作用反作用の法則
朝ご飯食べ終えた
味噌汁に納豆入れてみた
これは市販で売っている納豆汁が美味しかったから
でも家庭内でやるのは初
そんな発想は無かった
でも、今日は私一人だけ…チャンスだ
更に卵をいれ半生の状態で、ご飯に掛けていただく
はしたないけど、家庭内だから構わない
しかも今日は私一人だし だからこれで良いのだ
納豆だから賛否両論分かれるかもしれないけど
私は美味しかったな
もし不味かったら、どうしていただろう?
捨てるは無い
責任は取らなくてはいかない
当然不味くても喰らう
食べなけれは食材に対して申し訳が立たないからだ
人は自分の為した事の責任は取らなくてはならぬ
取らない者は卑怯者です 見た目は人でも人でない、実は人でなしです
これは地位とか見た目とか所持金とか権利権力権限関係なく、自分が為した或いは為さぬ責任を取らない人は、人でなしの卑怯者で軽蔑するべき人達です
だからもし卑怯者が言葉を喋っていても、犬が吠えてるのと同じ感覚です
私の中では、人の下の区分に入ります
ああ、やたら吠える犬は困ったものですね
作用反作用の法則があります
物理的法則なので、地球上ならば全てに適用可能
為した事は、その分だけ返って来る
作用、反作用です
近い概念がハンムラビ法典にも載っています
その本意は復讐を薦めているわけではなく、それ以上返すのを止めているのです
つまり、それくらいでやめとけと
少々剣呑な例でたとえれば、もし7人を殺したら7回を越えて殺し返してはならないのです
あくまでも殺した数の7人までと法律で上限を決めているのです…流石、ハンムラビ法典
現実の社会でも、それで良いのかもしれません
当然の報いですから、殺した方もまさかそれで済むとは思っていないでしょうに
既に死ぬ覚悟は出来てるはず、だって逃げたらただの臆病者ですから
そんな卑怯者で臆病者らの小さき事はさて置き…
実は本当の問題とは、法律とか合理性とか及ばない領域にあるのです
子供の頃読んだ話しに、ナナニンミサキというものがありました
これは、怨霊かアヤカシの類いと思うのですが、この怪異は殺された人の魂が核となっているらしく、なんと7人の生者の魂を道連れにしないと成仏しないらしいのだ…。
何それ…?
殺されたとはいえ、魂七倍掛けです
ハンムラビ法典の上限を無視したぶっち切りです
まさに合理では解決できぬ分野
いやいや普通七人も集まらんだろう…加害側が村ぐるみの組織じゃあるまいし
そうなると縁の者に責任を取ってもらうしかない
しかしその責任の代価は己れの魂です…魂取られたら死ぬじゃん
なんて恐ろしくも傍迷惑な怪異だ
この平和な現代社会でも殺されてしまった人はかなりの人数いる 殺されて成仏するわけがない
きっとスタンバイして待っているに違いない
七人の魂が揃うまで