バベルの塔
投資についてのYouTubeがテレビ画面に流れていた
お昼のナポリタンを食べながら、観るともなしに観て、聴くともなしに聴く
私は、食卓に出されたら、なんでも「いただきます。」と、いただきます
…
小賢しげな言動を聴き流しながら、評論家タイプの人間は、やはり、いけ好かないなぁ…と思った
合わない…或いは私の中にも、こんな好かない部分があるのかもしれない
軽々しく言論を駆使するより、土嚢や鉄筋を運んで汗水流せよと、言いたくなります
…言わないけど
かように言葉を軽々しく遣われる不愉快さもあるかもしれない
言葉は、選んで遣うもの
もちろん、言動は自由です
自由だけに、その人の中身が言葉に現れる
本棚のラインナップが、その人を自身を見透かすことが出来るように
お金に働かせると、よく聴く
でもお金は働かないと思う、働いているのは人です
投資したらリターンのお金は、何処からやってくるのだろう?
結局は、物流の末端である販売価格に反映されるのでは?
皆が皆、同様に投資すれば、地層のように重ね重ねて、塔のように高くなるのかな?
投資すればするほどに、リターンが来るほどに価格の塔の階層は積み上がっていく
階層は薄くとも幾重にも重ねていけば、そのうち雲を突き抜け天にまで届くかもしれない
他人様が汗水垂らして、日々耐えながら、社会を支え働いているのに、お金を働かすと称して、働かず、価値を創りださず、その社会からお金を引き出して、贅沢しながら生活する
生活保護に優るとも劣らない夢のある話しです
ああ…私もあやかりたいものです