新しきことに着手するが困難な理由
代休が溜まったので休んで良いと言われ、温泉に行く
温泉を堪能しながら、ツラツラ考えた
週休日に働いたら、その分休めるとは…?!
そうか…休んでよいのか?
…考えてみれば、当たり前のことです
でも、他人が働いてるのに、休むと非常に後ろめたい
…
いや…これも人の感性として、当たり前
だから、休む際は、気にしてはいけないのだろう
他人に働かせ、自分は休むって最高ですねと思い込めれば良いのだ…が、やはり、それは人として間違っている気がする
…
ロジックが必要か?
つまり、順番です
まず、誰かが休まなければ、共倒れになってしまう
だから、休みを順番に回していくのです
つまり、休みとは、誰か一人が特別に休むのではなく、公平に共有すべき、公共性の高い概念なのだ
突き詰めれば…
地球に住む全員が、働くも休むも、皆、同じくにしなければ….なんて素晴らしい考え
地平線の先、何処までも続く真っ平らな原野をイメージする
その地平線に真っ赤でユラユラとした太陽が、ゆっくりと沈んでいく
それはそれは理想的な綺麗な世界でしょう
ウットリする
…
…とにかく、疲れを取るのが第一ですと思った
温泉に浸かり、食事して、ベッドに横になる
…疲労が湯気となり、昇天していく
南無阿弥陀仏
ああ…今日明日だけは、働きもせず、家事もしなくて良いのだ
日常からの解放
温泉入って食べて寝るだけなんて、最高です
ああ、もう、何もしたくない
身体は無為なれど、思考だけがクルクル回っていく
…
…日常とは、同じ事の繰り返しに終始しがち
同じ状態を維持しようとする法則…慣性の法則は、日常においても然り、働いている
悪く言えば、惰性
良く言えば、最適化
これは、人が楽の方、エネルギーを使わない方へベクトルが向いてるからに違いない
ならば、植物が一番良いのでは?
それなら、何故に動くようになったのか?
地中に根を張り栄養を土から吸い上げ、日光を浴びて光合成しながら、毎日寝るだけの生活…素晴らしい楽園に思える
人類が、楽園から出てしまったのが、悔やまれる
だがベクトルは、一つだけとは限らない
楽より強い真逆のベクトルがあったのだろう
それは何か?
…欲望ではないかと思う…強欲…羨望、嫉妬とも形容される心中のドス黒い負の感情群
楽に、打ち勝つほどの強さを持った思いで、悪そうな負の感情のイメージあるけど、使用方法に難ありなだけで、良い効果、結果に繋げれば良いのだ
おそらく正も負も、使えるものは全部活用して、戦い、勝ち残るが動物の生存戦略の強く正しいあり方なのだろう
その成果が、現代の人類
善悪どちらも内包している存在
理由は数多でも正負何でもござれな欲望を、正しい処方箋で良い影響を残せば、結果オーライなのだと思う