餅
絵に描いた餅を、実際に食べるには、様々な課題がある
最低限、誰もが食べれるよう偏頗なく餅を配らなければならないし、全員がその餅を食べれるようにしなければならない
もし、他の人が餅食い放題なのに、食べられずに我慢して、餅を食べてる人の分まで、餅の代金を稼がなければならないとしたら、いくらなんでも怒りませんか?
ならば、そんな餅など無い方がマシマシです
せめて、見えない処で食べて欲しいと願うのは間違ってますか?
目前で、美味そうに食べてるのを見せつけられて、自らは食べられず、代金だけ支払う
言葉にすれば、おかしい
人類皆兄弟なのだと言うのだろうか?
分相応…現実に即した…調整…等等の言葉が浮かぶ
餅を描く
其処から実際に食べるには、予算を組み人員を用意して、材料を調達して、場所を提供し、調理するに際し、更に電気、ガス、水道など最低限のインフラを確保して、全員が食べる順番の段取りを組まなければならない。責任者を決めて、失敗すれば、もちろん責任を取らなければならない。
餅を上手く描くのは大変だろう
だけども、実際に餅を食べるには、ちょっと想うだけでその1000倍くらい大変だと思う
規模が大きいほど逆に大変だと思う
100人いて内訳が99人が食べる人で1人が作る人ならば無理でしょう?そして作る人は勿論食べることは出来ないのだ
半分でも無理だと思う
食べる人が食べてる間、その人のやるべきことを肩代わりしなければならない
つまり通常の2倍作業しなければならないのだ
通常人は、平日8時間作業ができるとすると、毎日最低限16時間働ければ、餅を賄うことが可能だ
毎日通常では無理があると思う
それに、一人分が一人分の作業量とは大抵は限らないし…
睡眠時間3時間くらいかな?
餅を絵に描いた優秀な画家ならば出来そうだ
しかし通常人にはきついと思う
ならば、分かりやすく10人中1人ならばどうだろう?
概算で全員が毎日1時間残業すればなんとかなりそうだ。
しかし、他の人達も、病休なり、法事なり何らかで休みは取るだろう、他に夏休みなどの長期休暇も取らなくてはならない
すると通常時で最低限1人は不在と考えれば、餅食べる人と合算すると2人不在で、8人で10人分の作業量を回さなければならない
すると通常時、平日毎日最低限2時間の残業で済みそうです
これは考えどころだ
餅を食べるのは悪いことではない
誰しも餅は食べたい 美味しいからな
しかし、最低限毎日2時間残業して食べたいものか?
しかも残業する人は食べれないのだ
概して考えたけど、実際の話しでは人はそんなに働けない
分母を大きくしても、代休、祝代休、諸々で休まなければならない人は多いから、実情はそんなに変わらない
作業量は変わらないけど、作業する人がいないなら、一見して余計に見える潤滑油的作業も、先々で生きてくる一見して重要でない作業もやらなくなっていく
余計と余裕、先々の布石を打たなくなったら滅びの兆し
それでも餅を食べたいですか?
食べるのは構わない
でも食べる為の算段はしなければならない
しなければ、その皺寄せは食べない人の処にくるのだ
私自身は餅を食べるのは賛成だ
私も餅は食べたいのだ
でも現場で算盤を弾いても如何ともしがたい実状がある
だから、ここは、やはり優秀な餅描き画家の出番であろう
現場に支障が出ないよう、餅を食べる人達を転用ではなく、正規に配置換えして餅描き画家の部署に入れてしまえばよいのだ
代わりに、其処から人員を出せば、籍はあっても人がいない幽霊状態はなくなるであろう




