

 幸太と、美咲を結ぶ、情愛の糸。

 それはもう、切れることはなく、永遠にふたりをつなぐだろう。

 特別な体験をともにし、互いに惹かれ合って、結ばれた。

 それもある。

 だが、もっと重要なことは、彼ら自身が、この情愛を大切に、大切に結び育ててきたということだ。

 この事実と、そして彼らがその営みを続ける限り、この糸は絶対に切れることはない。

 幸太は長い時間、美咲の体重を支え続け、ようやく彼女が泣き()む気配を見せたとき、そっとその泣き()らした頬に触れた。

 美咲が顔を上げ、宝石のように美しく輝く瞳を見せる。

「美咲、あの約束、覚えてる?」

「……どの約束?」

「ずっと一緒にいる、ふたりでたくさん思い出をつくろうって約束」

「うん、覚えてるよ」

「もう一度、同じ約束をしたい」

「コータ……」

「約束、してくれる?」

 美咲はよころびのにじむ泣き笑いを浮かべ、勢いよく、うなずいた。

「コータ……ずっと、ずっと一緒だよ」

「約束するよ。いつでも、必ず、君のそばにいる」

 迂回コースをゆっくり歩いたこともあって、美咲の自宅に着いたときには、もう19時を過ぎていた。

 お義母(かあ)さんが、玄関で出迎える。

「美咲ちゃん、おかえりなさい。メールで無事と分かってたけど、不安で、心配だったわ」

「ありがとう、ママ。コータが、ずっと守ってくれたの」

「幸太君、本当にありがとう」

「お嬢様は大切なひとです。命に代えても、僕が守ります」

「幸太君……ありがとう、本当に」

 お義母さんは幸太に、休憩と食事をとっていくように勧めてくれた。

 幸太はそれを丁重(ていちょう)に辞退し、一杯の水とお手洗いだけを借りて、すぐに帰路に就くこととした。

 玄関先で、美咲が見送りに立つ。

 気を(つか)ってリビングに残っているお義母さんに聞こえないよう、小声で別れを()しんだ。

「コータ、わざわざ家まで送ってくれてありがとう」

「君を守るためだから、当然だよ」

「えへへ、ありがとうコータ……変わらないでいてくれて」

「俺、美咲がすべてだから。君のためだけに、これからも生きていくよ」

 美咲は今度は涙を流すことなく、満面の笑みでうなずいた。

 そして、あふれるような愛に包まれながら、抱き合い、口づけを交わす。

「美咲、愛してる。またすぐに会おうね」

「うん、約束。今日はご挨拶できなかったけど、お父さんによろしくね。お母さんと、お姉さんにも」

「分かった。不安なこととか、気になることがあったら、いつでも電話しようね」

「うん、ありがとう。愛してるよ、コータ」

 もう一度、口づけをする。

 電車をあきらめ、都心から徒歩で帰ってくる人々の流れに一度はまぎれ、再び玉川上水沿いを西へ向かいながら、幸太は美咲の心情を想った。

 想ううち、胸がしめつけられるように痛み、こらえきれず道に座り込んでしまう。

 (美咲と、ふたりで一緒にやり直そう。Take2、二度目の人生……)

 もう決して、美咲にさびしい思いはさせない。

 誰よりも近く、いつもそばにいて、彼女のすべてを精一杯に愛そう。

 彼のその声なき誓いを聞いた者は、誰もいない。

 だが、この誓いは、彼自身と、彼の愛するひと、美咲だけが知っていてくれればいい。

 そしてこの誓いを、ともに生きる限り、迷いなく彼女に伝え続けよう。

 それだけが、それこそが、二度目の人生を歩む幸太にとって生きるということそのものなのだ。

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