戯言をひとふし
微睡みながら、ツラツラ考えてみた
毎日、沢山の異国人を見掛ける
旅行者ならば、問題はない…多分、まだ許容範囲
不法残留は、いけない
自分の国に帰っていただきたい
異国人達は差別はいけないと口にする
…嫌なら自国に帰ればいいのに
ことコレに関し、日本に差別はない
こんな馬鹿がつくほどお人好して、呆れるほどに相手の言いなりな民族が、異国から来られた人達に、自分から、率先して、そのようなことするだろうか?
日本にあるのは反応だと思う
言わば、鏡返しです
いかにお人好しで善意ありきな人でも、蔑ろにされ、利用され、非難され、嫌なことされたら、うんざりして、認識を新たにして身を守ろうとするは、生き物として、生きるに必要不可欠な反応です
それを差別と言われたら、もう国に帰ってくれよとしか言いようがない
自分は異国人だけど、何も悪いことしてないから、悪さした異国人とは関係ない…は、通用しない
もし私が外国に行き、その国で、同じ日本人が悪いことをしてれば、自分もそのものと同様に冷たく見られても仕方ないと思う
だってそれは、当然の反応だから
私ならば、自分からは恥ずかしくて、それを差別などと口が裂けても言えない
冷たい目線や不愉快な対応されるのは黙って堪えるしかないと思う
ただ、それが身の危険や、命の危機だったら話は別で、それこそ正真正銘の差別であると思う
それが私が認識している差別という概念です
概念とは、自分の都合の良いように、幾らでも改竄できるから、それが正義めいた字面の良い内容で、主張するは勝手だけど、聞く価値はないから、はなから眼中にはない…雑音です
信頼の基準とは、人であり、行動であり、実績です
何代も積み重ねた信用であると思うのだ
変造概念や薄い金メッキした言葉より、行動と実績で語って証明して欲しいものだ