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第24話 想いと言葉

 数日、幸太はぼんやりとして、しばしば虚空(こくう)(なが)めては突然、「ぐへへ」と笑い出すなどして、両親やクラスメイトを気味悪がらせた。

 幸太にはどうにも、美咲の誕生日をふたりで過ごしたあの夜のことが忘れられない。

 美咲の手を握り、髪に触れ、肩を抱きしめた。

 彼女の笑顔を独占し、たった一度、口づけを交わした。

 そして唇に残った、口紅の感触。

 忘れられるはずもない。

 帰り道、美咲は、

「すっごく、幸せな誕生日になったよ。一緒にいてくれてありがとう」

 と言ってくれた。

 電車のなかで、疲れた美咲は、幸太の肩にもたれてまどろんだ。彼女はそれでも、幸太の手に指をからめたまま、離そうとはしない。

 彼女の手のぬくもり、肌のやわらかさが、はっきりと幸太の細胞一粒ごとに残っている。

 (くそ、笑いが止まらないぜ。誰か俺のニヤニヤを止めてくれ)

 だが実際のところ、笑ってばかりもいられない。

 10月最終週は、中間テストがある。この試験でより上位に食い込んで、大学受験にはずみをつけておきたい。

 美咲も、大好きなサックスは中断して、ほとんどの可処分時間を勉強に(つい)やしているらしい。

 幸太も、手を抜くことはできなかった。バイトもシフトから外れたし、WBSの更新も停止した。

 普段はのびのびとした教室の雰囲気も、高校3年2学期の中間テスト期間ともなると少々、殺伐(さつばつ)とする。特に難関校を狙う上位組は、すでに追い込みをかけてきているから、休憩時間も勉強に熱が入っている。

 幸太と美咲も、休み時間は席が隣同士ということもあって、詰まるポイントがあれば互いに相談したりして、協力している。

 美咲は数学も理科も得意だが、ひとつ本人が不安にしているのが英語だ。特に慶〇の看護医療学部では英語の配点が全体の半分以上を占めるため、英語でつまずくと合格はまず難しい。文挿入や英作文などの過去問は、幸太から見ても確かに難易度が高かった。

 幸太の英語の成績は、学年でも最上位に食い込んでいる。

「英語に対する抵抗感や苦手意識がある限り、競争相手を出し抜くことはできない」

 と思っている幸太は、2学期の初期から英会話担当の教師スチュアートや帰国子女の小林に協力を願って、昼休みに美咲を交え英語で会話をした。元来、社交的で人見知りをしない美咲は、ゆっくりではあるが確実にコツをつかんで、英語での表現に苦がないほどに上達している。

 その成果もあったのか、中間テストの英語科目が終わったあと、

「英語、バッチリだったよ。分からないとこ、ほとんどなかった」

 と報告してくれた。このままの成長曲線を描けば、彼女の第一志望も充分に合格圏内だろう。

 中間テスト最終日は、久しぶりに放課後の公園デートを楽しんだ。

 (気晴らしも、必要だからな)

 この日は場所を変えて、所沢の公園に来ている。

 大正記念公園には及ばないが、それでも敷地は広大で、野球場やテニスコート、フットサルコートなどが併設されているのに加え、公園内には航空記念館や野外ステージ、放送塔や時計塔、ドッグパーク、遊具広場、日本庭園、池など、多くの施設が配されている。

