修正力
今、起きた
寒いっす
昨日雪降っていた…世の中は、どうなっているのだろうか?
雪に埋まっているのだろうか?
布団の中でヌクヌクしながら少しワクワクする
今日私は休みなのだ
運動したわけでもないのに、身体の節々が痛い
それでも世の中は回っているので、所用は済まさなければならない やれやれ…
…
世の中が回っていると言うことは、社会を支える人達が今現在も働いているからで、頭が下がる思いです
…
布団の中から感謝の念を送ったり…
それにしても室内でさえ寒い
これは外の体感温度は推して知るべし
ああ…外には出たく無い
しばし、外に出ないで済む方法を考える
…が出てこない
諦めて、自宅をでた
雪が積もった霙まじりの道を歩きながら、つらつら考えるに、世の中に或いは社会にと言い換えてもよいが、役割は色々とあるが、人の意思の役割の一つに修正力がある
本来ならば、最初作ったものがそのまま永遠に役割を全うするならば、必要はないが、無理なので必ず人が見て、その都度不都合を修正、対応しなければならない
つまり、それこそが管理
…インドの神様は多神教であるからそれこそ沢山いて、その中に維持を担当するヴィシュヌ神がいる
他に創造を司る神ブラフマンと破壊を司るシバ神がいる
この神々達は世界の運行を表しているものと思われる
そしてその理は、マクロからミクロまで網羅している
だから、社会や人の身体まで、この神々の理は及んでいる
社会限定で言及するけど、創造も破壊も大事だけど、私が一番重要視してるのは、いまいち地味目のヴィシュヌ神である
維持を司ると言うことは、管理すると言うことだと思う
何故なら頑なに慣習を維持するだけでは社会は維持出来ないから
全てが不変で、自動で事が済むならば管理は必要ないし、人も神も介在する必要すらない
だから見なければならない
小さな兆しを見過ごさないことが肝要で、それぞれの担当部署で、小さなうちに対応修正する
管理とは、窮屈に縛ることではない
むしろ自由に動くために、普段は空気の様に通常当たり前の業務をこなしながら、社会の綻びを見過ごさないよう見てるだけで、もし綻びを見つけたら修繕する
凄い地味だ
つまり管理とは、
当たり前のことを、当たり前に済ます
そしてその当たり前の業務の中に修正、修理、修繕が入っている
地味だ…でもこれが生きる上で一番大切なのだと思う
自分の人生は自分で管理しなければならない
自分の身体も然りである
だから日々、修正、修繕、より良い方角へ自分を導く
細かな進路変更です
そしてより良い方向が分かるには、自分の中の羅針盤を磨かなければならない
自分の中の羅針盤を見て、方向を微調整するのだ
よく人が住まないと家は老朽化すると言うけど、この管理人不在が理由であるのではないかな?