自由 平等 それから…
夜中、お腹痛くて目が覚め、薬を飲みて我慢して寝る
多分、胃腸が弱っているのだ
過労の前兆かもしれない
思えば子供の頃は、よく熱だして、風邪ひいて、お腹痛くなったりして休みました…
うつ伏せな体勢で動かずに、苦しみながら我慢してたら、いつの間にか寝ていてお腹の鈍痛はおさまった状態で昼頃、眼を覚ましました
…
でも体中から疲労が湯気のように天井に立ち昇るイリュージョンが見える気がするので、無理せずそのまま横になる
身体は子供の頃より丈夫にはなったけど、それでも割と頻繁に体調は崩すし、半年に一回は風邪などで寝込んだりする。
だから、無理はしない
自然に身を任せるしかないのだ
身体一つ取っても人は平等ではない
だから、平等とは幻想であると分かっている
何故、人は平等を唱えるのであろう?
人に差異があるのは当然のことで、凸凹です
例えば、オレンジも凸凹だったり品種で大きさも色も違うのは当たり前のこと…でも、皆んな一括りにオレンジなので、その優劣に大きな差はなく、感情は伴わないし…その差異に意味はない
所詮みんな一律にオレンジなのです
それぞれに差異があるのは、当たり前だけど、そこにオレンジ自身が優劣を見出して何になるのだろう?
気にするのは、農家の人くらいで、オレンジ自身には何の関係もなく、もし優越感があったらと想像するだけで喜劇です
笑ってしまう
そう…まるで意味はないと思う
環境に対して優劣は伴うけれども、そこに人の優劣はない
最初から人は生まれながらにして平等です
意味のない差を見出し優越を感じたりする人の方が、逆に人の格が劣等であるなと感じてしまう
確かに身体の不平等はあるのだけれども
そこに人としての優劣を見出し差別に繋げる思考過程が理解できません
だから、差別を正義の美旗に立てて、物申す人がいるけれど、ピンと来ません
だって当たり前の事だから、根拠にされても理由になり得ないのです
うんうん…差別はイケナイよね
でも、それってアナタの言いたいこととどう関係あるの?
この世を平和に暮らすには、義務とか協力とか我慢とか代価が必ず必要であると思う
平和はタダではないのだ
世の中には不愉快だとしても、やらねばならないことはあるし、我慢すべきこともある
分かっている…だから私も納得はしなくても我慢はしている
わざわざ差別を盾にして身を護り、差別を矛にして攻撃する必要はない
おそらく、それを理解出来ない人は、責任を放棄した人生を歩んで来た人だと思う
やりたくない事、汚いことを全て人に任せて来て、自らは綺麗事ばかり口にしてきた人達だ
そんな人達が口にする、やりたくない事を、差別のせいにする論法は、欲望を大義名分で糊塗してるだけだから、論理の繋ぎにズレを感じて、んん?と違和感がある
その主張の根底に他責がある限り、魂胆が見え透いてガッカリして、興味がなくなり、ただただ聴いててウンザリするだけ…
その言葉には価値がない
耳障りがして不愉快極まりない
もし私がカイバラユウ山ならば、チャブ台をひっくり返してシェフを呼べと言うに違いない
いや、呼ばれてきても何も言う事はないけど、無駄だから
しかし、物申すのは自由なのだ
人は誰もが皆物申す自由がある…平等です
そう…自由だ…素晴らしい
素晴らしくないのは、それを発する人の方なのです
ゴミ袋の口は、しっかりと縛っておかないと臭気が漏れ出して大迷惑なのです