疲労物質が、身体から湯気のように立ち昇っている気がしながら、前のめりに倒れている
枠は、フレームは、必要である
これが無いと自他の区別がつかない
生命活動の基礎、範囲が枠であるから、本来疎かには出来ない
今までの枠を取り払うとは、中身が成熟して、その殻の必要が無くなるとか、成長を阻害するとかの理由から、新たな拡張した枠を設けるときしかない
例えれば、卵の殻のようなもの
人の細胞は、枠を無くすと死ぬだけど、概念上の枠は、拡張したり、縮小したりすることができる
人の意識とは、実態はなく、現実に縛られることはないから、自由自在です
夢想するならば、虫は個ではなく、組織全体を主格として、個が動いている気がする 或いは種全体を主格にしてる気がする 魚類、鳥類、動物すら、本能的には種それ自体を意識して、個が動いている気がする
さすれば、仮に、さる集団、団体、組織の全体を司る意識は、あるのだろう…多分…概念上は存在は可能
それはある一定の大きさにおける、その全体の包括意識体のことです
概念だから、思う、想像するだけで、それの主格になることは可能です…妄想かもしれない…でも、それが役に立つならば、妄想だろうが何でもよいと私は思うし
具体的には、主格を、私、僕、俺から、街、都、国、亜細亜、地球、世界と変えて想像することです
…
つまり、自分という枠を外して、考えてみる
大人ならば誰でもやっている簡単な話しで、難しい話しではないはず
マクロからミクロまで、意志一つで、自由
それは、相手を慮る惻隠の情にまで、繫る
言わば、境を軽々と飛び越える意識の旅で、気づけば誰でも出来ることで、その自由な意思は、誰にも縛ることは不可能です…本来は
自縄自縛している…或いはされている気がする
個の意識が強すぎる それ自体は悪くはないけど、其処に意識が動くことなく、いつまでも居座るだけでは、心の振れ幅が無くなってしまう
謂わゆる、井の中の蛙…とか、心が凝り固まり、狭量とか度量がないとか、つまらない人とか…
そして、そのような人間は、直ぐに騙されてしまう
これは、善悪の概念とか頭の良い悪いとかの知能指数とか、全く全然関係ない、そのような些末な事柄とかの問題ではなく、人の意識のあり様の大事な問題ですから、重要視するべきであるなと思う、今日この頃です
ああ…お腹空いた…朝ご飯を作らねば…
身体が油の切れた、ガス欠の機械のようだ…