「私、この公園、好き!」

 ふたりとも初めて来る公園だったが、美咲は足を踏み入れて早々、まぶしそうな笑顔でそう言った。

 彼女は広々とした風景にうずうずするのか、正面の放送塔を指差して、

「ね、あそこまで競走しよ!」

 と言い、すぐに走り出した。

 幸太は慌てて追ったが、美咲は足が速い。緩やかな上り坂を、ぐんぐん走っていく。間一髪で負けた。

 駅前で買い出した軽食を、芝生広場にシートを広げて一緒に食べる。しゃれたベーカリーで買ったサンドウィッチには、美咲の好きな生ハムがぎゅうぎゅうに挟んである。

 昼食のあと、美咲は子どもに交じって、ブランコや鉄棒で遊び、さらに砂場で何かをつくり始めた。

「なにをつくってるの?」

「これ、学校だよ」

「……どこが?」

「ひどーい! 頑張ってつくってるんだよー!」

 立派な学校を建てたあと、彼女はさらにその横に、水で砂を固めて何か描いている。顔のようだ。

「そっちはなに?」

「私とコータ。こっちのかわいいのが私で、こっちの意地悪で生意気な顔してるのがコータ」

「……どっちもアンパ〇マンみたい」

「あーーーっ!」

 ひどい、と腹を立てながらも、美咲は笑っている。アンパ〇マンのようなその泥をひっつかんで丸め、逃げる幸太の背中にぶつけた。

 そのあと、ふたりでサッカーをしたり、池の前のベンチで美咲がサックスを吹くのを聴いたりしているうちに、西の空が赤くなってきた。

「ね、この木、背高いね! なんていう木かな?」

 池の近くには30mは優に超えるであろう細い高木が連なっていて、なかなか壮観だ。近づいて調べてみると、そのうちの一本に札がかかっている。

「メタセコイア、って書いてある」

「初めて聞いた! もうちょっとしたら紅葉するのかな?」

「そうかもね。紅葉の季節に来たら、だいぶ雰囲気変わりそう」

「今年は、お互いに受験だし、そんな暇ないかもね……」

「また来年、来ればいいよ」

 幸太の言葉に、美咲はほんの一瞬、沈黙した。

「俺たち、ずっと一緒だから。また来年も再来年も来ようよ」

「……うん、絶対だよ!」

 イチョウ並木のベンチで話し込んでいるうち、日が完全に暮れて、あたりは点々と(とも)る街灯の明かりだけになった。日没前に閉園となる大正記念公園と違って、この公園は夜も開いているようだ。

 少し寒い、と言う美咲に、幸太はブレザーを脱いで羽織らせた。横から肩を抱くと、つやのある長い髪が幸太の首から胸までにかかる。

「ね、コータ」

「ん?」

「さっきの言葉、すごくうれしかった」

「さっきの言葉?」

「来年も、再来年もまたここに来ようって言ってくれた。ずっと一緒だって」

「意外かな。俺はそのつもりだよ。ずっと、美咲のそばにいる。俺が幸せにする」

 このようなことを言っても、美咲はどれだけ信じてくれるかは分からない。いやむしろ、このような大仰(おおぎょう)な言葉を無条件に信じてしまう方がまずいだろう。まして、人一人を幸せにするというのは、口で言うほどたやすいことのはずがない。

 だが、幸太自身は本気だった。悲しいほど、本気だった。

 幸太は一度、別の人生を歩んでいる。美咲に想いを告げられず、別の女性と出会いや別れを重ね、やがて結婚をし、それさえも後悔した。

 高校生のとき、美咲に愛を伝えていたら、人生は変わったかもしれない。

 幸太の人生の、それが最大の後悔だった。そしてその後悔を背負って、残りの長い長い人生をむなしく送ってゆくのかと思うと、彼はしばしば絶望的な気持ちになった。

「You、つまんない人生だねぇ。見てる方もつまんないよ」

 と、彼の意識を過去に送り込んだ、あのジャ〇ーさん風の謎の男は言っていた。それはつまらないだろう。当事者である彼が、誰よりもつまらなかったのだ。

 後悔に満たされた、味気ない、空疎で空虚な人生。

 だが、今になってもまだ信じられないことに、彼には人生のTake2が与えられた。そこには、彼が誰よりも会いたかった、決して戻ってくるはずはない人、高校生の美咲がいた。

 美咲はまだ、彼のことを好きになってくれたばかりだ。

 幸太は違う。彼はもう12年以上、美咲を愛している。高校を卒業してから、彼女とは一度も会うことはなかった。成人式も、何度かあった同窓会も、彼は美咲の影から逃げ続けた。忘れたかったからだ。忘れて、ほかの女性を愛せばいいと。

 忘れることは、できなかった。どれだけ、心のなかから追い出そうとしても、彼女の笑顔は常に、彼の心の片隅に確かな居場所をつくった。永遠に、(ゆが)むことも、(けが)れることも、消えることもない笑顔。

 その笑顔を12年ぶりに前にしても、差し伸べられた手を握り返すことさえできなかった、現実の彼だった。

 愛しているのに。

 くだらない人生だ。

 愛する人のそばにいられないなら、そんな人生のどこに幸せを見出(みいだ)せというのだ。

 しかし、そのくだらない、最低の人生があるからこそ、Take2の今がある。

 それは、ひとつには未来から後悔を持ち帰ったということだ。この後悔が、彼の心をまっすぐに、ひたむきに、美咲へと向かわせている。

 そしてもうひとつは、確信だ。美咲を愛し続けたという確信だ。

 だから、彼は言える。

「ずっと、君のそばにいる」

 と。

「俺が幸せにする」

 と。

 12年以上、美咲を愛してきた。これからもずっと、いやこれよりもさらに、美咲を愛し続ける確信が、彼にはある。

 美咲はただ、彼の想いと言葉を、いつものやわらかい微笑みで、受け止めてくれる。

 この日、ふたりはまた、口づけを交わした。

 前回よりも長い、互いの愛情とぬくもりをしっかりと確かめられるほどに長い、口づけだった。

 唇を離したあと、美咲はやや苦しそうに肩を上下させた。

「息、止めてたの?」

「うん」

「息して大丈夫だよ。もう一度」

 もう一度、さらに長く、涙が出るほどに優しくいとおしい口づけのあと、美咲は静かに、幸太に体重を預けた。

 愛する人を夢中で抱きしめながら、幸太は、

「愛してる」

 と言いかけ、

「大好きだよ」

 と口にした。

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