所有、権利、カツカレー
権利について、主に所有権について、ツラツラ考えてみた
これは実態がないから人が創り出したる概念には違いない
私が産まれた時には存在してたから、当たり前の顔をしているが、出所が結構怪しい…
おそらく原始の時代には表立って無かったことだろう
想像するに蓄積出来る財が生まれてからの概念かと思う
この頃に、所有権の発生が考えられるが、いくら所有者が主張しようとも、その概念の枠は、事例を参考にするならば霞のようで割とあやふやな印象
中つ国では所有権自体が怪しい…他人のモノを勝手に持っていって罪悪感がないらしい…話しを聞くにジャイアン的な思考をしている
つまり、俺のモノは俺のモノ、お前のモノも俺のモノ…
なんて、我儘なほどの自分本位な思考形態
中つ国の人は、権利など、はなから信じていないに違いない
相手が信じているのならば、自分に有利な道具として使ってやってもよい程度の認識であると、思う
相手方に都合の良い怪しげな概念より、まず自分の意志を優先しているのだ
たがこれは西洋的近代ルールを乱しているので、資本主義を信仰している周辺諸国からしてみたら、かなりの大迷惑
しかし、これは資本主義社会を確立した西洋諸国も悪い
まず自分に都合の良いルールを創り出し、相手に押し付けて、自己を有利にするやり方を、あからさまにやり過ぎた
負けたら、自分らが勝てるように自己都合でスポーツルールを改正したのは、今でも印象に残っている
このマヤカシは彼らの常套手段です。
盤外戦術にもほどがあり、私からしてみれば、そのやり口は卑怯で、中つ国の自己意志最優先思考とドッコイドッコイ
毒をもって毒を制すという意味合いからしたら、中つ国のやり方は必然かもしれない
…
これは以前本で読んだ話しだけれども、アフリカの一地方では、所有の概念はあるものの、それは占有の概念と大部分が重なるらしい…つまり、原則、所有の範囲は、自分の手に持っているものだけ(樹木の個人所有などの概念はあるらしい)
これは、実態に即した所有のあり方で、現実的には、この方が良いのではと思ったりする
資本家には都合の悪い所有権の範囲設定だから、当分、現実化はしないだろうけど
自分に必要な分だけ借りて、あとは返すのだ…
社会主義や共産主義と似て非る、あくまでも個人の自分本位を最優先するスローライフ的な所有のあり方は、資本主義が潰れるほどに人類滅亡寸前まで、追い詰められなければ実現は難しいだろう
この世界は、モノが溢れかえるほどにあり過ぎる
しかし、その殆どは触れることもできず、それならば幻想と同じ…ならば、要らないかなと首を捻ったりする
…
昨日カツカレーを作った
見た、食べた、美味かった 皆と一緒に食べて、少し幸せ
うんうん…美味し…これは実態に即している
このカツカレーは、私の所有であるな
そして、これから私の血となり肉となるに違いない
だからこれは、誰のモノでもない私自身の所有であると言える
つまり、そういうことなのです