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たま
さる野球選手の記念ボールに6億の値がついたという
私が働いて、働いて、昼夜毎日生涯働いても、あの球一個にすら及ばない
つまり、私の人生の価値は、お金に換算すれば、あの球以下と評価されたのか…
球一個に6億出すのは、自由だ
だが、出すくらい余ってるなら社会に返納しろと言いたい
傍目から見てると、なんか間違っていると感じる
無駄遣いするなし
実際、その球は、ただの球で、他の球と価値は変わりない
他の球と混ぜれば、きっと分からないまま一様になるだろう
…
ああ…百個ぐらいと混ぜてみたい
外形は変わらぬから特定出来ないに違いない
この時、球の価値は、どうなるのだろうか?
お金は、ある所にはうなるほどありて、だぶついていると感じる
…必要な処には無いのに?
球一個に6億出す人の処には大海の如くあるのだろう
…不思議だ
社会への還元システムが機能していないのか?
ならば、お金の使い方に、その人の真価が問われる