小田原評定の行き末
法律や裁判に重きを置きすぎてはいけない
あくまでも数多ある解決方法の一つに過ぎない
オールマイティではないし、盤外戦術も可能だから
しかし、便利なのは確かなので、もっとお手軽に負担なく裁判権限を幅広く持たせて、ドンドン解決させたほうが良いのかもしれない
つまり、問題が発生したとき、通りがかった巷の碩学3人くらいが集まったら即決判決を下すとか
明確にルール違反があったら、元から指定された権限ある者に独断最終判決までさせるとか
争点が発生しない事柄にまで裁判対象にするのが、そもそも変な話で、言い掛かりや自己都合、感情のもつれが100%なのに、これらを緻密に確認して進行させてたら、裁判官が幾らいても足らないし、携わる者達も疲弊して倒れてしまう…
だから、現場に必要な権限をちゃんと与えて処理させるか、拒否して放置するかしてしまえばよい
中途半端が一番わるい
権限も何もない一人に押し付けて、解決しろは、無理な話で、人と予算と権限は最低限必要不可欠
ない場合は、疲弊と無理がたたって、病が下から段々立ち昇ってうつり、組織は機能していかなくなるのだろう
それは、滅びの兆し、先鞭、嚆矢…
会社なら倒産してしかるべく
だが結局、それが公共の働きならば、その不利益は鏡返しで社会に返っていく
傾いた天秤が元に戻ろうとする自然現象
それもまた人類の自業自得で素晴らしい
自然の理が正しく働いている証明ですから