言いなりはゾンビ
眠い…眠すぎる
認識の差異について考える
人の判断は常に主観を挟んでいる
真っ白ではなく、色つきです
眠い…もう、疲れてしまいました
純粋無垢な公正中立な客観視で視ようと、限りなく無私しても、どうしても主観は残ってしまう
だから、純度100%の客観視はありえないのだ…
暗闇に落ちていく
正義は常に我にあり
自分が悪とは、人は考えないもの
ならば、他人にとっても、そうであるかと言うと、そうではない
重なる部分もあるし、真逆の場合もある
つまり、正義とは、客観的判断の前提の衣を纏いつつも、その中身は主観的な欲望に他ならない
自己の望みを正義と自称してるわけです
…
そのような自己正義を、望みを、達成するに際して、他人が動くかというと、普通は動かない
何故に自分が皆んなの為に正義を遂行してるのに、動かないのかと憤っても動くわけがない
その正義とは、皆んなにとっては、胡散臭い何の役にも立たない利益にならない琴線に触れないものだから
自分の欲望は、自分が行動して達成するしかなく、もし他人にやってもらうには
照明のスイッチのように押せば明かりが点くというわけにはいかない
簡単なことなのに、怠慢だろう、これほど言っているのに何故に出来ないのか?
そう思うなら自分でやればよい
出来ない、しないのは当たり前です
人には自由意思があって、自分の行動は自分で決めるのですから
他人のために自分の限られた資力を割くわけがない
もし、公正かつ責任感のある親切な心優しい人にお願いしたとしても…社会では実務上出来ない
対価が必要です
通常の仕事外ですから、自分が休憩できる隙間時間を潰して、やるのもどうかだと思う
まともな責任ある人ほど、通常ベースの仕事に自分の資力を使いきる
通常外の、新たな他人の正義の願い事に費やす時間などないはず
だから、いくら言い立てても喚き続けてもますます逆効果で見当違い、暖簾に腕押し
他者にやってもらおうとする甘い考えでは、その願いは何年掛かってもかなうことはない…それがどんな簡単で易しい願い事でも
自分の正義と称する願いをかなえるには、まず自分で行動しなければ、一生かなうことはない….
…
翌日、起きたら昼頃だった…
…お腹が空いている
人間だから、生きているから、お腹すくのだなぁ