模倣
模倣はよい
良い悪いは、別にして、定まったレールの上を進行するのが一番効率が良い
電車があるのに、わざわざ暑い中、歩きで行くものは、なかなかいない
だから初心者や新人が、昔の逸品を元に新たに組み立てたものも、読んだとしても温故知新の言葉が似合ってるから、これはこれでよい
だが何のオリジナルもなく、何の変化もなく、アレンジすらないものを、量産してそのまま出されても、首を捻ってしまう
これは、量産型ザ◯ならぬ、ザコどす
海原◯山なら、こんなものを俺に喰わすとは何事だと怒り出すに違いない
人が考えることだから、互いに影響し合って、発想が似るのは、しようがないと思う
もし二番煎じならば、価値を付加して変化すれば良いと思う
…拉麵のように
あれだけバラエティに富んで変化してれば、もはや始祖を中国の拉麵とするラーメンと言う名の別物です
シーラカンスと現代の様々な魚を同一とは主張しないでしょ?
しかし、全く同一の劣化版を見せられても、絶句してしまう
間違えて選んて最後まで見なければ切り替えられないならば、もはや拷問に近い
模倣や真似はよいけど、オリジナルを越える、或いは変化した見応えがあるものを読みたいな