マリオネット
自分の行動は、自分で決めて動いている。
至極当たり前のこと。
でも、振り返ると、実質自分で決めた事なんて、ほぼ無い。
やるべき事をやってるだけ。
これって誰が決めたこと?
他人が決めた事に、何故従わなければならないのか?
甚だ不本意である。
規律も規範も他人が決めた事。
なのに従うのは、自己に都合が良いからに他ならない。
一定の枠内に収まらない迷惑な人は、周りに迷惑を掛けながらいずれ淘汰されてしまうのだろう。
でも、他は自由で良いはず。
なのに、この窮屈感はなんなんだろうか?
この閉塞感は。
息が詰まる。
別に人一人いなくても社会の歯車は容易に回る。
誰かが、何せよと強制してる訳でもない。
でも、大義名分、お金の儲かり方、社会システムによって、ベクトルを決められている。こっちの水は甘いよと誘導されている。
実は、自己の資力を、時間、労力を遠回しに奪われている。
資力泥棒だ。
いったい何処の誰に奪われているのか。
まるで操り人形。
自分で決めてるように見えて、実は自分の事さえ自分で決められない事を、感じている。
それを窮屈に感じているのではなかろうか。
それが、この先一生続く事も、分かっている。
それが閉塞感の正体ではなかろうか。
自分で自分の事を決めない人の名称をご存知だろうか?